10. 勇者 死す(前編)

 キャリィが爆発の羊皮紙を使って、爆発音をダンジョン内に響かせてからしばらく経った頃、トラキア達は遅々として進むことができていなかった。キャリィが調べていた通り、中層の中ボス以降はダンジョン内にモンスターだけではなく、罠も大量に仕掛けられていたからだ。


 この罠に対して、トラキア達は何の対策も取れていなかった。以前なら、ナトスが罠抜けの指輪、罠視えの薬、罠解きの7つ道具などの準備をして、時には彼らよりも前に出て罠の処理をしていたのだ。しかし、その彼はもういない。


 結局、トラキアはリアに罠を受けさせてはプリスに治癒や解毒を受けさせるという力業で進めていくしかなかった。リアはトラキアに頼られているということで引き受けたものの、徐々にその表情が痛みや痺れの繰り返しによって悲痛なものへと落ち込んでいく。


「苦労を掛けているな」


「大丈夫だ……」


「回復は任せてください」


「…………」


 ジーシャは役割を持っていないからか、このトラキア、プリス、リアのやり取りを少し遠巻きに見て、その異常さに気付いていく。


 いや、とうの昔に気付いていた。自分たちにはナトスが必要なのではないか、と。しかし、それを言う勇気が彼女になかった。さらに言えば、それを認めれば、自分が無能を評価していることになる。自身を優秀と自負する彼女にとって、それは耐えがたい屈辱だった。だから気付かないふりをしていた。


 その時である。彼らの後ろから何かを引き摺るような音がする。全員が後ろの方を向き、武器を構える。


「何だ……何が来る……」


「何だ……って、こんな所だから、モンスターじゃなきゃ、私くらいしかいないでしょ。私がモンスターに見えるって言うなら、目を洗ってきな」


 声の主、音の主はキャリィだった。ボロボロの服装とカバン、全身から血が出ていたようで身体には血の流れていた跡がいくつもある。引き摺っている音は、彼女の左足が上手く動かないようで、少し引き摺っていたために出ていた。


「キャリィ!? 無事だったんですか?」


 驚いたプリスから出た言葉にキャリィは小ばかにしたような表情と声を出す。


「はは……目は大丈夫か? これで無事なわけがないだろ……まあ、爆発の羊皮紙を唱えた後、デミギガスの野郎にぶん殴られて吹っ飛ばされたおかげで、爆発で死に損ねたんだよ。さすがのデミギガスも爆発に巻き込まれて即死だ。私の方は、殴られたせいであばらを数本ほどいかれちまってる。プリスに治してもらってから帰るくらいの役得はあってもいいだろう?」


「その程度ならおそらく治せますが……」


 プリスはちらりとトラキアの方を見る。彼とキャリィの仲を考えると、迂闊に回復すると彼の叱責が飛んでくる可能性があるためだ。彼はゆっくりと縦に首を振る。


「いいだろう……」


「分かりました。【ヒーリング】」


 プリスの手から淡い光が出てきて、キャリィの身体にまるで煙のように纏わりついて彼女のケガを治していく。この回復力や即効性にはキャリィも驚きを隠せない。


「すごいな。助かったよ。それじゃ、これやるよ」


 キャリィが数枚の羊皮紙を渡そうとしてくるので、リアが彼女からひったくるようにしてから広げた。


「これは?」


「デミギガスが落とした地図だ。いわゆる討伐報酬だろうな。最初は分からなかったが、このダンジョンの中層以降の地図のようだ。ご丁寧に罠の位置まで記されている。この地図があって、罠にもかからずにお前らに辿り着けたわけだ。じゃあな」


「……待て」


 キャリィは一通り説明すると、翻って元来た道を戻ろうとする。だが、それにトラキアがストップをかけた。彼女は怪訝そうな面持ちで彼を睨み付ける。


「なんだ? まだ用か? 私はもう用がないんだが?」


「この地図があるなら、お前も足手まといになりづらいだろう。最後までついてこい」


「……さっきと約束が違うぞ?」


「さっきの約束は爆死するのが前提だろう? それにこの地図、お前がそう言っているだけで本物かどうか分からない。だから、お前が先頭で先導しろ」


 キャリィは目を丸くして驚いてから、再び睨み付ける。


「は? 荷物持ちが先導するパーティーなんているわけないだろうが!」


 トラキアは思わずナトスの名前が喉まで出かかるもぐっと飲む込む。その後、彼はキャリィに有無を言わさないといった様子で彼女を睨み付け返している。


「何を言っている? 適材適所だ。いいからお前が先頭で地図を持って先導しろ」


「ちっ……ロクな死に方しないぞ?」


「はっはっは! お前に心配されなくとも、円満に天寿を全うする予定だ。いいから言う通りにしろ! また躾けられたいのか!」


 キャリィはやれやれと言った様子でリアから地図をひったくる。


「ちっ……なんだよ、躾って……私は犬か?」


「何か言ったか?」


「聞こえなかったのか? 分かったって言ったんだよ。まあ、この地図があれば、問題ないだろうからな」


 キャリィは苦虫を嚙み潰したような表情で先導する。それについていこうとするトラキア、プリス、ジーシャ、リアだが、ジーシャは一瞬、彼女の苦い顔がせせら笑いに変わったかのように見えた。次の瞬間には元の苦い顔に戻っていたので、彼女は見間違いと思うようにした。


