22. 死霊術師が全能の勇者と謁見するまで(後編)

 ナトスが話し始めようと口を開いた瞬間、音になっていたのはサモスの声だった。


「しかし、まあ、なんと言えばいいやら。男嫌いだとか、純潔の化身だとか、周りから散々言われても男に見向きもしなかったあのパフォスが、見目のいい男とはいえ、べったりとはね」


 見目がいいとサモスから言われて、少し気恥ずかしくなってしまったナトスが苦笑いを浮かべると、キュテラがその彼の顔を見て何かに火が着いたようで対抗するべく口を開いた。


「ナトス兄さまの良さが分かるなんて、多少はサモスも男性を見る目があるようですね」


「兄さま?」


「あぁ……分かると思うけど、俺が年上で面倒を見たことがあったから、慕われてそう呼ばれているだけだ」


「あぁ、なるほど。ならいい」


 ドゥドゥナが疑問を差し込もうとしたので、すかさずナトスは呼び名の経緯を簡単に説明する。


 ドゥドゥナは、ただの冒険者が王女の面倒など見るのか、面倒を見るだけで大きくなった今でもここまでべったりに好くものか、と更なる疑問を持ったが、話が大きく脱線することが火を見るよりも明らかなために、その話ごと切り捨てるかのように適当な相槌を打った。


「ところで、そういうサモスも男嫌いだったと思いますが、まだドゥドゥナと一緒にいるのですね? 度々浮気されてご立腹だったと思っていたのですけどね」


「愛よ、愛。決まっているじゃない。ドゥドゥナは私をなんだかんだで一番に愛して戻ってきますからね。女はいい男に愛されてこそ輝くというもの」


 サモスがドゥドゥナを見つめ、その視線に気付いたドゥドゥナがサモスを見つめる。ナトスは浮気の部分だけ引っ掛かるものの、愛し愛される雰囲気を醸し出す2人の夫婦の愛について静かに首を縦に振って同意していた。


「まあ、当然、浮気の叱責と折檻は必要ですが、後は他の女を処罰しておけば済むこと。パフォスこそ、そこの男はたしかに見目がいいですけど、妻子持ちと耳にしましたよ? 一番に愛されない相手に懸想するなんて、性格同様に愛が歪んでいるのでは?」


「どうでしょう。愛に一番も二番もありませんよ。愛はすべて尊いものです。自分が有利だから順位付けをしようという底意地の悪さや、自分が一番でないと気が済まないという承認欲求が垣間見えるようですね。そもそも、性格の歪みはサモスには負けますけどね」


 場が急激に凍りつく。少なくとも、ナトスは体感温度が著しく下がっていた。彼は、戦いには来たがこういう戦いではないだろう、と心の中で溜め息を吐く。


「……ふふふ」

「……ふふふ」


「パピア……煽らないでくれ……俺たちは話に来たんだ」


 ナトスは戦いに来たことを悟られないように、対抗心を燃やし続けているキュテラに小声で釘を刺す。


「ははははは! 女どうしで楽しく会話をしているようだな。では、男どうしの会話をしよう。ナトス、お前は何を欲している」


 キュテラとサモスの舌戦が隣で繰り広げられ始めた中、ドゥドゥナもまたナトスと別の会話を始めようとする。


「……欲している?」


 ドゥドゥナの問いの意図が読めず、ナトスは聞き返した。


「もう少し噛み砕くか。まあ、女ではないだろう、金か、名誉か。要は、なぜお前が魔王を倒そうとするのだ? ただの冒険者と名乗っていたお前が欲するものは何だ? やはり、家族と暮らすための金か?」


 ナトスは溜め息を再びこぼして肩を竦ませる。その後、彼はドゥドゥナをしっかりと見据えて、言外に非難の色を示していた。


「いきなりだな」


「回りくどいのは苦手でな。実に簡単な話だ。我の配下になれ、さすればお前の望むものをくれてやる」


「残念だが、俺の欲しいものはドゥドゥナには用意できない」


 ナトスの言葉にドゥドゥナは興味がわいたのか、先ほどの不躾で短絡的な物言いをしていた時とは異なり、少しばかり口の端を上げて愉快そうな顔をする。


「ほう? なんだと言うのだ?」


「待て。次は俺が質問する」


 ナトスが手を突き出して、ドゥドゥナの更なる質問を止めた。


 ドゥドゥナは違和感を覚える。彼は周りの衛兵たちをちらりと一瞥するも、ナトスの振る舞いで「無礼」と言い始める者が誰もいないことに気付く。このとき、彼は何かしらの攻撃なり妨害なりが働いていることにまで理解が辿り着く。


「……よかろう。それくらいはな」


「逆にドゥドゥナは何を欲しているんだ。名誉か?」


「ふっ……はっはっは! やはりそう思うか。しかし、今や名誉などに興味はない。我は自己満足のために魔王を倒す」


 ナトスは眉間に少し皺が寄り、怪訝な表情を隠さないでドゥドゥナを見る。


「自己満足?」


「ふむ。本当は我が次の質問をするところだが、腹を割って話す姿勢を見せんとな。我は恵まれた身体も容姿も権力もあって、金も使いきれぬほど、名誉も女も飽きるほど持っている」


