8. 勇者 選択を誤る(後編)

 城下町の宿屋の中でも最高クラスの宿屋、さらにその宿屋の中でも最も豪奢な内装、絨毯が敷かれ、壁には絵画が飾られ、大理石の壁や柱は統一性のある高級仕様、何もかもが一級品に囲まれた王族の部屋かと見間違うような空間。


「トラキア様、大丈夫でしょうか?」


「大丈夫じゃない? 王様と懇意なんでしょう? こんな部屋を用意してもらえるくらいだし」


「トラキアは勇者だからな。一国の王とはいえ、無碍にもしないだろう」


 そこは、トラキアパーティーが拠点にしている部屋だ。ただし、キャリィだけはトラキアとの同室を拒んだため、普通の冒険者が使う安宿に寝泊まりしていた。


 彼女自身、普通の冒険者の感覚を忘れてしまうことに恐れを覚えている。


 プリス、ジーシャ、リアはソファで仲良く楽にしており、キャリィは少し離れた所で荷物の確認などをしていた。


「その勇者様は失敗続きだけどな」


「……キャリィはまだ懲りないようですね。ねえ、私たち、同じパーティーじゃないですか。今までトラキア様のしつけから助けてあげられなかったことで怒っているのは知っていますが、そろそろ水に流してもらえないでしょうか」


 キャリィの軽口に反応したのはプリスだった。プリスはこのギスギスした女性どうしの状況がどうも苦手で、なんとかキャリィと全員が仲良くなれないものかと案じている。


 しかし、キャリィからすれば、トラキアのいる前だと平気でプリスが彼女を裏切るため、プリスは仲良くする以前に信頼しようがない人物だった。


「……あのな。水に流すってのは、水に流す側が使う言葉であって、流されたい側が使う言葉じゃないんだよ」


「もー、プリス、放っておきなよ。キャリィの強情さはよーく分かっているじゃん。何度トラキアにしつけてもらっても直らないってことは、愛情で飼えるわけじゃないってことだよ」


 プリスとは逆に、ジーシャはキャリィが孤立するように仕向けている。彼女は自分のいるパーティーの中で誰かを仮想敵にする癖があった。


 それは彼女自身がそのような仕打ちを受けた過去があり、自分が誰かと仲良くするにはそうするのが良いと信じてやまないようになってしまった。ただし、最初は自己防衛のためにしていたが、そこに楽しみを覚えてしまってからは自分がいかなる状況でも仮想敵をつくるようにしている。


「はっはっは。愛想もないのに愛されるわけもないだろうに」


 リアは特に何も考えていない。自分とトラキア以外はオマケとしか考えていない。ようやく、最近になって、プリスとジーシャは居てもいいかと思っているくらいだ。


「……言ってろ」


 キャリィはバカバカしくなって、小さな声でその言葉を吐き捨てた後に会話から外れた。


「でも、たしかに失敗続きなのはちょっとマズいですね……」


「大丈夫だよ、私たち、将来を有望視された3人じゃん」


「いつも残りの一人が問題なんだ」


 キャリィが調べたところ、プリス、ジーシャ、リアの3名はたしかに元々将来有望な冒険者として有名だった。


 常に後衛からパーティーの補佐を務め、治癒魔法の効果は指折りと言われていた僧侶のプリス。彼女はトラキアが勇者となったその日に、今まで一緒にいたパーティーのもとを独断で離れて、彼と一緒にいる。


 中衛からの魔法攻撃で10体ほどのモンスターなら一掃もできていた攻撃魔法職の輝く星と言われていた魔法使いのジーシャ。彼女は3人の中で一番遅くに加入した仲間であり、元々はダンジョンの研究をするために勇者と一緒なら多くのダンジョンに潜り込めると考えていた。ただし、今はその気の欠片もない。楽を覚えてしまったからだ。


 前衛としての申し分ない攻撃力と防御力、咄嗟のバックアタックにも対応する機動力、勇者でないのが不思議と言われたほどの戦士リア。彼女は不敗と呼ばれていたが、トラキアに負けたことでその強さに惚れて仲間入りしたのだ。元々は強さを求めていたはずだが、彼との出会いによって、大きく歯車が狂ってしまった。