 その後、地図を持つキャリィが先導して進んでいく。モンスターの位置までは記されていないので途中何度も遭遇することにはなったが、罠は完ぺきなまでに記載されているようで概ね問題なく進む。


「本当にするすると行けますね……デミギガスを倒せて良かったです」


「倒したのは私だよ」


 プリスは最下層の数層上と思われる階層まで辿り着くと感嘆の息を漏らした。キャリィが思わず口を尖らすが、誰もそれに返答しないのでその会話は続かなかった。


「上層からデミギガスまでの地図もどこかにあるんだろうなー」


「どのモンスターが持っているか分からないんだから仕方ない」


「しかし、伝説の装備がないな? 地図に書いていないのか?」


 ジーシャやリアの気が緩んできたようで雑談を始める。キャリィは何を言っても無駄だろうと思い、警戒しろとは口に出さなかった。その後にトラキアが彼女に伝説の装備の話をする。


「伝説の装備? ……そうだったな。いや、地図にはないな」


 キャリィは不思議そうな顔をした後に地図を眺めて、それがないことをトラキアに示す。彼も地図を横から眺めながら、どこか目ぼしい場所がないかを探してみる。しかし、地図上に見えるのは数多くの罠が設置されていることだけだった。


「見逃している可能性があるか?」


「どうだろうな……行き止まりは罠ばかりみたいだから、そういう宝物がありそうな場所は見当たらないが」


 トラキアは残念そうな顔を隠さない。


「となると、ボスが持っている可能性があるのか」


「……断定はしないけど、そうかもな」


「仕方ない。先を急ぐぞ」


「はい」

「はーい」

「わかった」


 トラキア達がようやく最下層に降り立つとそこには大きな扉があった。木と石でできた人工物を思わせる扉は5mを超す高さの上に幅も広く、ここまで大きいと、目にした者達が何のための扉なのか分からなくなってくる。この扉が必要なボスがいるのかと思うと誰もが唾も飲み込むほどだ。


 しかし、ダンジョンのボスはいられるエリアが限られており、このような扉がある場合、扉の手前まで出てくることはない。


 ではなぜこんな扉が必要なのか。それは誰も分からない。その後、全員が周りを見渡すも扉以外には何も見当たらなかった。


「さて、ここが最下層のボス手前だな……ここには神の安全地帯がないのか」


 中ボス前にはあった神の安全地帯もここにはない。


「キャリィ。もう爆発の羊皮紙はないのか?」


「ないね」


 トラキアはキャリィにそう問うも、彼女は首を横に振った。


「さっき彼女のバッグをみんなで漁っても出てこなかったので、おそらく嘘はついていないと思います」


「いまさら、嘘を吐いたって仕方ないだろ?」


「……全員、戦闘準備だ」


 トラキアはそう呟く。残りの全員が驚く。最初に言葉を口にしたのはプリスだった。


「も、戻りませんか? さすがに、未知数すぎます」


「たしかに勝てる見込みなさそうだしなあ……」


「決めるのはトラキアじゃないか?」


「おいおい、リア、それは考えなさすぎだろ」


「キャリィには聞いていない」


「…………」


「どうする? トラキア?」


 プリスは引き返すことを提案し、ジーシャもそれに乗る。リアはトラキアに委ねると言ってキャリィに窘められるも意に介した様子もなくトラキアに訊ねる。


 彼はゆっくりと頷いた。


「さっきも言ったように、ここまで来て帰るわけにはいかない。戻るにも死ぬ可能性が高い。なら、ボスの情報を少しでも知ってから死ぬ選択肢を取ろう。もちろん、死ぬ気はない。全員で勝利をもぎ取ろうじゃないか」


 トラキアは扉を開ける。彼にとってこの程度の扉を開けることなど造作もなかった。開けた先のぽっかりと空いた大きな広間のような部屋には、全員が目を凝らしても何も見当たらなかった。


「踏み入れたら出現するタイプでしょうか」


「そうかもしれないな。とすると、作戦はこうだ」


 トラキアはそう言うと、キャリィの胸倉を掴んで持ち上げた。


「な、何をする!? ま、まさか!」


「察しがいいな。そう、決まっている。囮だよ。非戦闘員を囮にして、ボスを出させて、その上で弱点を探すだけだ。どうせ死ぬつもりだったんだろう? この先で死んだって同じだろうが!」


 その作戦は非戦闘員であるキャリィを囮にして、犠牲を最小限にするという卑劣極まりない作戦だった。彼が彼女を引き留めて最下層にまで連れて来たのは元よりこの囮作戦を考えていたからに他ならない。


「こんの外道がっ! お前、本当ににんげ……ぐあっ!」


 キャリィは満足に文句を言えずじまいで、トラキアに大きな部屋の中へとぞんざいに投げ入れられたのだった。

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