11. 勇者 二度死ぬ(後編)
ナトスの手から長剣が離れ、復讐の刃は長剣から短剣へと姿を変えた。彼はトラキアに馬乗りになるような形で座り、両手で何度も短剣を振り下ろす。
「があああああああああああっ! ああああああああああああっ! ああああああああああああっ! ああああああああああああっ! ああああああああああああっ!」
トラキアは痛みに叫び声を何度もあげる。息継ぎの度に、少しずつ声の大きさが小さくなっていく。
幾度となく、振り下ろされる刃に合わせて血飛沫が宙を舞い、辺りに散らばっていく。ナトスは自分が汚れることも厭うことなく刺し続けた。彼の表情は徐々に憎しみから無表情へと変わる。
その無表情がトラキアだけではなく、既に配下となったジーシャにも恐怖を覚えさせる。
「何度刺しても刺し足りない……刺し足りないんだ……1度で終わらせられないんだ……」
「やめろおおおっ! やめてくれええええっ! 頼む! もう頼むから! 俺が悪かった! 俺がっ! 怖い! お前が怖い! やめてくれ! もう助けてくれ! ああああああああああああっ!」
ナトスは、まるで機械のように一定のリズムで無機質に刺す。しかし、同じ所は決して刺さず、やがて、トラキアの身体は刺し傷の穴だらけになる。
「どれだけお前の断末魔を聞いても心が晴れない……気持ちが澱む……俺には……分からないよ……」
ナトスが誰に言うでもなく、ぼそぼそと独り言のように呟く。トラキアが復活するために霧散するタイミングは近く、彼の意識が朦朧とし始めている。その朦朧とする中、はっきりとしているのはナトスへの恐怖以外にない。植え付けられた恐怖に涙も流れることはなく、反応することはできなくなっていた。
「あっ……ああ……あ……あ……あ……あ……あ……」
「復讐は虚しいな……これでニレとレトゥムが戻ってくるならいいのに……戻ってこない……でも、復讐せずにはいられない……俺はもう俺の気持ちも分からない……またお前が復活したら、俺はお前を痛めつけてしまうのか? 俺はお前を何度も刺してしまうのか? お前が何度死ねば、俺の心は満足するんだろうか?」
ナトス以外に誰も答えられない問いを彼はひたすら呟く。自問自答に近いそれを彼自身の中で反芻するも、彼もまた答えられない一人でしかなかった。
「…………」
「なんで……なんで、お前は人を傷付けることを楽しめたんだ? トラキア……」
動かなくなり霧散しかけているトラキア。ナトスはここで顔が歪ませる。目尻からようやく涙が零れる。それは彼にとっても不意のできごとのようで、涙がトラキアの上に落ちた時に驚きを隠せなかった。
「…………」
「はは……ははは……俺には分からない……教えてくれよ……」
トラキアが霧散する。しかし、霧は同じ所で留まっている。復活する場所はここなので、霧が散らばることなく、人の形をして留まっているのだ。ただし、ナトスがいる場所に復活することができないため、少しばかりズレた場所で人の形を成している。
「…………」
「ああああああああああああああああっ!」
ナトスは最後に何もない床に短剣を思い切り突き立てた。深々と突き刺さる短剣はトラキアの血が霧散したために血糊も消えた綺麗な状態だった。
証拠の残らない復讐。故に、証を得られない復讐。気持ちを吐き捨てるだけの復讐。しかし、気持ちを吐き捨てきれない復讐。
ナトスに満足感などない。飽くなき復讐心は鎌首をもたげたままであり、しかしながら、振るい先を失っているために亡霊のように彷徨う。
「…………」
「…………」
ジーシャの隣にライアが現れる。ジーシャは彼女に恭しく片膝をつく。ジーシャは震えている。彼女は先ほど自分で試してみたのだ。
痛みを感じるかどうか。
彼女は今の自分でも痛みを感じることを知り、痛みを忌避し、痛みに恐怖することも生きている人間同様の反応をしていることを自覚した。故に、逆らえないナトスに何をされるのか、考えただけでも体の震えが止まらないのである。
「どうして……どうして、お前はニレとレトゥムを殺したんだっ!」
ナトスはそこにいたはずのトラキア、その彼がいなくなった後の何もない床に叫び始める。涙は先ほどの決壊から何度も零れており、その度に床に染み込んでしまってはなかったかのようになる。
「そんなことがなければ、こんなことはなかった! そんなことがなければ、こんなことはしなかったんだよ! したくなかったんだよ……こんなことをっ……辛いんだよ……嫌なんだよ……誰かを恨んで……誰かを傷付けてまで……生きていたくはなかったんだよ……俺はただ……家族で……ただ慎ましく暮らすことがしたかっただけなんだ……なんでできなかったんだよ……なんでさせてくれなかったんだよ……お前は俺を変えたんだよ……トラキアあ……」
ナトスの呪詛は部屋に静かに響く。ライアがナトスの方へと近寄る。
「もう十分か?」
「……あぁ」
ライアの無機質な物言いに、ナトスは少しだけ救われたような気がした。
「ナトス、これが勇者相手にのみ使える魂の縛鎖、要は魂の手綱だ。まだお前は勇者を魂ごと正しく御せるだけの力がないが、これがあるなら身体に戻った魂をこの鎖で縛っておける」
ライアがどこからか取り出したのは、鎖というにはあまりにも細く長い紐のようなものだった。しかし、ライアやナトスが左右に引っ張った所で切れる様子もなく、見た目とは裏腹に頑強な鎖だった。
「……俺には御せる力がない?」
「そうだ。御せる力がないのは、先ほどあったアレウスの勇者の罵詈雑言や抵抗が物語っている。しかし、案ずるな。お前が成長すれば、そんなこともなくなる。まずはその勇者の身体だけを使うんだ。奴の意志は捨て置け。どうせ痛めつけた時に叫ぶくらいしか使い道などない。御せるようになれば、使い道も増える」
人の意志に使い道がない。その言葉にジーシャは恐怖を覚えるも、ナトスは特に気にした様子もなかった。あのナトスがこうも変わってしまうのか、とジーシャは別の恐怖も沸き上がってくる。
はたして、ティモルの与える恐怖とどちらが恐ろしいのかと考えるも、彼女にはどちらも計り知れないため、無意味だとして考えることをやめた。
「……なぜ俺の家族に危害を加えたのかは聞けないのか?」
「……それは今後も無理だろうな。彼が勇者である限り、ある程度の抵抗力が備わっている。もし、聞きたいならすべてが終わって、勇者としての力を失ってからだろう」
ニレやレトゥムが生き返った頃に、はたして、ナトスに理由を聞く意味を見出せるだろうか。
「俺は……すべてが終わったら、俺はひっそりと生きたいんだ……」
「なら、すべてが終わった時に、そのアレウスの勇者の魂を壊せ……壊した魂は地獄冥府へと誘われるだろう。身体も誰かに渡すつもりがなければ、壊してしまえばいい。どうせもうその時は必要ないのだから」
「……そうだな」
こうして、ナトスの復讐は1つの区切り、1つの結末を迎えた。しかし、これで終わりではない。トラキアは今後も利用される。
ナトスが魔王を倒し、彼の家族を蘇らせるまで。
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