 ドゥドゥナはナトスの作った流れに乗って口から言葉を次々と放っていく。その自信たっぷりのドゥドゥナの言葉に、ナトスは思わず呆気にとられた顔をする。


「羨ましい限りだ」


「羨ましかろう? だが、全てを持つことは存外つまらんものだ。もはや、我は我の興味を満たすこと、つまり、自己満足できそうな何かしか食指が動かん」


 ドゥドゥナはナトスの皮肉さえ意に介した様子もなく、自分の理由の経緯を淡々と話していく。


「……それが魔王を倒すことなのか?」


 ドゥドゥナは笑う。その後、彼はナトスが先ほどやってみせたように肩を竦めていた。


「まあ、満たせる1つくらいには思っているというところか。さて、我は答えたぞ。次はお前の番だ。お前は何を望んでいる?」


「いいだろう。俺は魔王の能力が欲しい」


「ほう? 魔王の能力?」


 ナトスは自分が死霊術師であることを隠すために少しばかり言い換えて話し始める。ドゥドゥナがゼウスから入手した情報や独自のルートで調べた情報がどの程度か不明であるため、彼は自ら情報を晒す真似を避けたかった。


 妻のニレが不治の病に罹ってしまい、薬や治癒魔法では治らないことが分かったために、魔王の持っていると言われた能力を得るために正義の女神アストレアと勇者の契りを交わした。


「なるほどな。妻の不治の病を治すために魔王の持つ能力が必要だと、そのために、正義の勇者になったと」


 ドゥドゥナは少し考えているような様子でナトスに聞いた言葉を反芻していく。


 彼に限らず、アストレアの神格だけで勇者を選定することなどできないと誰もが知っている。故に、十二神が何らかの形で関わっていることは誰の目から見ても分かることであり、その延長線上で、ナトスが前例のない特殊で特別な存在だと容易に理解できる。


「あぁ、そうだ。だから助力がもらえるならありがたい」


「……くだらんな」


 ナトスは耳を疑った。


 だが、彼がはっきりとドゥドゥナの顔を直視してみると、ドゥドゥナからは本当かも嘘かもわからなかった笑みさえも消えて、心底つまらなさそうな顔で頬杖までついて、気だるげな雰囲気を醸し出していた。


 何がくだらなかったのか、ナトスにはそのドゥドゥナの言葉の意味が分からず、戸惑うばかりである。


「……どういうことだ?」


「壊れそうな玩具にかまけるとは、存外面白くない奴だという意味だ」


 壊れそうな玩具。


 その言葉の向け先をすぐに理解できたナトスの歯がギリリと嫌な音を立て、彼の殺気が抑えようとしても滲み出てくる。


 間近にいてサモスとまだ舌戦を繰り広げていたはずのキュテラの身体が彼の殺気に当てられてか、寒さに耐えきれないかのようにぶるると震える。


 彼の殺気が、彼の怒りが、徐々に膨れる。膨れて漏れた気が周りに影響を与え始め、大気が震え、建物が微弱に揺れ、突っ立つ兵士が立っていられなくなる。


 しかし、ドゥドゥナの顔色は変わらず、平然とした瞬き以外、眉根も眉間も口の端も動きもしない。


「……聞かなかったことにしよう。それに、ドゥドゥナだって、サモスがそんな状況になったら同じことをするだろう?」


 ナトスは問う。


 ドゥドゥナも最愛であろう妻を持つ男。たとえ、ドゥドゥナが浮気性であろうと、最後は戻ってきており、激怒されようと仕返しを受けようと決して離すことのない妻を持つ。


 同じ男として、ナトスは問うた。


 だが、ドゥドゥナの答えは彼の想像を嘲るかのようなものだった。


「なかったことにしなくともよい。我は間違ったことを言っておらん。壊れそうな玩具は壊れそうな玩具だ。事実を変えることはできん。それと、サモスがそうなったら……か……まあ、せんなあ」


 ドゥドゥナは嗤った。その後、どう言い負かそうかと少し困ったような表情のままで、彼は隣に座すサモスを見る。


 サモスもまた、そのドゥドゥナの様子を知って、ナトスの方を見て嗤う。


「ええ。不要です」


 ナトスは言葉を失うとともに、表情もどこか感情を全て吹き飛ばされたかのように呆けたものになっていた。


「我は我の必要なものしか要らん。浮気に怒るくらいなら可愛いものだが、我の心労を増やすような重荷は要らん」


「私も一番に愛されないのであれば、重荷だと思われるなら私から願い下げです。私ならすぐにでも消え去ってしまいますわ」


 ナトスから見て、彼らは話の通じる相手ではなかった。そう悟るも、どこか信じられない彼は疑問を投げかけてみる。


「嘘だろ……ドゥドゥナ……。俺にはその発言自体が信じられないが、それでも本心からそう思っていたとしても、仮にも仲間にしようって相手にそんなことを言うか? 取り繕うくらいできるだろう」


 ドゥドゥナは険しい顔をする。


「ナトス、お前は何様だ? 最初は配下くらいにならと思ったが、つまらん男を仲間にする気はない。それに何故、我がお前相手に取り繕ってやらねばならんのだ。いびつな形でも勇者になったから、気が大きくなっているようだが、お前はしょせん平民、民草、つまり、雑草に変わりない」


 ドゥドゥナは立ち上がる、ナトスを見下す。


 サモスもまた立ち上がり、彼女はキュテラを見据える。


 ナトスはドゥドゥナを見据える。


 キュテラはナトスの腕から手を解き、得物を構えてサモスを見据える。


「ドゥドゥナ、当たり前だが、交渉決裂だ」


「その通りだ、我が物顔で蔓延る雑草に用はない」


「パピア、後ろへ」


「轟け、ケラウノス」


 ドゥドゥナの手から激しい稲光が放たれるも、ナトスの前に大きな皮の盾が現れて、その全てを受けきった。

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