17. 力の勇者 さらに堕ちる(後編)

 ティモルはトラキアを殴った時の魔力の質に違和感を覚えた。正確には、魔力とともに感じるはずの生命力のようなものを感じられなかったことに疑問を抱いた。


 生命力を感じさせず、しかしながら、生きているかのように動き回るアンデッド、リビングデッドと呼ばれる者たち、それらは立派なモンスターの一種でもある。


 だが、目の前の男は勇者である。本当に、生き返るはずの勇者が死んだままで、さらにはアンデッドという存在に身を落としているのだろうかという疑念が残っている。


「ちっ! そうだよ! 俺は今、アンデッドだ!」


「そんな……まさか……トラキア様がアンデッド……?」


 プリスがトラキアの言葉に戸惑いを覚え、狼狽え、絶望する。かつて人であったにも関わらず、人に牙をむくアンデッドの類は、最も忌むべき存在であるとされていた。


 一方のティモルは自身が抱いていた疑惑を本人が証言をしたことによって確信に変わった。それはそのままトラキアへの興味や関心へとすり替わっていく。


「ほう。事情をお聞かせください」


「ははっ! それは俺を倒してか、らっ! あがっ!」


 トラキアが言い終わらないうちに、ティモルはあっという間に彼に足払いをしてから、彼の背を踏みつけてうつ伏せ気味に地べたへと這わせた。


 トラキアがティモルの方を向こうとしたとき、ティモルは彼の背を踏んでいた足を動かして彼の頭を地面に押さえつける。


「ぐっ……」


 ティモルの冷めた瞳がトラキアを見た。


「あなたが強くなったとは言いましたが、私に勝てるとは一言も言っていませんよ。私に勝つにはまだまだ足りません。それよりも時間が惜しい。早く話してくださいな」


「くそがっ……」


 トラキアは観念して自分の知っていることを洗いざらい話した。


 ナトスにアンデッドにされたこと、ナトスが死霊術師であること、アストレアがナトスに関与していたこと、アストレアがナトスを正義の勇者としたこと。


 ナトスにとって不幸中の幸いは、トラキアにあまり多くを語らなかったこととトラキアがナトスの下を離れて単独行動していたことだ。故に、トラキアは必要最低限の情報しか持っておらず、また、アプロディタの勇者キュテラとともにいるといったような新しい情報も持ち得なかった。


「なるほど。アストレアの勇者、正義の勇者、死霊術師の……ナトス……まさかな……」


 ティモルはなるほどと言いつつも理解しがたい様子だった。13人目の勇者など聞いたこともなく、人間が死霊術師の適性を持つことも聞いたことがなかった。


 ティモルの興味はトラキアからナトスへと移る。ナトスがタナトスに関連するのか、もっと言えば、タナトス本人であるかどうかは会えば分かる。タナトスの持つ独特の魔力と雰囲気を少しでも嗅ぎ取れればいい。


 しかし、ティモルにとって最大の問題は、相手がタナトスの場合に勝てるのか、という点である。恐怖の概念を神格化した彼が、死の概念を神格化したタナトスと渡り合えるか。


「俺はお前を倒し、ナトスも倒す!」


 ティモルは自分の足元でギャアギャアと騒ぎ立てるトラキアに辟易しつつも、ふと何かを思いついたようで一計を案じることにした。


「……まあ、私を倒せるかどうかは鍛錬次第ですが、ナトスとやらを倒すことはあなたがアンデッドである限り無理ですね」


「なんだとっ!?」


「なんだとではありません。死霊術師がリッチなどの使役者を意味するなら、あなたはアンデッドである限り、生涯、そのナトスの下僕ですよ」


「そんなこと分からないだろうが! 俺は力の勇者だぞ!」


「たとえ勇者であろうと、できることとできないことがありますよ? それよりも確実に復讐できる方法がありますよ。トラキア、取引しませんか?」


「取引?」


「そう、取引です。魔王アモル様の配下になるのです。魔王様の力なら、あなたをアンデッドから、つまり、死霊術師から解放してくれるでしょう」


 ティモルが取引を持ち掛ける。魔王アモルの【死者蘇生】によってトラキアを復活させる代わりに、トラキアに魔王アモル側へつくことを提案した。


 タナトスが相手であれば、少しでも戦力は多い方がよい。頼りない部分も大いにあるが、トラキアの力の勇者としての能力とナトスへの復讐心がいずれのその部分を補うだろうと考えている。


「……代償はなんだ?」


 ティモルは肩透かしを食らったような表情を隠せなかった。彼はトラキアが有無も言わさずに頑なに拒むことを前提に話の流れを構築していたが、条件次第で取引に応じると言っている。


「言葉で言うなら簡単なことです。人間……というよりもアンデッドでしょうかね。アンデッドをやめて、身体を再構築し、魔人になるのです。勇者の力を持つモンスターとしてこの世界を制圧する一助になる。そう、その力を魔王様のために振るうのです」


