25. 死霊術師が元勇者を屠るまで(中編)
ドゥドゥナが手のひらにある光を魔物に投げつけようとする一瞬だった。
「なっ!?」
ドゥドゥナがケラウノスを放つより前に、離れた場所の地面から突如として現れた金属光沢の何かが空を飛ぶ魔物たちの周りを覆う。
気付いたときには既に遅く、彼が放った雷は金属光沢の何かを伝って全て地面の方へと流れていく。
その光景に魔物は嘲るように声を放ち、勇者たちは驚いた。
「ケラウノスが地面に吸い込まれた?」
雷は強力な電気であり、電気の特性に左右される。
電気は電気抵抗の小さい方へと流れ、最終的に地面へと流れ伝わっていく。電気抵抗の大きい物質である魔物と、電気抵抗の小さい金属では流れる方向が決まってしまうのである。
「ふははははははははははっ! 魔王アモルの言っていた通りだな! 最強の威力を誇る神の
「トラキア、お前の成長が恨めしかったことは今までなかったぞ」
トラキアの高笑いが響く。一方のナトスは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべつつも、トラキアもようやく人の助言を聞けるようになったのかと感心さえ見せている。
「ケラウノスは連発できん!」
「あぁ、ドゥドゥナ、大丈夫だ。ケラウノスが対策されていることが分かっただけでも十分だ。予定通り、みんなは魔物に集中してくれ! トラキアは俺が倒す! こいつに負けているようじゃ、魔王は倒せない!」
ナトスは抜き身のサイフォスを構え、勇者たちに指示を発する。
死霊術師に近しい魔物のリッチは自身が高魔力を有しているものの、主にアンデッドを操った人海戦術を得意とする。しかし、彼は同じ手法を取らない。相手を見極め、最良の手段を考え、アンデッドが相手になるような敵なら繰り出すが、そうでなければ彼自身が戦う。切り札にもなるアンデッドたちは自身が危うくならない限り使うこともない。
「言ってくれる! 今や、俺は四天王をも超えたぞ!」
「だったら、なおのこと良い踏み台だ!」
「イラつかせるな! ここでくたばれ!」
トラキアは人の姿でいることをやめた。今まで押さえつけていたものが弾けるかのように急激に膨れ上がった後に、様々な獣が合わさったような姿へと変化していく。
二足歩行から四足歩行へ、象のような大きさ、獅子の頭部に鹿の雄々しく立派な角、鋭い爪を持った虎模様の前足、山羊のような蹄のある後足、体長よりも長い蛇の尾、固い細かい鱗に覆われている全身、身体よりも十分に大きい背中に生えたコウモリのような翼、空気が結露するほどの冷たい息と周りが灼けるような熱い息が交互に吐かれ、おおよそこの世の生物とはとても思えない継ぎ接ぎだらけのはく製のような姿が見えてくる。
だが、ナトスは足を止めずに化け物になったトラキアへと跳躍し、一太刀を浴びせようと大上段から両手で掲げたサイフォスを勢いよく振り下ろす。
トラキアは獅子の牙でサイフォスに食らいつく。硬いものどうしがぶつかり合う音を立てて、ナトスの勢いは弱まる。
「くっ! トラキア、どうして、人間を辞めた……」
サイフォスが噛みつかれたままのナトスは、はためかせているマントに備えつけていたダガーを抜き放って、トラキアの鼻先に勢いよく深々と刺した。
トラキアの顔が一瞬だけ苦痛に歪むもダガーを刺されたままにニヤリと笑みのような何かを浮かべる。
「ぐうっ! はははっ……決まっているだろう? お前への復讐だ! 今でこそ、もう意味も何もないが、復讐だけは果たすと心に誓った!」
トラキアがサイフォスを銜えたままに、頭をぶんぶんと振り回しつつ、払いのけるように左前脚でナトスを叩き落とそうとする。
ナトスはダガーをさらに震えるように小刻みに揺らして肉を削ぎつつ、歯の力が緩まる瞬間にサイフォスをトラキアから取り戻して、その返しでトラキアの左前脚の強打に応ずる。
トラキアがすかさず尾の蛇をナトスへ向けて噛ませようとするが、大きな盾が蛇の行く手を阻む。
アイギスの大盾、アテーナイの最強防御力を持つ神器である。
「雑魚が、邪魔をするな!」
「きゃっ!」
トラキアの尾の蛇が1本から数十本へと増え、そのすべてがアテーナイへと雨のように降り注ぐ。盾は大きいが、多方向からの同時攻撃には弱く、攻撃を真正面から受けなければならない。
とっさにアテーナイを守るように動いたナトスがすべてを尾の蛇を払いのけつつ、異様に強い尾の蛇が現れたために押し合いの拮抗をする。
「シャアアアアアッ!」
「負けるか!」
尾の蛇は力の配分が異なり、弱い蛇で攻撃を仕掛けた後に強い蛇で急襲する戦法を取っていた。トラキアから見て油断を誘うための配分であり、ナトスから見て予想通りの攻撃パターンだった。
ナトスは硬い蛇を押し戻しつつ、トラキアを見る。
「トラキア……復讐だと? さっきからその言葉をお前が口にしているが、それは俺のセリフだ! ニレとレトゥムを散々に傷付けただけでも許しがたいのに、あまつさえ、俺から奪いやがって!」
トラキアは好機と見たのか、一度打ちのめされた弱い蛇たちを再度ナトスに向かわせた。
