10. 勇者 死す(中編)

 キャリィは何とか受け身を取って地面に転がる。その直後に彼女は四方を警戒し、それから壁に張り付くために移動した。


 その後、彼女が部屋に放り込まれてからしばらく経つが、何も出てこないことが分かると周りを注意しながらも扉の近くまでやってくる。


「ふざけるのも大概にしろ! トラキア! お前、いくら何でも外道すぎるぞ! それでも勇者か!」


「ふんっ! ふざけてなどいるものか。どんなものでも、目的を達成できればいいんだ。手段に細かいことをいちいち言うな」


 キャリィの非難の声はトラキアに届かない。彼は彼女を半ば無視して、部屋を見渡すように眺めている。


 部屋は何の変哲もない洞窟の床、壁、天井といった様子である。ダンジョンは目を使うモンスターもいるためか、何故か【ライト】という照明魔法が要所に設置されており、この部屋も例外ではなく、【ライト】を使った明かりが一定間隔で置かれていた。


 そのため、奥の方に次へ進むためと思われる扉が見える。


「どういうことだ?」


「前の勇者が倒したから出てこないとか?」


「いえ、それはありません。ダンジョンのボスはダンジョンの魔力によって一定時間で復活するのですから。これは私たちを油断させるための罠かもしれません!」


「たしかに警戒はした方がいい。しかし、このままじゃ何も起きないな。仕方ない、行くぞ……」


 トラキアが剣を構え、リア、ジーシャ、プリスに合図をする。彼女たちも自分の得物を構えてゆっくりと部屋の中に入る。


「……いない?」


 ふと、ジーシャはキャリィのいたはずの方向に視線を移すが、そこに彼女がおらず、周りを見渡しても部屋の中に彼女のいる様子がなかった。


「なあ」


 突如、トラキア達の耳に男の声が聞こえる。彼らは声のする方向を見ると、いつの間にか壁に寄りかかっていた人影がいた。


 その人影が部屋の真ん中へとゆっくり歩く。


 やがて、明かりに照らされた人影がその輪郭をはっきりとさせていく。


 黒髪に黒い瞳、日焼けで少しばかり焼けた肌、目元のひどいクマ、年季の入った一般的な冒険者の装備をした男。


 彼らのよく知るナトスが彼らの前に無表情で立っていた。


「な、ナトス!?」


「嘘でしょ!?」


「ありえない!」


「こいつがこんな所にいるわけねえ! 幻覚だ!」


 トラキア達は一斉に声を上げた。


「へぇ……」


 ナトスは不思議そうな顔をして、自分の手足をまじまじと見つめた後に、ぺたぺたと自分の顔を手で触る。やがて、彼の表情が不気味な笑みへと変わり、ゆっくりと彼らに近付いていく。


「ナトスだっけか? それがお前たちの恐怖なのか? 姿かたちは何の変哲もない男のようだが? てっきりデミギガスくらいになると思ったんだがな……」


「何を言って……っ!」


 ナトスはいつの間にか、トラキア達の背後に回っていた。彼らは咄嗟に距離を取ろうとする。しかし、彼らは自分たちの身体がビクとも動かないことに気付く。


「表面的な恐怖ではなく、心の底に隠して見せようとしない恐怖の形……それがこの男だというのか? この男はお前たちに何をしたというのかな?」


 やがて、ナトスがすーっと消えると、トラキア達にはいつの間にか黒い触手が全身に絡みついていた。


「へ、あ、え……いつの間にか、触手が手足に絡んで!?」


「ぐっ……頑丈な触手だな。引き千切れないぞ!」


「力の勇者の俺が! 引き千切れないだとっ!?」


「リアやトラキアでも無理じゃ無理だね……。うっ……まずい、これは魔力を吸われている?」


 彼らは誰も腕一本動かすことができなかった。プリス、リア、ジーシャが触手に持ち上げられて、足が床から離れてしまう。


 その後、足音が聞こえて、彼らがそちらを見ると、消えていたはずのキャリィが再び姿を現していた。彼女の表情は満面の笑みで、4人を順番に繰り返し眺めている。


「いやはや、いい景色だな」


「キャリィ、俺たちを早く助けろ!」


 トラキアがキャリィを見つめて怒鳴り散らし、一方の彼女は不思議そうに彼を見つめ返す。激昂したトラキア以外の3人がキャリィに何かゾッとしたものを感じる。


「なんで助ける義理がある?」


「はっ? パーティーだろうが!」


 キャリィはこらえきれない笑いをかみ殺すような表情に変わる。


「ククク……バーカ。まだ気付かないんですか?」


「……は?」


「よかった、よかった……アーレスの勇者が雑魚で……」


 キャリィの笑みは、ひどく歪み、邪悪な笑みへと変わり、やがて、その姿かたちさえも変わっていく。


 変わった後の姿はトラキア達がまったく見知らぬ男だった。


 見知らぬ男は、怒髪天のように逆立った短めの白髪に浅黒い肌、釣り目がちな下三白眼に大きなワシ鼻、肌が綺麗と言い難く少しボコボコとした表面で、サメのようなギザギザした歯が笑みで大きく開いた口から見え隠れする。


 さらに服装はロングテールコートの執事服のようでありながら、色味は全体的に黄土色やベージュといった黄色みがかった色合いだった。


「キャリィ……じゃない?」


「誰だ、お前は……」


「私はティモルと申します。またの名をフォボス……魔王アモル様に仕える四天王の1人にございます」


 ティモルは恭しくお辞儀をするが、そこにトラキア達への敬いの気持ちなど微塵もなく、動作がそうなっているだけの形ばかりのお辞儀だった。口調も丁寧だが、どこか慇懃無礼といった感じである。


