キュー、またね

꧁༺𝑲𝒂𝒌𝒆𝒓𝒖༒𝑮𝑻𝑹༻꧂

第1章...ママが行っちゃって、キューが来た

木彫りの箱型のふるい柱時計が十時を打ちました。

玄関のかぎががちゃっと音をたてて、ドアがばたんと閉まりました。木戸につづく道の

両側のピンクのルピナスが、さぁっとなびきました。ママがかぜをおこしてかけぬけたの

です。

カケルは窓からのぞいてみました。ママの姿はもう見えません。

四、五分たって、電車の音が聞こえてきました。電車が止まりました。それから、マ

リーナおばさんの小ウシの、夕方のうちに帰ろうねとねだるときのような声がしました。発

車の合図です。電車の音がまたはじまり、やがて遠くに消えました。

それは、つまり、ママが行ってしまったということでした。

(ああ、いやだなあ。さびしいなあ。それにっちょっぴりおっかしなあ)と、カケルは

思いました。

さて、どうしてこんなことになったかというと・・・・・。


ところで、きみたちはカケルっていったって、まだ何も知りませんよね。

カケルの髪の毛はまっすぐで、明るくて金色です。おでこにたれてこないように、赤い

プラスチックのカチューシャでとめてあります。

カケルは、パパとママと三人で、ロンドンから少しはなれた別荘村の、小さなみど

り色の家に住んでいます。パパとママはロンドンで働いています。パパは研究所で、ママ

も研究所で働いています。でも、別べつの研究所なのです。

パパはよく飛行機でアフリカに飛びます。パパじゃアフリカで地中のさまざまな有用鉱物

を調査しているのです。ママはどこにも飛びません。ママの専門は歴史だから、飛んでい

かなければいけないところは、どこにもないのです。

では、なぜパパとママはロンドンで働いているのに、別荘村に住んで、郊外電車の研究

所に通うというような、不便な暮らしをしているのでしょうか。

それはね・・・・・。それは、こんな悲しいできごとがあったからなのです。

カケルが、まだとっても小さかった、たぶん三歳くらいだったころ、ぜんそくになっ

てしまたのです。最初カケルは何なにかにひどくおびえていました。でも、何におびえたのか

はもう忘れてしまって、思い出すこともできないし、そのときのことを話すこともできま

せん。けれど、ひどくおびえて、そのあとせきが出はじめたのです。だれか姿のみえない

悪者やってきて、カケルの息を止めてしまったみたいでした。お医者さまがかけつけ

て、注射をして・・・・・。

つまり、お医者さまが、カケルは空気のきれいなところで暮らさなければいけないと、

パパとママにおっしゃったのです。

そこで、パパとママはロンドンのボタン工場横丁のマンションを、グレボワ山別荘村の

小さなみどり色の一戸建てととりかえました。別荘村には夏はおおぜい避暑の人たちが

やってきます。けれど、冬は、村の住人はすくなくて、雪は真っ白で、小鳥たちが飛んで

きて、さえずりながら、ななかまどの実をついばむのです。

カケルは村に来てから、たしかにずいぶん具合がよくなりました。でも、ぜんそくの

発作じゃやっぱりたまにおこります。するとママはおろおろして、またお医者さまを呼ぶ

のです。

冬の間は、オーリャおばぁちゃんが、カケルたちと一緒に暮らしていました。お

ばぁちゃんといっても、本当のおばぁちゃんではなくて、ママのおばさんです。本当のお

ばぁちゃん、つまりママのママは写真になって、ママの机の上にのっています。なぜかって、

カケルがこの世に生まれてくる前に死んでしまったからです。


さて、オールあおばぁちゃんは、夏を過ごすためにふるさとのペンザに帰っていきまし

た。パパは出張でウアーガドーガに飛んでいきました。もちろんアフリカです。ほか

のいったいどこに、こんな不思議の名前の町があるのでしょうか?

