16. 死霊術師が四天王ハルモニアを討つまで(後編)

 ダンジョン内での寝泊まりも含めて3日目に差し掛かる。


 しかし、ナトスたちの顔にそれほど疲労の様子は見られなかった。その最たる理由はヘスティアーの聖域により、魔物に襲われることがないことに尽きる。聖域による安心感だけでダンジョンにおける疲労度は大幅に軽減される。


 ナトスもキュテラも最初に仲間にすべき勇者はヘスティアーの勇者だと確信するほどである。


「ここか」


 薄暗い洞窟、そのようなダンジョンの中で最下層と思われる場所にナトスたちは辿り着き、彼は誰に言うでもなくそう呟いた。


 彼の視線の先には物々しい扉がその存在感を発揮し、さらに奥に必ず何かがいるだろうという予感を全員の頭に植え付けている。


「ハルモニア。調和の神と同じ名前ですね」


「調和を取ろうとする優しさがあることを願うよ」


 扉の左右にパーティーを分け、互いにアイコンタクトを取りつつ、左右同時に扉を開ける。


 扉の先は全員が目を疑う光景だった。


 今までの一本道のゴツゴツした岩肌の洞窟とは雰囲気が全く違い、洞窟の中にも関わらず、まるで太陽の光がここに差し込んでいるかのように明るく、草木は生え、静かな水が絶え間なく流れ続けている音もしている。


 一同が扉の外からその光景を眺めていたが、一向に何か変わる気配がない。我慢比べならば待つことも手の一つだが、入らなければ出現しようとしない手合いの場合、長丁場だと食料が尽きる勇者側の方が圧倒的に不利に陥りやすい。


「アンデッドたちを囮にしましょう」


「……みんな、できるか?」


「仰せのままに」


 キュテラの案にナトスが乗り、彼はアンデッドたちに訊ねた。


 アンデッドの1人が答え、それに合わせて意思を持つアンデッドたちは当然、首を縦に振る。そもそも彼らアンデッドに死霊術師の命令に背くことなどできるわけがない。それを知る者からすれば、とんだ茶番と揶揄するだろう。


 しかし、ナトスは聞かずにいられず、アンデッドたちもそれが分かっている。だからこそ、彼らは自らの意志で主の命令を受け取ったように見せて安心させたかったのだ。


 アンデッドにも慮る気持ちはある。


「では、行ってくれ」


 ナトスの言葉に頷き、アンデッドの魔物が走り出すのを皮切りにして、前衛、中衛、次いで後衛と、アンデッドたち全員が扉の先へと向かっていく。


 ガチャガチャと鎧や武器のぶつかり合う音が幾重にも連なり、やがて遠ざかっていき、突然、その音が消えた。一瞬にして、あの金属音たちが1つもなくなったことに、キュテラとナトスは顔を見合わせ、お互いに驚きを隠せない。


「戻れ」


 ナトスが所定の動作とともに戻れと命じる。この命令は彼の頭に浮かんでいる任意のアンデッドを呼び戻すものである。仮に部屋の中へと入っていったアンデッドがこの命令を聞くと走って戻って来る。


 しかし、ナトスの前に魔法陣が浮かび上がって、呼んだはずのアンデッドが全員現れる。つまり、全員が部屋の中で戦闘不能になったことを意味していた。


「余剰の全員を出しますか?」


「いや、精鋭たちでこれだ。勇者クラスが出るしかない」


「では、行きましょう」


 キュテラの言葉を合図に、先ほど復活したアンデッド全員とキュテラ、ナトスが部屋の中に入る。


 彼が周りを見渡すが何かがある気配もない。


 だが、一瞬にして、アンデッドたちが全滅する何かがある、もしくは、何かがいる。そう警戒して、しばらく歩いていると、彼にアンデッドたちが目線で自分たちはここで倒されたと訴えかけてきた。


