21. 力の勇者 人を辞める

 魔王城。魔力で空中に浮き上がっている島そのものであり、決して落ちることもなければ、これ以上浮き上がることもなく、その場に安定して留まっている。


 この城が取れる外への移動手段は1つの大きな橋だ。頑丈に作られているであろう石でできている橋は常に静かに佇んでおり、誰も拒むことなく城へと案内していた。


 だが、今は違う。


 今は力の勇者だったトラキアが番人のように橋の中央部で鎮座していた。


「……たしか、アルカディアだったか?」


「…………」


 ナトスが魔王城の様子を知るために、アルカディアを魔王城へと向かわせていた。


 アルカディアは勇者の中で最も身のこなしが軽く、神器によって空も飛べ、また、ナトスの配下になったことで隠れ兜という新たな神器を使えるようになったからである。


 彼は元々空を飛んで入ろうとしたが、見えない障壁に阻まれてしまい、空からの侵入が難しいことを悟って、渋々隠れ兜を被ったまま橋を歩いて渡ることになった。


「おいおい、とぼけるなよ? 少なくとも、そこに誰かいるのは分かるからな。名前を間違えたってなら、俺は知らねえから名乗れよ」


 トラキアの言葉と鋭い視線に晒されて、アルカディアは仕方なく隠れ兜を取り、自慢の青い髪を掻き上げながら睨み返す。


「……俺が見えていて、しかも、名前を知っているのか? いやー、俺は化け物と面識なんてなかったはずだけどな」


 アルカディアが化け物と称したように、トラキアは人の姿をしていなかった。


 象のような大きさ、獅子の頭部に鹿の雄々しく立派な角、鋭い爪を持った虎模様の前足、山羊のような蹄のある後足、体長よりも長い蛇の尾、固い細かい鱗に覆われている全身、おおよそこの世の生物とはとても思えない継ぎ接ぎだらけのはく製のような姿である。


 トラキアは金色の瞳でアルカディアを睨みつけていた。


「お前程度が俺を騙そうとしたってそうはいかねえよ」


「じゃあ、お願いすればいいか? この橋を通してくださいってな」


 アルカディアは軽口を叩きつつ、目の前の怪物を前に嫌な脂汗を滲ませていた。彼の手には既に神器ケーリュケイオンが握られ、警戒の視線を緩めることなく、右へ左へとふらふらと歩き回っている。


「通すと思うか?」


 トラキアの返しにアルカディアは口の端を上げてにいっと笑う。


「思わないね。だから無理やり通るさ!」


「通ってみろ、通れるものならな」


 アルカディアは先手必勝とばかりにトラキアが動き出す前にケーリュケイオンを掲げる。


 ケーリュケイオンから火が零れ始めた。


「【ファイア】【アロー】」


「火の矢か」


 ケーリュケイオンの先端から放たれた火が長い尾を引きながら矢の形をしてトラキアに迫っていく。


 トラキアは大きく息を吸い込んで、火の息を吐いた。高火力の息が【ファイア】【アロー】の火をかき消してしまうとともにそのままアルカディアへと襲い掛かる。


 アルカディアが難なく横へと避けた後、再び魔法を使おうとケーリュケイオンを前に突き出す。


「【アイス】【アロー】【アイス】【アロー】」


「お次は氷の矢が2本か」


 アルカディアがケーリュケイオンの先端を振り回すと、異なる場所に氷の矢が2本作られて、勢いよくトラキアの方へと射出された。


 トラキアは面白くなさそうに冷たく言葉を吐き捨ててから、再び息を吸い込んで息を吐く。次は火の息ではなく氷の息であり、吹雪のような雪と風がアルカディアの方へと向かっていった。


 しかし、トラキアが気付いた時、そこにアルカディアは既におらず、先端の曲がった剣ハルパーを片手に思い切り振るった。


 どうしてか、金属どうしがぶつかったような音が響く。


「ちっ……金属並みに肌が硬いのな」


 押し切れなかったアルカディアは反撃を恐れて、即座に回避行動に移る。それが功を奏して、トラキアの逆の前足による払い攻撃は虚空を掻っ攫っただけだった。


 アルカディアが次の攻撃に移ろうとした瞬間に、全く別の方向からトラキアの尻尾の蛇がアルカディアの首筋を目掛けて噛みつこうとしてくる。


「おっと、危ない、危なっ!」


 蛇の噛みつき、前足の払い攻撃、さらには、鹿の角を利用した突きや獅子の大顎での噛みつきなど攻撃のパターンも多様で隙を見せない。


 攻めあぐねたアルカディアが空へと逃げると、トラキアは大きなコウモリの翼を背中から出現させる。その巨体からは考えられない速さで飛び回り始めた。


「っと……空も飛べるのかよ!」


 トラキアは再び大きく息を吸い込んで吐き出すが、火や氷のように何か見えるものを一緒に吐き出すことはなかった。


 次の瞬間。


「【ウインド】」


 アルカディアは咄嗟に気付き、【ウインド】の風で追い風を生み出した。トラキアが毒の息を吐いており、彼はもし気付かなければ、そのまま毒に神経をやられて橋にも引っ掛からずに暗い地の底へと真っ逆さまに落ちていた。


