第三章 『トゥト』には、家から出ないで行けるんだ

彫りの箱型のふるい柱時計が十二時を打ちました。

どんな電話がかかってきて、みどりのクリムがカケルの声で、なんと答えたか、みんなには

もうんでした。

「まわりをみてごらん。カケルン。こわがるんじゃないよ」

アセイがいいました。

キューはなんいもいわずに、綿ビロードの空色の手でカケルの手をなでました。

目の前にほそい小道が、まだ刈り取りのすまない果てしなく広い牧草地を横切って、

うねうねとつづいていました。背の高い草たちがざわざわと騒ぎ、色とりどりの花たちが首

をうなだれていました。

カケルは何という名の花なのかはわかりません。ブレボワ山には花はないからです。

ロマーシカでもないし、きんぼうげでもないし、つりがね草でもないし。なんていう

花なのかわかりません。花は、ながいくきのてっぺんでそっとゆれながら、

小声で歌っているのでしょうか、悲しみを訴えているのでしょうか、かさこそ鳴っていました。

そのため、あたりには、ふしぎな、さびしい静けさがただよっていました。

空は高く、絹のようになめらかで、雲ひとつありません。太陽から、あか、だいだい、

みどり、むらさきと、虹の色の光がひろがっています。空気はなんだかへんにかわいています。

だけどカケルは、いまのところはまだだいじょうぶ、息苦しくはないと、心のなかで思いました。

キューがアセイにいいました。

「ねぇ、草や花がとってもお水をほしがっているわ。アア月ヨ。アカルイ月ヨ・・・・・。ねぇ、

アセイ、わたしたちこれからどうするの?」

「まず、川がどんなようすか、見に行かなくちゃね。川はまだ話ができるんだろうか。

だれが詳しいことをしっているのか、川にきいてみなくちゃね」

ふいに、太陽にぶつかるように、影が走りました。大きなくろい鳥影が空中でひるがえり、カケル

たちの頭の上で輪をえがいて、消えました。

「ほら!みたかい?もう、スパイが来てるよ」

アセイがおこったようにいいました。

「わたしたちがここにいるって、まちまち、親分のズリーンにご注進だわ」

キューがつぶやきました。

カケルはびっくりして、キューを見つめました。

「あの鳥はだれなの?」

「ネズミ・カラスよ。バスナーバス・ズリーンの一番の仲よしで、ちtばんのおべっか使いよ」

「だけど、どうやって、いっぺんにねずみになったり、からすになったりできるの」

カケルはわかりませんでした。

「それは、こうなのよ。いっぺんにじゃないの。必要に応じてねずみになったり、

からすになったりするのよ。どっちもみにくいやつだよ」

キューが説明しました。

「真っ先にご本尊がぼくたちに会いにこなかったことを、喜ぼうじゃないか」

アセイがいいました。

(ご本尊ってだれのことかなあ)

