11. 勇者 二度死ぬ(中編)
ジーシャの口から語られる話は、実体験であり、事実の見聞きである。
「トラキアが扉を開けると、レトゥム様は好意的に近付いていきました。以前、ナトス様とパーティーを組んでいる勇者と知っていたのもあるのでしょう。そのレトゥム様をトラキアが捕まえ……レトゥム様は昏睡魔法をかけられました」
しかし、潜在的に自分が悪くないという気持ちを出してしまっているのか、主であるナトスに嫌われたくないという気持ちが混じってしまっているのか、どこか他人事のような語り口である。
昏睡魔法を掛けたのは間違いなくジーシャだった。それが分からないナトスではない。だが、彼女は話の辻褄が合わなくなることの方が問題と考えて、あえて、自分の名前を出さずに受け身の表現にした。
「レトゥム様は子どもなので魔法耐性が低く、かかりやすかったようです。その後、レトゥム様はリアが抱えていました。リアにしては珍しく、子どもに興味を持ったようです。おそらく、自分とトラキアの子どもができたら、という妄想でもしていたのでしょう」
「ジーシャ! この裏切り者め! お前だって加担していただろうが!」
「…………」
トラキアが恐れているのはナトスの復讐ではなく、秘密を知る者が増えることである。
彼は当初、ジーシャやナトスを生け捕りにして王様の前に連れて行くつもりだったが、次第に、殺して経緯を説明するしかないと考え始める。生け捕りの拷問による自白が取れない以上、自分が疑われる可能性も高まってしまうが、王様に信頼されている自分ならそこまでひどい疑いにならないだろうという心づもりだ。
「……続けてくれ」
ナトスは近くにあった椅子へとよろよろ動いてゆっくりと腰を掛けた。彼は立ったまま、聞き続けることが困難だと悟ったからだ。彼の顔が深い悲しみに歪んでいる。
彼は心の中で呟く。レトゥムは悪くない。彼女は誰にでも明るく社交的に振る舞える性格なのだ。それをトラキアに利用され、人質となってしまった。誰もがそれを悪く言えるはずもなかった。
むしろ、なぜそのような快活な少女を平気で人質にすることができるのか、危害を加えることができるのか、彼には目の前の男が不思議でならなかった。どうすれば、このような行動を心も痛めずにすることができるのか。
「その後、トラキアは奥様を脅し、性的な行為を始めました。奥様は脅されて仕方なくといった様子で、悲しげで憎らしげな表情のままに心の底から抵抗されておりました」
ナトスは顔を伏せた。聞かなければいけないという気持ちと聞きたくないという気持ちの相反するものが複雑に絡み合い、話の内容もあいまって気持ち悪さが込み上げてくる。
「ジーシャ、お前、ナトスに脅されているのか? そうだろう? 安心しろ! 俺がナトスを完膚なきまでに叩きのめしてやる! そうだ、俺を裏切ったのもナトスに脅されたからなんだろ? 分かった、それなら仕方ないから、お前を不問にしてやる。一緒にプリスとリアを助けに行く手段を考えようじゃないか。だから、それ以上言うな!」
トラキアはジーシャに語り掛ける。彼は彼女を許す気など毛頭ないが、ひとまずこの場を収めるために、ナトスに全てをなすりつけて、彼女は不問に付すと提案した。全てが終わった後は始末するつもりである。
しかし、ジーシャは既にナトスの配下であり、先ほど忠誠を誓っていると宣言したばかりである。彼女が彼の見透かせるほどの薄っぺらい語り掛けに応じるわけもなく、語り掛けられたことによる言い澱みも一切なく淡々と話を続けている。
「その後も、トラキアは何度も奥様を屈服させよう、心を折らせようと性的な行為を続けておりました。腕も脚も縛り上げ、口を塞ぎ、呪詛のように言葉で責め立て、幾度となく奥様を肉体的に汚し、精神的に穢そうともしました。しかし、一向に心の折れる気配がなく時間ばかりが過ぎていき、やがて、痺れを切らしたトラキアは奥様の態度が気に食わなかったと言って、レトゥム様を……奥様の目の前で真っ二つに斬り捨てました」
