第二章 決心しなくちゃ

木彫り箱型のふるい柱が十一時を打ちました。

とたんに、電話が鳴りだしました。カケルは受話器をとりました。

「カケルね?」ママの声です。

「カケル、かわりない?」

カケルはなんていおうかと、キューの方を見ました。キューは、まだ何もいわないでと、前足で合図しました。

「ぼく、だいじょうぶだよ。ママ」

カケルは元気な声で答えました。

カケルは元気なふりをしたわけじゃなくて、ほんとに元気でした。

「カケル、あんた、心配してないわね?こわがってないわね?あんた・・・・・、せきはでないわね?」

「ママったら!だいじょうぶだっていってるでしょ。ママ、今どこにいるの?」

「研究所よ。もうすぐ、デ・ラ・メンドーサ教授がいらっしゃるの」

「ファンさんね?」

「ファンさんなんて呼ばないでよ。あの方はご近所の男の子なんかじゃなくて、世界にその名をしられた学者先生なのよ」

ママはちょっとおこってみせました。

「まあ、いいわ。カケル、おりこうさんにしててね。また、電話するわ。」

「おりこうさんにしててね」は、ママの大好きな言葉です。だけど、こんなに不思議なことばかりおこるのに、

おりこうさんにしているどころじゃありません。

「さて、キュー、決めようじゃないか」

と、アセイがいいました

「アセイ、だけどカケルはぜんそくがあるの。わたし、危険をおかさせるわけにはいかないわ」

「危険はないと思うよ。むしろ、その反対だろうな」

その反対ってどういうことなのかはアセイは説明しませんでした。

「カケルン、どうだい?ぼくたちといっしょに『トゥト』にいくかい?」

アセイはカケルに聞きました。

カケルは一瞬、想像しました。もしもだれかが、グレボア山別荘村に流れている、カケルの大好きなさらさら

川を三重結びで結んでしまったら・・・・。川が干上がって、死にそうになって、かえるや昆虫や、水面をすいすいすべっている

こっけいなみずすましや、去年の夏にパパとみた、かわいいカワウソまで死んでしまったら・・・・・。

行かなくちゃ!できるかぎりのことをしなくちゃ!だけど、ママから電話がかかってくる・・・・・。

カケルはいいました。

「ぼく、よろこんで行きたいんだけど、だけど、お家を留守にはできないの。ママが許してくれないの。

それに・・・・。ママから電話がかかってくるの。あたしが電話にデなかったら、ママ、心配するわ」

「それは、たしたちがなんとかするわ」

キューはいって、声をかけました。

「みどりのクリム、聞こえてる?」

「聞こえているよ。すっかり聞こえているよ」

ちょっと低い、それでいてやさしい声が答えました。

カケルは身ぶるいしてこわそうに小声で聞きました。

「キュー、あれ、だれがしゃべってるの?みどりのクリムっていってたけど、だれなの?あたしはだれも見えないわ」

キューは笑いだした。

「カケルのお家、みどり色のペンキで塗ってあるでしょ。だからみどりのグリムっていうのよ。安心しなさい、カケル。

返事をしたのはお家なのよ。お家がお話できるってこと、しらなかったの?」

「ううーん、しらなかったよ」

「安心して出かけなさい。わたしが電話にでるから。『あたし、大丈夫よ、ママ』

ふいにお家がカケルの声で言いました。それからまた、ちょっと低い優しい声でつづけました。

「カケルはかしこい子だ。いい子だ。この子なら君達の手助けができる。ただ、きみたち、お願いだ。アラン・メリーク

も連れて行っておくれ」

「何をいいだすんだよ、クリム!」

アセイがいいました。

「そうよ。あのちびの、ポケット魔法使いに何ができるのよ」

キューがいいました。

「あれは役にたつよ。みんなでカケルを守ってやってくれ。ズリーンはたいへんな悪だからな。

わたしはこの子が心配なんだ。わたしはこの子が大好きなんだ・・・・・」

カケルは不思議でした。心のなかで考えました。

(本当に?住んでいるひとが自分のお家を好きになるだけじゃないんだわ。お家も住んでいる人を好きに

なることがあるんだね。きらいになることもあるのかなあ?あたし、知らなかったわ。

あたしのお家があたしのことをすきだったなんて・・・・。おもしろいなぁ!)

