13. 死霊術師が美の勇者と契約するまで(提示編)

 3人は会話をするためにテーブルの席へと着いていた。


 キュテラはナトスの隣に座った後、彼に身体を預けるように腕を組み、彼の肩に自身の頭を預けている。昔、よくこのような状態になっていたので、今もそういう甘えん坊な所があるのかと彼はふと彼女に向かって優しく微笑んだ。


 ライアはその2人の様子を愉快そうに見ながら、作り直した3人分の白湯をそれぞれの手元に置いた。彼女が嬉しそうにしている理由を彼は知っている。異性の場合、夜の営みを行った方が彼の成長効率も吸収した能力の身体への馴染みも良いからだ。


 つまり、ライアはナトスにキュテラとの行為を言外に要求しているのである。


 そんな中、話はキュテラが孤児院に居た理由になる。


「すると、パピアがいたのは、当時のクーデターから一時的に避難するためだったのか」


 当時の王国軍の将軍が反旗を翻す際、事前に情報を知っていた国王はキュテラを城内から逃がしたのである。将軍が自分の利益も考慮して城下町への攻撃を考えておらず、城内だけで秘密裏に終わらせようとしたためだ。


「はい。あの頃は兄さまに守られていて、まるでお姫様のようでした」


 キュテラは当時を振り返り、うっとりとした表情で当時の記憶を呼び起こしていた。その当時から、彼女は既にナトスの不完全な魅了にかかっている。不完全とはかかりにくいではなく、ピーキーであることを意味しており、彼女には彼の魅了が通常の何十倍にもなってかかった。


 それはある種の鎖となって、彼女の心を彼に縛り付けたのである。故に彼女は、ほかの誰にもなびきはしなかった。故に彼女は、今も彼を慕っており、仮に命が潰えてもなお魂は魅了され続ける。


「知らなかったけど、実際にお姫様だよな」


「失礼ながら、お姫様は素敵な王子様がいないと成立しません」


 キュテラはナトスの言葉に反応し、強く否定する。あくまで彼女の中ではだが、王女とお姫様は根本的に異なっていた。王女は現実にある無味乾燥なただの役職であり、お姫様は童話の中にある理想の塊のような役割なのだ。その理論に立てば、王女である彼女がお姫様を求めていたのは何ら不思議でもない。


「はっは! そのとんでも理論だと、ナトスが王子様なわけか」


「……そうです。その頃の根が深かった私の不安が兄さまのおかげでいとも容易く解けて消えてしまったのです。この時、兄さまが私の王子様であることを確信してしまったのです!」


 先ほど舞台女優とライアが揶揄していたが、ナトスもその持って回った言い方と美貌にキュテラが舞台女優のように見えてきた。


「えっと、それはまあ、いいとして、パピア、そろそろ本題だ。なんで今、ここに来たんだ?」


 ナトスがそう問うと、キュテラは少し残念そうな顔をした後にすぐニコリと笑った。


「そうですね。率直に申し上げましょう……アストレアの前で私と契約してくださいませんか?」


「正義の女神の前で契約?」


 ナトスは突然の話に目を丸くした。


 神の前で契約するということはこの世界において、少なくとも本人の意志では覆すことのできない強制力を持つ。公平を重んずるとされている正義の女神アストレアの前で行うと言うセリフは、目の前に彼女がいるから使っているのではなく、特に公平性と強制力を強調したい場合の常套句である。


「勇者や王女としての知名度、腕自慢の男たちも薙ぎ倒す腕っぷし。つまり、使い勝手の良い駒だと思いませんか? そ、れ、に、兄さまは12名の勇者を倒して、死体を使役するのでしょう?」


「っ!」


 キュテラの言葉にナトスは背筋がぞっと凍る。彼は、身体を寄せつつ上目遣いをして甘い声で話しかけてくる女の子が、いくら旧知の仲とはいえ自身が倒されるかもしれない危険を承知でここにやって来ているということに恐ろしさを覚えたのだ。


「兄さま、そんな顔をなさらないで安心してください。兄さまに刃向かう気はございません。命でも何でも兄さまの手足になれるなら捧げましょう。それに、兄さまに生き返らせてもらえるのでしょう?」