 絶望で呆け気味だったプリスが、急に目覚めたかのようにトラキアを見つめ、彼に向かって荒げた声で言い放つ。


「トラキア様……それだけはいけません! 人間の敵になるなど!」


「あなたは黙っていなさい」


「……いやあああああっ! トラキア様あああああっ! いやっ……むごっ……むーっ! む、むーっ!」


 ティモルは触手を呼び出し、プリスに纏わりつかせる。彼女はこれまでの悲惨な仕打ちを思い出し、久々に泣き叫ぶような声を張り上げていたが、触手に口を塞がれて出せなくなってしまう。


「やめろ! そうだ、プリスやリアはどうなる?」


「まあ、こちら側になると言うなら、同じようにモンスターにしてあげてもいいでしょう。身体は耐えられるだけの力はありそうですし。自我は分かりませんけど」


 ティモルは下卑た笑みを浮かべる。


「それと、これは魔王様との交渉次第ですが」


「なんだ?」


「おそらく、魔王様はこの世界を征服した後は興味がないでしょう。私もほかの四天王も興味がありません」


「つまり? 何が言いたい?」


「つまり、あなたが最後まで残っているなら、魔王様がこの世界を譲る可能性がありますよ。すべてを手に入れることも可能でしょう。この世の全てがあなたのものってことです」


 ティモルの言葉に嘘偽りはなかった。彼らの目的はこの世界の支配を足掛かりとした十二神への復讐にあって、極端な話をすれば、彼らはこの人間が住む世界がどうなろうと知ったことではない。


 トラキアは驚き、疑いの目を向ける。


「さすがに話が旨すぎる」


「旨すぎるって……もちろん、こちらとしても破格の条件だとは思っていますが、自らの意志で人間を辞めて、モンスターになって、人間の敵になるということを忘れていませんか?」


 今度はトラキアの言葉にティモルが驚いた。


「俺はもうアンデッドなんだよ」


「いや、あなた、そりゃ、今はアンデッドですけど、人であったことやかつての仲間だとか家族とかそういったものに未練はもうないのですか?」


「ないな」


 トラキアの即答にティモルが溜め息を吐く。目の前にいる勇者のはずの男は頭が既におかしくなっているのだと理解した。敵ながら嘆かわしいとさえ感じる。


「……そこまで薄情者なら話が旨く聞こえるのも無理はない。だから、今こうなっているのではないですか?」


「うるさい! 俺を魔人にする気があるのかないのかどっちだ!」


「私が聞いていたはずなんですがね……前からそうですが、なんだか話していると調子が狂う……さすがはアレウスの見込んだ男ですね」


 ティモルはせいいっぱいの皮肉を込めてそう呟く。単純明快だからこそ、敵としてなら御しやすいが、味方にしようとした途端に不安を覚えてしまった。


「おい、魔人になる前にプリスと話をさせろ」


「あー、はいはい。拘束はさせてもらいますよ」


 トラキアは後ろ手に縛られ、足も縛られた状態で芋虫のように這ってプリスの方へと近付く。途中、彼はリアを横目に見るが、まだ意識がはっきりしている様子もなく、まるで糸の切れた操り人形のように手足を放り出してうな垂れていた。


「プリス」


「むぐっ……ぱはっ……トラキア様……どうして……あなたは力の勇者……アレウスの勇者ですよ? 人の敵になるなんて……」


 さすがのプリスもトラキアに非難の目を向けざるを得なかった。


 プリスには夢がある。


 かつて、勇者と共に魔王を倒した僧侶の女性がいた。人々は彼女を聖女と呼んだ。今でも聖女の名前は教会に刻まれ、教本に書かれ、吟遊詩人に謳われ、誰もが知っている。


 さらに、聖女は勇者と愛の契りを交わしていた。これがプリスにとって最も重要な話である。


「そう言ってくれるな。俺はアンデッド……あいつの言う通り、こうなった原因のナトスに復讐するにはそうするしかない。それに俺にはもう……人間のいるところに居場所がないんだ。ナトスに嵌められてしまったからな」


「トラキア様……私の知らない間になんて大変な目に……」


 因果応報という言葉は2人の頭の片隅にさえなかった。プリスの方が悲惨だと思うのは、ここにはティモルしかいない。


「プリス……一緒に来てくれないか? 俺はお前がいれば……」


「えっ!」


 プリスはトラキアを愛しており、彼が運命の人だと信じ込んでいた。その彼が自分を必要としている。その事実だけで彼女は舞い上がる。さらに、彼が魔人になり自分がついていくことになれば、ほかの女性に彼を取られることもないと考え始めていた。


「……トラキア様……分かりました。伴に生きましょう」


 歪んだ愛は歪んだ行動を生み、やがて、プリスの全てを歪ませていく。たとえ破滅の道を辿ることになろうとも彼女は既に後悔することなく、彼とともに最期のそのときまで添い遂げると決心した。


「そうか! おい、ティモル! 取引成立だ。俺は魔王の下につく! 早くしろ!」


「まったく……私はあなたの下ではありませんよ? 良くて同等、普通なら四天王の下ですよ。もう少し言葉遣いは改めた方がいいでしょう。ですが、仲間には寛大な私ですから、それくらいの注意で許してあげますよ」


「それは俺が決めることだ。早くしろ」


「……上辺さえも取り繕おうともしないとは……本当に調子が狂う。せめて、魔王様が決めると言いなさい」


 ティモルは失敗したかもしれないと深い溜め息を吐いた。

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