「勘がいいな」


「まあ、生き物の観察は得意な方でね」


 その後、アルカディアはトラキアを倒すことではなく、つぶさに観察することに徹した。相手の懐に入って攻撃をしたり、空を飛び回ってひたすら回避をしたり、攻撃のパターンやスピード、動き方のクセをいくつも調べ上げていく。


 彼は慢心や油断、逆上さえしなければ優秀な勇者であり、たとえ撤退してでもしっかりとデータを積み上げて対策を練ろうとする我慢強さや切り替えの早さを持っている。


「うろちょろしやがって……鬼ごっこはガキ相手にするんだな!」


 しばらくして、新しいパターンを出さなくなったトラキアを見て、データ取りを完了とみたアルカディアは対策を練るために撤退することにした。今回彼が分かったことは当初の目的から大きく外れてしまったが、四天王以外に強力な敵がいることや敵への攻め手が難しいことを知ることができて上々だった。


「ぐぎぎっ……ちっ! 化け物が! くそっ……覚えてろよ……」


 アルカディアはトラキアの一撃をわざと受け、実際のダメージ量を把握したところでそそくさと撤退する様子を見せた。彼は後ろを振り返ると、トラキアが追いかけてくる様子もないため、攻撃を仕掛ける場所が橋しかないことも理解した。


「ふはっ……ふははっ……はーっはっはっはっはっは! あのアルカディアが何もできずに逃げていきやがった!」


 トラキアはアルカディアの姿が見えなくなった途端に、化け物の姿から人の姿になる。大きさや形に変化はさほどないが、色だけは大きく変わっており、肌や爪が浅黒く、白目が黒く、赤い瞳が金色になっていた。


「俺は強くなっている!」


 トラキアの拳が天の方へ向かい、高らかに掲げられる。彼もまた先ほどの戦闘をアルカディアの力量を知り、自身の力量との差を測ることに使っていた。


「トラキア様」


「プリス、見ていたか?」


 魔王城の方からぎこちなく歩いてくる人影はプリスだ。


 彼女もまた人を辞めており、綺麗な薄桃色の髪と瞳の色は変わっていないが、肌が青く、白目が黒くなっていた。服装は神官服のままだが、身体つきが淫魔も羨ましがるようなものとなって、扇情的なラインが浮き出ている。


「見ておりました。さすがです」


 プリスはトラキア同様に魔人化に成功した。


 一方のリアは魔人化に失敗したため、トラキアの血肉となり、彼の中で生き続けることになった。


「プリスもその力が早く馴染むといいな」


「……そうですね」


 プリスは膨大な魔力と知識を得て、人だった時にはできなかったことができるようになっている。だが、まだ上手く身体を動かすことができないと嘘を吐いていた。


 今まで人と戦うことはなく、これからも戦うことなどない。


 彼女はトラキアの傍にいるためにこの境遇に身を投じただけなのだ。


「もっとだ……もっと強くなってナトスを完膚なきまでに……」


「……その後はどうしましょう?」


 トラキアの見据える未来はいつも1つ先しかない。彼の持つ理想もあるにはあるが、最終目標である理想までの段階は一切なく、ただ目先の目標にだけ囚われている。


 故に、抱いていたはずの理想もいつしか変わっているのだが、本人は変わったことに気付いていないのかあまり気にしていない。


「もちろん、支配だ……俺は魔人としてこの世界に君臨する……誰も俺に逆らわない世界をつくる……」


「……最期までお伴いたします」


 プリスの言葉に嬉しくなったのか、トラキアは彼女を抱き寄せて甘い口づけを交わす。彼の承認欲求は彼女の献身的な愛情に気付いたおかげで周りに求めなくなった。


「最後まで傍に、俺と一緒に居てくれ」


「……ええ、最期まで一緒にいますよ」


 プリスは聞いたことがない。


 この世界で勇者と魔王が戦ったことは何度もあるが、最後の最後まで魔王が勝ち続けたことなどなかったのだ。


 今回は魔王が優勢だと耳にするが、それでもそのまま勝てるという理由も保証もない。


 故に、彼女は、ナトスに殺されるであろうその最期のひと時まで、傍に居続けると固く誓った。

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