冴えない男のヒミツのお楽しみ

矢代大介

本編


「なぁ、何かお前、最近いいことあったのか?」


 突然降りかかってきた同僚からの言葉に、「俺」はふいと顔を上げた。


「いいこと? いや、別になんにもないけど……どうしたんだよ、藪から棒に」

「いやー、なんか最近、お前の顔が生気に満ちてるように見えてさ。なんかいいことあったんじゃないかなって思ったんだよ」


 けらけらと笑いながら着替えを済ませる同僚をよそに、俺はどうしても気になって、ぺたりと自分の顔に手を当てる。むろん、帰ってくる感触はいつもと変わらない、自分の顔のそれだった。


「……え? 俺、そんなに変な顔してたのか?」

「や、変ってわけじゃないけどよ。――はっはーん、さては女でもできたのか? 羨ましいじゃねーかーこのこの~」

「肘やめろ、くっつくな、暑い、ウザい!」


 ヘッドロックを敢行してくる同僚を振りほどきつつ、俺も着替えを終える。ばたん、とロッカーを閉じ、汗ばんで痒みを訴える頭をばりばりと掻きながら、ポツリと一言だけこぼした。


「ったく……ま、趣味っぽいものは見つけたっちゃ見つけたかな」

「お、なんだよやっぱりそうじゃんか~。……なるほどなー、中学のころからずっと無趣味だったお前が趣味とはなー」


 うんうんとしきりにうなずく同僚が、先ほどのからかうような笑いとは違う、腐れ縁としての純粋な厚意から来たのであろう、屈託のない笑みをこぼす。


「なあなあ、何やってるんだよ? 面白そうだったら俺にも教えてくれよ」

「んー……いや、たぶんお前には合わないよ。それに、やろうと思ってやれる趣味じゃないだろうし」

「へえ、そうなのか? んまぁ、お前がそういうなら仕方ないか。……ひょっとして、今日も今からそれやりに行くのか?」

「いや、仕事帰りにやるようなもんでもないからな。今日はこのまま帰って寝る」

「なーんだ、こっそり後つけてやろうと思ったのに」

「だろうと思ったよ。――じゃ、お疲れ」

「おう、お疲れさーん」


 肩をすくめつつ、俺は同僚と並び歩いて仕事場を出て、それぞれの帰路に着いていった。




***



 腐れ縁の同僚に指摘された通り、これまで俺は趣味と言えるものを持っていなかった。……より正確に言うならば、趣味と呼べるほど熱中できるものがなかった、と言うべきだろうか。

 ゲームやアニメ、漫画のようなサブカルチャーも好きといえば好きだが、俺からすればそれらは暇つぶしの手段であって、情熱を注いで真摯に楽しむようなものではない。

 同じような理由で、スポーツやアウトドアな趣味なんかも、面白く素晴らしいものであるとは理解しつつも、自分自身で心血を注いで熱中するほどのものではない、というのが、俺個人の見解でもあった。


 そんな、様々なものに対して冷めた感想しか持たない俺が唯一興味を惹かれたのは、「自分を着飾ること」だった。

 オシャレな服を身に纏い、自身の魅力に磨きをかける。異性からの視線や同性からの羨望など関係なく、ひたすらに自身を愛でるという行為。それはどういうわけか、俺の目には、非常に魅力的に思えた。


 だがそれも、生来の自分の素地を考えれば、自ずと限界は来る。

 もともと、自分はオシャレとは縁遠い人間だし、いくら自分を飾り立てたところで、それは決して「自身の魅力を引き立てる」ものにはならない。むしろ、「見るに堪えないものをどうにかごまかしている」という方が、どちらかといえばしっくり来るのだ。


 やりたいことと、そこにある現実のギャップが生み出す、補い難い乖離かいり感。

 それに悩み続け、どうにか折り合いをつけて今日までを生きた結果、残ったのは趣味らしい趣味もない、無味乾燥で没個性な、冴えない男だけ。

 努力でも変えようのない、決まり切った味気のない日常。それはいつまでも変わらず、老いるまで続くと、そう思っていた。



 ――そう、あの日までは。




***



 差し込んでくる西日の中、いつもの時間にやってくる電車に乗りつつ、俺はスマホを使って、ネットサーフィンに興じる。


「お……?」


 懇意にしているまとめサイトやSNSを一通り回り終え、手持ち無沙汰にSNSをスクロールしてると、タイムラインに流れてきたある投稿が俺の目に留まった。


 内容はなんて事のない、贔屓にしているとある個人商店の商品入荷情報だ。しかし、添付されている画像に写り込んでいるその「商品」が、大いに俺の心を揺さぶってきたのである。


