18. 死霊術師が正義の女神と約束するまで(後編)
ナトスは鮮血のような赤色の瞳でじっとライアを見つめる。
橙色の灯に照らされ、その赤い瞳に映り込む彼女の姿は、ベッドの上で少し広がる金色の髪、透き通るような白い肌、顔半分を覆うほどの目隠し、隠されていないふっくらとした薄桃色の唇、そして、押し倒されてもなお余裕の見える表情だった。
「ん? 約束じゃ不都合か?」
この世界において、約束という言葉は契約よりも段違いに軽い。契約は精神や身体を縛る呪いにもなりうるが、約束にはそのような効力などない。故に、反故にすることなどいとも容易く、約束という言葉を使うのは専ら軽いお願いか子どもかである。
妻子持ちで妻を愛してやまない男に、他の女を抱けという内容を約束で履行させようとすることは反故にしてもいいと言っていることと同義とも取れる。
だからこそ、ナトスはライアが約束という言葉を使ったことに違和感を覚えて、彼女の言葉の裏を読み取ろうとする。
「おいおい、食事に行こうとかの口約束とは重みが違うんだぞ? 内容が内容なんだから、契約のように拘束力がないと、俺が反故にするかもしれないって分かっているだろう?」
「まあ、そうなれば、まあ、仕方ないと諦めるさ。私にとって、お前とキュテラを交わらせることが必須じゃないからな。あくまで推奨するだけさ。それに、私だって、あまり契約、契約と言って、お前を度々縛るのも心苦しいのさ」
ライアは知っている。
意志を強く育てるには、契約で縛り付けるよりも、約束で自らやり遂げると思わせた方がよい。
特にナトスのように根が真面目な人種は、自分の意志で取り付けた約束を反故にしないように動く。反故にするくらいなら、そもそもそのような約束などしないからだ。わざわざ反故にするかもしれないと先に言う時点で、彼の性格と約束後の結末を物語っている。
「何を今さら」
ナトスは小ばかにしたような笑いを浮かべる。
「それで、約束できるか?」
「あぁ、約束しよう」
「ふふっ」
「ははっ」
2人は笑う。まるでお互いに分かっていたかのように間髪入れないやり取りは、まるでリハーサル済みの演劇のように綺麗に流れていく。
やがて、2人の笑いが終わった頃に、ライアは仕切り直しと言わんばかりに一度口を閉じた後、ナトスに再び何かを告げるために口を開く。
「お前のことだから、もう少し悩むかと思ったが、やけに判断が早いな。反故にする気満々か?」
「そんなわけないだろ、まったく。人聞きの悪いことを言っていると、本当に反故にするぞ? 約束しようと思ったのは、前に思ったことを思い出しただけだ」
「前に思ったこと?」
ライアがオウム返しで訊ねると、ナトスは先ほどの笑みを浮かべていた表情から一転して、ひどく醒めた瞳で深い悲しみを湛えている。
「目的を達成するために何でもする、とな」
魔王を倒し、【死者蘇生】の能力を手に入れ、家族を本当の意味で生き返らせる。これが今のナトスにとって、最上級にして最重要な課題であり、これを達成するためならば、彼は自らの命さえも惜しくはない。
貞操を守って達成できるなら彼は喜んで死守するが、貞操を捨てなければ達成できないならば彼は悲しかろうとやり遂げるしかない。
後でどのような誹謗を受けるとしても甘んじて受ける。たとえニレやレトゥムに失望されようと、たとえ2人と袂を分かつことになろうとも、彼は2人を生き返らせると固く決意している。それは彼の贖罪かつ彼の我儘だからだ。
「いい心がけだな」
ライアはこの時点で、ナトスが魔王アモルに勝てる確率はかなり高まったと確信する。勝つための重要な条件は、力だけでなく、全てを投げ打ってでも達成しようとするその意志だ。
魔王アモルもまた十二神への復讐の意志が強い。
「茶化すな。ライア、約束だ。俺はお前の望み通り、パピアを抱く。お前は俺の望みの通り、お前の知っている俺のことすべてを話してくれ」
ナトスは直感的に、自分のことを知ることが魔王を倒すことに繋がると信じていた。
「いいだろう。その前にこの体制をどうにかできるか? お前にドキドキしてしまって話どころではない」
「その軽口が叩けるなら問題なさそうだけどな」
ナトスはライアの言葉に従い、身体を捩って押し倒されたままの彼女の横に座る。
