15. 死霊術師が湯治に至るまで(後編)
小さな城の中は何から何まで豪奢だった。
ナトスが豪奢で思い出すのはトラキアの泊まっていた部屋だが、その部屋でさえ比べ物にならないほどの華美な装飾に驚きを隠せない。彼はそれと同時にここまでの華美な装飾にどれほどの意味があるのか分かりかねていた。
キュテラ一行が泊まると聞いて、通常の維持管理する管理人のほか、急遽世話係になる執事や家政婦、侍女、料理人などの使用人たちがずらりと並ぶ。さらには、レトゥムがいるということで子守専門のナースメイドまで揃えられていた。
もはや、ナトスには、誰が何で、何が誰で、という認識ができなくなっていた。もちろん、キュテラは知っている使用人でなければ、そんなことを考えたこともない。
「パ……っと、失礼しました、勇者キュテラ様。ようこそ、おいでくださいました」
執事は思わずキュテラの本名であるパフォスと言いそうになり、少し澱んでから、キュテラ様と言い直した。
「ありがとうございます。すみません、無理を申し上げて」
キュテラは旧知の執事に対して、一勇者として恭しくお辞儀をする。今の彼女はキュテラで基本的に通しているため、ナトスやライア、レトゥムがいる前で王女であることを隠している体裁にすることにしたのだ。
特にレトゥムはキュテラが王女であることを本当に知らない。彼女が知ったことを思わず吹聴しないとも限らないため、ナトスも教えずに伏せているのだ。
「とんでもないです。勇者様には最高級のもてなしが必要でしょう。パフォス殿下もそう仰るに違いありません」
「ふふふ。勇者にもいろいろとおりましてよ」
「あ、はい。もちろん、キュテラ様のような方だからこそです」
キュテラはナトスのこともありトラキアをひどく嫌っている。彼女からすれば、勇者と一括りにされることは決して気分の良いものではなかった。それを思い出した執事は慌てて訂正する。
「パパ、キュテラお姉ちゃんってすごいんだね。王女様と知り合いなの?」
レトゥムが不思議そうにナトスに訊ねるので、彼はうんうんと肯きながら答える。
「そうみたいだね。パフォス殿下と知り合いのようだ。まあ、美の勇者だからね」
「びのゆうしゃ?」
「美しい勇者ってこと」
「……パパ、減点」
「え、なんで」
突然のレトゥムからの減点発言に、ナトスは目を開いて驚く。一方の彼女は軽く腕組をして、パパは分かってないな、という少し困ったような表情で彼を見つめる。
「ママ以外を綺麗とか美しいとか言うの減点」
「そ、そんな……キュテラさんの説明をしただけだよ?」
「ダメ、減点」
「そんな……厳しい……」
実に可愛らしいやり取りに周りからは小さな笑い声が聞こえる。ナトスが見回すと誰もが微笑ましいといった様子の笑顔で彼とレトゥムを見ていた。
「ふふっ……ナトスさんはレトゥムちゃんに敵わないようですね。すみません。ナトスさん、ニレさん、レトゥムちゃんのご家族が同じ部屋、私とライアさんが同じ部屋、彼らが同じ部屋の3部屋を使わせてもらえますか。なるべくそれぞれが近くの部屋で温泉にも近いと助かります。あと、防音もあって、夜には部屋の周りの人払いもお願いしたいです」
キュテラは執事にお願いし、3部屋を割り当ててもらうようにする。防音と人払いと聞いて、執事は極秘の作戦会議を開くのかと思う。まさか、夜の営みで聞こえないようにするためとは夢にも思っていなかった。
「そちらについては私めが承知いたしました。……それでは、ナトス様、ニレ様、レトゥム様はこちらの者が、キュテラ様とライア様はこちらの者が、ほかの皆様はこちらの者がご案内いたします」
執事の代わりに家政婦が答える。彼女は恭しく礼をしてから、侍女やメイドなどをそれぞれにあてがう。それを見た後、執事がそれぞれの荷物を運ぶように、男の使用人たちへと指示をする。