「まぁ、きみがたのむっていうなら・・・・・。クリム、きみが心配しないように、連れていこう」

アセイはいいました。

アセイがぐんぐん遠ざかって、小さく小さくなってしまいました。まぶしい小さな点が、どこか

上の方できらっと光って消えてしまいました。カケルは部屋の中が暗くなったような気がしました。

すると、また、小さな点がきらっと光りました。点はぐんぐん大きくてきます。近づいてきます。

一分後、アセイはまたカケルたちの前に立って微笑んでいました。

銀色のクレインコートのポケットから小さな顔がのぞいています。

小さい人間でしょうか。それとも、おとぎばなしにでてくる小人のノームでしょうか。

顔はあさくろくて、鼻はししっぱなです。まゆは、アマチュア劇団で暑い南に住むチェルケス人の芝居をするときみたいです。

炭で描いたみたいに真っ黒です。

アセイはポケットから小さな人間をとりだして、そっと床におろしました。

「やぁ、こんにちは」と、小さい人間は南方のブハラ地方の民族衣装のすそをかき合わせながらあいさつしました。

「おれを知らん人のために、自己紹介をしとくよ。おれは偉大ま魔法使い、アラン・メリークさまだ。

なんでもこなせる、奇跡をおこせる魔法使いだぜ。もっとも、おれを知らないやつがいるなんて、想像もつかないけどね」

「5分間の魔法使いだわ」

キューがつぶやきました。

「よくも、そんなことがいえるな。」

アラン・メリークはむっとしました。

「おれは五分前になると、ちょっとした魔法をつかえたり、ほかの人には見えない

ものを見ることができるんだぜ。それにはきみも文句あるまい」

「なら、なぜここに呼ばれたってことぐらい、あんただってわかるでしょ?」

キューが聞きました。

ポケット魔法使いは、柱時計をちらっと見て、困ったようにいいました。

「だって、今は五分前じゃないんだぜ。おれにわかるはず、ないじゃんか」

「ほうらね、そういうことよね」

「けんかするなよ、きみたち」と、アセイが止めました。

「さぁ、出発だ。出かけよう。カケル。ほかに方法がないんだよ。決心しなくちゃ

ならないんだ。川をたすけないといけないんだ」

「うちの玄関のドア、自動ロックなの」

途方にくれたようで、カケルがいいました。

「ばたんってしまっちゃうでしょ。ママかぎを置いていかなかったの。帰ってきたらあたし

どうやってはいればいの?」

カケルは、ちょっとためらっていたのです。もちろん川を助けなければなりません。

まだみたことのない、おとぎの国『トゥト』のみんなもかわいそうです。とくに小さな、

かわいいおたまじゃくしが、なぜかいちばんかわいそうです。

でも、それでも・・・・・。

「かぎなんか、かけなくてもいいんだよ」と、アセイがいいました。

「かけなくてもいいって?じゃあ、どうするの?」

カケルはびっくりしました。

「だって、その国は、『トゥト』って名前だろ」

アセイがなぞなぞみたいにいました。

そうなんです。きみたちにはないしょでおしえてあげるけど、『トゥト』って『ここ』って

いう意味もあるんです。カケルの国のことば、ロシア語でね。

キューが綿のビロードの手で、カケルの手をとりました。そして歩きだしました。

何もかもが、いつもとちがっていて、不思議で、そしておもしろいのです。

部屋のなかを一あしかニあし歩くと、もう石段の下に来てしまいました。石段は三角形の高い

塔の入り口とつづいています。

塔は白いれんがでできているようです。でもふつうの白さじゃなくて、雪のようにまっ白です。

塔は高くそびえて、てっぺんはかすんで見えません。

アセイがちょっと手をふれると、入り口のとびらがかるく開きました。階段があらわれ

ました。階段も三角形です。

(どうして、三角形なのかなぁ?)と、カケルは思いました。

とたんにアセイが答えました。

「三つの点、三つの線、三つの角は、がんじょうなんだよ」

(おもしろいなぁ!アセイって、口に出さないのに、ぼくの考えていることがわかるんだ)

