後編 魔王の討伐

12. 死霊術師が力の勇者を利用するまで

 ナトスが死霊術師の力によってトラキアを配下にした後の展開は、トラキアにとってまさに地獄そのものだった。


 トラキアはアンデッドとなり、さらに魂の縛鎖によって、人類の最高戦力と謳われた勇者の1人でありながらナトスへの抵抗はほぼ不可能に近かった。危害を加えることなど到底できるわけもなく、話したくないことに口をつぐむ程度しか許されない。


 さらには、ナトスの配下になったジーシャがキャリィの下へと訪れ、トラキアに脅されていたといろいろと説明をした上で、連れ立って王様に具申する。そして、たった今、その場にトラキアも呼び出され、彼は苦悶の表情を浮かべているところである。


「トラキアよ……彼女たちの話は真か?」


「……真実にございます」


「……今までは目こぼしをできたが、これほどまでに堕ちた勇者では庇いきれん」


 ジーシャとキャリィの2人の話に加え、リアやプリスの不在もとい彼女たちが四天王のティモルに人質に捕られた事実はその場にいた全員に大きな衝撃を与えた。


「トラキアよ。己が不始末をどうにかせよ。プリス、リアの両名を救助し、再度勇者パーティーを十全に組めるまで国外追放とする。今までの経費はこれからの餞としてなかったことにしよう。だが、これ以上の資金は望めないと思え。さあ、鍛え直すためにも今すぐ国を出るのだ」


 かくして、トラキアは国外追放となった。まだ勇者としての利用価値が欠片くらい残されているからである。そうでなければ、その場で死刑だった。


「帰ってくんな!」

「あんたの顔なんか二度と見たくない!」

「パーティーメンバーにも見放された哀れな勇者!」

「パーティーの女どももひどかったが、あいつに無理やりさせられていたらしいぞ!」

「俺なんかもひどい目に遭わされたんだぞ!」

「腕を折られて冒険者をやめることになったんだ!」

「あいつにひどいことをされてない奴なんかいねえ!」

「私の娘なんか……ううっ……この悪魔め!」

「私は人生を狂わされた! 返してよ!」

「なんでまだ生きてんだよ!」

「この恥さらし!」

「悪魔め!」

「鬼畜が!」

「外道が!」

「なんでまだ生きてんだ!」

「勝手にどっかで生きてろ!」

「どっかで朽ち果てろ!」

「くたばれ!」

「くたばれ!」

「くたばってしまえ!」

「くたばりやがれ!」

「いなくなれ!」

「いなくなって清々する!」

「早く消えろ!」

「やりすぎたんだよ、バーカ!」

「調子に乗り過ぎ!」

「人を人として見てないからこうなるんだよ!」

「人を馬鹿にするのも大概にしとけってことだよ!」

「よくそれで勇者を名乗れるな!」

「どこへなりとも行け!」


「……ちくしょう」


 誰にも告げていないはずのトラキアの国外追放は、悪事千里を走る、と言わんばかりに瞬く間に国内中に知れ渡る。そうした中で、城門の前でのトラキアの見送りは、多くの国民による無数の投石と罵倒であり、花もなければ、温かい言葉もなかった。


 もしかすれば、1人くらいは花を送りたかった人がいたかもしれない。もしかすれば、1人くらいは彼に感謝している者もいるかもしれない。しかし、この非難が渦巻く中にそのような行動を取れる者などいるわけもなかった。


「……ちくしょう」


 トラキアは独りになった。キャリィは当然パーティーから外れ、ジーシャもナトスからの別命があってついてこない。プリスもリアもいまだに死に戻りをしていない。仮に2人が死に戻りをしたところでナトスの配下のアンデッドになるだけである。


 彼は多くを失った。


「……ちくしょう」


 トラキアは独りになった。しかし、この力の勇者は逃げることも隠遁生活を送ることも許されていない。彼には押し付けられた重大な使命があった。王様から課せられた使命ではない。憎き死霊術師から課せられた使命である。


 彼はそのために剣を振り続けなければならなかった。


「ぐっ……この畜生がっ!」


 初級ダンジョン。独りで中型犬ほどのネズミ、ラージマウスの群れと戦うトラキアの姿があった。いくら自分が勇者だろうと、いくら相手が雑魚敵だろうと、四方八方から迫られれば、ただでは済まない。


 通常であれば、その1つ1つの傷の蓄積が死の扉へと向かう階段の1段なのだが、アンデッド、動く死体であるトラキアにその概念は既に消えていた。しかし、痛覚を残されたままの悲しい死体は、痛みを受けるごとに死への恐怖を思い出してしまう。


「うぐっ! 邪魔だ! このドブネズミどもがっ! 【ファイア】」


 トラキアはラージマウスの方に手のひらを向けて【ファイア】と叫ぶ。ソフトボール大の火球が真っ直ぐにラージマウスへと向かい、当たった瞬間に火だるまに仕上げていく。


「ヂュウウウウウウウッ!」

「ヂュウウウウウウウッ!」

「ヂュウウウウウウウッ!」


 ラージマウスの群れが密着していたこともあり、何匹かに炎が延び、毛を、皮を、肉を、内臓を、骨を焦がしていく。丸焼けになった死がいが異臭を放ち、そのツンとした異臭に仲間のラージマウスがトラキアに恐れをなし始める。


「ヂュ」

「ヂュウ……」


 ラージマウスの群れに連携や統制は元々ない。ただエサになりそうなものに我先に群がるだけである。つまり、トラキアはひたすら目の前に迫り来るラージマウスを屠るだけだった。