キュテラは肯いてからナトスの方を見る。
「ナトスさん、先に行っていてください」
「分かりました。ではお言葉に甘えて。行こう、ニレ、レトゥム」
ナトス、ニレ、レトゥムは全員に軽く会釈をしながら、案内人についていった。やがて、3人の姿が見えなくなると、キュテラが少し険しい表情で3人のほど目の前のメイドたちを見る。
「ところで……そこの3人」
「はい」
「はい」
「はい」
全員が何事かと緊張し始める。
「先ほどナトスさんをそれぞれおおよそですが、30秒、24秒、42秒もずっとポーっとした表情で見つめていましたね?」
キュテラのまさかの発言に、誰もが返す言葉を持たなかった。何となく気付いていたライアでさえも時間まで言い始める状況に耳を疑った。
「え、いえ」
「え、いえ」
「え、いえ」
「……次、ナトスさんを見つめて、あまつさえ、色目を使うようであれば……」
キュテラの威圧が高まる。勇者、王女、その両方の持ち合わせる威圧がライア以外の全員を、心の壊れているはずのアンデッド冒険者さえも圧倒した。指摘された3人は恐ろしさのあまりぶるぶると震えながら恭しく礼をして答える。
「いえ、そんなことはいたしません!」
「いえ、そんなことはいたしません!」
「いえ、そんなことはいたしません!」
「……よろしい」
キュテラの威圧が収まる。執事はキュテラと旧知の仲であり、ナトスがキュテラの横恋慕している男なのだと認識した。この状況を目の当たりにして、執事は彼に絶対に関わりたくないと心の底から思う。
もし彼相手に粗相などしたら、物理的に首が飛びそうである。普段は気高く優しいキュテラことパフォス王女が、彼のことになると豹変することは周知の事実だった。
「キュテラの方がレトゥムちゃん以上に厳しすぎる……」
ライアはボソッとその言葉を口にした。
一方で部屋に着いたナトスたちは少しくつろいでいた。今まで触ったこともないふかふかのベッドにレトゥムがはしゃぎ、その姿に嬉しくなって一緒に彼もはしゃいでいた。ニレだけは大人しくベッドの中に身体を半分潜り込ませつつ上半身を起こして、いつもの体勢になった。
やがて、はしゃぎ終わった彼が2人に伝える。
「さて、温泉だ! 初めてだな! 温かい水が地面から湧き出ているらしい! 魔法じゃないみたいだ!」
「そうなのね」
「そうなの!? あったかい水が魔法じゃなくても出ているの?」
ニレはナトス自身が動かして反応させている。レトゥムは魔法で沸かす水と違うということに驚き、地面から湧き出ているということに不思議さを感じている。
「しかも、いろいろな病気に効くらしい」
「ママ、早く元気になるといいね」
「ありがとう。そうね、早く元気になれるようにしっかりと浸かるわ」
「そうだね。さて、行こう!」
ナトスが意気揚々に全員分の着替えなどを持っていこうとする。
「待って!」
しかし、まさかのレトゥムからストップがかかり、ナトスは目をぱちくりとさせて彼女を見つめる。
「え?」
「まさか、パパ、一緒に入るつもり?」
「え、そうだけど」
「ダメ」
「え、なんでかな?」
レトゥムがまさかナトスも一緒に入ることを禁じるとは思っていなかった。彼はなんとしても家族3人水入らずで入りたかったので、どうしてダメなのかをきちんと問うた。
「うーん……私とキュテラお姉ちゃんとライアちゃんで入ってから、後からパパとママで入って」
「え、なんで……パパはレトゥムとも一緒に入りたいな」
「ダメ。私もパパとも入りたいけど……キュテラお姉ちゃんと入りたいな!」