「ジーシャああああああっ! やめろって言っているだろうが! それ以上言うんじゃない!」
「ぐっ……ああっ……ぐううっ……」
トラキアが力いっぱいに叫ぶ一方で、ナトスは言葉にならない声をあげる。彼の涙はとうに枯れ果てているからか、声だけが絞り出されているような状態だった。彼の悲痛な声は叫びに程遠く、嗚咽のようにただただ静かに吐き出されていく。
ニレが何をしたというのか、レトゥムが何をしたというのか、自分以外に接点のないかつての仲間と自分の家族、つまるところ、自分のせいでしかない、自分が家族を殺したようなものだと彼は錯覚するほどに発狂しかけている。
「その後、怒りと悲しみに震え涙を流す奥様を、トラキアは嬉々としてさらに無理やり犯した上で、ナトス様を殺したと思いつきの虚言で騙し、ようやく心の折れた奥様を最後はレトゥム様同様に斬り捨てました……」
ジーシャの語りが終わる。
その当時、彼女に罪悪感は1つもなかった。自分は関係ないと自分の中では割り切れたからだ。パーティーであろうと個人どうしのいざこざだ。トラキアの方が有益だったから、多少手を貸した程度で、ナトスにもトラキアにも必要以上の思い入れがないと彼女自身は思っている。
しかし、ナトスに忠誠を誓った今、彼の家族を奪ったという彼への身勝手なまでの罪悪感が彼女自身を苛んでいた。
「ううううっ……なんでそんなことをする必要があったんだ……」
「……私にはわかりません。トラキアが突然、そのような話をプリス、リア、私に持ちかけました」
「トラキアあああああっ!」
この時初めて、ナトスが叫んだ。心の底から怒りと憎しみをぶつけるかのようにトラキアに向かって叫んだ。その叫びにも涙は伴わない。伴うのは射殺さんばかりの視線だ。
「答えろっ! なぜ、俺じゃなくて、俺の家族に危害を加えたんだ! もし、俺が憎いなら……俺が憎いなら、俺を殺せばよかっただろうが!」
トラキアはただ嗤った。
「ナトス、何を悲しんでいるフリをしているんだ?」
「悲しんでいるフリ……だと……?」
トラキアの言葉に、ナトスは怒りを通り越して虚しささえ覚える。ナトスにはこの男の考えが全く理解できなかった。愛する家族を殺されている状況で、悲しんでいるフリをする人がどこにいるのだろうか。
「心の中では大成功だと、ほくそ笑んでいるんだろう? 俺が思うに、お前はジーシャと不倫関係にあったんじゃないか? だから共謀して、邪魔になったお前の家族を消そうと考えた。そのシナリオに、お前を憎いと思っていた俺はまんまと誘導された。そうだろう?」
「……お前は何を言っているんだ?」
ナトスには衝撃しかなかった。何をどうすれば、そのような考えに至ってしまうのか。彼も、ジーシャの裏切りがトラキアの妄想の発端だとは容易に想像できるが、とはいえ、ここまで事実と乖離した解釈ができるものかと、ある意味感心するほどだった。
「そうとしか考えられないだろう? でなければ、今の状況は説明できないだろうが!」
「トラキア! お前の妄想に付き合うつもりはない! 俺の質問に答えろ! 何故、お前は俺じゃなく、俺の家族を殺した!」
「ちっ……シラを切り通すつもりかよ……なら、答えてやる。お前が憎いからこそだ」
「は?」
「お前が憎いからこそ、お前には最低で最悪の不幸な目に遭ってほしかったんだよ。どうだった? 邪魔になった家族とはいえ、一度は愛していたんだ。地獄の底までと言わずとも後悔くらいは芽生えているんじゃないか? ははは……はーっはっはっはっはっはっはっは!」
トラキアの醜い大笑いが響く。ジーシャの防音魔法がなければ、受付が飛んでくるだろう。今まで散々喚き散らかしても飛んでこないことから彼は察して、時間稼ぎがてら諸々のことを暴露し始めていた。彼がどれだけ暴露しようと、最後にはナトスとジーシャを締め上げればいいとしか考えていない。