カケルは考えました。

「ズリーンだよ」

アセイがカケルの口にださない質問に答えました。

みんなは、のどがかわいて、悲しそうにかさかさ音をたてている草たちの間の小道を、

先に歩いていきました。

「キュー、ねぇ、ここは雨が降らないの?」

カケルが聞きました。

「降るわ。もちろん、降るわよ。だけどね、川が流れなくなって、川の水が干上がってしまったら、

雲もなくなっちゃうのよ。雲は水蒸気でしょ。川が干上がってしまったら、雲がいったいどこから

水蒸気をつる水をもらえばいいの?ねぇ、見てごらん。空にはぜんぜん雲がないでしょ」

そのとき、とつぜん、地平線のかなたに雲がわき上がるのが見えました。この雲はすごい早さ

で近づいてきます。それにしても、へんな雲です。まもとま雲ならからなず流れるはずの空を流れずに、

空と地面の間をつなぐようにしながらすすんでくるのです。どしゃ降りの豪雨のときには、そんなことが

ありますね。

雲はカケルたちのほうにぐんぐん、ぐんぐん近づいてきます。近づきながら、なんだかへんな、気味のわるい

音を立てています。

ほら、雲はもうすぐそばまでやってきて、目の前の空中に、ねずみ色のよごれたぞうきんみたいに

ぶらさがりました。

と、草原からきいきい声が聞こえてきました。カケルたちにいっているようです。

「おい、なんだよ?おまえら、これからどうやって川まで行くんだい?ほれ、あいつ

らは刺すんだぜ!へへっ!いやっていうほど刺されるぜ!あほなくまじゃなくて、

あほなポケット魔道使いじゃなくて、子どもが刺されるんだぜ。生きてる人間の子どもが

刺されるんだぜ。血がでるほど刺されるぜ。血が出るほどだぜ!」

ねずみです!ネズミ・カラスがわめいているのです。これですっかり読めました。

あれは、救いの雨をいっぱいにふくんだ雲ではなかったのです。かぼそい、いやらしい声で

うなっている蚊の、ものすごい大群だったのです。

蚊の大群は、もうあとちょっとのところまで近づいて、空中で宙ぶらりんに止まりました。

いやらしいねずみの声じゃしゃべりつづけています。

「川に行くのかい?どうやって川にいくんだよ?蚊の大群がおまえらを通さないぜ。通さないぜ!

