13. 死霊術師が美の勇者と契約するまで(邂逅編)

 夕方から夜に変わる頃。ナトスはライアやレトゥムとともに食事をとり終わっていた。レトゥムが寝室のニレの隣ですやすやと寝息を立て始めた頃、少しラフな格好のナトスとニレの服を借用しているライアはテーブルで白湯をゆっくりと飲んでいた。


「さて、そろそろ寝るかな」


「そうか」


 今日はライアとの行為もないため、気楽なナトスもそろそろ寝室へ行こうかと考えていた矢先、玄関の扉からコンコンとノックの音が聞こえる。彼とライアはその音に反応し、そちらをじっと見つめる。


「すみません。遅くに失礼します。ここを開けていただけないでしょうか」


 ナトスはその声にどこか聞き覚えがある気もしたが、どこで聞いたか思い出せない。


「……誰だ?」


「まあ、若い女の声だな」


 ライアの答えになってない返しに少し違和感を覚えつつ、ナトスはゆっくりと扉の方へと近付いて、その声の主に話しかけてみる。


「すみませんが、家を間違ってはいませんか?」


「あぁ! その声は間違いなくナトス兄さま! 私です! パピアです!」


 ナトスはその名前を手掛かりに記憶の糸を手繰り寄せていく。辿り着いた記憶にあるその名前は10年以上前に孤児院で一時期ともに過ごした少女の名前と同じだった。当時の彼女はかなり小さかったが、今では19歳前後の立派な成人になっているはずと彼は考えるに至った。


「あー、あっ! パピアか! 孤児院で一緒だった!」


「そうです、そのパピアです!」


「パピア?」


 ライアは不思議そうな顔でその名前を口に出す。ナトスは彼女がパピアのことを知らなかったために出てきたものだと思い、彼女の方を向いて説明を始める。


「あぁ。パピアって言って、孤児院に居た頃に一時期いたんだよ。病院の病室が足りなくなったとかで療養に孤児院を利用していたんだ」


「……ほう」


 ナトスは突然の来訪者にも関わらず、扉を開けて快く出迎えた。


 パピアと呼ばれる女性は上から下まですっぽりと全身が入る大きな紺色のローブを身に纏い、さらにはローブに備わっているフードも目深に被っていた。さらには、顔や手など露出しているはずの部分には白い包帯が幾重にも巻かれており、唯一分かるのはフードから時折見える、その透き通った青い瞳の色だけである。


 彼女は彼にすぐさま抱きつき、再会を喜ぶかのようにギュっと背中にまで手を回して彼を離さなかった。彼もまた昔少しの間お世話をして、自分を兄さまと呼んで慕ってくれていた妹のような存在に優しい抱擁を返した。


「兄さま」

「パピア」


「…………」


「ん? パピア、どうした? 何かあったのか?」


「……いえ」


 パピアはしばらくギュッと抱き着いていた後に、ゆっくりと顔を上げて、ナトスの瞳をじっと見つめる。


 彼は久方ぶりの再会に顔を凝視されて、嬉しいやら恥ずかしいやらでたまに目を逸らす。しかし、彼女がずっと彼を見つめたまま動かないので、不思議に思った彼は何かあったのかと思って心配そうに訊ねた。


 彼女は残念そうな目線を隠さなかった。


「ナトス、そのパピアという女はずっと包帯がぐるぐると全身に巻かれていたのか?」


「え、あぁ、火傷がひどいとかで」


 ライアは椅子に座ったまま、むしろ、足まで組んで、来客の対応とは思えない仕草のまま2人を見ていた。


 彼女の問いにナトスが答えていると、パピアはライアを怒りと殺意のこもった目で見つめ始める。


「兄さま、誰ですか? その女は? ニレ姉さまと夫婦になったはずでは? 他の女を家に連れ込んで、ゆっくりと白湯を飲み合うなど、一体どういう了見ですか?」


 ナトスは脈が跳ねあがる。パピアが今までどこに住んでいたのか、彼には分からなかったが、自分がトラキアの勇者パーティーメンバーに所属していて少しばかり有名なのと、ニレも人気があるため、彼女の耳にも自分とニレが夫婦であることは知られていたのだと気付く。