 プリスは彼の名前に聞き覚えがあり、やがて思い出して、辟易したかのように顔を歪ませていた。


「フォボス? 大層な名前ですわね。神格が高くないとはいえ、神と同じ名前なんて!」


「……おや、プリスさん、よくご存じで。素晴らしい。敬虔な僧侶ですね。では、四天王の残りの名前もお教えして差し上げましょう。デイモス、ハルモニア、アンテロスでございます」


 プリスの言葉にティモルは一瞬顔を引きつらせるが、すぐに表情を笑みに戻して彼女に小さな拍手を送った。その後、彼は手の内を明かすかのように他の四天王の名前を口にしていく。


 四天王の名前を聞いて、彼女の顔はより一層歪む。


「いずれも神の名前ですか……。仮にお前が本当に四天王だとしても、モンスター風情が……自分たちが神にでもなったつもりですか!」


「……いいえ? 私どもは神そのものです。そして、私どもは人間界を掌握した後に十二神を殺さんとする者です」


 ティモルが真面目な口調でそう答えると、トラキア達は戦慄する。


「……ははっ。神を殺す……か。俺もお前たちが騙った名前をようやく思い出したぜ……全員、アレウス様の子どもの名前だろうが! 俺はトラキア! 力の勇者と呼ばれるアレウス様の力を持った男だ!」


「存じております。存じておりますとも……。アレウス、その忌々しい力を持ったお前のことはな!」


 ティモルがトラキアの方を向き直し、その丁寧で優しい口調と笑顔から怒りに満ちた声を発して恐ろしい形相へと変わる。


「ひっ……」

「うっ……」

「ぐっ……」

「っ……」


 その声と同時に、とてつもない圧がトラキア達に重く圧し掛かった。その後、全員が吐き気を催すほどの凄まじい圧が消えたかと思うと、ティモルは先ほど同様の笑顔を見せている。


「おっと、失敬。ちょっとばかり、言葉が荒くなってしまったようですね。あっはっはっは……先ほども言いましたが、やはり良い景色ですね。特にプリスさん、貴方はどんどん恐怖が増しているその表情がたまらなく素敵ですよ」


 ティモルは高らかに笑った後に、全員の顔をよく見るように一歩一歩ゆっくりと歩きつつ、トラキア達をじっくりと観察している。


 プリスは先ほどの恐ろしい形相が目に焼き付いて離れないのか、いまだに恐怖に怯えた顔が拭い去れずにいたため、ティモルが嬉しそうに一番長く眺めていた。


「ざけんな! くそがっ! こんなもの取り払ってやる!」


 トラキアが全力で腕を振るおうとするが、やはり、触手の力が強いのかビクともしない。


「おやおやおや、言葉遣いがなっていないですね。あと、無駄ですよ? 実際、今の貴方では腕を満足に振り回せないでしょう? ……ふふっ」


「四天王相手じゃ無理だよ。それで、私たちをどうしようって言うの?」


 ジーシャは諦めつつも魔力の放出を抑えている。この触手が身体から無意識に出ている魔力の放出分だけを吸い取っていることに気付いたためだ。


 通常、無意識下では、身体に纏う魔力が減ると体内から新たに身体に纏うための魔力を放出するが、意識している魔法使いであれば、限りなく小さくできる。ただし、魔力的な防御力が減ることになるため、触手からの締め上げもより強く感じることになる。


 それでも彼女が魔力の放出を抑えているのはある考えがあったからだ。


「それはですね、ジーシャさん、そこのプリスさんが私のことをよーくご存知であれば、察しが付くと思いますねえ……」


「うぐっ……プリス! ティモルってのは何の神さ?」


「……恐怖です」


「はっ? 恐怖?」


 プリスは声を震わせながら小さく呟いた。


「恐怖の神は2柱います。フォボス、そして、先ほど名前のあったデイモス。フォボスは主に精神的なダメージによる恐怖を示し、デイモスは主に肉体的なダメージによる恐怖を示します。彼らの与える恐怖はとてつもないものだと言われています」


 プリスの震えが止まらない。彼女は四天王が与えてくる恐怖がどのようなものか想像しただけで縮こまってしまっている。やがて、彼女はぶつぶつと神に祈っていた。


「ははっ! つまり、私たちを怖がらせたいってことか。悪趣味だな」


 リアが笑い飛ばした。彼女はまだこれから起こるかもしれないことを一つも考えていない。


「お褒めの言葉をありがとうございます。まあ、有り体に言えば、皆さんに最上級の恐怖を味わっていただきたいのです」


 ティモルは一瞬でピエロのような姿になって笑顔で両腕を上げ、全身で恐怖をエンターテインメントやショータイムと言わんばかりに嬉しそうに伝えている。


「ちっ…………せよ……」


「はい? 何か?」


 ティモルはトラキアが何かを呟いたことに気付き、興醒めしたような顔と先ほどの執事服姿になってから、彼に何を言ったのか問いただす。


「さっさと殺せって言ってんだよ!」


「先ほどの彼女の話を聞いていましたか? 身体的な苦痛や恐怖はデイモスの十八番。私は精神的な恐怖だと」


 トラキアを小ばかにして、ティモルは再び笑顔を見せる。


「……恐ろしくなって発狂でもして、俺たちが死ぬっていうのか!」


「うーん、なんででしょうか? ……先ほどからこの会話はどうも要領を得ませんねえ。貴方たちはとても……そう、とてもひどい勘違いをしているように思いますね。なので、これだけは正しておきましょうかねえ」


 ティモルは不思議そうな表情でトラキアに向かって大きく首を傾げて、次の言葉を呟く。


「なぜ、私が貴方たちを殺して差し上げなければいけないんです?」

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