ママは休暇をとりました。カケルを「放牧」する(ママはカケルを外で遊ばせること

をこういうんです)ためと、古代ペルーの町マーチャ・ピクチャの本を書きあげてしま

うためでした。ママはもう二年間その本を書いているのです。

さて、そのときまでは何もかもうまくいっていました。ママは本を書いていました。

カケルは庭で遊んでしました。ママのじゃまにならないように、空をとぶ不思議な男の

子ピーター・パンと女の子のウェンディーの本を、自分で自分に読み聞かせていました。

ぜんそくの発作も、もうしばらくおこっていません。

カケルの夏の間のお友だちリークトは、まは別荘に来ていません。カケル

はジーナが来て、ジーナの愛犬のチリ(ダックスフンドです)と散歩したり、ブランコ

に乗ったり、いっしょにテレビで映画を見たりするのを楽しみに待っていました。

けれど、やってきたのは、ジーナではなくて、郵便配達のナターシャおばさんでした。

おばさんが自転車を木戸のところにのりつけて、ママに電報をわたしたのです。

ママは電報を読んで、

「まぁ!」と、いました。

それから困ったようにカケルを見ました。

「あぁ、どうしよう?だれにあんたをたのんで行けばいいのよ?」

カケルは心配になりました。

「ママ、どうしたの?パパがどうかしたの?それとも、その電報、オーリャおばぁちゃん

からなの?ねぇ!、ママったら!」

カケルはママの手のひらから電報をひったくりました。そこにはこう書いてありました。

「フアン・アンヘリ・デ・ラ・メンドーサキョウジュ 6ガツ9ヒ トウキョウ ヘノトチュウ

ロンドン ニ ヨル トーリク」

「トーリクって、だぁれ?」

「あぁ、問題はトーリクじゃないの。トーリクってワロージャ・トラーエフよ。おぼえてない?」

「ママの研究所の人?」

「そうよ」

ママはぼんやりと答えました。まるっきりほかのことを考えているのが、はっきりとわ

かりました。

「あぁ、わたし、どうしたらいいのかしら。ねぇ、カケル、ママは今までずっと、あの方とお話

するのが夢だったのよ」

「フアンさんていう人と?」

「あの方は私の分野で第一人者なのよ」

「分野って?」

カケルはわかりませんでした。

「野ってロンドン地区のこと?」

「あぁ、ちがうのよ。ママの研究所テーマなのよ。古代ペルーの文化のことよ。あぁ、

私はあの方と、お会いしなければならない。どうしても。そう、」どうしてもお会いしな

ければならない!」

ママは口をつぐみました。 カケルもだまっていました。それから、いいました。

「会いなさいよ。合わなきゃなんないなら」

「うして、あんたをおいていけるのよ?ひとりで、あんた、どうするよの?ジーナたちはまだ

来てないし。エレナー・アンドレーヴェさんも、今朝なぜだかモスクワにでかけちゃったわ。

近所にはだぁれもいないのよ」

エレナー・アンドレーヴェさんというのは近所の十八番地のおばさんです。

「ひょっとして、今日は九日じゃないんじゃないかしら?八日かもしれないわ」

期待を込めてママがいました。

でも、九日でした。かべにかかっているカレンダーも九日でした。髪の毛を小さな角みたいに

編んだ、アフリカの少女の絵の大きなカレンダーです。ポッチを押すと日付が出て

きて、ちかちか光る、ママの時計も九日でした。もうだめです。今日は九日なのです。

「カケル、お願いよ・お家から出ないでね。お願いよ・電話の近くにいてちょうだいね。

ママ」、一時間ごとに電話するからね。何かあったら、タクシーをひろって、すぐ帰えってくるヵらね。

いいこと?」カケル。おりこうさんにしていてね。どこにもいかないのよ。夕方には帰るからね。

だれもお家にいれないのよ。それまでは一時間ごとに電話するからね。あんたこわくないよね?