 ――欲しい。だが、これを買いに行くためには「あること」をしなければならないという問題が、即決を躊躇させていた。


 自分の中の線引きとして、「それ」をするのは時間に余裕がある時――具体的に言うなら休日などに限定すると決めている。遂行に時間がかかる、と言うこともあるが、一番の問題として、今のような出先では、それを準備できる「場所」が確保できないのが大きかった。


(休日なら、家でゆっくり準備を整えて出向けるんだけどなぁー……。でも、数量限定入荷ってことは、下手すりゃ速攻で狩られる可能性もあるからなぁ。見た感じデザインも良いし……売り切れる前にとっとと確保しとくべきか……?)


 スマホ片手にうんうんと悩むこと、おおよそ五分。


「……いや、後悔してからじゃ遅いよな。――行くか」


 帰宅前の寄り道を決めた俺は、折良く到着した電車を降りるべく、がたりと席を立った。



 夕日の茜色が濃くなり始め、会社や学校からの帰路に着く者たちで、密度を増した雑踏の中。

 電車を降り、駅の改札を潜った俺は、駅の構内に存在しているコインロッカーへ向かう。目的は当然、そこに預けてある「荷物」の回収だ。

 抜いてあった鍵を差し回し、ロッカーの扉を開けると、そこにあるのは黒いボストンバッグ。


「一応持って来といてはあったけど……まさか本当に使うことになるとはなぁ」


 ぼやきつつ、内容物の詰まったそれを引っ張り出した俺は、続いて駅に併設されたデパートへと足を運んだ。



 駅から伸びる連絡通路を辿り、二階からデパートへと入館すると、そこには衣料品のフロアが存在している。目的の場所へと向かう道すがらには展示スペースが存在しており、そこには多種多様な衣服が並んでいた。

 ――もっとも、そこにある色とりどりの衣装は、全て「女性用」である。本来ならば、俺のような人間はスルーしてしかるべき場所のはずなのだが、俺は堂々とその場を通り過ぎつつ、展示されているそれらを見物していた。


(お、あのブラウス可愛いな。……なるほど、首元のリボンがワンポイントになってるのか。そういや、ああいう装飾付きはまだ手出してなかったなぁ)


(あー、炎天下ならキャミソールも十分ありか。……んー、まだノースリーブ系は勇気がいるなぁ。まぁ、着れないこともないが)


(っと、ここは下着のコーナーか。さすがにここの奴は使いづらいな。……ふむ、デパートの品ぞろえも侮れないな。また今度来てみようかな?)


 脳裏で考えているのは、いましがた通り過ぎたショーウィンドウに飾られていた「女性ものの衣服」のこと、それも「それを自分が着ることを前提とした内容」。

 当然というべきか、それはおおよそ20代の男性が考えるような内容ではない。もしも俺がこの思考を口に出したなら、変人変態認定はもとより、周囲から奇異の目線が降り注ぐことは想像に難くなかった。


(はは、やっぱ癖になっちゃってるよなぁ。……ま、今じゃそれも含めて楽しいんだけど)


 胸中でひとりごちていると、目的の場所にたどり着く。衣料品売り場にはつきものである、試着室だ。


(人目、無し。防犯カメラなんかも……無いな。よし、ありがたく使わせてもらおう)


 なるべく不審にならないよう、堂々とした挙動で周囲を確認した俺は、滑り込むように試着室へ入り込み、ぴしゃりとカーテンを閉じた。





「そういえば、外で着替えるなんて初めてか。うわ、無駄にスリリング」


 試着室へと入った俺は、ひとりごちながら、肩にかけていたボストンバッグを床に下ろす。

 ――実を言うと、今からすることは、あまり人バレしたくないものなのだ。万一誰かにこれを見られれば、ようやくできた俺の趣味が失われてしまうことになってしまう。

 どうか、誰かが間違ってカーテンを開けることがありませんように……と祈りながら、俺はボストンバッグの口を開き、中に詰め込まれた荷物を無造作に引っ張り出した。




 ボストンバッグの中から、人肌と同じ色の物体が、ずるりと引きずり出される。


 そのまま一息に取り出すと、柔らかな素材でできていると思しきそれが、でろりと力なく垂れ下がった。


 ――その形状を何かに例えるなら、それはさしずめ、中身を失ってしぼんでしまった「ヒトの皮」と言うべきだろうか。

 中空に投げ出された手足に相当する部分は、さながら脱ぎ捨てられた手袋やストッキングのように、微かなシワを作りながらしぼんでいる。色合い、質感共に本物の人間と遜色なく、もしもこれがしぼまず、ヒトと同様の形状をしていれば、それが「ツクリモノ」であることはわからないだろうほどに精巧だった。

