19. 死霊術師が多才の勇者を倒すまで(後編)

「カードゥケーウス! 対象、ナトス、魔法!」


 十分にナトスから距離を取ったアルカディアはケーリュケイオンで天を衝くような勢いのままに掲げて、ナトスの聞きたかった言葉であるカードゥケーウスと叫ぶ。


 ケーリュケイオンは魔法を撃つとき以上の光を放ちつつ、その光の先をバッとナトスに向けた。


 速すぎる光の動きに、ナトスは逃げ回るも捕まってしまって全身に光を浴びてしまう。しかし、ダメージを受けた様子も何かの状態異常を受けた感じもなく、次第にケーリュケイオンから光が消えていく。


「……何が起きた? 魔法? 【ファイア】……【ウインド】……出ないな……」


 ナトスは魔法が使わせないという言葉を思い出して魔法の呪文を唱えてみるも、彼の周りで魔法が発動する様子がない。


 アルカディアの宣言通り、ナトスは魔法を使うことができなくなっていた。


「あっはっはっは! これでお前は魔法が使えなくなったぞ!」


「相手に攻撃手段の禁止を付与する能力? いくら多才とはいえ、相手の能力を差し押さえるような真似が可能か? 詐術の神とはいえ、嘘は上手く吐けても、催眠術のようなものではないだろうし」


 ブツブツと呟くナトスの様子を焦りと捉えたアルカディアは、心地よさそうな表情を浮かべて再度空中へと駆けあがっていく。


「さっきのお返しだ! 【ファイア】! 【ファイア】! 【ファイア】! 【ファイア】! 【ファイア】! 【ファイア】! 【ファイア】! 【ファイア】!」


 すっかりと高揚しきったアルカディアが先ほどの恨みも込めた【ファイア】を連呼する。ケーリュケイオンから放たれる火球は通常の3倍以上のサイズであり、速度も3割増しほどの速さになっている。


 通常ではありえない炎がナトスに容赦なく降り注がれていくも、彼は足を動かしながら冷静に口を小さく開き始める。


「これほどの連発を避けるのはもちろん難しいが……単調な動きしかできないなら、避けられないこともない」


 1度に5発以上も連射できること自体、勇者がいかに規格外の存在か分かる。しかし、魔法使いが連発するなら、速度を変え、軌道を変え、大きさを変え、撃ち出すタイミングを変えるだろう。


 規格外のはずの威力に技術が伴っておらず、やはり、どこか付け焼き刃のような手段になって脅威が薄れてしまっていた。


「くそっ! ちょこまかと!」


「隙だらけだぞ?」


 ナトスの射た矢は真っ直ぐアルカディアの右太ももを貫いた。


「あああああっ! ぐうううううっ! 弓か! くそがっ! ぎゃんっ!」


「ぐちぐちと喚くほど余裕なんだな。敵は待ってくれないぞ?」


 ナトスの射た矢は真っ直ぐアルカディアの左太ももを貫いた。両の太ももを撃ち抜かれたアルカディアだが、彼は医術の心得もあって、応急処置を施して何とか動けるようにした。


「魔法以上に厄介な弓だ……くそ……くそがっ! カードゥケーウス! 対象、ナトス、弓!」


「持っていた弓が消えた? で、アルカディアが持っていると……そうか。盗みの神でもあったな。カードゥケーウスは一時的に相手の能力や武器を盗む能力なのか」


 ナトスの知りたかったカードゥケーウスの謎は解けた。伝えられてきた話でカードゥケーウスの形が分からなかったのはその時その時で盗んでいたものが異なっていたからだ。これもまた多才の神ヘルメースが盗みも得意としているところから顕現した能力である。


 アルカディアは曖昧な伝承しか残っていない切り札を使ってしまった。それも相手は魔王や四天王どころか勇者ですらないと思っている凡人である。


 彼のプライドがズタズタになったことは言うまでもない。


「くそっ! くそおおおおおっ! 俺が! この俺が! しかも、魔法だけならバレないはずだったのに! だが、しかし、まあ、いい!」


 アルカディアは弓を使ったことがない。しかし、彼の多芸さは弓さえも見様見真似で矢を番えて撃ち出せた。


 ナトスは高速で飛んできた矢を咄嗟に漆黒のマントを翻して弾き、そのまま左手をアルカディアの方へと突き出して口を開く。


「【ファイア】」


「ははっ! この距離で避けられないわけないだろうが! そう何度も当たるかよ! バカがっ!」


 アルカディアは【ファイア】を避けられたことでナトスに勝った気持ちで程度の低い罵倒をするが、ナトスの【ファイア】は攻撃を当てることが本意ではなく冷静に自分の変化を見るためだった。