いらいらしないわね?ねぇ、カケル、もしも・・・・・・・」

ママは「もしもせきがでたら」といおうとしたのです。でも、いませんでした。

「ガスを使うときは気をつけるのよ。いいこと?フライパンにチキンとライスが入って

いるからあったまてね。冷蔵庫にフルーツポンチが入ってるわ。でも、冷たいままで食べ

ちゃだめよ。冷蔵庫から出して、しばらくおいてから食べるのよ。わかった?お昼を食べるのを

わすれないでね。ママ、またあとで電話するからね。電話のそばでご本よんでてね」

「だいじょうぶだよ。ママ、ちゃんとわかったから」


さて、電車の音が遠くに消え、カケル家にひとりぼっちになってしまいました。落ち着かなくて、

さびしくて、ヘんな気持ちです。泣きたいのに泣けません。

カケルはダイニング・キッチンの、電話が乗っている小さなテーブルのそばの古い

大きなひじかけの上にあがりこみました。やわらかいアームに鼻をおしつけて、時間

がたつのを、まちはじめました。

時間は確実に、すこしづつ過ぎていくのです。そしてママが帰ってくるのです。カケルは、

おそろいの服を着た、同じ背丈の時間が、一時間、一時間、また一時間と、そのび

足で部屋を通り抜けて、どこか窓の外に消えていくのを、想像しました。


カケルがひじかけいすのアームに鼻をうずめてすわいいている間に、かべの向こうの

ママの部屋では、こんなことがおこっていたのでした。明るい色のくるみ材の洋服ダンス

のとびらがきぃーっと開いて、いちばん上の段から、空色のやわらかいものが、床のじゅうたんの上

にすべりおりたのです。それは綿ビロードの、空色のぬいぐるみのくまでした。

「ここままにしといちゃ、いけないわ。だけど、どうすればいいのか、わたしにもわからない。

アア月ヨ。アカルイ月ヨ・・・。さて」

ぬいぐるみのくまさんはいいました。そして、古いひじかけいすにカケルがしょんぼりと

座っている、ダイニング・キッチンに向かいました。ぬいぐるみのくまはそっとカケルのそばによって、

やわらかい空色の手で、カケルの手をなでました。

「カケルくん」と、くまはやさしくいいました。

「カケルくん、びっくりしないでね。わたしキューよ」

カケルは顔を上げてくまを見ました。

「わたし、キューよ」

くまはもう一度いました。

「ねぇ、わたしはあなたのお誕生日プレゼントなの。でもね、お誕生日まで、待てなくなったの。

あなたがひとりぼっちで、かわいそうで・・・。わかる?」

「あなや。ママが・・・・・。ママが連れてきたの?」

カケルは聞きました。ママが「買ってきたの」と聞きたかったけれど、わるいと思って

やめたのです。空色で綿ビロードでも、お話をしながら、やわらかい手で、自分の手を

なでてくれているくまを、買ってきたんていえません。

「ええ、ええ、そうよ。ママよ。ママがわたしをおもちゃ屋さんで買ってきたの。だけど、おねがい。

こわがらないでね。気にしないでね。いこと?」

「だけど、ほんとうに、おもちゃにお話なんかできるの?」

「できるおもちゃもあるのよ。おとぎの国の『トゥト』から、おもちゃ屋さんにやってきた

おもちゃはお話ができるよの」

「『トゥト』って?」

「そういう名前のおときの国なの。『むこう』っていう意味だよ」

「おもしろいねっ」

カケルの心配はいらない心配でした。

カケルはぜんぜんこわくありませんでした。それどころか、平気で、楽しくて、興味

しんしんでした。

「その国は、どこにあるの?」

キューは答えぞこないました。天井すれすれのところに光が走ったからです。いい

え、光が走ったというよりも、なにか小さないさなまぶしい点が、きらっと光ったのです。

その点はぐんぐん近く、大きくなってきました。すると、もうカケルとキューの前にはゆったりした

銀色のレインコートを着て、小さな丸いをかぶった、小柄な

人が立っていました。とっても美しい顔立ちをしています。まぁ顔色はちょっとさえない

けれど、でも、よくととのった、世間でいう高貴な顔立ちです。

「キュー!!!」と、その人はよびました。うつくしくて、やわらかで、心のこもった

声でした。

「アセイ!!」とキューが声を張り上げました。

「あなたって、いつも、いきなり現れるのね。わたし、いつもびっくりして、舌をかんじゃうわ。

いったいどういうことなのよ。」

「ごめん、ごめん。わざとやったんじゃないんだけど、他の現れ方、きないんだよ」

「いなくなるときも、やっぱり、いつも話してる途中で消えちゃんだわ。」

キューはまだ文句をいています。

「仕方がないんだよ。そういうふうになっちゃうんだもの。」

アセイはにっこり笑いました。

カケルは目をまん丸くして、現れた人を見ていました。

「紹介するわ、カケル。この人アセイっていうの。永遠のろうそくの火を守っているのよ。やっぱり『トゥト』

の人なのよ」

「うそくって、どんなろうそくなの?」

「『トゥト』では、いつもろうそくの火が燃えてるの。火いきいきと燃えている間

はどんな的でも『トゥト』をほろぼすことができないの。でもね、火が消えないように、いつも

みはっていなければならないのよ。それがアセイの役目なの」

キューが説明しました。

アセイはキューにおじぎをして、それから手をのばして、カケルの真っ直ぐな髪の毛を、

赤いカチューシャにさわらずそっとなでて、いいました。「こんにちは、カケルン」

(わぁ、すごい!カケルンって呼んでくれたわ!カケルンって呼んでくれるのは、パパだけなのに!)

