15. 死霊術師が湯治に至るまで(前編)

 美の勇者キュテラとの契約後、ナトスは旅に出た。目的はキュテラの魔王討伐の旅への同行、および、ニレの湯治となっている。


 ニレが王国を出ることにひと悶着あった話もキュテラが出てくることで教会関係以外のすべてが1発で解決した。彼は王族の権力に驚くも、キュテラが「兄さまが望むならいつでも使えますよ。私と結婚してもらえれば尚のこと」と言ったので慌てて首を横に振った。彼は平穏な生活を望んでいるので、権力を持つことに興味がなかった。


 なお、教会関係は家族である彼がどうにか申請を通して無事に出られた。


「お馬さん、すごいねー。ずっと走っても疲れないの?」


「そう、このお馬さんたちはね、すごいんだよ。どこまでも走れるんだよー」


「お馬さん、すごーい!」


「お馬さん、すごいよねー」


 ナトスはレトゥムのはしゃぐ姿を見て、満面の笑みを浮かべていた。彼はアレウスの神器である神馬4頭の馬車を使いこなして御者となっている。


 馬車の中で飽き飽きしていた彼女を膝の上に乗せて、彼にとっては普段を忘れさせてくれるような安らかな時間だ。


 彼らは馬車に乗り、ナトス、キュテラ、ニレ、レトゥム、ライア、ほか心の壊れたアンデッドになっている男冒険者3名ほどで旅をしている。途中、山賊などに出くわすこともあるが、戦力差があり過ぎて、もはや彼らの敵ではなかった。


「レトゥムちゃんと一緒に笑っている兄さま素敵です……」


「キュテラは先ほどから「兄さま素敵」しか言わんな。あと、気を付けろよ? レトゥムちゃんの前でナトスにくっついたら全てが終わるぞ」


「分かっています」


 キュテラは布の隙間から零れ見えるナトスの純粋な笑顔にドキドキとトキメキを感じており、今にも飛びかからんばかりの勢いである。


 それをライアは牽制する。


 レトゥムの前でキュテラがナトスに抱き着いたり過度なスキンシップを取ったりしてはいけない、という条件はナトスとキュテラの契約になかったが、彼の性格から考えれば、そのようなことをした時点でどうなるかは容易に想像がつく。


 彼がキュテラを警戒すればするほど、彼女の目的は達成しづらくなる。あくまでも目的を達成するまでは、好意的になってもらわなければならない。


「おうまさん パッカパカ♪ おうまさん パッカパカ♪ はっしる はっしる♪」

「おうまさん パッカパカ♪ おうまさん パッカパカ♪ はっしる はっしる♪」


 ご機嫌なレトゥムにナトスもいつになく機嫌が良い。彼は家族も一緒に旅へ出られて良かったと心の底から思っている。彼の心の癒しはやはり家族だった。


 その彼の姿を見て、やはりキュテラもご機嫌である。彼女は彼の笑顔をしっかりと焼き付けようと目をカッと開いていたが、やがて彼に声を掛けたくなってウズウズしてきて、ついに我慢できずに声を掛けてしまう。


「すみません、ナトスさん。最初は温泉の町に向かっているのですよね?」


「あ、はい、キュテラさん。予定通り、家族の湯治から行わせてください」


 対外的には、ナトスがキュテラの魔王討伐の旅への同行をすることと引き換えに、ニレとレトゥムの湯治を王族が保証することになっている。


「そうですよね。分かりました」


 キュテラはその短いやり取りに満足とまではいかないが、ナトスが自分の方に笑顔のままで話しかけてくれたことに内心狂喜乱舞している。


「しかし……はあ……兄さまにナトスさんなどと……そんな他人行儀に言わなければならないなんて……」


「実際に血が繋がっているわけでもないし、対外的には勇者と冒険者、分かる人が見れば、強国の王女と従者扱いの冒険者だからな」


 ライアは溜め息を吐くキュテラに仕方ないと説得するように話しかける。それにキュテラは頷きつつも納得のいかない顔でライアの方を見る。


「分かっていますが……これでは私の兄さまへの愛が薄れているようではありませんか」


「少しは薄れた方がいいと思うが……」


「……何か言いまして?」


「ん? そろそろ温泉町じゃないかと思ってな。少しは部屋分けについて考えた方がいいかな、とな」


 ライアのボソッと言った言葉は幸いにして馬車の音に掻き消えた。彼女はそのまま話を変えるために町に着いた後の話をし始める。


「兄さま家族、私とアストレア、残りのアンデッドの3部屋で十分でしょう。本当はアンデッドなど居ない方がいいですが、急に出たり消えたりすると怪しまれますからね」


 キュテラは部屋分けについて事前に考えていたようで、言い澱むこともなくすらすらと返した。


「まあ、妥当だな。まさか、私とキュテラが相部屋という提案は珍しいがな」


 キュテラがナトスと一緒と言えば阻止しようと思っていたライアだが、思った以上にまともな割り当てに驚く。それと同時にキュテラとライアが別室ではないことにも信じられないといった様子だった。