「ははっ! 生き返ることも知っているのか。ナトス、いいじゃないか。使ってやれば」


「アストレアには言っていません!」


 キュテラがどうして【死霊術】のことや【死者蘇生】のことを知っているのか、ライアは何となく察しがついているようだが、ナトスはまったく把握できていない。


 その中で正しい判断で契約できるのかと、彼は自問するも答えは否である。しかし、バレてしまっている以上、ただ単に追い返すべきでないことも理解している。


「美の勇者キュテラ、王女パフォスを駒に使う? 待ってくれ。それで、パピアの要求は何なんだ?」


 ナトスが恐る恐るその言葉を口にする。正直な話、最近、彼はこのような交渉事で良かった試しがない。自分が非力だからということは自覚しているものの、心が痛まない日はない。ようやくライアとの情事も無痛と思えるようになっただけで、実際は心の奥底では痛みを受け続けているのだ。


「私の望みはただ一つ。兄さま、あなたが欲しいのです。きゃっ、言ってしまいました♪ こうやって面と向かってお願いするのは恥ずかしいですね」


「お、俺? えっと、魔王を倒して全部が終わったら、冒険者をやめて使用人でもなれってことか?」


 キュテラが可愛らしく首を横に振る。


「いえ、私の夫になっていただきたいのです♪」


「……は?」


 ナトスの中で時が止まった。彼にはキュテラのセリフがまったく理解できなかった。


「ですから、私と婚姻の儀を執り行って、この国の次期国王になっていただきたいのです♪」


「……は?」


 ナトスの中で時が動き出さない。


「もちろん、ニレ姉さまやレトゥムちゃんもお城に住んでいただいて構いません。ニレ姉さまは働かなくともよいですし、レトゥムちゃんには王族の一員として、最高の教育を受けさせる権利をお渡しします。そして、私はニレ姉さまと同じように、兄さまとの子を生したいのです。いえ、ニレ姉さまよりも多くの子を兄さまと生したいと思っています。ちょっと、欲張りでしょうか?」


「……は?」


 キュテラは居もしない何かが居るかのように自分のお腹を優しく擦る。その後に彼女は、瞳を潤ませて瞼をパチパチとさせながら、よりかわいらしくおねだりをしているようなポーズを取る。


 一方、ナトスは固まっていた。彼の思考が動いていない様子に、ライアはようやく助け船を出す。彼女は彼女で考えがあるようだが、まずはその考えを収めて2人の仲介に入る。


「おい、アプロディタの勇者……呼ぶには長いな、キュテラと呼ぶぞ。キュテラ、ナトスがさっきから、は? しか言ってないぞ。つまり、お前の話がナトスの常識から外れているんだ」


「あら? どこから分かりませんでしたか? どこで兄さまの常識から逸脱してしまったのでしょう?」


「おそらく、ほぼ最初からだろう」


 キュテラは少し困ったような顔をする。本人は至って真面目に大きな問題のない、それどころか破格の申し出をしている。


 もしこれがナトス以外であれば、何のデメリットもないまさしく破格の条件だ。難攻不落と言われた美少女が自らその身体と王位を差し出すと言っているのである。王としての公務も優秀な彼女が王妃として支援に入れば、王が誰であってもほぼ問題ないだろう。


 しかし、交渉相手はナトスである。多くを求めず、愛するニレとレトゥムを養うことやレトゥムの成長する姿を見ることが生きがいであり、彼女たちが蘇生すれば、どこかでひっそりと暮らしたいと思っている彼にとって、そんな舞台に家族ともども引っ張り出されるわけにはいかないのである。


 ただし、それはキュテラもライアも分かっていた。


「なるほど。あぁ、そうです! 私が伝え忘れておりましたね。国王ともなれば、正室のほかに側室も当然おりますから。兄さまが重婚になることは何の問題もございません」


 まるで分かっていないかのようにキュテラが補足説明をする。ナトスの心には全く響かない。彼は首を横にゆっくりと振った。


「ダメだ。俺はニレだけを愛すると心に誓ったんだ」


 ナトスからこの常套句が出てくることはキュテラもライアも分かっていた。


「あー、その言い訳はおそらく無駄だぞ、ナトス」


「え?」


「えぇ、兄さま、それはおかしいですよ……だって、アストレアとは幾度となく寝ているのに?」


「っ!」


 ナトスはとっさにキュテラを振り払おうとするも彼女はギュッと彼の腕にしがみついて離さなかった。アレウスの勇者、力の勇者トラキアの力も吸収している彼にとって、本気を出せばいくら彼女が勇者とはいえ引き剥がすことは可能である。