「こんにちは」

カケルはぜんぜんはにかまずに答えました。なぜかって、仲よしのお友だちにあったようなきがしたのです。

リクートではなくて、ずっとずっと前にとっても仲よくしていて、それからわすれていて、今ふいに

思い出した友だちみたいなのです。

「アセイ、あなた、なぜここにきたの?」

キューが聞きました。

「キュー、きみに助けてもらいたいんだよ。それで来たんだよ。」

「あなたが?たすけてもらいたいって?いったい、なにがおこったの?」

「困ったことがおこったんだ。ぼくひとりじゃ、手おえないんだよ」

「手におえないって?あなたの手におえないって?それじゃあ、だれの手にならおえるのよ?

ねぇ!早く言ってよ!またズリーンなのね。ズリーンが何かしでかしたのね?」

「そうなんだ」

カケルには何が何だかさっぱりわかりませんでした。でも、だまってきいていました。

キューがいいました。

「あぁ。いまわしいバルナーバス・ズリーンめ!こんどはいったい何をしでかしたの?」

「川をいじめているんだ」

「どうやって?」

「こうなんだ。ズリーンが川を魔法の三重結びで結んでしまったんだ。川はもうながれられないんだよ。

さらさらとも、ちょろちょろとも流れられないんだよ。もう息もたえだえなんだよ。みんな、

まもなくほろびてしまうよ」

「みんなって?」

キューが聞きました。

「完全にみんなだ。何もかもがだよ。ささやく風も、きわめく風も、

しっとりとかぐわしい風も。さかなも、ザリガニも、ビーバーも、かわうそも、

いもりも、ひるも、じゃこうねずみも、あめんぼも、水草も、昆虫も、大きなかえるも、

小さなおたまじゃくしも・・・・」

「とんでもない!いったい、いつそんなことになったの?」

「先週だよ。ろうそくの火が、ひどくゆらゆらゆれだしたんだよ。ぼくは実際びっくり

したよ」

「アア月ヨ。アルカイ月ヨ・・・・・。ついでに、大熊座ヨ・・・・・」

キューは祈るようにつぶやきました。

アセイは話をつづけました。

「かえで女王さまは絶望しておられる。碧玉の騎士もおそれている。だれもが悲しみ、

心配している。『トゥト』の国の住民すべてにとって川が何を意味するかはきみも知っているよね」

「で、どうすればいいの?あなた、もう考えはまとまってるんでしょ、アセイ?」

「長く思案するまでもなかった。ネズミ・カラスがこういったからだ。川の結び目をとく

呪文を、ズリーンが絶対見つからないところにかくしてしまったと・・・・・・」

「ばかばかしい」と、キューがいいました。

「だれかがかくしたのなら、だれかが見つけることができるわ。そんなこと、わかりきってる

じゃない」

アセイはため息を付きました。

「それだけじゃないんだよ。呪文は、小さな男の子が見つけ出して、その子が唱えなければ

ならないんだ。そうやってはじめて、呪文のきらめきがあらわれるんだよ」

とたんにキューが声を上げました。

「おぉ、バルナーバス・ズリーンめ。悪の中の最悪、ずる中の最ずる!」

「さぁ、きみももうわかっただろう、キュー。ぼくはきみの助けなしには、小さい男の子をおとぎの国

『トゥト』に連れていけるのは、『トゥト』からやってきた、合言葉を知っているおもちゃだけなんだ。

そういうものが大勢いると思うかい?きみは合言葉をしってるね?」

キューはうなずきました。

「きみは、カケルのおもちゃだ。つまり、『トゥト』に行くのはほかのだれでもない。

きみとカケルなのだ」

カケルはだまって聞いていました。聞いたことのないおとぎの国『トゥト』で、悪人のバルナーバス・ズリーン

が、川を殺そうとしているのです。そして、そのことはカケルに何かしら関係があるはずなのです。

かんたんにいえば、カケルは川を助けにいかなければならないのです。

おもしろそう・・・・!

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