10. 勇者 死す(後編)

 ティモルの不殺発言に、トラキア達はひどく混乱していた。


「……はっ? 何を言っているんだ?」


 モンスターは人を減らすため、つまり、人のいる領域を減らすために人を殺す。人はそれに抵抗するためにモンスターを倒し、最終的に魔王を倒す。この関係が崩れることはなく、今までの勇者たちも幾度も死地へ赴き、そこで壮絶な経験を経て、やがて、力をつけて魔王を倒すに至った。


 それを目の前のティモルがその話を覆そうとしているように、トラキアには感じたのだ。


「だから、なぜ、私がわざわざ殺して差し上げて、貴方たちをダンジョンから出してあげなければいけないのか、と言っているんですよ?」


「……へっ?」

「…………」

「……?」

「……何だと?」


 ティモルがトラキア達に向かって不可解なものを見るような目で睨み付けている。彼らが素っ頓狂な声をあげている中、ジーシャだけは彼のなぞなぞにようやく気付き無言になる。


「おやおやおや、理解力がないのですね? だー、かー、らー、勇者のパーティーが死ねば、死体も魂もダンジョンから出ていってしまって、温かな場所に戻されるなんてのはねえ、私たちモンスター側もそりゃもう十分に知っているわけなんですよ。知能がなかったり、人の判別ができなかったり、欲に負けて殺したりするような低能以外はね」


 モンスター側からすれば、勇者側を殺す理由などない。彼らを殺したところで再び復活して立ち向かってきてしまうし、またいつやってくるか分からない脅威に怯える必要が出てきてしまうからだ。


 それすら感じない低能は仕方ないにしても、人並みの知能を持つモンスターはそのことを教え込まれ、熟知させられている。つまり、勇者は生け捕りが一番だということが周知の事実なのである。


「な、の、で、私たちが殺して差し上げることはしませんよ? えー、貴方たち、もしかして、自害する方法も持たずにノコノコやってきたんですかあ? いや、持っていた爆発の羊皮紙をまさか、まさか、あのような所で使うとは思いませんでしたね。ま、他に方法を持ってきていないのは、気付いていましたけど。とんだおバカさんですねえ」


 そのため、勇者は捕われの身にならないために自害する方法をいくつか用意しておく。その1つが爆発の羊皮紙である。そのほかに、毒を仕込んでおいたり、低魔力で行使できる自殺用魔法を唱えたり、中には数時間後に自動的に刃物が飛び出る装置を心臓付近に忍ばせる方法もあった。


「……嘘……嘘でしょ!」


「ひーひっひっひっひっひっひっひっひっひ! ようやくお気付きになったわけですね! そうだよ、帰す気なんてさらっさらねぇんだよ! ここで永遠に嬲り者にしてやるって言ってんだ! 全員、ここでモンスターたちの慰み者や苗床でなあ! あーっはっはっはっはっはっはっは! 楽しそうですねえ、プリスさん。とても綺麗な恐怖の顔ですよ。その顔が涙と洟に塗れて、ぐしゃぐしゃになっていく様をぜひともお見せいただきたい!」


 プリスの恐怖にひどく歪む顔に、ティモルは今まで彼らに見せていないほどの興奮を催しながら、楽しそうな声をあげて、満面の笑みを彼らに見せつける。


 彼は笑いが止まらない。勇者を1人でも無力化して生け捕りにしておきたい。神器という抵抗する術を持たない未熟な勇者ならなおさらである。


 しかし、普通なら神器も自害方法も持たない勇者が上級ダンジョンに来ない。そう、千載一遇の機会を彼は得られ、勝ち取ったのである。


「トラキアぁ……男のお前だって、苗床にはならなくとも、穴は2つあるからなあ……女より質が幾らか悪いけれど、慰み者にはできるんだよ! 怖いでしょう? 慰み者なんて辛いだろうなあ、とーっても辛いだろうなあ。相手によっては、少しくらい身体的な恐怖もあるでしょうねえ! でも、老衰までは死ねなあい、死なせてあげないですよ!」


 ティモルはより良質な恐怖を求めて、言葉でじわじわと弄るように脅す。彼は特にプリスがお気に入りのようで、何度も彼女の前に立っては更なる恐怖をゆっくりと紡いでいく。


「ひっ」

「ぐっ……」

「ふざけるな!」

「…………」


「恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖、恐怖ぅ! その恐怖に歪んだ顔がこれから更に恐怖で歪み、絶望して、恐怖に恐怖を重ねて、重ねて、重ねるまで私は見届けますよ! ……ま、その後は私興味ないので、適当にいくらでも居てくださいな。後は部下に任せますから。あ、でも、プリスさんは持ち帰っちゃうかも? すごくいい顔をしますからね♪」


