17. 力の勇者 さらに堕ちる(中編)

 トラキアは目の前のモンスターを見て、明らかにデミギガスではない大きさに戸惑い、そのモンスターが四天王ティモルであることに気付いて戸惑いが驚きに変わる。


「デミギガス……じゃない……? お前は……ティモル! なぜこんな中層に!?」


 四天王ティモルは薄ら笑みを浮かべたままに恭しくお辞儀をする。慇懃無礼という言葉がピタリと当てはまるティモルの態度に、トラキアは苦々しい表情を隠せず露わにした。


「ちっ……」


 トラキアは以前の反省も踏まえて、感情に任せて迂闊に攻撃を仕掛けようとはしない。たとえ彼が神器を持ったとしても、底がまだ見えていない敵に対して動かないと決めたことは賢明だった。


 ティモルの笑みはその彼の様子によって少しだけ変わり、興味を持った表情も浮かべる。


「ほう……ごきげんよう、仲間を見捨てた腰抜け雑魚勇者。いや、訂正しましょう。ありもしない伝説の武器という妄想から脱し、自らの鍛練によって神器も出せるようになった。そして、感情に身を任せることも少なくなったようだ。そう、あなたは強くなった。神器を使いこなせるほどに、失った仲間を取り戻そうとするくらいに」


 ティモルの笑顔がさらに無表情へと少しだけ近付いた。まだ見下すような態度が見られつつもティモルなりに評価し直して称賛も送る。


 その突然の褒め言葉にトラキアは訝し気な顔をしたまま、構えを解かずに口を大きく開いた。


「おい、リアとプリスはどこだ?」


 そのトラキアの言葉を待っていたかのようにティモルが右手で自身の斜め後ろを示すと、そこにいたのは人を飲み込めるほどの穴を先端に持った大きな触手だった。触手は大蛇のようにうねり、ティモルとトラキアの間にまで触手の先を伸ばす。


 トラキアは触手の攻撃を警戒して盾を構えていたが、触手がピタリと移動を止めて全身で波を打つように蠕動運動を始めたために、動くか動かないかを考えあぐねていた。


 彼がそうこうしているうちに、触手の奥から先端の方へと何かが蠢いているように波打ちが激しくなる。


「ここに」


 触手の中を蠢いているように動いていたのはリアとプリスであり、彼女たちは触手が吐き出した後に粘液まみれで目が虚ろな状態で一糸纏わぬ裸のまま地面に転がっていた。


 トラキアは目を見開いて彼女たちを見る。


 彼女たちの身体は五体満足であったが、その身体には無数の傷や痣に加えて腹部に肉割れ線がいくつも付いており、これまでの仕打ちが如何に凄惨であったかを如実に物語っていた。


 その後、彼女たちはしばらく動かなかったが、やがて、息を吹き返したかのように呼吸と呼吸による胸の上下の動きを始め、次第に声にならない声で呻き始めた。


「げばっ……はぁ……はぁ……あ……あぁ……ああ……あは……は……はは……あ」

「げほっ……あー……あはは……あは……ごほっ……げぼっ……あ……あ……あ……」


 リアとプリスはまるで自分が生きていたことを今ここで思い出したかのようだった。


 むせ返ってしまう触手の粘液の臭い、薄暗いながらも光のある周り、触手の中と異なるひんやりとした固い地面の感触、ぼやけた視界の中で見える人の姿。


 だが、まだ彼女たちの意識は覚醒を拒むかのようにはっきりとせず、まるで朝のまどろみのようなボーっとした時間がただただ過ぎていく。


「リア……プリス……」


 触手がリアとプリスを吐き出した後に姿を消したため、トラキアは警戒を解かないものの彼女たちの方へと近付いていこうとする。


 その行動に合わせて、ティモルもまた彼女たちに近付いていったので、トラキアは止まらざるを得なかった。


「しばらくは2人とも良い悲鳴を上げていましたが、どうやら精神が壊れてしまいましてね。今じゃ反応しているのか反応しているのかさえよく分かりません。まあ、別に知能の低いモンスターにはそんなこと関係ないようですから使われ続けていますね」


 ティモルは残念そうな表情と声色でそのようにトラキアに告げた後、一転してどうでもいいような言い方で言葉を吐きだしていた。


「ああ……あー……」

「あ……ははっ……あー」


「まあ、まだこの程度の弱り方なので強烈な痛みを与えれば起きますが、なにぶん、死なれては困るから加減が難しくてねっ!」


 ティモルがプリスの身体をせいいっぱいの手加減をして蹴り飛ばす。


 彼女は痛みで急に覚醒し、苦痛で表情を歪めつつ、蹴られた場所を抱え込むようにしてうずくまった。


「あがっ……痛い……痛いよお……もう、痛いこと……もう、助けて……もう嫌……えっ……トラキアさ、ま……?」


 プリスは痛みではっきりとした視界の中にトラキアの姿を捉えた。全身を黄金の鎧で覆い、黄金の槍と盾を手に持っている彼の姿はまさしく勇者然としている。


 ティモルが嬉しそうな笑みを貼り付けたままに元の位置へと戻ったので、トラキアは警戒しながらも彼女の下へと駆け寄っていく。


 久方ぶりの再会。2人の目がお互いを見る。


「プリス」


「そのお姿は! 助けに来てくださったのですね!」


 プリスは嬉しさと安堵のあまりに涙をこぼし始める。ボロボロと落ちていく涙を彼女には自分で止めることができなかった。


 トラキアはその彼女の姿に感じるところがあったのか、力強く肯いて応える。


「そうだ。ティモルを倒して、お前らを取り戻す!」


 トラキアは立ち上がる。彼は黄金の槍をティモルの方へ向けて、神経を研ぎ澄ます。


 ティモルは笑う。彼は神器を前にしても、装備を変えることもなく、徒手空拳で応じるつもりで簡単な構えを始める。


「ははっ……受けて立ちましょう」


 トラキアは駆ける。相手は完全に丸腰とはいえ、四天王ティモルであるために持てる力を出し尽くすつもりである。


 トラキアの全身から金属の重なりぶつかる音が響く。


 彼が自身の間合いにティモルを入れた瞬間に黄金の槍を突き出すと、ティモルは黄金の槍を難なくさらりと躱す。その後も高速の乱れ突きを繰り出すが、当たるどころか掠ることもなかった。


 力量は未だ歴然としていた。


 ティモルが動く。次の瞬間にはトラキアの腹部を完全に捉え、蹴りを一撃入れた。さすがに神器を破壊するほどの威力ではないためにトラキアが後退る程度で済む。


 攻撃後の隙を狙い、トラキアの槍の先がティモルを一瞬捉える。しかし、その捕捉は一瞬で終わって繰り出したはずの攻撃を避けられ、トラキアの目にはティモルが映ってすらいなかった。


「くそっ!」


「大振りですね。隙はだいぶ減ったようですが、0ではない」


 ティモルは言葉が終わると同時に動いて拳を突き出すと、その拳が間違いなくトラキアの左頬を完全に殴り終えていた。


「ががっ……」

「トラキア様!」


 トラキアが数m飛び、その場を転げまわる。プリスが心配のあまりに以前のような大きな声が出るようになった。


 一方のティモルは先ほどまでの下卑た笑みや薄ら笑みが消え、自身の拳に残っている感触を確かめるようにじっと見つめている。


 やがて、ティモルが口を開く。


「……? なんです、これ?」


「あ?」


「あなた……おかしくありませんか? まさかアンデッドにでもなったんですか?」


 ティモルはあり得ないといった表情でトラキアを見つめた。

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