それに、川はもう水たまりになっちまったぜ。水たまりだぜ!へへっ!」

とたんに、草むらからものすごく大きなからすが舞い上がりました。

「勝てるなんて、カア!かんがえるなよ!カア!」

からすはカア!カア!と、声をはりあげました。

「ここを動かないで!」と、アセイがいました。

「キュー、カケル、動くんじゃない。ぼくはすぐもどってくるからね」

そして、たちまち、姿を消しました。

「キュー、ずいぶん、こわい蚊ねえ。あたし、あんな大きな蚊、見たことないよ」

カケルは、おびえたようにささやきました。

「カケル、じっとしているのよ。一歩も動いちゃだめよ」

キューがやさしくいいました。

「あの蚊はどっからきたの、キュー?」

キューは悲しげにためいきをつきました。

「ズリーンが川をいじめてるでしょ。だから川は沼になりかけているにお。それで、あいつ、

憎らしいバルナーバス・ズリーンめが、その沼で蚊をそだてているのよ。沼ってね、死んだ川の

ことを沼っていうことがあるの」

頭の方できらっと、小さい点が光りました。アセイがもどってきたのです。アセイのあとにつばめの

大群がつづきます。胸毛の白いハンサムなつばめたちは、チッチッ、チッチッといさましい声をあげながら、

蚊の雲向かって突進していきます。

つばめたちが蚊の群れにおそいかかりました。するどいくちばしで、蚊をつかまえました。

蚊たちはかぼそい声で、泣いたり、うなったり。許してくれとたのんでいます。蚊の群れはつばめたちから

逃れようと、上にあがったり下にさがったり、ちらちら、ゆらゆらゆれ動きます。蚊の雲が空中でおどりを

おどっているみたいです。みっともないおどり、見るのもいやなおどりです。

蚊の雲が少しうすくなりました。よごれたねずみ色のぞうきんに穴があくように、蚊の雲に穴があきはじめました。

それから、雲はすっかりすきとおって、かっかと熱い空には、とうとう一匹の蚊もいなくなりました。

「ほうっ!」と、キューが安堵のため息とつきました。

「つばめを呼んでこなくたって、おれひとりで、なんとか考えてやたのさ」

ポケットの中からアラン・メリークが文句を言いました。

「ポケット魔法使いめ、うるさいわよ!またいばりくさって・・・・・」

キューが小言をいいました。

「つばめくんたち、えらいぞう!ありがとうよ、つばめくんたち!」

アセイはさけんで、つばめたちに手をふりました。

「どういたしまして、チッチッ!友情が大切、チッチッ!信頼が大切、チッチッ!」

つばめたちは草原の上で輪のえがいて、飛び去っていきました。

「さて、蚊は片づいたな。さあ、前進だ!もうすぐ川岸だよ」

アセイがいいました。

キューが悲しげに答えました。

「以前は川岸だったけどねぇ。アア月ヨ。アカルイ月ヨ・・・・・。今はねぇ・・・・・」

やがて草原が終わって、カケルたちはたしかに川岸にでました。

川岸に出ました。でも、ああ、なんと!なみだなしには見られません。

川は、使い古してとっくにわすれられ、捨てられた古いお下げのリボンのように、横たわっていました。

水はほんのちょっぴりしかありません。その水も全然動かずに、黒ずんで、この国の太陽の色の光も照り返していません。

とっても静かです。とっても悲しい静けさです。その静けさをやぶるのは、ただ、ときどき川から聞こえてくる、

ため息なのか、うめき声なのか、かすかなつぶやきだけです。

川岸をシギも走っていません。川の上をとんぼも飛んでいません。生きているのはだれもいません。

あたり一面、じっと動かない、死ばっかりです。

「かわいそうな、かわいそうな川」

キューがつぶやきました。

「ああ、憎らしい悪党のバルナーバス・ズリーンめ!あいつは自分が悪い、役にたたないやつだから、

それがくやしくて、世界中に悪さをして、だれにも喜びを残すまいとしtれるんだわ。川がみんなから愛されている

からなんだわ!川がみんなのための喜びのしずくを持っていて、ひとりひとりにやさしい言葉や、たのしい

プレゼントを用意しているからなんだわ」

カケルはぼうぜんとつっ立っていました。川があんまりかわいそうで、わっと泣き出してしまいそうでした。

キューはカケルの気持ちがわかって、やわらかい綿ビロードの手でカケルの手をにぎりました。

「どうすればいいの?ねぇ、どうすればいの?」

カケルは繰り返してしまいました。もうすすり上げていました。

「カケルン、泣くのはお待ち。ちょっとお待ち」と、アセイがいいました。

「ぼくたちは川を生きかえるために、きみといっしょにここにきたんだろ。川を生き返らすためにね」

「おれたちはいろんなことができるんだぜ。おれとおまえたちとでね、そのことを忘れるなよ」

アラン・メリークがえらそうに自慢しました。キューにも、もう、ポケット魔法使いをからかうだけの元気はありませんでした。

「こしをおろして、かんがえよう」と、アセイがいいました。

みんなは、あわれな川の岸にこしをおろしました。

「みんなで考えてみようよ」と、アセイがつづけました。

「アラン・メリーク。きみは暗やみが見えるといっていたね。ということは、ズリーンは川の結び目を

とく魔法の呪文を、どこか暗いところにかくしたってことだね。だれかがかくしたのなら、探せば見つけることができる。

そうだよね?ないものは見つけることはできないけれど、あるものなら、遅かれ早かれかならず見つけ出すことが

できるんだ」

「早く見つけなきゃ!見つけ出さなきゃ!わたしたちは、あいつに川を殺させてはいけない」

キューが熱くなっていいました。

カケルン、きみ、どうかしたの?」

ふいにアセイがききました。

カケルはひどく青ざめていました。一生懸命息を吸い込もうとしていました。でも、

空気がのどに入っていかないのです。ぜんそくの発作がおころうとしているのです。

なのに、カケルは、一粒の薬も持ってきていないのです。

「カケル!見てごらん!」

ふいに、アラン・メリークがポケットの中から顔を出して、さけびました。

「見えるかい?」

アラン・メリークはカケルの方に自分の小さなてのひらをつき出しました。てのひら

には、二羽のちいさなまだらのおんどりがのかっていました。おんどりたちは、コケコッコーと二回ときをつくって、

それから、へんなけんかをはじめたのです。ばさばさっとたがいに飛びかかって、つっつきあって、それから

首をあげていばってみせたのです。

カケルはげらげらわらいだしました。空気がのどを通って、顔色がよくなりました。おんどりたちはしばらく

けんかをしてから、いきなり姿をけしました。

「終わった。わたしの五分間は終わった」

まじめな声でアラン・メリークはいって、それからこんどはぜんぜん別の、いばりくさった声でいいました。

「おれみたいな熟練した魔法使いは、いろいろ役に立つもんだよな」

「あんたが、そんなにいばりんぼじゃなかったら、申し分ないんだけどな」

キューがいいました。

でも、アラン・メリークには聞こえませんでした。なぜかって、アセイといっしょに姿を消してしまったからです。

「ほらね。いつもこうなるのよ」と、キューがぼやきました。

「いなくなるのはやむを得ないから、困っちゃうのよね。問題はろうそくよ。アセイはろうそくがどんなようすか、

調べにいかなければならないのよ」

「だけど、どうして、アセイが調べにいかなければならないの?」

カケルがききました。

「『トゥト』の国の人たちはね、一番尊敬できる、一番信頼できる、いちばんかしこいひとに、ろうそくの番をたのむのよ。

みんながアセイを選んだの。だから、アセイは、風が吹いたなとか、ろうそくの芯を直さなくちゃなとか、そんなことを感じると、

とたんにいなくなっちゃうの。アセイはろうそくの責任者なの。とっても大事なことなのよ。わかるかな?」

「わかるわ」と、カケルは答えました。

「でも、川はどうするの?あたしたち、何をすればいいの?」

「あたしとあんたと、ふたりでいっしょに、これから考えるのよ」と、キューはまっすぐ答えました。

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キュー、またね ꧁༺𝑲𝒂𝒌𝒆𝒓𝒖༒𝑮𝑻𝑹༻꧂ @KakeruGTR

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