11. 勇者 二度死ぬ(前編)

 トラキアの拠点。


 城下町の宿屋の中でも最高クラスの宿屋、さらにその宿屋の中でも最も豪奢な内装、絨毯が敷かれ、壁には絵画が飾られ、大理石の壁や柱は統一性のある高級仕様、何もかもが一級品に囲まれた王族の部屋かと見間違うような空間。


「…………」


 トラキアの身体は数十分前から横たわっている。身体と魂は別々に拠点へと戻るため、身体が先に復活することが多い。さらに、魂が身体に再度馴染むまでに時間がかかる。酷い時は1日以上かかることもあると言われている。


 この復活までの時間が長くかかることから、勇者は自分の拠点に戻らされると人々は口にしていた。モンスターがいるような場所では、復活したそばから無抵抗に殺される可能性があるためだ。


「あっ……ああっ……はあっ……はあっ……はあっ……」


 トラキアは魂が身体に馴染んできたようで息を吹き返し、死んだ罰としての痛みや苦しみのフラッシュバックを悪夢として延々と見せられ続けていた。彼の鼓動は早くなり、汗が滲み、うめき声をあげるようになり、苦しそうな表情へと顔が変わっていく。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 トラキアは覚醒した。しかし、魂が身体にまだ馴染みきっていないのか、彼は指一つ動かすことができない。その後、まぶたを開き、眼球を動かせることに気付いた彼は、眼球を激しく動かしてキョロキョロと辺りを見回す。


 見慣れた壁、床、天井、調度品、そして、ベッドが目に移り込み、彼は宿屋に戻ってこれたと確信し、少しばかり安堵する。だが、彼の身体はズキズキと痛んで熱を帯びており、すぐには動けない状態だ。


「くそっ……プリスとリアが……」


 トラキアは2人の顔が焼き付いている。その2人の顔の色は紛れもなく彼への失望とこれから起こることへの絶望だった。彼にも仲間意識は欠片ほどある。だからこそ、その2人に失望されるのは王様に失望されることの次にあってはならないことだった。


 そう、彼は再び舞い戻ることを決意していた。そのために、下手に助けようとして再び捕まることよりも、一度死ぬことを選んだ。救出できる可能性を彼なりの考えで高めたのである。つまり、2人に対して、パーティーからの離脱宣言をしなかったことは、生きていればいずれ必ず救い出せると考えたからである。


 しかし、それが彼女たちに地獄のような日々を味合わせ、生き延びて生き続けることよりも死ぬことを望ませる結果になるなどと知るのはもっと先である。


「ぐっ……まだ動かないのか……」


 トラキアはまるで金縛りにあったように動けない。ここで何かがおかしいことに気付く。彼の感覚的には痛みで万全といかずとも腕の一本は動かせるくらいに馴染んでいるように思えたからだ。実際、目や口は動くのだから、身体の方も起こせてもいいはずである。しかし、現実はまったく動かすことができず、静かな拠点をただただ眺めているだけだった。


 何よりその疑問を解消してくれるはずの憎き仲間ジーシャがいるはずなのだが、彼の目はまだジーシャの姿を捉えていなかった。


「……そこにいるのはジーシャか!」


 しばらくして、トラキアは何かの揺らぎを感じた。身体をまだ動かせない状態であるにも関わらず、彼は語気を強めて叫び始める。


「…………」


 気取られたからか、ジーシャがゆっくりと姿を現す。明かりの届かない部屋の隅に広がっていた暗がりからまるで幽霊のようにすっと現れ、虚ろな目と固く結んだ口を備えた無表情でトラキアをじっと見つめていた。


「ジーシャああああああああああああっ! この卑怯者が! 一人だけ悠々と逃げやがって! お前のせいでパーティーは立て直せずに、俺は死んでしまい、プリスとリアは捕われたままだろうが! 勇者パーティーが半分になったんだぞ! どうするんだ! お前と、そうだ、キャリィのせいだからなっ! お前もキャリィも捕まえて、パーティーから外して……」


