9. 勇者 騙される(後編)

「はぁ……はぁ……神の安全地帯か。過去の勇者が設営してくれたようだな」


 トラキアがそう呟く。


 聖域の神ヘスティア―の加護が付与された柱と聖火によって、ダンジョン内にモンスターの侵入を拒む聖域が作られ、それを人々は神の安全地帯と呼んで重宝した。神の安全地帯は数に限りがあると人々に信じられており、一部の中級ダンジョンや上級ダンジョンにしかないことがそれを物語っているとされた。


「さて、中層のボスだな」


「だ、大丈夫でしょうか? 最近、中級ダンジョンのボスに勝てたためしがありません」


「駆け抜けるのにも無理があると思うよ」


「さすがにここまでか?」


 進みたいトラキア、臆するプリス、諦めているジーシャ、策のないリアがそれぞれ思い思いの言葉を口にしている中、キャリィはここが潮時と決めたようで荷物をごそごそと漁った後に口を開いた。


「私に策がある。お前たちが進める唯一の手段と言ってもいい。ただし、私がほぼ間違いなく戦線離脱する前提だ」


 キャリィが思いもよらぬ言葉を口に出したことで、残りの4人は驚きを隠すことができなかった。


 しかし、進みたいトラキアにとって、彼女の提案がどのようなものになるのかは気になって仕方がなかった。


「……言ってみろ」


「簡単だ。この、引き寄せの羊皮紙、そして、爆発魔法の羊皮紙の2つを私が使う」


 『引き寄せの羊皮紙』はモンスターのエサになりやすい魔力を封じ込めて匂わせることで、中級ダンジョンのボスクラスであろうと一時的にその羊皮紙の方へと向かわせる効果がある。効果は羊皮紙に込められた魔力の量に依存するが、中級ダンジョンのボスクラスであれば、近付いた後に一瞬でその効果がなくなってしまう。


 『爆発魔法の羊皮紙』はとても強力な爆発魔法の魔力を封じ込めたもので、発動する呪文を唱えた後、3秒ほど経過すると羊皮紙を中心に強烈な爆発ダメージを与える。一般的な問題点は、自爆になりやすいことであり、そのために防御が得意なガーディアン系、遠投スキルを持った格闘家や射出が得意な弓士が発動するのが定石だ。さらに、中級ダンジョンのボスクラスにどの程度までダメージを与えるかは分からないことも加味されると最善策には程遠い。


「……つまり、お前が囮になって、俺たちがその間に奥へと進むということか。何が目的だ?」


「正直な話、さすがに荷物を担いだまま駆け抜けて、最下層までは無理だ。非戦闘員だし、足を引っ張る可能性も高いし、最下層まででやられる可能性も高い。となれば、だ。どうせ死ぬなら多少は役に立ってやろうかと思ってな。ただし、戻ったら報酬は多めにもらえる前提での話だ。メリットがなければ、死ぬ痛みをわざわざ受けるのはごめんだね」


 キャリィは嘘と真実を織り交ぜながら、信じ込ませるように話す。爆発魔法の羊皮紙を唱えて爆発するまでに、離脱の羊皮紙を唱える時間は十分にある。


「報酬が目当てかよ。少しは仲間意識が芽生えたのかと期待したけどな」


「おいおい。その目はどう見たって疑ってる目だろう。残念ながら、お前ら相手に仲間意識はまだ芽生えてないよ。散々酷い目に遭わされたんだからな。だけど、契約は契約だ。仕事はきちんとこなす」


 キャリィは情に訴えかけない。非道な4人に情など訴えかけても無駄で、むしろ、彼女も非常に徹さなければ食い物にされるだけだからだ。


 彼女が調べれば調べるほど、死ぬ痛みというのは壮絶なものだと知った。勇者さえも発狂することがあるらしく、もちろん、勇者の仲間などは言わずもがなと言ったところだ。つまり、生きていると言っても身体は生きているが、精神が壊れて冒険者として死ぬ可能性が大いにある。


 彼女はだからこそ、今までの復讐として、彼らに一度死んでもらおうと思うに至った。そう思うに至り、過去、ナトスが死なないように物事を進めていたことは正しかったのだとも思った。