 彼は途端にライアの説明を難しく感じた。レトゥムと違い、ニレの友達で押し切れるか分からない。さらに、彼女に誤解をされているようにも思える。それよりも何故、彼女がライアにそのような視線を向けているのかが彼には理解できなかった。


 やがて、言葉が彼の口からゆっくりと零れ始める。


「あ、あぁ……彼女は……」


「ナトス、下手な嘘は止めておけ」


 ライアはナトスのことを愉快そうに見ながら足を組み替え、次にパピアの方を向いて、やはり同じように愉快そうに彼女を見つめていた。


「どういうことだ?」


「どういうことも何も、そこの女はいろいろと知っているはずだ。それなのに、まるで初めて見たような顔ができるとは、舞台女優の方がお似合いなんじゃないか?」


「……女神アストレア」


 ライアはナトスの質問に明確に答えるでもなく、ただパピアの方を向いて大げさに肩をすくませて、半分おどけたような振る舞いで彼女にそう言い放った。


 パピアは怒りの感情を抑え、少し落ち着いて溜め息とともに言葉を吐く。


「なっ!?」


 ナトスは驚きを隠せない。パピアが何故目の前の女性を正義の女神アストレアと断言し、そして、彼女が女神であると知りつつもそのような視線を放ったのか。結局、彼には分からないことだらけで固まる以外に何もできなかった。


 ライアは小さく笑みを零す。まるでパピアと謎かけをし合っているような雰囲気で、彼を完全に置いてけぼりにしていることも楽しんでいるかのようだった。


「さて、私の紹介が済んだのであれば、次はお前が本当の名前を告げるべきではないのか?」


「……そうですね。その方が話も早いでしょう」


「え、パピア?」


 本当の名前。


 ナトスはパピアという名前が本当の名前でないと初めて知る。パピアが小さい頃に偽名で呼ばれて、自分の名前と理解し即座に反応でき、自分の本名を一切明かすことがなかったことに驚く。彼はいろいろとありすぎて理解がまったく追い付いていない。


 彼女は彼から少し離れると、顔に巻き付けていた包帯をゆっくりと外していく。幾重にも重なっていた包帯の中から出てきたのは、美しく長い金色の艶やかな髪、火傷どころかシミやソバカスの一つさえない白く透き通った肌、垂れ目がちの優しそうな目に浮かんでいる透き通った青い瞳、そして、最高の美貌を持つ顔だった。


 彼は、パピアはこんなに美人さんになったんだな、でも、誰かに似ている気がするな、と気の抜けたような考えをしていた。


「お許しください、兄さま。パピアは私の持つ名前の1つに過ぎません。私の名前は、パフォス、またの名を勇者キュテラ」


「パッ! パフォス王女!? キュテラさん!?」


 ナトスは思わずその場で膝を折り曲げて片膝を着き、恭しく頭を垂れた。彼にとってはいずれ倒す勇者の1人であることは間違いない。しかし、場所が場所だけにここでパピア改めキュテラと戦うことはもちろんのこと、不敬な行為さえも慎まなければいけない。


 一方のキュテラは彼の恭しい態度にひどくご立腹だった。


「兄さま! 立ってください! よそよそしい真似はおやめください! そして、キュテラ、パフォス、パピア、いずれにしても呼び捨てで必ず呼んでください!」


「そういうわけには……」


 どういう怒りだよ、どういう命令だよ、とナトスは内心思いつつも言葉にすることはできなかった。ようやく出る言葉もどこか頼りないもぞもぞっとした冴えない言葉である。


 キュテラは再び彼に告げる。


「いえ、承服いたしかねます。まず立ってください。そして呼び方についても、兄さまどうかお願いします」


「うっ……だったら、パピアだ。しかし、外ではキュテラさんと呼ばせてもらう。これ以上は譲れない」


 ナトスはこれ以上逆らうことも不敬という謎の板挟みに遭った気分でゆっくりと立ち上がり、彼なりの最大限の譲歩を示した。キュテラは一瞬、不満を浮かべたものの、何かに気付いたのか、パっと晴れやかな笑顔を見せる。


「畏まりました。皆の見ていない所では親しい感じの呼び名というのもいいですね。嬉しいです♪」


「この国の王女が俺に畏まらないでくれ……」


 再び抱き着いてこようとするキュテラに、ナトスはなされるがままに抱きしめられつつ、自身はこめかみを指で押さえてただただ突っ立っていた。

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