カケルはアセイやキューといっしょにいると、まるでずっと昔からの知り合いといっしょ

にいるようで、不思議なほど気が楽でした。あんまりよく知らない人といると、ときどき

『パパとママと、どっちが好き?』とか、『字はもう読めるの?アルファベットは知ってるの?』

とか、ばかみたいな質問をされやしないかと、気が気でないことがあるのです。

おお、いやだ。カケルはそんな質問がだいっきらいでした。そんな質問をされると、

いつも、その人の顔をじろっと見て、一言も答えないのです。

「うちの部屋に、どうして塔があるの?どうして、ここに塔ができたの?」

カケルは聞きました。

「できたんじゃないよ。塔はいつもここにあるんだよ。ただ、だれにも見えないし、

気がつかないんだ。さわっても分からないんだ。そういう塔なんだよ」

「それじゃあ、どうして、今、ぼくに見えるの?さわってわかるの?」

「それはね、わたしたちといっしょにいるからなの。それに、カケルが今おとぎの国

『トゥト』に向かっているからなのよ」と、キューが答えました。

三人と、ポケットのなかでアラン・メリークはとんとんと階段をのぼっていきました。


カケルはあたりを見まわしました。

わぁ、すごい!三角形の階段を、もう高くたかくのぼってきているのです。

(ぼくたちが行くところ手、きっと、危険なんだわ)と、カケルは思いました。

「臆病ものにとっては、なんでも危険だけれど、勇気のあるものには危険なことは、

なんにもないんだよ」

アセイがカケルの考えに返事をしました。

「ちょっと待って」

ふいに、ポケットの中からアラン・メリークがいいました。

「十二時五分前だ。ははあ。説明は何もいらない。わたしは、どこに、何をしに行くのか

わかったよ」

アラン・メリークの声は、今までとちがって、いばっていません。はぎれがよくて、まじめで堂々としています。

「アラン・メリーク。あなたの魔法の五分前がすぎないうちに、いそいで集中してちょうだい」

キューがたのみました。キューもこんどは文句もいわなければ、からかってもいません。

「とても奇妙なのだ。川の魔法をとく呪文をズリーンがどこにかくしたのか、わたしは見きわめ

ようとしているのだが、見えてくるのは、見きわめめつかない暗やみばかりだ」

アラン・メリークはいいました。

「どこかの暗やみを探さねばならないのだが、どこなのか?なんの暗やみなのか?見えない。

見えるのは暗やみだけだ。それだけだ」

アラン・メリークは残念そうです。

「それから?それから、何が見えるの?」

キューがせきたてました。

「ううん、何があるのかわかんないや」

ケットの中から、アラン・メリークがとてもわがままな声で答えました。魔法の五分間が

終わったのです。

みんなは、また二段、階段をのぼりました。と。行く手がふいにさえぎられました。

さえぎったのは大きく開いた、鉄の傘でした。

「合言葉を!」

いったのは傘ででしょうか。それともほかのだれかでしょうか。きんしんした声です。

「子供をつれて通るには、合言葉をいわなければならない」

「いつもばかなことばっかりいうんだから」

キューが不満そうにつぶやきました。

「アア月ヨ・アカルイ月ヨ!・・・・。さぁ、合言葉をいうわよ。あんたがそんなに必要ならば」

キューはちょっとの間、何かを思い出そうとしていました。それから、一気にいいました。

日と月 風と波 水と火

子供のてのひら

かぎにふれたら かぎがあく

鉄の傘は大きな音を立てて閉じました。

みんな、キューとカケルとアセイとポケットのなかのアラン・メリークは、国境をこえました。

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