 トラキアは必死だった。


 彼は自分の誤りでないことを証明するためにパーティーの半分が裏切ったことにしようとした。それが周りから見て、パーティーのリーダーの責任になることなど思いもつかないようだ。パーティーの半分に裏切られ、パーティーの半分を救えずにダンジョンに残し、一人死んで戻って来た勇者に、人が憧れも尊敬も抱くわけがない。


 彼は能力だけが勇者であって、人としては最低である。そんな彼は自分が勇者でなくなった時にどのような目に遭うのか、想像すらできないようだった。


「いや……悪いのも卑怯なのも全部お前自身だよ、トラキア……。お前、本当によくそんなことが言えるな……人として恥ずかしいと思わないのか?」


 トラキアが騒ぎ立てる中、静かに現れたのはナトスだ。


 彼は呆れ返ったような雰囲気でトラキアに言葉をぞんざいに投げかける。彼のいつもの擬装は解かれており、病的なまでの白色の肌、少し欝々とした表情、その中に浮かぶように揺れている鮮血のような赤い瞳が真っ直ぐトラキアを見つめていた。


「な、ナトス! どうしてここに! どうやって入ってきた!」


 トラキアはナトスの異様な雰囲気に気付いて少しばかり恐れている。しかし、雰囲気に呑まれてはいけない、恐れてはいけないと気付いたのか、彼はそのことをおくびにも出さないように声を張り上げていた。


「この際、どうやって入ったかなんてどうでもいいだろう? 下らないことは聞くなよ。何でここにいるのかは、お前が上級ダンジョンに入ったと知ってな、どうせ死んで戻ってくると思って待っていたんだ」


 トラキアは違和感を覚えた。ここまで強気に喋るナトスを彼は一度も見たことがなかった。もちろん、場を和ませるための軽口として、くだけた雰囲気で周りに話しかけていることはある。


 しかし、ここまで、誰かを心底バカにしたような言い回しを聞いたことがない。違和感が徐々に膨らむ。


「どうせ死んで戻ってくるだと? 舐めた口を聞きやがって、無能が!」


 ナトスは呆れに加えて憐れむような表情を混じらせる。動けないトラキアに対して、彼はゆっくりとトラキアの方へと近付いていく。


「ははは……実際に死んで戻ってきているのに、なんでそんな強気なんだ? だけどまあ、全員が戻って来られなかったのは予想外だったけどな。途中で倒されて帰還するか、最悪でも爆発の羊皮紙で自爆すると思ったんだけど……俺が言っていたことを何も覚えていなかったんだな……はあ……」


 ナトスはかつての忠告を何も聞いていないトラキアに辟易している。トラキアが耳にタコができると言っていたことを思い出し、頭の中にタコを作らせておけばよかったと思いつつも、おかげでこうも簡単に事が運べるトラキアの阿呆さ加減に感謝していた。


「お前……まさか、ティモルか?」


 ナトスの不気味さばかりが増していき、トラキアは今見えている彼もティモルの化けたものかと思い始める。


「ティモル? あぁ……四天王か。会ったのか? お前は事前に調べるタイプじゃないから会って負けて名前を覚えたんだろ? どうだった? どういう戦法、戦術を使うんだ? 仲間は呼ぶのか? 一人で戦うタイプか? 攻撃のクセやパターンはあったか? 回復や防御とかは使ったのか? もしくは、使いそうだったか?」


 そのナトスの言葉にトラキアは違うと判断した。細かいことばかり聞いてくるのは、ナトスのいつものことだったからだ。そう思い直すと、彼は途端に強気に出始める。


「前にも言っただろうが! 俺にそんな細かいことを質問するんじゃねえ!」


「……なんだ、やっぱり、ちゃんと敵を見なかったんだな……。仕方ないやつだな。でも、ジーシャが戻ってくれてよかった」


「もったいないお言葉です、ナトス様」


 ナトスはトラキアからジーシャに視線を移す。彼女はナトスに歩み寄り、彼の手の甲にキスをした。この行動は忠誠を誓うものであり、する側される側いずれも男女を問わずに行われるものである。ただし、この忠誠は並大抵のものではなく、自分の全てを捧げる、つまり、人生、命、身体を差し出すような覚悟を持っていることを示す誓いである。