 どうやら、俺が掴んだのは頭の部分だったらしい。俗にプラチナブロンドとも呼ばれる、鮮やかな白金色の毛髪を備えた頭部もまた、本物の人間の頭髪と遜色ない質感と形状を備えていた。


 全体を引っ張り出し、背中を向けさせると、普通の人間でいう後頭部から、尾てい骨の少し上にかけて、ばっくりと開かれた裂け目がある。そこから覗く裏地は、表面の精巧な作りとは裏腹に、無機質なゴムのような質感をしている。一見して明らかに人工物もわかるその質感はまるで、それが作り物であることを、無言のままに主張しているかのようだった。


「っと、先に脱いどかないと」


 何度見ても見慣れることのないそれをまじまじと見つめていた俺だったが、この後の用事を思い出し、すぐさま準備の続きに入る。

 着込んでいた衣類を手早く脱ぎ、裸身となった俺は、改めてソレ――ヒトを模した皮、あるいは全身スーツと言って差し支え無い物体を手に取る。

 自分の目線と同じ高さまで持ち上げれば、そのスーツの大きさは、着用者である自分と比べても、頭一つ分ほど小さいことがわかる。手足の大きさも、しぼんだ状態から類推するだけでも、平均的な成人男性の体躯を持つ俺のものと比べれば明らかに細く、物理法則に則って見れば、どうあがいても俺の体が入るようには見えなかった。


「よ、っと」


 しかし俺は、一切の躊躇なく、スーツの背中に開いた裂け目へと、足を通す。

 内外のどちらからスーツの大きさを見ても、それは自分の脚よりも細い。だというのに、中に入れた足はすこし窮屈に感じる程度の感触だけを残して、するするとスーツの中へ吸い込まれていく。外側から足を通した部分を見てみれば、自然な足の形状に膨らんでこそいるものの、その太さはもう片方の足と比較すれば、明らかに細くなっていた。

 ぐっ、と指先までしっかり通すと、スーツよりも太かったはずの自分の脚が、ほっそりとしたスーツの中でジャストフィット。同じように、もう片方の脚もスーツへと通せば、俺の両足はたちまち別人のものとなる。

 きめ細やかな白い肌地に、すらりと伸びるしなやかなラインは、どこからどう見ても「女性の脚」だった。


「ん、異常なしと。……やー、いつやっても慣れないよなぁ、これ」


 一人苦笑しながら、俺は続きに取り掛かる。


 脚から繋がる腰の部分へ、体を通す。ぴたりと身体にフィットさせると、膨らみが生じてしまうはずの股間部分から、一切の起伏が消滅する。


 スーツを持ち上げ、両の手を腕の部分へと通していく。両脚の時と同様に、腕を通したスーツは膨張することもなく、少々の窮屈さだけを伴いつつ、ぴったりとフィット。筋肉のついた男の腕が、皮一枚を隔てて、少女のように華奢な腕に変貌する。


 肩口まで腕を通し、残る胴体部分を一気に着込む。どうあがいても収まらないはずの腹回りが、くびれを作るスーツの中に消え、ぴたりと張り付いた胸元から、男が生涯に体感することなどないであろう、柔らかな重みが伝わってきた。


 だらんと垂れ下がっていた頭の部分を持ち上げ、残る頭をスーツの中へと押し込む。さほど伸縮性のないはずのそれの中に、一回り太い首が、頭骨の形すら違う頭が、一切の抵抗なく、するりとスーツの中に飲み込まれていった。


 一通り着込んだ後、頭の位置を微調整し、目と口の穴を合わせる。


「あー、あー。マイクテスト、マイクテスト――よしっと」


 喉元に指を這わせながら声を出すと、自分の口から発された言語は、ソプラノボイスとなって言葉になる。当然と言うべきか、指でなぞった部分に喉仏は存在せず、伝わってくるのは、ただ滑らかな喉元の感触だけだった。