ナトスの交渉に、レトゥムは聞く耳を持たない。しかし、きちんと「パパと入りたいけど」という言葉を添えて、彼が悪いわけではないことを伝える。
そう、彼女にとって、彼が気になるのではなく、キュテラが気になっているのだった。
「え、キュテラさんと入りたいの?」
「うん! もしかして、パパも……キュテラお姉ちゃんと入りたいの?」
「え、いや、いや、まさか、そんなことないけど」
「そうだよね! 私がちゃんとキュテラお姉ちゃんを見ておくから!」
「え、あ、うん……見ておく? ま、まあ、キュテラさんと一緒に入りたいのか……そうか……女の子どうしの方が楽しいのかな? いや、待てよ……見ておく……か……」
ナトスは最初、レトゥムが純粋にキュテラと入りたいからそう言っていると思っていたが、言葉の端々から、レトゥムがキュテラを警戒しているからと思うようになった。
他方、隣の部屋では壁に聞き耳を立てているキュテラがいた。ライアは困惑した表情で目の前で必死に聞き耳を立てる彼女を見つめている。
「……勘付かれましたわ。レトゥムちゃん、鋭いですね」
「子どもと張り合うな。というか、後から偶然を装って、家族の団らん、しかも風呂に入ろうとするんじゃない。あと、聞き耳を立てるな」
キュテラは、ニレを温泉に早く入れてあげたいナトスが先に入ることを見越して、入っていることを知らずに脱衣所でも気付かなかった体裁で一緒に入ろうと画策していた。
しかし、それはあっさりとレトゥムに看破された。
ライアは目の前の美の勇者に呆れて苦言を呈するほかない。
「しっ……せめて、兄さまの声もしっかりと聞かないと……素敵な兄さまの声……」
「いいから、レトゥムちゃんの言う通りにしておけ。もう一度言うが、聞き耳を立てるな。レトゥムちゃんに嫌われて告げ口でもされたら、目的を達成できなくなるぞ」
ライアは聞き耳さえもいずれレトゥムに気付かれるのではないかと思い、キュテラにやめるように促す。
やがて、諦めた表情のキュテラが悲しげな表情で突っ立つ。
「ぐうううっ……思わぬ伏兵が……兄さまよりも強敵がいた……小さなニレ姉さまがいた……」
その後、レトゥムはキュテラとライアを連れて温泉を楽しむ。もちろん、彼女はキュテラの監視というよりも観察を怠らなかった。完全に要注意人物への対応である。キュテラは居心地の悪さを感じるも、愛に障害は付き物と捉えて臨むことにした。
ライアは輪をかけて居心地が悪い。彼女がレトゥムに信用されているという事実に、キュテラが若干憎らしげな眼をして彼女を睨み付けてくるからだ。
「なあ、ニレ……レトゥム……なんだか、ニレに似てきてないか? もしかして、俺とキュテラさんのことをレトゥムは疑っているのかな? そんなに信用ないのかな、そんなに危なっかしいのかな、俺……がんばってると思うんだけどな……」
部屋で待機中のナトスは自分のベッドで横になりつつ、答えるはずのないニレにボソッと呟く。
彼はいつもがんばっている。それは間違いない。しかし、がんばっているとかがんばっていないとかの問題ではないことに彼自身がまだ気付いていない。つまり、ニレやレトゥムから見て、やはりダメなのである。
「…………」
その時、ナトスから見て、ニレが一度頷いたように見えた。
「え、今、肯いた? いや、見間違いか……意識ないからな……」
思わずナトスはガバッと起き上がり、ニレの方へと近寄る。しばらく彼は彼女をじっと見つめるもそれ以上動く様子もなく、死霊術師としての感覚でも彼女の魂が修復されているようには思えなかった。
彼女が動いたように見えたのは偶然か、それとも、何か不思議な力が働いたのか、それは誰にも分からない。
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