27. 死霊術師が魔王を倒すまで(前編)

 最も美しき神とされ、また、数少ない原初の神の1柱ともされるエロース。生を司ったことから性愛や恋心を含む生命の誕生に関わることまで司ることになった神である。


 だが、いつしか原初の神という崇高なる存在のはずが、アレウスとアプロディタの間に生まれた不義の神へと生まれ変わりを果たし、さらには、地上の魔物、その王である魔王へと生まれ変わることで、その存在の崇高さは堕ちるに堕ちていた。


「……この目で見るまで、いや、この目でさえ疑いたくなるくらいに信じがたいことだけど……まさかタナトスまで、その存在を堕とされていることになろうとはね。こうなるともう、十二神の支配力は高まったと言うだけでは表現しきれないな。あっはっはっは! あーいつら、本当、欲張りだね」


 エロースは驚き、悲しみ、笑い、怒りと表情や仕草をコロコロと変えて、掴みどころのない雰囲気をナトスに与える。


「すまないが、俺はナトスだ。自分の過去がタナトスだとは教えてもらって知っているが、自分をタナトスだと思ったことはない」


 ナトスがその若干ぶっきらぼうにも聞こえる言葉を言い放つと、エロースは敵に向けるはずもないような柔らかな笑みを返す。


「あぁ……そうだろうね。何故、ナトスだけ神の時代の記憶を持っていないのか。それは十二神が死を恐れ、そして、その死からの復讐を恐れたからだ。そういう意味では、神たちが一番怖いのは他でもないタナトスだったりするんだぜ?」


 ナトスがサイフォスを抜き放って最大限に警戒する中、対するエロースは警戒心を微塵も感じさせずに、背中の翼をパタパタと動かして、何もない空中に寝そべり始める。


「まさか。俺の知る限り、神は死なないらしいけどな」


「ぷっ……神は死なない……はっはっは! そうだった、そうか、そうか、人間はそう教えられているのだったね! いや、それは正確じゃないな。不死性など如何様にでも変わる。寿命に限りがないのか、はたまた、殺されても死なないのか、不死性でも大きく異なるだろう?」


 ナトスはすっかり会話に巻き込まれてしまう。本当は魔王相手に、残りのアンデッドや温存してきた神器を使い尽くすような激しい消耗戦を想像し、その準備を着々としてきたのだ。


 神は人の予定を狂わせる。


 ナトスはどこか気さくなエロースに肩透かしを食らったのか、戦闘の構えまで解いてしまい、雑談をする雰囲気につられてしまって突っ立ったままで相手の話を聞いている。


「そういうものか?」


「そういうものなのさ。さらに、死の概念は、生の概念が生まれてから図らずとも生じてしまった一対の概念であり、生の概念と裏表で、背中合わせの、取り除くことのできないものだからね」


「すまないが、難しいことは分からない。分かりたくもない。だが、1つだけはっきりしていて、俺は神のいざこざに巻き込まれてやるつもりはない。ニレとレトゥムさえ、取り戻して、人間として一生を終えられれば、それでいい」


 ナトスは再び構えた。右手にサイフォスを握り、いつでも斬りかかれるようにと間合いをじりじりと詰めていく。


 しかしながら、戦う気のなさそうな年端も行かない少年姿の魔王が相手では、ナトスも行動しづらい。彼が視線を周りに移してみるも、特段変わったことのない部屋に罠があるようには見られなかった。


「……私と一緒に十二神を倒す気はないかな?」


「ない」


 エロースの提案を考える時間もなく、ただ一言で拒否して捨て去った。ナトスは急襲も考えて体勢を低くするが、エロースは怒った様子も攻撃してくる気配もなく、ただ小さく溜め息を1つ吐いた。


「うーん……一緒に倒してくれるなら、ニレとレトゥムを生き返らせてあげるし、なんならこの世界を全部あげてもいい」


 ナトスはその提案にも首を横に振って拒否する。


「ニレとレトゥムは生き返らせてほしいが、世界はいらない。だが、お前を倒せば、【死者蘇生】を手にすることができる。俺の手でニレとレトゥムを生き返らせることができるんだ。十二神を敵に回して倒すなんて話よりも魔王をただ1体倒すことの方がよっぽど合理的で建設的だとは思わないか?」


 エロースは大きな溜め息を吐いた。


「あぁ……たしかに。交渉のしようがないね。あーあ、こんなことだったら、せめて、アレウスの勇者だけじゃなくて、アプロディタの勇者を魔人化させて、勇者の不在化をしておきたかったね。見た感じ、怖い部分もあるけど、君のおかげで堕ちやすそうだったからね」


「勇者の不在化? ……そんなことをしてどうなるんだ?」


 ナトスの問いに、エロースはおもちゃを見つけた子どものような笑みを浮かべる。


「なんで勇者がいると思う?」


「魔物や魔王がいるからだろう」


「……なんで魔王や魔物がいると思う?」


「負の魔力から生まれるからだろう」


「あー、やっぱりか……上手いこと隠されているもんな」


 エロースはケタケタと腹を抱えて笑い出す。魔王城の魔王に相応しくない振る舞いにナトスは困惑気味になりつつも警戒を緩めないように努める。


「何が言いたい」


「本来、魔物も魔王も人間界には存在しない、いや、存在しなくたっていいのさ」


「…………は?」


 魔物は負の魔力の塊、負の魔力は世界がある限り存在する。


 そう教えられてきたナトスにとって、その話はにわかに信じることのできないものだった。ましてや、その話を切り出した相手が今から倒してしまおうと思っている魔王なのだから、彼はより一層信じることができない。


「過去の勇者が魔王を倒した後、勇者の力、神器の力で国を滅ぼしたり自分の欲望のままに行動したりしなかったのは何故か」


「勇者としての品格が……」


「おいおいおいおいおい……さすがにそれはないぜ? バカ言うなよ。自分にまで嘘を吐いてどうするんだ。今の十二神の勇者を見て接してなお、本気でそれを言っているとしたら、お前がなんでこんなことしているのか、誰のせいか現実直視できていないのと同じだぞ? それとも何か? 勇者は役目を果たしたら、急に人格者になって、聖人君主で天下泰平、誰も争いに勇者の力を使わずに正々堂々、でも、魔物の脅威がなくなったから、国どうしでつまらぬ戦争を繰り返す、とでも言うのか?」


 エロースの笑いがばか笑いから小ばかにするような笑いへと変わり、ナトスは自分の言葉がただの理想を口にしているだけと理解する。


 勇者は傑物であらねばならない。過去の経験や記憶、文献、記録、そのほか、吟遊詩人や童話書きが魅せる話がナトスの理解をそうさせている。


 だが、改めて言われると滑稽だった。彼は何故ここにいるのか。それは彼が勇者の我儘や裏切りに遭ったからに他ならないのだ。


「……それは……ないな……」


「悪い、悪い。意地悪が過ぎた。神の時代の記憶がないんだから、分かるわけもないよな。正解はね、勇者の身体は十二神に召し上げられるのさ」


「え? な? 身体を召し上げられる?」


 聞いたことのない話にナトスは驚く以外のことができなかった。

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