9. 勇者 騙される(前編)

 とある上級ダンジョン。正確には、さらに上の超上級ダンジョンである。


 ダンジョンは通常よりも強い魔力を帯びることでモンスターが自然発生するようになった場所と言われている。主に自然生成物、たとえば、洞窟のようなものがダンジョン化しやすいが、人工物がモンスターの襲撃に遭い、ダンジョン化した例もある。このダンジョンは不思議な場所で、洞窟のように下へと向かうダンジョンだが、壁や天井はある程度人の手が加わっているかのように整えられている。


 ここを踏破した者は、過去の勇者の中でも各時代で最強と呼ばれる者たちだけである。勇者が鍛錬に鍛練を重ね、神器を手にし、ようやくここのダンジョンに挑み、さらに鍛練を重ねることで魔王との戦いに備えていた所だ。


 本来ならば、神器もない勇者と鍛練を怠ったメンバーで構成されるパーティーに死ぬ以外の選択肢が存在しないのだ。


 本来ならば、である。


「伝説の装備か。俺のためにあるものだな」


 ここを踏破した勇者は魔王を倒している。このような事実が、曲解して伝わることがままある。ここには素晴らしい装備があり、それを手に入れて身に着けた勇者が魔王をことごとく倒していた、と。


 その曲解して伝わっている真相は実に簡単で、元々、勇者でない人間がそれを手に入れることができれば、勇者として魔王を倒せるという願望や夢想を具現化しただけの伝承ともおとぎ話とも与太話とも言えるような単なる創作のなれの果てだった。


 つまり、ここにはトラキアの望む伝説の装備など存在しない。


「ほ、本当に大丈夫なんですか!?」


 トラキアパーティーはそのダンジョンの中に入ってから1時間ほど、途中途中にモンスターをすり抜けながら駆け抜けていた。


「……何がだ」


 トラキアはプリスの問いに冷静な様子で答えるも、やはり選択を間違えていた。まず入り口付近、最上層にスライムのような敵が現れ、彼がその力で剣を振るうも刃が通らず、さらには通常のスライムが苦手とする炎の魔法をジーシャが唱えるもまったく効果がなかった。一同はその事実に驚愕し、足止めを食らった。


 そこで敵を研究する選択肢もあった。そうすれば、このスライムのような敵が実は炎ではなく水や氷に弱いことを知ることができ、このダンジョンでは通常と異なる属性や耐性を持つモンスターが存在していると理解することもできた。さらに言えば、トラキアの力をもってすれば、スライムの粘性の身体の奥にあるコアを粉砕することもできただろう。


 また、そこで引き返す選択肢もあった。「上級は早かった」、「調査が甘かった」と判断し、戦略的に撤退して再び出向くこともできた。時期尚早だったと自己を省みて、中級に戻って長年のブランクを解消し、全員が戦闘の勘所を思い出してからでも良かっただろう。人格はともかく、彼らの本来の戦闘力は粒揃いである。


 しかし、踏破の失敗が頭をよぎり、それを恐れたトラキアが突如、何を言い出したかと言うと、「一気に最下層まで駆け抜ける」と言い出したのだ。その後、彼がすぐに駆けだしていくため、他の4人はついていく。


 キャリィだけはいつでも離脱できるように『離脱の羊皮紙』を用意していた。


「ですから、上層のモンスターでさえ倒せていないのに、最下層までなんて!」


 そのプリスの言葉に返事をする者は誰もおらず、その後も進んでは様々な形のモンスターが現れた。ジャイアントラットという大型犬ほどの大きさをしたコケを纏ったネズミ、アッシュコーボルトという濃い灰色の毛むくじゃらの小人、ケイヴゴブリンというイボが目立つ緑色の肌をした小鬼、リビングウォールという岩肌をして道を塞ぐ岩人形の亜種、まるでモンスターの見本市かのようにありとあらゆるダンジョンのモンスターが現れる。


 その度に、トラキアやリアが無理やりに撃破できることもあれば、全く攻撃が効かないこともあり、やがて、確認することさえも止めた。彼らは敵たちの影を恐れ、敵の目を誤魔化して、休憩を挟みつつも徐々に進んでいる。