 ティモルは一頻りトラキア達の恐怖を浴びたことにより、非常に気分が良くなってしまう。


「トラキア様! トラキア様! しっかりしてください!」

「トラキア! トラキアならできる!」

「トラキア! まだ諦めるなっ! 勇者だろう!」


「…………だ」


「おやおやぁ? 何です? トラキアさんは声が震えているようですが?」


 プリス、ジーシャ、リアはもはや項垂れるトラキアに望みを託すしかなかった。勇者の奇跡、物語の主人公のようなご都合主義、神の思し召し、そして、それは奇しくも訪れる。


「俺は勇者だあああああああああああああああっ!」


 トラキアを捕まえている触手がブチブチと音を立てて切れ始め、触手はどこからか悲鳴のようなものをあげている。やがて、それが断末魔に変わった頃、彼の四肢からは触手が剥がれ落ちて自由になる。


「なっ! 土壇場でアレウスの力が覚醒し始めただとっ!?」


「俺をバカにするなっ! 俺を傷付けるなっ! 俺は勇者だあああああっ!」


 トラキアは握った剣を振り、プリス、ジーシャ、リアを触手から解放する。


「トラキア様! いきましょう!」

「トラキア!」

「トラキア! いくぞ!」


「俺をバカにしたことを後悔させてやる! おらあああああああああああああっ!」


 トラキアは漲り始めた力に手ごたえを感じた。そのまま、彼は今までよりも一段と速い動きをしつつ、ティモルの方へと駆けていく。誰よりも先陣を切って、道を切り拓く。その道を見据えた先にいるティモルを目でしっかりと捉える。


「くっ……」


 彼はティモルが難しそうな表情で後退しつつも繰り出す触手をすべて薙ぎ払いながら、剣の切っ先を徐々にティモルの喉元へと近付けていく。


 彼がティモルを至近距離まで迫り、刃がティモルへと届くと確信したとき、彼は大上段から剣をティモルの脳天へと振り下ろす。


「終わりだああああああああああああっ!」


 緊張が走るであろうその瞬間に、ティモルは不敵な笑みを浮かべた。


「……ふふっ。希望を持てて楽しかったですか?」


「なっ……ぐあっ!」


 トラキアは突如横から現れたデミギガスに殴られて壁まで吹き飛ばされる。


「きゃあっ!」

「うぐっ!」


 プリスもリアも既にまた触手に捕まっている。トラキア達はティモルに希望を持たせられるように一芝居を打たれて、ただただ弄ばれていただけだった。


「ぐっ……プリス、リア、ちくしょう……また捕まりやがって……そういえば、プリスとリアだけか? ジーシャはどこにいる?」


「あーっはっはっはっはっはっはっは! ジーシャさんならあ、あなたの落とした離脱の羊皮紙を使って、早々に逃げましたよお?」


 これこそ、ティモルが彼らを希望から恐怖へと叩き落とす最大の仕掛けだった。ティモルはジーシャがパーティーの中で知恵を働かせてしまうタイプだと気付く。この場合、窮地を脱する策を考えつくのは彼女のようなタイプである。


 それならば、手放すのも惜しいが、早々と一人で逃がしてしまった方がティモルにとっても都合が良いのだった。さらに言えば、ティモルは彼女がプリスとリアの目の前で裏切ったことにより、二人の恐怖に陥る様子が見られるとも考えたのだ。


 案の定、ジーシャは変に知恵が回って、一人、離脱の羊皮紙を握りしめて発動させて離脱した。元より、彼女が魔力を温存していたのはこの策を既に思い付いていたからである。


「ジ、ジーシャああああああっ!」


「あーっはっはっはっはっはっはっは! 愉快、愉快! 仲間をコケにしていた勇者の末路は何と愉快なことか! さて、今度こそ、終わりです!」


「はーっはっはっはっはっはっはっは! そうかな?」


 トラキアはジーシャに怒りを露わにしつつもあることに気付き、自分の剣を強く握りしめて、次の瞬間に自分の首を刎ねた。


 ごろんと彼の首が落ちる。彼はすぐに宿屋に戻ると思っていた。ジーシャを捕まえた後に鬱憤を彼女で晴らし、彼女を反逆者に仕立てて、自分は悪くないと周りに言い張るつもりだった。


