13. 死霊術師が美の勇者と契約するまで(寝室編)
とある日の夜、ナトスの家の寝室。既に明かりは星月が発する光のみでほぼ真っ暗闇である。その部屋にあるベッドの中にいたのは、ナトスと一人の少女だった。
彼は布団から出ている肩や腕が肌を晒していることから、彼の上半身が裸であることは間違いなかった。下半身は布団の中に完全に隠れているものの、ベッドの中で少女と一緒であることからこちらも裸であることは容易に想像がつく。
しかし、全裸であろう彼はその少女に触れるでもなく避けるでもなく、ただ仰向けになって無言で虚空をぼーっと眺めていた。
一方の少女は、顔まですっぽりと布団の中に隠しているものの、銀髪ではないため、決してニレではない。彼女は金髪だが、彼女の持つ金髪は布団の横から零れ出てしまうほどに長いため、決してライアでもない。僅かな光の中でも輝く金の髪を備えている彼女もまた、極々至近距離でナトスと同衾を果たしているも彼に触れていない。
しかし、彼女は彼と違い、布団の中でしきりに言葉を発していた。
「んあっ……んうっ……兄さま……んんっ……んっ……お願いですから……こちらに来てください……兄さまぁ……あんっ……近くにいると思うと……聞かれていると思うと……見られていると思うと……あはぁ……それだけで……くふぅっ……胸がドキドキとなって……熱くなり……この身体が……ふぅ……んあっ……劣情によって疼いてしまうのです……」
「…………」
ナトスはごろんと仰向けから少女とは逆方向を向く。少女は誰もが魅了されるような艶美な声でナトスのことを兄さまと呼んで、嬌声をあげ、彼を透き通った青い瞳で見つめつつ男女の行為に誘おうとしている。
「んっ……ああっ……兄さま……お願いですから……あふ……私に触れていただけないのであれば……あっあっあっあっ……ああっ! くうううっ……せめて……お慈悲を……いっ……熱いお慈悲をください……んふっ! ……んくうううううっ!」
「…………」
少女は、なおも女の子特有の甘ったるい声で肉欲を刺激するような言葉を続けて、布団に隠れたところで自らを慰め、そして、満足げに何事かを終えたようである。
一方の彼は誘っている彼女と逆の方向を向いているように、彼女に興味がない、もしくは、興味を抱かないようにしているような様子が窺える。
「っはあ……はぁう……ふうっ…………兄さま……どうか……お慈悲をくださいませ……お優しい兄さま……見ていただければお分かりになると思いますが……このパフォスの身体も心も兄さまを想い……しとどと濡れております…………お慈悲をいただけるまで、私の手は慰めることを止めないでしょう……」
「……キュテラさん……いや……パピア……俺にはニレもニレとの子どももいるんだ」
ナトスはついに再び寝転がって、少女の方を向きつつ小さく言葉を発する。彼と同衾していたのは、アプロディタの勇者であり美の勇者とも呼ばれるキュテラだった。そして、彼女はこの国の王女パフォスでもある。さらに、彼はまたもや別の名前で彼女を呼んでいた。
彼女は幼少より美しく、さらに12歳を超えた頃から美の女神アプロディタの顕現と呼ばれるほどに美しさに磨きがかかる。故に、国内は当然ながら各国からも有力者がこぞって彼女を娶ろうとした。
しかし、求愛行動のすべてを彼女に袖にされてしまい、強大な国の王女ということもあって侵攻による略奪も難しく、高嶺の花とも、難攻不落の美少女とも言われた。
また、本人も恋愛に関して興味がないのか、美男子や美丈夫も多かった数多の求婚者を興味なさげに一瞥するだけで、恋愛や情愛の逸話が多いアプロディタとは真逆の純潔の化身とも言われるほどであった。
その後、アプロディタの勇者となった際には、ヘスティアー、アテーネー、アルテミスなどの処女神の勇者と取り違えられたとさえ言われた。
「……そうですよね」
キュテラは布団の中からひょっこりと顔を出す。難攻不落とさえ言われた彼女は今、既に陥落し終えていて、あまつさえ、ベッドの中で自慰行為にも耽りつつ、まるで発情した獣のようにナトスを見つめて誘い求めていた。これが純潔の化身と呼ばれていた少女の言動だとは誰もが思いもよらない。
「でも……女神アストレアとはもう何度も寝たのでしょう?」
「っ……」
キュテラはその透き通った青い瞳ですべてを見透かしていると言わんばかりに、不敵な笑みを湛えてナトスのことをその強い眼差しで真っ直ぐに見つめる。
もちろん、彼女の一言が彼の心を大きく抉ることになる。妻子がいると言って拒否しつつも別の女性と寝ているという否定したくとも否定できない事実を突きつけられて、彼は当然のことながら答えに窮した。
彼は見つめてくる青い瞳を直視することができず、どこかに視線を逸らしている。
「……そうだけど、それとこれとは話が違う……そう、話が違うんだ……理由があるんだよ……理由があるからそうなってしまったんだ……別に俺は望んでいないんだ」
やがて、ナトスがとっさに思いついて吐き出した言葉は、キュテラへの説明というよりも自分自身への言い訳のようなものだった。話が違う、理由がある、彼はそう自分に言い聞かせているようにゆっくりと言葉を繰り返して反芻していた。
「そうでしょうか? 本当に兄さまの仰る理由だけでしょうか?」