 しかし、彼の無能が全て裏目に出てしまったのだろう。彼女は彼を不憫に思うほかない。彼女は所詮荷物持ち、無能な彼と一緒のパーティー編成になることは、複数パーティーによる大隊編成でも組まない限り稀であり、雑談をする暇を妻子が不調という彼にあるとも思えない。


「……いいだろう。ただし、これは置いていってもらおうか」


「あっ!」


 トラキアは目ざとくキャリィの隠し持っていた『離脱の羊皮紙』をぶんどった。彼女はしまったという顔をする。その後、彼女は取り返そうとするも、トラキアにぶん殴られて吹っ飛ばされる。ぶんどられた後の対応策などなく、彼女には為す術がなかった。


「それは、離脱の羊皮紙! そんなものまで用意していたなんて!」


「ってて……ちっ……返せよ!」


「はーっはっはっはっは! お前ごときが考えそうなことなんて俺には手に取るように分かる! これは俺が預かっておこう。荷物も全員、見直して、最下層まで行けるように備えろ」


 全員が自分のカバンや持ち物に入るだけの回復薬などを入れて、トラキアは中身の残りが少なくなったカバンをキャリィに投げつける。


 彼女はその自前のカバンを大事そうに持って、キッとした表情で彼を睨み付けた。彼はその睨み付けを弱者の精一杯の反抗と見たのか、嬉々とした邪悪な笑みで彼女を見つめる。


「……少し状況は変わったが、報酬、忘れるなよ! 契約だから、お前でも破れないからな!」


 キャリィは死への恐怖に半分引きつった顔をしながら、トラキアにそう叫ぶ。


「あぁ、もちろんだとも。死の痛みを味わった分の報酬はくれてやる。行くぞ!」


 中層のボスはデミギガスという半巨人であり、3mほどの巨体が2体もいた。デミギガスは鈍重に見えて、意外と素早く、次の階層へ通さないといった様子で次の階層に続く穴をその巨体で塞ぐ。


 トラキアは笑った。デミギガスは魔法や投擲物を使わないので、遠距離攻撃ができないモンスターである。さらには、欲望に弱く、『引き寄せの羊皮紙』に反応しやすい部類だったからだ。


「引き寄せの羊皮紙、発動!」


 キャリィは両手で構えていた羊皮紙を広げ始め、『引き寄せの羊皮紙』を発動させる。同時に、デミギガスは『引き寄せの羊皮紙』の魔力にまんまとつられて、トラキアたちとすれ違ったことさえ気付かずにキャリィの方へと全速力で向かって行く。


「はーっはっはっはっはっは! キャリィ、また会おう。次は宿屋でな!」


 トラキアは後ろを振り向きながら高笑いをする。ここでほぼ作戦が成功しているからだ。さらには、『爆発魔法の羊皮紙』でデミギガスに大ダメージを与えておけば、最悪、最下層から逃げる際にも有利になる。


 彼と3人が次の階層へと消えていくと、キャリィはニヤリと笑う。


「来たな。爆発魔法の羊皮紙、発動!」


 2匹のデミギガスは『引き寄せの羊皮紙』の魔力を吸い終わった後、キャリィの方を見ている。


 デミギガスは人間の女性を好む習性がある。もちろん、性行為のためである。そのため、2匹は先へ進もうとする遠くのトラキアたちと女性陣よりも目の前の彼女の方に寄って来る。


「……お前らもトラキアも本当に甘いな。なんで2つ持っていると思わないかな? さて、じゃ、離脱の羊皮紙、発動っと」


 キャリィはそうして何事もなくダンジョンを抜けて戦線離脱を果たす。その次の瞬間、『爆発の羊皮紙』は2匹のデミギガスを巻き込んで大爆発を起こした。直撃を爆心地で受けたデミギガスの四肢はバラバラになり、煙が晴れた頃に立ち上がっている者は誰もいなかった。


「…………ふふっ」


 しかし、しばらくすると、ボロボロのキャリィの姿をした何かが中層の中央に佇み笑みを浮かべていた。

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