「どうしてそこまで俺を憎む? 理由はなんなんだ!」
「……答えるかよ!」
一瞬、トラキアは言葉に詰まった後、答えないことを選択した。ナトスは引っ掛かる。しかし、答えないと言っている以上、ここでの問答は終わりだと判断した。
「答えないか。分かったよ、いいさ。お前を配下にしてから、ゆっくりと聞き出してやる」
「てめぇ……ナトス、勇者の俺が無能なお前の下につくわけねえだろうが! 地獄の底で頭がおかしくなったか!?」
トラキアが憤慨するも、ナトスは意に介した様子もなく狂気を帯びた笑みを顔に貼り付けて立ち上がる。
「あぁ……トラキア、それは正しい。大正解だ。頭は……おかげさまで、おかしくなったさ。立てた永遠の誓いもへし折らなきゃいけないことに愕然としたよ。頭どころか、心までおかしくなった。さっきもな……配下になったジーシャの力を十二分に発揮させるために、俺は……」
ナトスは自虐めいたセリフを吐いて、途中で言い澱んだ。
「お前は何を言って……」
「……まあ、いい。いいんだ。おかしくなったついでに、お前に復讐する力も手に入れた……」
言い澱んだ後の言葉は続かず、ナトスは話を切り替えた。彼は一歩一歩と近付いていく。
一方、トラキアは自分の身体に動けと念じるが、やはり、指一本も動かない。おかしい、死の罰ではない別の力が働いているとここで気付く。それと同時に告げられる復讐する力という言葉によって、恐怖が全身にまとわりつく感覚になっていく。
「……ふ、復讐する力……だと?」
「そうだ。まずは、正義の神、アストレアの力……」
「正義の神の力……はっ! 勇者を処断し罰せる力だと!? この俺が勇者不適格だとでも言いたいのか!」
罰の軽重はあるが、数多くの勇者がアストレアによって罰せられている。それらは、登場人物が動物に置き換えられて、多くの寓話となって人々に語り継がれていた。
大きな力を持ったことによる増長は誰しもあり得る。
「それと死霊術師の職業適性をな」
「し、しりょう術? お前に職業適性だと? ふざけるな! この無能が!」
「一度死んだお前はもう俺の手の中にある。いつまで経っても動けないことに違和感はなかったか? 四肢どころか指一本も動かせないことに疑問を持たなかったか? さっき言っただろう? 俺は死霊術師になったんだ。死体の扱いに関しては……有能になったぞ?」
ナトスはどこからか取り出した長剣で、トラキアの左腕を斬り飛ばした。
「ぐああああああっ!」
トラキアは痛みがあっても身体がまったく動かず、左肩からどくどくと血が流れていく感覚を脳に刻み付けられる。次の瞬間には、彼の右腕が斬り飛ばされる。
「ぎゃああああああっ! や、やめろおおっ! ナトスっ!」
ナトスはトラキアの太ももに長剣を宛がう。
「痛い! 痛いっ! 俺の両腕がああああああっ! さっきの死の痛みが戻ってくるっ! 痛みで頭が狂いそうだっ! 嫌だっ! やめてくれ! やめてくれっ! 頼む!」
「お前はやめたのか?」
「痛い! 痛い! 痛い! 痛いいいいいっ! やめてくれっ! 頼むから! 俺が悪かった! 俺が悪かったから! 謝る!」
「お前はニレがやめてくれと言ったらやめたのか? お前が謝ったらすべてが元に戻るのか?」
まったく会話にならなかった。
ナトスの振るった長剣がトラキアの両太ももを身体から切り離し、ついにトラキアは四肢のなくなった姿となる。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああっ! 殺してやる! 次に生き返ったら、必ず殺してやる! 絶対だ! 絶対にだ!」
「これは……復讐なんだ……」
トラキアにそのような日は決して来ない。そう言い返すこともなく、ナトスはただ悲しそうな表情で自分にも言い聞かせるように復讐の一言を呟く。
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