 しかし、彼はまだ目の前にプリスやリア、ティモル、デミギガスが動いているのを見ることができた。


「いやあああああああああああああああっ! トラキア様ああああああああああああっ!」


「しまった! ちくしょう! 遊び過ぎたっ! まさか最後の最後に仲間を見捨てて自害しやがった……ちくしょう……ほぼ即死か……回復もできん……仕方ない。私のポリシーに反しますが、最期まで最大級の苦痛を味合わせてあげましょう」


 ティモルが怒りをぶつけるように、トラキアの胴体や四肢を細切れになるまで切り刻み、いくつかの肉片をすり潰すかのように踏みにじった。


 ただし、頭には指一本触れなかった。


「…………」


 トラキアは声が出せない。彼の首が胴体と離れているからだ。


 しかし、ティモルが彼の胴体を八つ裂きにすると、その想像を絶する痛みが彼の脳へと届いていた。死の痛みや苦しみがすべて鮮明に彼へと流れ込んでくる。


「どうです? 勇者パーティーはね、実は、中々死ねないんですよねえ……戻されるまでにけっこう時間がありましてね。さらには、死んだときの苦痛が戻ってからもずっと脳に刻まれるんですよ。悪夢を見ることもしばしば、とか。神様も酷いですよねえ、痛みを消すようにしてあげればいいのにねえ」


 勇者は死なない。しかし、リスクがないわけではない。死の痛みや苦しみが身体だけではなく魂に直接刻まれて、死までの光景が夜な夜な悪夢となってうなされる。


 それは勇者が復活するために、神が莫大なコストを支払うことになっているためだ。つまり、そう易々と勇者に死なれては神が困るからである。


「はあ……残念……ま、いいでしょ。彼はもう勇者として死んだも同然。なんせ、パーティーの離脱を彼女たちに宣言しなかった。つまり、パーティーはまだ有効であり、死なない恩恵を得られる4人の仲間は……ここにいない残り2人だけ……半分が欠番も同然になった。ま、他の勇者と徒党を組んで来るかもしれませんが……その時は別のダンジョンに逃げればいいだけですし。まあ、あの男がそんな芸当できるとは思いませんけどね」


 ティモルは気持ちを切り替えるためにプリスの恐怖一色の顔を見て気持ちを落ち着かせる。


「嘘……いやっ……トラキア様……」


「……やめてくれ……」


 トラキアの意識がここでようやく徐々に途切れていく。激しい痛みと苦しみが彼を苛む中、プリスとリアの表情が彼の脳裏に焼き付いて離れなかった。


 その後、トラキアの死体が霧散する。宿屋で身体が再構築された後、魂が再び定着するのだ。


「さて、死体もなくなっちゃいましたし、メインディッシュといきますか。今ここにいるのは、テンタクルズとデミギガスですか。 うーん、虫もいいですが、無難にスライムとデミギガスがもう1体くらいにしておきますか」


 ティモルがまるで食堂で夕食を選ぶような手軽さでモンスターを召喚する。


 スライムが床にへばりつきながら、デミギガス2体が大きな足音を立てながら、プリスとリアへと近寄っていく。


「嫌……そんな……嫌よ……」


「やめろ……やめろ……やめろ、やめろ、やめろ……」


「いいですねえ。気味良く煩いですねえ。おっと、忘れそうだった。死なれては困りますからね。いますか? イブルビショップ」


「……ここに」


 ティモルが二人を眺めていて、あることを思い出し、自分の配下であるイブルビショップをとても嬉しそうな笑顔で呼び出す。


「あなたがここの管理者の1人で本当に良かった。さて、お願いですが、彼女たちが死なないように適度に回復と、彼らへの指示をしてあげてください。私はしばらく眺めた後に戻りますから。ゆめゆめ殺さぬように」


 イブルビショップは黒い霧に包まれたまま、不明瞭な姿で恭しくお辞儀をする。


「仰せのままに」


「それでは皆さん、最上級の恐怖をお楽しみくださいませ♪」


「いやああああああああああっ!」

「ああああああああああああっ!」


 こうして、描写に耐えない阿鼻叫喚の宴が始まる。しばらく、楽しそうに眺めていたティモルだが、再びあることを思い出し、思案顔に表情を変える。


「しかし、ナトス……ですか。なぜ、あのような男が彼ら全員の恐怖の対象だったのでしょう? もしや、表層的なものではなく、何か……深層に働きかける恐怖……。ナトス……ね……」


 ティモルはナトスに興味を持ち始めていた。

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