「なるほど。魔法が使える。つまり、盗めるのは1つのようだな。しかし、魔法は括りが大きすぎる気もするがな」


「ちっ」


 ナトスは舌打ちをしているアルカディアを見る。


 アルカディアはナトスから盗んだ弓を後生大事にしているかのように持ち続けている。


 そのことから、盗んだ武器を隠しておけない、もしくは、ある程度使い続けていないと返さなければいけない、という推測にナトスは至る。そうでなければ、盗んだまま隠して、攻撃禁止の付与と騙せるはずだからだ。


「うだうだ言ってんじゃねえ! てめえの得物でやられちまえ!」


「……ありがとう。ようやくおしまいにできた」


 ナトスは仁王立ちのままゆっくりとお辞儀をした。


「はあ? 余裕ぶりやがって! だったら、そのままくたばりやがれ!」


「じゃあ、俺もお披露目といこうか」


 アルカディアの撃ち出した矢。


 真っ直ぐナトスの心臓へと目掛けて飛んでいたはずの矢は途中で阻まれた。


 即死級の矢を阻んだものは何かの皮でできた壁のごとく大きな盾だった。


 それは、アテーナーの勇者、守護の勇者アテーナイの神器である大盾アイギスだ。


「な、あのバカでかい盾は……アテーナーのア、アイギスだと!? ……はっ……この弓もよく見れば、アポローン? いや、アルテミスか!?」


「勉強家だな。多才と言うだけはある」


 アルカディアの頭がフル回転する。ナトスはキュテラの仲間だ。キュテラの仲間には既にその勇者たちがいるのだろう。


 故に、ナトスが神器の存在を知っていてもおかしくない。


 だが、神器は譲渡できない。仮に譲渡できたところで、凡人に譲渡するわけがない。


「は……ははっ! 騙そうとしているな? どうせレプリカだろう? 質は良いだろうが、俺を騙すことはできないぞ! それにここまで離れた俺にもうお前の魔法は当たらないし、俺はお前の得物で矢を撃ち放題だ! 防戦一方じゃ勝てないだろう?」


 それらから出たアルカディアの結論は、「ナトスの持つ武器や防具がヘーパイストスの勇者の作ったものであるために、神器のレプリカを所有している」というものだった。彼の持つ情報からすればここまでが精一杯であり、推論としてはかなり理にかなっている。


 ただし、情報不足での結論は往々にして間違うものだ。


「焦るなよ、さっきよりもお喋りが多いぞ? でもまあ、防戦じゃたしかに勝てないな。防戦ならな」


 ナトスは出し惜しみをしなかった。


 次に彼が取り出したのは三又の槍だった。黄金に輝く三叉の矛、槍、戟と解釈される有名な神器である。


 ポセイドーンの勇者、破壊の勇者コリントスの神器トライデントだ。


「……三又の槍? まさか、ト……トライデント!? ポセイドーンの!? それもレプリカか!? だが、そんな槍で空にいる俺に」


「レプリカかどうか、当たらないかどうかは投げつけてやるから受けてみればいい」


 ナトスは槍投げの要領で大きく振りかぶった。


 ぞくり。


 アルカディアの背筋に形容することのできない恐怖が這いまわり、彼は弓を手放してケーリュケイオンを構える。


「【ウォール】!」


 アルカディアの唱えた【ウォール】によって、彼の前に分厚い魔法の障壁が生まれる。


 ナトスは意に介した様子もなく、トライデントをアルカディア目掛けて投げつける。


 一閃。


 黄金色をした一筋の光は【ウォール】もアルカディアの左腕もごっそりと掻っ攫って虚空へと消えていく。


 ドパッという音ともにアルカディアの左肩から夥しいほどの血が流れる。置いてけぼりだった痛覚がようやく起き出して、痛みの信号を一気に彼の脳へと大量に送り付けた。彼は目を見開き、顔じゅうからさまざまな体液が止めどなく出始める。