 最後の仕上げに、背中に残っている裂け目を、押し合わせる形で閉じていく。

 ファスナーやマジックテープなどは存在していないのだが、裂け目の端同士をくっつけ合わせてやると、糊でも塗ったかのようにぴたりとくっついていく。閉じ合わせた部分からは一切の痕跡が消え失せており、まるで最初から何も無かったかのように、滑らかな背中の感触だけがあった。




「……ん、よしっと」


 しっかりと着込み終えたことを確認してから、俺は試着室の鏡へと向き直る。



 ――そこに映っているのは、数分前にその場に立っていたおれではなく、まるで風貌の異なる、一人の少女だった。


 年の功は、だいたい中高生の境目くらいだろうか。そこに居たおれと比較して、頭一つ分ほど小柄な少女が、鏡の前で裸身を晒している。華奢でしなやかな肢体は、末端のパーツ一つにまでわたって非常に均整が取れており、ともすれば精巧な人形にしか思えないほど、美しいボディラインを形成していた。

 肩まで伸ばしたプラチナブロンドのミディアムヘアを揺らし、ふわりとはにかむ。あどけなさを色濃く残した顔立ちで笑みを浮かべるその姿は、誰がどうみても、紛うことなき美少女だった。


「ま、中身は俺なんだけどね」


 言葉をこぼして苦笑を漏らすと、鏡の中の少女も同じ形に口を動かし、同じ仕草で苦笑する。


 ――そう。鏡の中に立ち、そして今この場で俺の代わりに立つ少女こそ、俺が先ほど着込んでいた「モノ」の正体だ。

 着込むことで、性別や体格の一切を無視して、スーツ――この場合、「少女の姿をした皮」というべきだろうか――の形状へと、身体を矯正してしまう。物理学と質量保存の法則に真っ向から喧嘩を売りつけるそれは、無個性で何の趣味も持たない俺に夢を与えてくれる、文字通りの「魔法のスーツ」だった。



「よっと」


 無事に少女への変身を終えた俺は、続けてボストンバッグの中から、新たな衣服を取り出す。当然、それらは全て女物だ。

 刺繍のワンポイントが入った、シンプルな白いショーツとブラ。脚のラインを強調するタイトなジーンズに、あえてオーバーサイズにした無地の白シャツ。女性のファッションと言えば流行ものを追いかけるイメージが強いし、自分も割とそうしているきらいがあるが、今回はあくまで緊急の用事で着込んでいるものであるため、凝ったコーデにはしていなかった。

 それでも、素地の容姿が優れていれば、簡素な衣装ですら、可愛らしいファッションに早変わりする。くるりとその場で一回転し、おかしな部分が無いかチェックを終えると、「よし」と小さく頷いた。


「ふふふっ」


 ちょっとした着替えすら楽しく思えるのが嬉しくなり、思わず笑みを漏らしながら、俺はボストンバッグから出した女物のスニーカーをつっかけ、意気揚々と試着室を後にした。





***





 デパートを後にした俺は、その足で駅の近くに店を構える個人商店へと向かう。

 入口の横にあるショーウィンドウには、抑え気味な色調を主体とした、すこし大人っぽい雰囲気の「衣服」が展示されている。以前来た時とは違うコーディネートに目を引かれつつも、俺は玄関の扉を押し開けた。


「こんにちはー」


 からんからん、と古めかしいベルの音と共に、店の奥へと呼びかける。店内には幾人かの女性客が居たが、当然、俺に対する疑いの目は皆無だった。


「ん、おーあやちゃんか。久しぶりだねー」


 呼びかけに答えて、カウンターから一人の女性が顔を覗かせる。この店――レディースファッションを専門とする個人商店の店主でもある彼女は、俺の姿を見とめると、気の抜けた笑みを返してくれた。