「はーっはっはっ! いいや! 間違いなく、復讐は俺のためのセリフだ! お前は、俺から栄光の未来を奪いやがった!」
「甘いっ! トラキアの……未来?」
ナトスはトラキアの言葉に引っ掛かりを覚え、彼の言葉に聞き返すかのように問う。
「くっ!」
ナトスは蛇に銜えられたままのサイフォスを一旦手放す。彼の両手がそのままの動きでダガーを取り出して双剣士のように構えてから、迫り来る幾数もの蛇の尾を前にして、まるで踊りを舞うかのように次々に切り裂き崩していく。
斬り飛ばされていく蛇を前に、硬く強い蛇が一度戻るように動き始めた。しかし、サイフォスを銜えたままの動作がナトスに対してあまりにも緩慢な動きであり、次の瞬間にはサイフォスを銜えた蛇の眉間にダガーが突き刺さる。
「ふんっ!」
力を失った蛇はサイフォスを銜え続けることができず、ナトスが得物を回収した。
その瞬間、トラキアの前足がナトスの握ったばかりのサイフォスをナトスごと橋に押し付けるように上から勢いよく振り下ろす。
「うぐうっ!」
「ははっ! そうだ! 前に言ったよな? 俺はお前が憎い、とな」
ナトスの膝が負け、後ろに仰け反りつつもトラキアに押し潰されないように必死に抵抗する。
「ぬぐううううっ! 理由まではあああああっ! 聞けてないけどなっ!」
「ほざいてろ!」
「アテーナイ!」
「はい!」
トラキアが勢いよく踏みつぶそうとして一度前足を上げた瞬間に、トラキアとナトスの間に2枚のアイギスの大盾が出現する。アイギスの大盾を向かい合わせるように配置することで互いに反射させるように働かせた。
トラキアが思ったよりも浮き上がってしまった前足にバランスを崩している間に、ナトスが横に転がり体勢を立て直す。
トラキアの顔が一気に歪む。
「ちっ……相も変わらず、しぶとい奴め!」
「何が憎いんだ? 俺が何をしたって言うんだ! 家族を殺されなきゃならないことを俺がしたって言うのか?」
トラキアは獅子の牙を剥き出しにして怒りを露わにする。
「もちろんだ! そんなに聞きたいなら教えてやる! 俺が勇者だと言うのに、周りはお前ばかり! 気に食わねえ! 気に食わねえんだ! 俺よりも弱いくせに、多少の気遣いとか誰彼構わずにして、それで周りから好かれやがって!」
「それのどこで、俺が悪いんだ? 気遣いが大事だって分かるなら、トラキアもやればよかったじゃないか?」
ナトスには分からなかった。分かりたくもなかった。
「なんで! 俺が! そんなことをしなきゃならねえんだよ! 有象無象どもは黙って俺を称賛しておけばいいんだよ!」
「無茶苦茶過ぎるだろ……」
ナトスには分からなかった。分かりたくもなかった。
「それだけじゃない! 見た目も俺と同じくらい上等ときやがる! だから、弱いくせに、女もお前の方を見やがる! 俺の女まで……キュテラまでお前にご執心ときたもんだ!」
「何を言っているのか、分かっているのか? そもそも、キュテラさんはお前のものじゃないだろうがっ!」
ナトスには分からなかった。分かりたくもなかった。
「いいや、俺のもんだった。勇者キュテラ……いや、王女パフォスだけじゃない。俺は全てを得るはずだった。魔王を倒した勇者としての輝かしい実績、王からの信頼と王位継承、有象無象どもの羨望の眼差し、美しく従順な伴侶、死ぬまで楽しんで苦しむことのない王族としての生活……そのすべてを俺が得るはずだった」
「ああ、そうか! どれもこれも俺と関係ないじゃないか! 勝手にしてくれよ! 俺は名誉も称賛もニレ以外の女性も、まったく興味がない! 俺をお前のそれに巻き込むな!」
ナトスには分からなかった。トラキアが復讐という言葉を使ってまで、自分を恨む理由がさっぱり分からなかった。
「お前が興味を持っているかどうかなんて関係ない! お前の周りが! 俺の周りが! お前を望んでいた。それだけでお前が俺の邪魔になることさえ分からないのか! お前さえいなければあああああっ!」
ナトスには分からなかった。トラキアのように自己愛が強く、自己の主張だけが正しいと信じてやまず、そのためなら他人を嘲り蔑み下に見て、悪意に満ちた目で自分以外の不幸を望み、実際の実行に移せてしまう人間のことなど、ナトスには分かるわけもなく、さらに言えば、分かりたくもなかった。
「……ふざけるな。さっきから聞いていれば……自分がしたくないことをしている俺への八つ当たりばかりだろうが……それと……俺は俺への仕打ちを怒っているんじゃない……お前が俺の家族に手を出したことが許せないって言っているだろうがっ!」
ナトスの極限まで抑えていた怒りが抑えきれずに噴き出す。その怒りに自然と呼応したかのように、周りの空気が変わる。
「っ!」
トラキアの背筋が凍った。それどころか、魔物、勇者、その場にいる全てがぞくりとした寒さに見舞われる。
そのすべてが凍りつく殺伐とした空気の中で、蝶がどこからともなく舞い始めた。
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