 しかし、彼女は今の身分が侍女ということになっているので、そのような扱いをするために部屋割りをそうしたのかとも思い始める。


「ふふっ……癪ではありますが、2人の行為を直に見て勉強します」


 ライアはキュテラの出した予想斜め上の回答にがっくりとうなだれてしまう。


「おいおい……たしかに王女のそういった教育は実践を見ることらしいが……」


「アストレアが恥ずかしがることはありません。私は兄さまだけ見ていますから」


「いや、やりにくいだろ……一人でサカるなよ?」


「……無理ですね」


「ナトスが萎えたらどうしてくれる……」


 ライアは自分たちの営みの隣で独り喘ぐキュテラを想像し、ナトスの非常にやりにくそうな顔が思い浮かんだ。彼女としても、どうもやりにくさしか感じられない。


 そのようなやり取りの後、しばらくして目的の町に着いた。王族御用達の温泉町である。


 キュテラが王族の所有する別荘へと誘導していき、やがて見えたのは豪華な別荘というよりも小さな城とも言える建物だった。ナトスは平静を装うが、今までこのような場所に入ったことがなく、内心、戸惑いでいっぱいいっぱいだった。


「そろそろ止めますよ。念のためどこかに捕まってください」


 ナトスは馬車を止める。彼は馬の扱い方もすぐに覚えられ、彼の汎用性がさらに増していた。


「着いたー!」


 レトゥムが御者席から真っ先に降り立ち、その後に続いてナトス、キュテラやライア、アンデッドたちも次々に降り立つ。ニレだけは少し具合が悪くて寝ているということになっており、後ほどナトスが起こして連れて行くことになっている。


「あ、お馬さんたち、ありがとう! えらい、えらい!」


「お馬さんたち、えらいよね」


「パパもありがとう! えらい、えらい」


「あ、ありがとう! レトゥムも長い時間よくがんばったな! えらい、えらい!」


「あははっ! パパがずっと一緒にいてくれたんだもん! あっ、パパ、ほっぺたくすぐったーい!」


 レトゥムは神馬を撫でて労った後、ナトスも労う。彼は嬉しくなって、彼女を抱き上げてから、頭を優しく撫でつつ、頬ずりまでしてしまう。彼女はそれがくすぐったかったのか、嬉しそうにきゃははと笑いながらも彼に頬ずりをお返しするのだった。


 それを羨ましそうに見ているのはキュテラだ。


「……混ざりたい」


「レトゥムちゃんの近くで本音を漏らすな。ふらついて、しれっと混ざろうとするな」


「ん。キュテラさん、大丈夫ですか? ふらついていますが、馬車で気分が悪くなりましたか?」


 ナトスはふらつくキュテラを案じて、レトゥムを一旦下ろしてから、彼女の方へと近寄って顔を不用心に近づける。彼にとって、これくらいの気遣いは相手が誰でも当然である。


「あ、いえ……あ……ちょっとだけ」


「大丈夫ですか? 一人で歩けますか?」


「えっと、もしよければ手を貸してもらえますか?」


「もちろん。どうぞ。一緒に歩きましょう。歩けますか?」


「ええ、ありがとうございます」


 突然のナトスの優しい申し出に、キュテラは心臓の鼓動を高鳴らせながら、努めて落ち着いた様子で彼の面目を潰さないような振る舞いをする。


「むむ」


 その光景に反応したのはレトゥムだった。彼女はじぃーっとキュテラの方を見つめている。傍から見ると、彼女は小さな眉間にめいっぱいのシワを寄せて、目を見開き、鬼の形相で睨み付けている。


「レトゥムちゃん、どうした?」


「パパ、キュテラお姉ちゃんに狙われてる」


「狙われている? ……えっと、急にどうした」


 ライアはレトゥムがすごい顔でキュテラを睨み付けているので思わず声を掛けてみると、レトゥムはナトスに近付く女性としてキュテラに警戒心を最大限まで引き上げているようだった。


「ママがね、パパに近寄りたがる女性は気を付けなさい、って言ってたの。パパはそういうのが全っ然分からないんだって! 今、ママが眠っているから、レトゥムがね、ちゃんとパパを見てあげないと! 後でママに言わないと! ちゃんとパパはママに叱ってもらわないと!」


「……しっかりした教育がされているな」


 ライアは自分が最初出会った時もそう思われたのだろうなと思いつつ、努めてナトスよりもニレを案じている雰囲気で接したことで疑惑が晴れたのだろうと安堵した。


 それと同時に、ナトス本人が悪くないにせよ、小さなレトゥムにでさえ女性関係で心配されるレベルなのかと頭が少し痛くなった。

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