キュテラは少し意地悪そうな笑みを浮かべている。彼女にはナトスが自分の答えに自信がないことなどありありと読み取れていたからだ。それはつまり、ある程度彼が納得する理由を作ってあげられれば、彼女の望みである彼との行為も可能性があることも示唆している。
彼自身、それを読み取られていると悟ったのか、彼女に何かを言われる前に補足説明をしようと素早く口を開く。
「あ、あぁ……さっきも説明したけど、ライアとは仕方なくなんだ。俺が勇者になり、魔王を倒して、家族を生き返らせるために、どうしてもしなきゃいけないんだ。他に方法がなかったから、仕方なくなんだよ。だからさ、パピアの……」
「それであれば、こう考えてくださいますか。ニレ姉さまやレトゥムちゃんとの生活を豊かにするために、今後を平穏無事にするために仕方なくと考えて、一時的に、そう、一時的に私のすべてを兄さまの獣欲の捌け口にでも使ってくださいませ」
キュテラは待ちきれなくなり、ナトスの言葉を遮る。彼女が上半身を起こし始め、布団からその身体が露わになったため、彼は再び彼女と逆の方向を向く。
月の光に照らされた彼女は、たしかに美の女神アプロディタよりも月の女神アルテミスに近い神々しさと美しさを併せ持ち、誘うような目つきと微笑みを美しい顔に浮かべ、隠すように腕で覆った胸が寄せられたことで肉感も増すことで、すべての要素がまるで洗練された美術絵画のように完璧に整えられていた。
彼女は嬉しそうに口の端を上げる。何故なら、彼がとっさに逆方向を向いたからだ。それは、彼の気遣いや優しさももちろんあるだろうが、彼が彼女を女性として見ており、劣情を催し、獣欲を抱くからに他ならない。
彼女は彼が自分の方を向けるように再び布団に潜り込んで、決して彼に触れず、しかし、お互いの体温をほのかに感じるほどの距離まで徐々に彼に近寄っていく。彼女は彼の優しさに付け込んで押し通すつもりだった。
「……そんなことはできない」
「……ニレ姉さまとは最近できていないのでしょう? それとも、アストレアとの行為で肉欲を充分にっ!」
キュテラは言葉が途切れる。急にナトスが起き上がって布団を飛ばし、彼女に馬乗りになったために、彼女が思わず驚いてしまったのだ。
彼は、右手を彼女の頭の左側に置いて自身を支え、左手が彼女の右腕をしっかりと掴んで離さず、腰を彼女の下腹部あたりに落とす。
互いにほぼ全裸の状態で触れ合う男と女。しかし、彼は決して劣情に負けたわけではない。彼は彼女の言葉に怒りを露わにし、その感情の発露が彼を行動させた。彼の赤色の瞳が淡く光り、彼女の青い瞳をまっすぐに見つめる。
「ふふっ……どうかしましたか?」
キュテラはそのような状況でありながら、余裕のある表情をナトスに見せる。実際のところ、彼女は彼にまっすぐ見つめられ、彼の一部が彼女に触れていることに心の中で歓喜しており、鼓動が早くなっているために余裕があまりなかった。
「……それ以上、勘違いしたことを言わないでくれるか?」
ナトスの言葉にキュテラはゆっくりと縦に頷いた。
「分かりました……それにしても嬉しいことが起きました……兄さまが裸で私を見つめて馬乗りになってくださって……それに……兄さまもやはり男だと分かって安心しました。兄さまの素敵なものに私から触れてもよろしいですか?」
ナトスは、結果としてキュテラの下腹部に自分のものを押し当ててしまっていることに気付いた。さらに、それを彼女が触れようとしているため、彼はとっさに飛びのいて先ほどの位置に戻った。
「ダメだ。俺の方から触ってしまったことに関しては、すまない。怒りに我を忘れて、思わず身体を触れさせてしまっただけだ」
「そうでしたか。それでも、たしか……兄さまがベッドの中で少しでも私に触れていただけたら……私も兄さまの下腹部にある素敵なもの以外なら肌に直に触れてもよい……ですよね?」
ナトスはしまったと思いつつ、キュテラにしてやられたとまでは考えず、自分の至らなさに少し嫌気が差すだけだった。
「たしかに……そういう約束だったな。ただ……パピアとは……する気がない」
キュテラはナトスの言葉を聞いて、彼の背中に自身の身体をピタリと寄せる。彼は彼女の体温と感触にビクッと身体を震わせた。
「そんなことを仰らずに……いつか兄さまのものを……お慈悲を恵んでくださいませ……私に情けをかけて……ふふっ……ついつい、かけるだなんて直接的な言葉を発してしまいました……私ったら、はしたないですね」
「笑えないからな?」
ナトスは彼の優しさからかキュテラを冷たくあしらうこともできず、少しの抵抗とばかりにそう呟く。
「ふふっ……やはり、兄さまはお優しいですね。そして、貞操の固い兄さまも素敵ですが、私は諦めませんよ。……少しお水をいただいてきますね」
ナトスは急に背中に感じていた柔らかく扇情的な感触がなくなり、内心ホッとする。彼は寝室から出ていくキュテラの艶めかしい後姿を不意に見てしまった。
彼女はほぼ全裸だが、唯一、腰に澄んだ青色の腰帯を身に着けている。本来は衣類をまとめるための腰帯だけ身に着けることなどないが、それがアプロディタの神器なのである。
「これがまだまだ続くのか……さすがに……いや、俺には……ニレがいるんだ……」
何故このような状況になったのかは数時間前に遡る。
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