「……忠誠を誓います」


 そう、ジーシャは既にナトスの配下になっていた。先にほぼ無傷で戻ってきた彼女は、既にナトスの手によって殺されたのである。


 彼は死体が来るものだと思っていた。だからこそ、まさか自分が人を、特に、自分がかつての仲間と見ていた者を自分の手で自身の配下にするなど考えてもいなかった。そのため、彼の表情は少しばかり重くなっていたのである。


「ジーシャがナトスの手の甲にキス……? ナトス様? 戻ってくれて?」


 トラキアの頭の中には、裏切り者のジーシャ、キャリィに加えて、ナトスをひっ捕らえて差し出す想像が巡り始める。彼の憶測では、すべての元凶がナトスであり、ナトスがジーシャを既に誑かしていて、キャリィもまた誑かされていた。すべては自分を陥れるための罠を張って待ち構えていたのだと。


 しかし、そうなると、ニレやレトゥムを殺害した際にジーシャが加担していたのはおかしいのではないか、と彼はふと思い始める。しばらくして、1つ思い浮かびあがった。ナトスはニレとレトゥムを消したがっていたのではないかと。そこにちょうど自分が誘導されてしまったのではないかと。


 こうして、トラキアの中では、劇作家や小説家が驚くような突拍子もない脚本が作り上げられている。すべてを自分に都合の良いように事実を捻じ曲げ、あまつさえ、家族を誰よりも愛しているナトスのすべてを否定したのだ。


 このことをナトスが知ったらどのような状況になるのかは誰にも分からない。


「そ、そうか! お前ら、グルだったんだな!? グルになって俺を嵌めたんだな! そういうことか! 最悪だな! この卑怯者が!」


 ナトスは首を横に振る。


「違う。グルになんかなっていないし、お前なんて陥れたところで何もいいことないだろう。あくまで俺がジーシャに期待しているのは、ジーシャの魔法のコントロール精度だ。ジーシャは出力の大きさはあまりないけど、コントロール精度が抜群に上手いから、体温みたいな微妙なものを熱すぎず冷たすぎずで絶妙に調整できるんだ。これで、レトゥムを外に出してやれる……よかった……本当によかった……」


「精一杯尽くさせていただきます」


 ジーシャの忠誠に応えるかのように、ナトスは彼女の頭を優しく撫でた。彼女は少し嬉しそうにしている。


「レトゥム?」


 一方のトラキアは2人の会話に違和感しかなかった。彼の覚えている限り、レトゥムはナトスの娘である。その娘は、自分がこの手で斬り殺した、はずである。外に出せるとは何なのか。既に埋葬されたのではないか。ナトスはそれを隠して、日々それがバレることを怯えて暮らしているのではないか。


「な、なにを言っているんだ? お前の家族はとっくに……」


 トラキアの思考はやがて停止し、自分が知らないはずの事実を口から滑らせてしまう。


「よく知っているな? もう俺にはバレているから、隠さなくてもいいぞ」


「……なんのことだ? 体調が悪いと聞いていたから心配してやっていただけだ」


 トラキアはナトスの家族の殺害を自分がやったこととして認めるわけにはいかなかった。それがたとえ彼の妄想である「ナトスの策略に誘導されたという状況」としてもだ。


「……ジーシャ、答えてくれ。あの日、俺の家族が殺されていた日に、何があったのか」


「や、やめろ、ジーシャ!」


「承知しました。あの日は、ナトス様がモンスターの処理で遅くなっている間に、ナトス様の家にトラキアが訪問しました」


 トラキアの制止させる言葉はまるで役に立たず、ジーシャはナトスの指示に従って、淡々と語り始めた。

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