「あれ、そういえば久しぶりでしたっけ?」

「うん、最近はしばらく見て無かったねー。……もしかして、あのつぶやき拾ってくれたの?」

「はい、ばっちり拾っちゃって、いてもたってもいられなくなっちゃいました。在庫、まだ残ってます?」

「そりゃもちろん。今日入荷したばっかりなのをこんなに早く買いに来るとは……よっぽど気に入ったんだねー」


 少しからかうように笑いながら、店主の女性は店の奥に姿を消す。

 十数秒と待たずに再び現れた店主の手には、俺が欲しいと思っていた一着の衣装――「スカート」が握られていた。


「はい、試着してきなよ。いつものサイズだから合うとは思うけど、きつかったら言ってね」

「ありがとうございます。じゃ、さっそく」


 店主からスカートを受け取った俺は、さっそく店の試着室へ。本日二回目の試着室で、俺は改めて受け取ったスカートを拝見してみる。

 形状的には、いわゆるプリーツスカートだ。膝上までのミニスカートとして仕立てられたそれは、サイドの部分にワンポイントとしてリボンがあしらってあるのが特徴だった。


「今のこのシャツなら……X字のシルエットで行けるな」


 どこだかで覚えたレディースファッションコーデのコツを思い出しながら、ジーンズから抜いた脚をスカートへと通し直す。

「今のこの姿」を得て以降、この店の店主さんとは頻繁に顔を合わせているため、少女こっちの姿のスリーサイズなんかはバッチリと把握されている。なので、先ほど渡されたこのスカートも、例によって今の俺にはぴったりだった。


「……ん、思った通り。いいね、これ」


 軽く整えて姿見へと目を向ければ、スカートをはいた自分の姿が映し出される。

 ややオーバーサイズなシャツと、ウエスト部分で引き締めるスカートによって生まれるメリハリのきいたシルエットは、まさに思い描いた通りのコーデになってくれた。少し動くたびに揺れるワンポイントのサイドリボンも、アクセントとして申し分なかった。


 ――これこそが、無趣味だった俺にできた趣味。

 女性へと変身できるスーツの力を借りて少女となり、その姿で存分にオシャレを楽しむ。ほんらいの姿では決して行うことが出来ず、なおかつ他の人間がやろうと思っても簡単にはできず、人によって向き不向きが出る趣味。

 一度は諦めた、自分にとって非常に魅力的な趣味だったそれは、数奇な出会いと不思議な道具によって、こうして叶えられるに至ったのだった。



「どう、良い感じ?」


 と、不意にカーテンの向こう側から、店主さんの声がかかってくる。


「あ、はい。自分ではいい感じだと思うんですけど……どうですか?」


 答えつつ、シャッとカーテンを解放。その場に立っていた店主さんに、商品を着込んだ自分の姿を見せる。

 ――いくら美少女の姿を得たと言っても、あまりに的外れなコーデではその美貌を損ねてしまう。かといって、一朝一夕で女性のコーデ術を学べるわけではないので、こういった新しい服を買う際には、こうして店主さんのようなファッションを知る人物に相談することに決めているのだ。


「おー、良い感じ良い感じ。うん、よく似合ってるよー」


 件の女性から高評価の判を押してもらえたことで、俺はほっと胸をなでおろす。


「よかった。まだいまいちファッションセンスには自信がなくって」

「いやいや、心配しなくても今の綾ちゃんは何にも問題ないよ。……ていうか、綾ちゃんは可愛すぎて何着ても似合っちゃうからなー。お姉さんちょっと嫉妬しちゃうよー」


 冗談半分に笑いつつ、さりげなく距離を詰めようとしてくる店主さんの魔の手から逃れる。――女性同士はスキンシップもそれなりに多いとは知識で学んでいたが、この店主さんはそれに輪をかけてスキンシップが激しい、と知ったのは、つい最近の話である。


「これ、このままで帰ってもいいですか? 使い心地とかも試してみたいです」

「ん、もちろんいいよー。じゃ、タグだけ切っとこうか」


 店主に手招きされてレジへ向かい、お代を払って腰に下がるタグを切ってもらう。これで、このスカートも正式に俺の持ち衣装の仲間入りだ。


「はい、まいどありー。また近いうちに新しいのもいくつか入れる予定だから、その時はまた来てね。まあ、綾ちゃんなら別に用事が無くても歓迎するけど」

「あはは、ありがとうございます。――じゃ、そろそろおいとましますね」

「りょーかい。風と不埒な男には気を付けてねー」


 店主の一言で、自分がかなり丈の短いスカートをはいていることを思い出す。

 ……実を言うと、スカートを買うのもはくのも今回が初めてである。ひらひらと心もとないそれをはく勇気がどうしても出ず、こうして今日まで初体験が遅れてしまったのだ。



(大丈夫、ないない。…………ないよな?)


 店主さんの言葉に言いようのない不安を覚えつつも、俺は店を出る。


 可愛らしい少女の姿のまま、可愛らしい衣装を身に纏った俺は、自分では考えもしなかったセクシャルな嫌がらせに少々の恐怖を抱きながら、沈みゆく夕日の中、帰路を急ぐのだった。

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