 しかし、ある種の恐怖と守るべき妹分という認識がいつも通りの力を出せないように彼を押さえつけている。


「ど、どこまで……どこまで知っているんだ!」


「ふふっ……愛する兄さまのことなら……ふふっ……割と何でも存じております……兄さまの冒険者としての優秀さも、兄さまが会話した女性たちやその会話した回数も、兄さまが気付いていないですけど告白されたと周りが思う回数も、兄さまが力の勇者トラキアとどのような状況に陥ったかも」


 ナトスは言葉が出なかった。特に回数という言葉が彼の中で引っ掛かる。彼自身、そんな回数を数えたことも数えようと思ったこともない。そのため、キュテラが嘘を言っても分からない。


 しかし、彼は彼女の目を見て、回数を知っていることが嘘ではないと理解できていた。


「ほかにもまだまだ存じておりますよ。はしたないと思われてしまうでしょうが、ニレ姉さまと愛し合った回数も、アストレアに施しを与えていた回数も存じておりますとも。そう、兄さまはエスコートがお上手なようですね。姉さまもアストレアも一夜で何度も満足げな声を上げている。さすがにレトゥムちゃんが生まれてからは、姉さまとの回数も減ったようですし、姉さまのあげる声も小さくなったようですけど、姉さまも兄さまが取られないように少し不安だったのか、姉さまからの奉仕は積極的で増えましたよね」


「あっ……あああ……あああ……」


「おいおい。私とナトスの回数まで知っているのか。異常もそこまでくれば感心もしてしまうな」


 ナトスが怯え始める中、ライアは少しばかり場の空気を換えるために軽口を叩く。その彼女の軽口に、キュテラが視線で射殺さんばかりにキッと睨み付ける。


「アストレアは黙っていなさい。私は兄さまとお話をしているのです」


「おぉ……怖い、怖い。私を正義の女神と知って、睨み付けられる人間はそういないのだがな」


「兄さま。私もぜひ、兄さまに優しくしていただきたいです♪ もちろん、姉さま同様、いえ、それ以上に! 奉仕も頑張らせていただきます。ですが、知らないために至らないこともあるかと思いますので、優しく手ほどきをしていただけると嬉しく思います♪」


 キュテラのにんまりとした可愛らしいはずの笑みが、ナトスには何よりも怖かった。彼は彼女のことをほとんど知らない。一方で彼女は彼のことを知り過ぎている。


 この均衡が大きく崩れた状態で彼女はなおも彼に契約というある種対等な関係を結ぼうと言っているのだ。ただし誰でも分かる通り、それは名ばかりの対等な関係であって、非常に強い強制力を2人の間にもたらすために彼女が望んでいるだけに過ぎない。


「私だけを愛してなんてそんな独占欲の強いことは申し上げません。ただ、私も兄さまにニレ姉さまと同じように愛してもらえればそれでいいのです。私に、兄さまの愛と兄さまとの子をくださいませ」


「くっ……はあ……はあ……はあっ……」


 ナトスは汗が止まらない。彼は変な想像まで起こしてしまう。もし、彼女との契約を断ったとしたら、家族を生き返らせた後に安住の地があるのだろうか。もしかして、家族に危害が加わるのではないだろうか、もしかして、家族を苦しめることになるのではないだろうか、また、家族が殺されるような目に遭うのではないだろうか。


 これまでの話は、彼女の存在は、完全に彼の理外を超えている。だからこそ、彼は苦しいながらも一辺倒で押し通すしかなかった。


「……ははっ……魅力的なパピアにそう言われるのは嬉しいが、やっぱり、俺にはニレだけなんだ……な、なあ、何か他のことで手を打てないか?」


「たとえば、なんでしょうか?」


 キュテラも別にナトスを困らせたかったり彼に意地悪したかったりするわけではない。両者が納得できる何かを彼が提示できれば、彼女としてはそこに譲歩してもよいと思っている。


 しかし、彼女には既に譲歩できるラインが見えており、この最初の無茶振りはあくまでその譲歩できるラインを何段階も優しく見えるようにする技法でしかなかった。彼女の本交渉はこれからである。


「たとえば……たとえば……たとえば…………」


「兄さまには申し訳ないのですが……こう言ってはなんでしょうけど、私はモノなら全てを手に入れようと思えば手に入る存在ですよ? なんだったら、美の勇者の今、モノ以外も手に入る。ただ一つ、手に入らないのは兄さまだけなのです」


「え、何でも手に入るパピアでも……俺だけ手に入らない?」


 キュテラは何も思い浮かばずに戸惑うばかりのナトスに、少しだけ彼の有利な点を説明し始めた。

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