「あがああああああああああああっ! 俺の腕が! 俺の腕があああああっ! マズい! 痛みでバランスが取れない! お、墜ちる! 落ち着け、俺! おあがばああっ!」


 アルカディアは考える。


 勝つ方法。戦う方法。逃げる方法。見逃してもらう方法。


 ……勝つ方法。戦う方法。逃げる方法。見逃してもらう方法。


 …………勝つ方法。戦う方法。逃げる方法。見逃してもらう方法。


 堂々巡りする考え。だが、それらに答えなど出るわけがない。どれにも解はなく、負ける、死ぬの2つの単語が徐々に彼の頭を侵食し、支配していく。


「身体に目掛けたつもりだが、まだ投げるのは苦手だな」


「何がどうなってやがる……たとえ、勇者が蘇るとしてもなあ! こんなことをしてもいいと思っているのか!?」


 淡々とした様子で近付いてくるナトスに、アルカディアは言葉を投げつけながら本能的に後退る。応急処置で流血を止めているが、痛みが引かないために動くたびに苦痛で顔を歪ませていた。


「トラキア……は来ないか……」


「……え? 来ない?」


 聞き覚えのある言葉にアルカディアは反応する。


 アレウスの勇者、力の勇者トラキア。彼は現れない。


「……レームノス、スキタイ、エレウシース、アテーナイ、デルポイ、エペソス、コリントス、キュテラ」


 ナトスの言葉に呼応し、彼の周りに浮かび上がる魔法陣からアンデッドとなった勇者たちが次々と現れる。


 ヘーパイストスの勇者、鍛冶の勇者レームノス。

 ヘスティアーの勇者、聖域の勇者スキタイ。

 デーメーテールの勇者、浄化の勇者エレウシース。

 アテーナーの勇者、守護の勇者アテーナイ。

 アポローンの勇者、遠矢の勇者デルポイ。

 アルテミスの勇者、連射の勇者エペソス。

 ポセイドーンの勇者、破壊の勇者コリントス。


 最後に、まだアンデッドになっていないアプロディタの勇者、美の勇者キュテラが呼ばれたことに嬉しそうな表情をして近寄ってナトスの片腕に抱きつく。


「もう、私を初めに呼んでくださればいいのに」


「まだ俺の配下じゃないだろう? それにトラキアは、やはり最初の配下だからな。今は何故か行方不明だけどな」


 アルカディアは、ナトスとキュテラの会話をそっちのけで、目の前にずらりと並ぶ勇者たちを見る。


「ど、どこから……こんなに勇者たちが……」


「アルカディア……勇者としては9人目の配下であり、仲間だ。おめでとう」


「……ひぃ、ふぅ……あ、また、私を抜かしていますよ!」


 ナトスの言葉にキュテラが頬を膨らませて抗議する。


「だから、まだキュテラさんは」


「もう! この男ももう仲間だと言うなら、私のことをパピアと」


 ナトスの言葉にキュテラが頬を膨らませて口を尖らせて抗議する。


「分かった、分かった。ごめんな、パピア」


「もう! そうやって笑って謝って誤魔化すのは……ズルいですよ……もう!」


 ナトスの言葉にキュテラが頬を膨らませて口を尖らせて顔を俯かせて抗議する。


「お、お前は何なんだ!」


「……正義の勇者、アストレアの勇者ナトス」


「は? アストレア? 正義の女神、処断の女神のか? アストレアにそんな神格なんて」


 ナトスは軽く溜め息を吐いた。


「自分の知っていることだけで俺を格下として慢心した、というか、そもそもどんな状況であろうと慢心したのがお前の敗因だ。まあ、そうじゃなくても、俺には勝たなければいけない理由があるから勝たせてもらう」


「ま、待て。分かった。仲間になる! いや、配下になるから! 金だって、女だって、何だってくれてやる! だから、そのトライデントを下げ……」


 アルカディアはにへらと笑いながら、どこからともなく現れたトライデントを構えるナトスに交渉を始める。ナトスの下ということに若干の抵抗があるものの、彼も勇者だと言うのであれば、そこまでプライドが傷付くこともない。


 さらに、自分より若干格上のポセイドーンの勇者コリントスもナトスの仲間にいるのだから、彼がこの状況下で抵抗するだけ無駄である。


 しかし、彼の放つすべての言葉に何の意味もなかった。むしろ、ナトスを相手に女という言葉を使った時点ですべてが終わる。


「ぎゃあああああああああああああっ!」


「ああ、言い忘れていた。俺は死霊術師なんだ。その配下になるんだから……分かるだろう?」


 振り下ろされたトライデントはアルカディアの心臓を突き、彼を一撃で絶命させた。

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