「ちっ! 雑魚に時間も体力も使っている場合じゃない。一気に駆け抜けるぞ!」


「雑魚に負ける私らは、さしずめ羽虫ってことね」


 トラキアが焦れてきたようで、さらに強硬な手段を取ろうとする。その様子を見て、キャリィは小さな声で軽口を叩く。彼女は戦線離脱の方法を探していた。このままだと死んで町に戻れるだろうが、あるいは、もっとひどいことが起きるかもしれないと予感していた。


 死よりも恐ろしいことである。


「何か言ったか!?」


「前! 前から敵だよ!」


 トラキアが後ろを振り返っている間に、岩で覆われたロックトータスという亀型のモンスターが目の前まで迫って来ていた。


「っ! リア、蹴散らせるか!?」


「ぐうっ……ぬあっ!」


 リアはトラキアの言葉に応じて、得物である破壊の鉄槌を横薙ぎに振るう。ロックトータスはその衝撃に横へとズレて岩壁に激突する。しかし、ロックトータスにダメージはない。ロックトータスが再び彼らの方を向いて、突進か何かの準備をしているように見える。


「何とか吹っ飛ばせたが! ダメージはないみたいだ! こっちまた向かってくるぞ!」


「とりあえず、充分だっ! 先を急ぐぞ!」


 トラキアたちは脱兎のごとくロックトータスから離れると、鈍重なロックトータスは攻撃を止めて元の場所へと戻っていった。


「思ったよりも順調に降りていますね! ジーシャ、ここの情報はありますか?」


「正直、分からないことが多い! 30層とも50層とも言われている」


 プリスはジーシャと横並びになって、ダンジョンの情報を確認するが、ジーシャは下調べを怠っており、噂レベルの回答しか寄越さなかった。


「ご、50層!? 普通、上級は30層程度でしょう?」


「50層の信憑性は少ない! 30層程度と考えて問題ない!」


 プリスとジーシャのやり取りを見て、キャリィは小さく溜め息を零す。冒険者として失格の烙印を体中に押し付けてやりたいと思うほどに、彼らのずさんさが目に余る。


「いやいや、お前ら、先に調べておけよ……このダンジョンは過去の勇者の話をまとめた記録によると35層程度らしい!」


「キャリィ、調べてくれていたんですか?」


「まあな!」


 どこで戦線離脱すべきかを考えていたキャリィは下調べも当然していた。もちろん、情報の信ぴょう性は過去の勇者の記録しかなく、どこまで真実かは分からない。そもそも、モンスターの特性が変わっていることが記録されていない時点である程度の情報操作がされている可能性が十分にあると彼女は予想している。


 しかし、ここは、たとえ死ぬことのない勇者パーティーであっても、無策で来るには憚られる場所、超上級ダンジョンなのだ。情報は多少雑であっても、より多くあったところで困らない。


「少しは役立つじゃないか!」


「それくらいはな! 15層以降は罠も多いらしい! 中層あたりで1回大広間になっていて、中級ダンジョンのボスクラスが出るらしい! 最下層も似たもののようだ!」


「なるほどな! 中層のボスは気になるが、このまま駆けるぞ!」


 トラキアたちはキャリィの情報を頼りに士気が上がってきた。一方のキャリィは別のことが気がかりになってきていた。


「しかし、なんか、おかしい。モンスターラインになっていない……。お互いの縄張りが強いのか? それとも、何か別の思惑が働いているのか? とすると、いよいよ、こいつの出番もあるかもな」


 キャリィの呟くモンスターラインとは、文字通り、モンスターが線のように列を連ねて冒険者を追いかけてくる行為のことである。場合によっては、挟み撃ちや囲まれることもあり、意図的にモンスターラインを起こすことは自殺行為に近い手段とも言われる。


 また、モンスターラインは別のパーティーになすりつけてしまう可能性もあるため、冒険者の間で一種の迷惑行為とされている。その一方で、救助が必要なパーティーを救うために行われることもあって、最終的には状況によりけりとされていた。


 その後もモンスターラインは起こることもなく、トラキアたちは案外容易に中層まで駆け抜けることができた。

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