ライアが起き上がって、髪を少し整えてから、彼の手にそっと自分の手を触れさせ、彼の耳元に自身の唇を近づけ、彼女の小さな吐息を彼が十分に聞こえるほどの位置で耳をくすぐるように小さな声で話しかける。
キュテラが聞き耳を立てている可能性もある。もちろん、彼女もバカではない。彼に言われた席を外すという意味を何も聞くなという理解でいるはずだ。彼女が彼に背くことなどほとんどない。
しかし、可能性はゼロにならない限り、対策を立てておく必要がある。
「ナトス、お前はどうやら死の神タナトスの転生体だ」
その言葉を皮切りにライアは、かつて自分とともに来てナトスに死霊術師の職業適性を与えたティケと話した内容、神々の住む世界である神界または天界と呼ばれる場所で独自に調べた内容を話していく。
さらに彼女は、死者たちの国であり、タナトスの住んでいた冥界も調べていた。ただし、そこまで調べてもなお、タナトスが亡くなった理由を彼女は掴めなかった。
故に、タナトスの死にも十二神が関係していると容易に理解できた。
「話してくれてありがとう。まさか……俺がな」
前世や転生という価値観は教会が既に教えていることもあって、ナトスの中にすんなりと入ってきた。
ただし、自身の前世がまさか神格だと思っていなかった。加えて、死の神という恐ろしい存在である。生物として死を忌避してしまう気持ちもあいまって中々受け入れることのできない内容だった。
「……職業適性が死霊術師なのもそういうことか?」
死が生物としての終わりとも魂の浄化になるとも位置付けられている中、死霊術はそれと真逆で死や死体を弄ぶような行為であり、自身が死の神だとすれば、死霊術師など憤怒の対象になりそうなものだ。
「そこは難しい。人間で前例のない職業適性だから、影響があるのは間違いないがな。それでも、分からないことも多い。そもそも、死の神と死霊術師は異なるものだからな」
ナトスは普通に話すも知り得た情報を大きな声で言わない。ライアは小声で囁くように話す。盗み聞きされたとしても理解することは難しくなる。
「……そうか」
「さて、私は知っていることをすべて話した」
ライアはナトスに寄せていた身体を起こす。
「ありがとう。約束は守る。それと、ちょっと相手をしてくれるか?」
ナトスはライアの身体にそっと触れる。彼女に何らかの返事さえもらえれば、押し倒すことも手を引くことも可能なくらいの距離感と雰囲気だ。
「っ……それはかまわないが、ナトスが自分からとは珍しいな」
ライアはぞくりとする。ナトスが何気なく放つ視線に魅了の力を感じた。彼の魅力的な誘いを断れる者などいるだろうか、と彼女は自身の判断を彼の魅了のせいにしたうえで、自分はどちらでも構わないといった対応で彼の様子を窺う。
「アンデッドがカドモス相手に全く歯が立たなかった。戦力を強化したい。俺が強くなれば、アンデッドの底上げにもなる」
ナトスとアンデッドは互恵関係にある。アンデッドが強くなればナトスも強くなり、ナトスが強くなればアンデッドもわずかに強くなる。当然だが、互恵関係による補正値が重ね掛けのようになって影響を与えることなどないため、各々の基礎値が重要になってくる。
「そうか。いよいよ、私までも強くなるための道具として使えるようになったか」
ナトスの心境の変化にイタズラっぽい微笑みを浮かべながら、ライアは自らベッドに寝そべるように横たわる。彼女が横たわる際に彼の手を引いたために、彼は自分の意図と別に押し倒すような姿勢を取らざるを得なかった。
ナトスはライアを見つめる。
「何とでも言ってくれ。俺は家族を生き返らせるために魔王を倒さなきゃいけないんだ」
ライアはナトスの首に自分の手を巻き付けて嬉しそうに微笑む。思いのほか彼女の考える流れに沿って動くので、自身が正義の女神ではなく、運命の女神なのではないかと錯覚するほどだった。
「その通りだ。だから、そう、むしろ、私を道具のように使ってくれ。必ず目的を達成してくれ」
「もちろんだ。パピアを待たせているからな。手短にするぞ。その後に約束も果たすさ」
「お盛んなことだ」
「パピアへの埋め合わせにもちょうどいいからな」
「たしかにな」
会話が終わり、ナトスはライアを優しく愛撫しながら、徐々に肌を重ねていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます