24. 死霊術師が悩みを振り切るまで
ナトスが拠点にしている温泉町。彼はそこで最後の調整をしていた。
既に彼はこの豪奢な造りのキュテラの別荘も見慣れてしまったのか、ようやく、おどおどとした不相応な客人から過ごし方の分かるようになったそれなりの客人へとレベルアップしたのだ。
それでも、彼はこれを当たり前と思わないようにしている。全てが終われば、また貧乏な生活に戻る、むしろ、前よりも自給自足に近い生活になるのではないかと考えている。
ナトス、ニレ、レトゥムの3人家族が小さな村に身を寄せられれば良いが、村は排他的であることも多い。一時住まいの冒険者ならともかく、移住者となるとより難しい、と彼はどこからともなくそのようなことを聞いていた。
レトゥムには悲しい思いも寂しい思いもさせたくない。
彼はそう考えれば考えるほど、先ほどの考えを捨て、慣れ親しんだ王国、もしくは、この温泉町の端にでもそのまま根を下ろすべきかという思いにも至る。ただし、その場合は漏れなくキュテラが近くにいることが彼には容易に想像がつく。
彼とキュテラの契約は、キュテラから近付かないというものであり、自国にいる王族の制限を完全にできるわけがないため、彼から近付けば自ら火に入る虫となる。
「……兄さま?」
ナトスはキュテラの心配そうな声にハッとする。そのまま、彼は俯いていた顔を上げて周りを見渡す。
ゼウスの勇者、全能の勇者ドゥドゥナ。
ヘーラーの勇者、使役の勇者サモス。
アテーナーの勇者、守護の勇者アテーナイ。
アポローンの勇者、遠矢の勇者デルポイ。
アプロディタの勇者、美の勇者キュテラ。
アルテミスの勇者、連射の勇者エペソス。
デーメーテールの勇者、浄化の勇者エレウシース。
ヘーパイストスの勇者、鍛冶の勇者レームノス。
ヘルメースの勇者、多才の勇者アルカディア。
ポセイドーンの勇者、破壊の勇者コリントス。
ヘスティアーの勇者、聖域の勇者スキタイ。
この場に、アストレアの勇者、正義の勇者ナトスの前に、神々が選定した勇者たちが彼の言葉を待っているかのように着席して勢ぞろいしている。
ただ一人、アレウスの勇者、力の勇者トラキアを除いて。
「トラキア……何故呼びかけに応じないんだ……」
ナトスは先ほど考えていたこととはまったく異なる言葉を呟く。ただし、これもまた彼を悩ませる種であった。
ある時を境にして、突如として連絡が取れなくなったトラキア。多くのアンデッドを動員して様々な町やダンジョンを探し回ったが、依然として消息はつかめず、ついにこの日を迎えてしまう。
「おそらく、予想していたように、アレウスの勇者は魔王に捕まっているのだろうな」
音もなく現れ、ナトスの後ろで静かにそう呟いたのはライアだった。ナトスとライアはいなくなったトラキアについて、ある仮説を立てていた。
その仮説とは、トラキアがアンデッドではなくなった、というものだった。その仮説の意味するところは、魔王アモルによって、トラキアが蘇生したということだ。さらには、人間の住む場所にいないため、魔王城に囚われているのだとまで推測を踏み込ませた。
「やはり、そう考えるしかないか……。魔王や四天王はこちらの手の内をある程度把握していると考えた方がいいな」
ナトスは予定外のことに頭を悩ましつつも、自分の近くにトラキアがいないことに少しホッとしている自分がいることも認めていた。
彼は到底許せない怒りが、消しても消えない炎のように揺らめている。その炎は今こそ静かに燃えているが、トラキアの顔を見る度にメラメラと揺らぎざわついていたのだ。
「兄さま、その可能性が高い今、もはや待つ道理はありません。今こそ、魔王を討ちに行きましょう。彼が魔王城で囚われているのであれば、乗り込んで再び亡きものとした方が良いでしょう」
キュテラは冷静に冷酷に冷徹に言葉を1つ1つ紡いで口に出していく。
「だとしても、パピアはここで静かにしているんだ」