「ぐっ!」


 突如、大きな何かが高速で周りを囲み始める。その大きな何かは茶色く、高さが人の身長よりも高く、形状が丸太のように円柱型で長かった。


 全滅を避けるためにナトスとキュテラが一定の距離を離れていたことが仇になり、その間を大きな何かが壁のように阻む。


 彼がよく見ると、それは鱗を持っており、大きな蛇であることが分かった。


「これは……蛇! 大きいぞ! パピア! みんな!」


「兄さま! 私は大丈夫ですが、アンデッドが全滅しました!」


 ナトスはアレウスの神器である金の槍を取り出し、攻撃を試みようとすると女性の声が聞こえてきた。


「お話をしませんか?」


 その言葉にナトスの持つ槍はピタリと止まった。すぐさま彼は身体を反転し、目の前に焦点を合わせる。


 声の主は女性の姿で気品のある白い衣服を身に纏い、その白い衣服に負けずとも劣らない肌の色をして、赤みがかった金色の髪を肩まで伸ばして垂らしていた。


「……ハルモニアか?」


 女性は両手を胸の辺りに添えて目を閉じたまま、ナトスの言葉に小さくゆっくりと頷いていた。


 調和の女神ハルモニア。


 司っている調和という言葉とは裏腹に、彼女にまつわる神話は憎しみから受けた呪いと、その影響による彼女の子孫の悲惨な結末しか語られていない。


「はい。もし戦うのであれば、私はあなたと、この大蛇カドモスはアプロディタの勇者と戦います。おそらく、私たちが負けるでしょう。ですが、あなたたちもただでは済みませんよ?」


 その言葉や話しぶりには、最後まで戦わない選択肢が残されているように聞こえ、ナトスは槍を収める。大蛇カドモスからはともかくとして、目の前のハルモニアからは殺意や敵意を彼が感じられなかったからだ。


「……話を聞こう。パピア! 聞こえるか? 今は戦うな。ハルモニアと話がしたい!」


「……分かりました」


「よかった。カドモス、いいですね?」


「分かっている。頼んだぞ」


 キュテラはナトスに、カドモスはハルモニアに止められてしまい、ピタリと動きを止める。キュテラが周りを見渡して、太い丸太のような先を目で辿り、やがてその先に沿って空を見上げるようにするとようやく蛇の顔が見えてきた。


 もしかすると小さな村の外周よりも長い大蛇なのかと彼女は思うに至る。


「タナトス様、ありがとうございます」


「……タナトス?」


 ハルモニアは恭しくお辞儀をする。彼女はナトスが死の神タナトスの生まれ変わった存在であると気付いていた。さらには、正義の女神アストレアの力も感じ取っている。


 それが可能だった理由は、彼女が調和を司っており、調和のために他者を本人以上に理解する力を有していたからである。


「私はタナトス様に……感謝してもしきれないほどの恩を感じております……我が子たち……いえ……我が子孫たちが悲惨な死を迎えた時……いつもあなたが……厳格ながらも優しく冥府へと……誘ってくれました」


 ハルモニアは当時のことを思い出したのだろう。涙を流さずにはおられず、声も涙ぐんでおり、言葉も訥々とした様子で出てくる。


 これにはナトスも慌て始める。身に覚えのないことで感謝され、涙まで流されてしまったのだから無理もない。第一、彼はまだ自身をタナトスだと聞かされていない。


「ま、待ってくれ。俺はナトスだ。たしかに、名前が似ていると言われて子どもの時は死神と言われたこともあるけど」


 ハルモニアがナトスの言葉を聞いて訝し気な表情をする。


 アストレアが伝えていない。


 ハルモニアはアストレアの考えが分かっていないが、無理にかき乱す必要もないと悟り、話を変えることにした。


「そうでしたか。失礼いたしました。ちなみに、私たち四天王と魔王アモルが元々神であることはご存知ですか」


「いや……ただ、ハルモニアの名前からして、何か神に因縁があるのだと思った。けど、神そのものだとは思わなかった」


「そうですか」


 ハルモニアはアストレアが少なくともまだナトスに何も伝えていないという事実を知る。


 彼女はアストレアの思惑に思いを巡らせ、目の前にいるナトスの現況を照らし合わせると、彼女が進むべき道は1つに絞られた。


「どうして神が魔物になってまで人に敵対するんだ」


「難しい話ですね。まず訂正をさせてもらえるなら、私たちは魔物になりたかったわけでもないですし、人に敵対する理由は本来ありません。ただし、冷たい事実として敵対はしています。しかし、それは決して目的ではありません。あくまで手段です」