「そういや、こいつら、炎に弱かったか……そんなことも忘れてたな。【ファイア】」


「ヂュウウウウウウウッ!」


「ヂュウウッ!」

「ヂュヂュ……」

「ヂュウッ」

「ヂュ」

「ヂュウ」


 トラキアが再び放った【ファイア】でまたもや数体のラージマウスが燃え盛って丸焦げになる。次の瞬間にラージマウスたちは目の前の獲物が強敵であると判断して逃げ去っていく。


「ちっ……傷が……早く食わないと……おえっ……ぐっ……ちくしょう……ちくしょう……」


 傷だらけのトラキアが現状で唯一回復する方法。


 それは死肉を喰らうことだった。焼いた肉でも構わないが、回復量はそのままの方が勝る。皮を剥ぎ、立ち込める異臭にえずきながら、彼は汚れることも厭わずにその顔をラージマウスの肉に近付けて噛みちぎる。くちゃくちゃとわざと咀嚼音を立て、苦虫を嚙み潰したような表情をしながら、彼はひたすら死肉に食らいつく。


 本来、アンデッドは死霊術師から魔力供給を受けること、もしくは、死肉を喰らうことで回復できる。だが、彼はナトスからの魔力供給を頑として受け付けなかった。そして、ナトスはそれを受け入れた。


 これがトラキアの矜持か意地か、はたまた、ナトスへの悔恨の念を忘れぬための臥薪嘗胆のような行為かは彼しか分からない。


「ちくしょう……強くなってやる……どこまでも強くなってやる……ちくしょう……」


 トラキアの強さへの渇望は、ナトスへの憎悪とともに増していく。しかし、皮肉にもそれはナトスも強くさせ、さらに自分への拘束力や強制力を高めていくことにも繋がっていた。


 一方のナトスもまた国外へと出る準備をしていた。ある程度の資金を貯め、体裁としてはニレとレトゥムの養生のためにのどかな場所で治療をするというものだった。


 実際は増え続ける配下のアンデッドの特性を把握し、効率よく運用するための編隊を考え、実戦形式の訓練で確認をしていた。それもやがて整いつつあり、いよいよ魔王討伐の旅に出ることになったのだ。


「これがアレウスの神器か……」


 ナトスは思わず唾を飲み込む。目の前の机に所狭しと並べたのはアレウスの神器であり、美しい装飾の付いた黄金に輝く兜、鎧、槍、そして、盾である。戦神と謳われる神の神器のため、戦いに関する神器を多く有していた。


 そのほかに、4頭の馬が引く戦車もあるが、さすがにそれを家の中で出すわけにはいかなかった。


「割と早くに手に入れられたな。いや、むしろ、力の勇者は途中で挫けると思ったが、案外、がんばるじゃないか。これもジーシャの作戦とナトスの実施の成果だな」


「……どうだろうな」


 ライアは予想外の展開に驚きも少し含んだような声色で隣にいるナトスに話しかける。彼は彼女のその問いに答えを濁した。


 ナトスは確かに成功した。彼はジーシャの進言に乗り、トラキアには別行動を許しつつ、トラキアを王国が囲う勇者としての地位から引きずり堕とし、それを王国内に流布し、トラキアの虚栄心や自尊心を完膚なきまでに叩きのめした上で、自分へ向くだろう復讐心をトラキアにしっかりと植え付けたのだ。


 案の定、トラキアはジーシャの描いたシナリオに沿って演じてくれている名俳優と化した。


 しかし、ナトスは今さらながら、ここまでする必要があったのかと考えるようになった。トラキアの復讐心を煽り、憎悪や怒りを鎖のように連ねていく必要があったのか。トラキアと和解までいかなくとも協力関係を築き上げることができなかったのか。


 つまり、自分の選択は正しかったのか、と悩みもする。


「ちなみに戦車は馬車にもなる。旅の移動手段としては上々だ。ただし、ナトス、それらを使いこなすにはお前も勇者として鍛える必要がある」


「……そうか」


「さて、では、今宵も交わるとしよう」


 ナトスはライアの言葉を聞いて自問を振り払った。彼女の言う「勇者として鍛える」は現段階において、苛烈な訓練を意味せず、彼女との身体の交わりを意味していた。目の前の女神と繋がれば繋がるほど13人目の勇者として確固たる力を得ていく。


 彼がこのような状況に陥ったのは間違いなくトラキアが原因だった。その憎しみが自分の行いを正当化させ落ち着かせていく。


「……あぁ」


「まだ行為に抵抗があるのか。いい加減に慣れてしまえばいいものを」


 ナトスはライアと繋がれば繋がるほど、女神との交わりに甘美な快楽も覚え、その禁断の果実にも似た快楽へと自ら手を伸ばしそうになる。


 しかし、その度に、それに気付かされる度に、彼の心には闇が広がり、ニレへの心苦しさが増し、自責の念が重く積み重なってもいく。抵抗をしても無駄というライアの言葉、慣れてしまえばいいというライアの言葉、いずれもどこかそうできない部分があった。


 いっそのこと何も感じなくなればいいのにとさえ、彼は思い始める。


「……そうだな」


「自棄になって乱暴を働かないでくれよ? いつも言っているが……優しくしてほしい」


 強く美しい正義の女神は、交わる時だけその強さを意識的に翳らせて、まるで処女かのような弱々しさと乙女らしさをナトスに見せつける。


「……優しくなかった時があったか?」


「いや、お前はいつも優しくて最高だよ、ナトス」


 ナトスはライアの言葉に応ずることなく、ただただ彼女の肩に手を掛けて、誰も眠っていない寝室へと誘った。

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