「私はいつでも兄さまのそばに……」
ナトスはキュテラに待機命令を出す。だが、彼女はまだアンデッドではないために首を横に振って拒否を示し、その様子に彼が困った顔を隠さずに露わにする。
彼は彼女をアンデッドにすることができなかった。その理由は、彼の視線が答えており、その視線の先には彼女の腹部がある。
「お腹の子を大事にしてやってくれ」
「……そうですね」
キュテラの執念が勝った。
勇者でいる間は子を生しづらいという制約があっても、彼女はナトスとの行為を重ねて、ついに彼女の求めていた彼との愛の結晶を手に入れた。今では彼女に悪阻が襲ってくることもあり、そのことに彼女は歓喜さえした。
一方の使用人たちはてんやわんやの大騒ぎであり、このことが彼女の父、国王の耳に届くことも時間の問題だった。
ナトスはこれから生まれてくる子どもにキュテラの意識が向き始めていることもあって、自分への熱も少し冷めてもらえればと思わずにいられなかった。それと同時に子どもの親が自分であるという事実が重く圧し掛かり、自分が最低な男であることも自覚していた。
彼は考える。
おそらく、王族の体裁もあるから彼女の伴侶は誰かしらが立てられるだろう。この集結した勇者の中でなら、ともに戦った仲間から芽生えた愛情という言い訳も効く。仲間になった長さやしがらみのなさ、この温泉町に常駐しているという事実から言えば、ヘーパイストスの勇者、鍛冶の勇者レームノスが適任だ。
そこまで彼は考えている。
やがて、彼は首を小さく横に振った。
「最悪だな、俺」
ナトスは誰にも聞こえない口だけ動かしたかと思われるほどに小さな声で呟いた。
「兄さま?」
「3日後。魔王城に向けて動く。橋にいる四天王以外の魔物も気になるが、時は満ちただろう」
「はい!」
「俺は部屋に戻る。各自、楽にしてくれ、解散だ」
ナトスはそう言い残して、誰の顔も見ることもなく即座に立ち上がって、後ろに立っていたライアさえもいないかのように足早に自室へと戻る。
「パパ!」
「レトゥム、いい子にしているね」
「うん!」
ナトスが自室の扉を開けると、レトゥムはその音に気付いて彼の方を向き、そのまま目をキラキラと輝かせて急ぎ足で駆け寄って来る。
彼は全力でぶつかってくる愛娘を勢いそのままに受け止めて抱き寄せた後にクルクルとその場で綺麗なターンをして見せた。その回転も止まった後は、彼が彼女を持ち上げて、お互いに笑顔で相手を見つめている。
「きゃはは! パパ、すごい! パパより高い! 大人はこんな風に遠くまで見えるのいいなあ」
「遠くが、先が、見たくない時もあるけどね」
「え? パパ、何か言った?」
高い高い状態のレトゥムが大はしゃぎすると、ナトスは落とさないように自分の胸元へと再び抱き寄せて、頬と頬を合わせてすりすりと頬ずりをする。
「レトゥムが大人になると寂しくなるな。ずっと今のままのレトゥムがいいな」
「大丈夫。パパとママと3人で、レトゥム……私が大人になってもずっと一緒だよ」
「レトゥム……」
ナトスはレトゥムの言葉に感激して言葉が出てこなかった。レトゥムはまだ自分のことを名前で呼んだり、私と呼んだりと変わりやすいが、それこそが彼にとっては娘の成長を感じる1つでもあった。
「ニレ、いよいよ、魔王を倒しに行くよ」
ナトスはレトゥムを抱えたまま、ニレの座るベッドに腰を掛けてそう伝える。彼は彼女の返事を予め考えてあった。
「そう、気を付けてね。いってらっしゃい」
「ありがとう。俺はニレやレトゥムのため……いや、自分のために魔王を倒すよ」
ナトスは自分で言って自分で返しているような不思議な感覚に変な笑みを浮かべてしまう。レトゥムが彼の顔を見て首を傾げるも、彼は説明をしないで彼女の頭を優しく撫でるだけだった。
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