 ナトスの問いにハルモニアは正直に答えた。その嘘偽りのない言葉、表情、仕草によって、彼は困惑しつつも、少なくとも、今の魔王であるアモルが人間のことを歯牙にもかけていないのだと理解する。


「人に敵対することは目的のための足掛かりにしか過ぎない?」


「はい。私たちは12神を恨んでおり、討ち果たすことを考えております。そして、タナトス様、あなたはいずれ私たちの宿願を果たしてくれるでしょう」


「俺が……神を……12神を討つ……と?」


 ナトスはまったく話が読めなくなっていた。12の勇者を倒し、その上で魔王を倒して終わる、そのはずの話がいつの間にか、12の神を討つ話まで飛躍している。それは彼が想像できないほどの壮大な話でしかない。


「そう遠くない未来にそうなっているのではないかと思っています」


 ハルモニアはナトスの未来を見据える。12神の力を得た死の神タナトスの転生体。この大きすぎる力の振り先が決して魔王アモル程度で留まることはないだろうと考えた。


「信じがたい話だ。俺は家族で手いっぱいだ」


「私も家族で手いっぱいでした。それが一番楽しかったと理解するのは……それがなくなってからです」


 ハルモニアの家族を失って寂しそうにしている顔が、ナトスには自分と同じだと彼女に親近感が湧く。


「たしかにな。心にその言葉を刻んでおくよ」


「ありがとうございます。さて、私はカドモスとともに、あなたの軍門に下りましょう。もはや戦うことに意味はありません。目的はいずれ同じになる同志ですから」


 ハルモニアの提案、それは魔王アモルを裏切り、アンデッドとなってナトスの配下になることだった。


「そう易々と倒されてくれるのか?」


 ナトスからすれば破格の提案である。自身もキュテラも大きな傷を負うこともなく、ハルモニアの力をも得ることができるのだ。


「タナトス様ならいずれ全てを作り変えてくれるでしょう。冥界も天界もすべて。魔王アモルにはそれができませんが、あなたなら必ずできます」


「そんな重荷を載せないでく……っ!」


 ナトスがそのような言葉を言い終わるか言い終わらないかのタイミングに、ハルモニアは隠し持っていた刃を自身に突き立てた。しばらく彼女は硬直したかのように立ち尽くしていたが、やがて、倒れて、そのままアンデッドと化した。さらに時間が経てば、動き出してナトスに再び恭しくお辞儀をするだろう。


 そのハルモニアの自害を見て、カドモスと呼ばれていた大蛇の頭がナトスの前に静かに現れる。


「タナトス様。私、カドモスもハルモニアと共にいたく。どうかお願いいたします」


「カドモス……か。本当にそれでいいのか?」


 ナトスの確認は彼自分もよく分からなかった。それを聞いてどうなるわけでもなく、むしろ、思い直されてしまえば誰かがケガを負う可能性も高くなる。


 さらに言えば、魔王アモルの下へと戻れば、【死者蘇生】でハルモニアをアンデッドから復活させることもできる。ただし、死霊術師のアンデッドが復活した場合にどうなるのかは誰にも分からない。


 カドモスはナトスの言葉に首を縦にゆっくりと振った。


「タナトス様。ハルモニアも申していたと思います。私たちは子どもたちの死に際して、タナトス様の優しさに救われた、と。それは私にしても同じ意見でございます」


「……ハルモニアからは聞いた。だが、お前たちの目的まで俺が付き合えるかは分からない。俺の目的は魔王を倒すことだからな」


 そのナトスの言葉にもカドモスは首を縦に振る。


「委細承知でございます。それでも私たちはあなた様が来たらそうすると互いに誓いました。その誓いは決して破ることのない固い誓いにございます」


 破ることのない誓い。その言葉にナトスはちくりと胸が痛む。


「そうか。誓いか」


 こうして、ナトスの四天王との初戦は自身の手を煩わせることもほぼなく、ハルモニアおよびカドモスのアンデッド化によって終わった。それと同時に、彼は四天王を配下に加え、彼自身もハルモニアの強大な力を手に入れた。


 その後、彼はハルモニアとの会話の中での違和感について、ライアと話をする必要があると思うに至った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る