「研鑽を怠った結果がこれか……」


 キャリィは、ここまで大きく堕落してしまうものかと辟易した。彼女はナトスのことも詳細に調べたが、彼は無能であるためか、常に研鑽と努力を積み重ね、それを彼女たちにも口酸っぱく言っていたようだ。正に冒険者の鑑である。


 しかし、それも不幸の引き金の1つか、彼女たちからすれば、無能が何かを口うるさく言っているくらいにしか聞こえなかったのだろう。


「無能って何だろうな……」


 ナトスは職業適性がないという点ではたしかに無能と呼ばれていたが、努力によって様々な知識得て、そこから知恵を絞って補佐も務めていた。傍から見れば、彼が優秀で有能で努力家であることは間違いない。キャリィは目の前の3人の方がよっぽど無能に見えて仕方ない。


 突如、扉が乱暴に開かれた。


「戻ったぞ!」


 トラキアが意気揚々としたまま帰ってきたのだ。キャリィは怪訝な顔をする。王様にわざわざ呼ばれて叱責でも受けたとばかり思っていたからである。


「どうでした?」


 プリスは立ち上がり、トラキアのもとへと駆け寄りながら話しかける。ジーシャやリアも同じく立ち上がって彼の方へと歩いていく。キャリィも気怠そうにしながら、面倒ごとを避けるために少し遠巻きがちに近寄る。


「どうもこうもない。上級ダンジョンだ! 王様がな、俺らに上級へ行ってほしいと言っている。王様の期待には応えなければならない」


 トラキアの中ではいつの間にか、王様が期待して上級ダンジョンへ行けと言い渡したという話のすり替えが起きていた。上級ダンジョンへ行くと言ったのは彼自身であるが、それを否定できる者はここに誰一人としていない。


 だが、聞いた4人の誰もがその言葉を疑うほかなかった。


「え? なんで? 私たち最近中級ですら失敗続きじゃん? 上級なんて話にも出てくるわけないと思うんだけど……」


 恐る恐るジーシャがそうトラキアに告げる。しかし、機嫌の良いトラキアは特に怒ることもなく、安心させるために彼女の頭を撫でた。


「はっはっは。ジーシャの言うことももっともだ。俺が前のパーティーよりも強くなっていると言ったから、それなら、ということだ。もちろん、懸念はいくつかあるだろうが、まあ、全員が警戒を怠らなければ問題ないだろう。俺もお前らも強い。王様は俺らに期待しているからな」


 トラキアはなんとか上級ダンジョンへと行くために無理やり4人の士気を高めようとしている。キャリィにはそれが透けて見えていて笑うに笑えない滑稽な姿にも映って見えている。


 そもそも、王族が期待しているからといって、ダンジョンが易しくなるわけでも、自分たちが強くなるわけでもない。冒険の「ぼ」の字も知らない素人が勇者を過大評価しているかもしれないとしか彼女には思えなかった。


 ただし、実際に過大評価しているのは国王ではなくトラキア自身だけである。


「とはいえ、中級をクリアしてからでも良いだろう? このへっぽこ荷物持ちが役に立つまでな」


「私の職業適性は荷物持ちなの。荷物持ちは荷物持ちしかしないって言っているでしょ。他の荷物持ちだってそうよ。つまり、アイテム管理は荷物持ちの役割からすれば、ただの範囲外なのよ? それに私の名前はキャリィ。そんな呼ばれ方をするいわれはないよ」


 リアの言葉を受けて、キャリィが軽く相手しておく。そうしないと相手にしなかったと感じて、彼女のプライドを逆撫でしてしまうからである。キャリィからすれば、この4人と仲良くする必要もないので、適当に扱える分だけ取り扱いやすさは格段に上がる。


「ふん。偉ぶって。ナトスでもできたことを」


「その名を出すな!」


 プリスの言葉にトラキアの怒号が飛ぶ。彼の逆鱗に触れてしまったことに気付き、彼女はすっかりと委縮してしまう。そして、なぜか彼女はキャリィを恨めしげに見つめている。こうなったのもお前のせいだと言わんばかりの表情に、キャリィは呆れて言葉も出ない。


「す、すみません……」


「いや、俺も少し気持ちが高ぶっていたからな。とにかく上級だ! 数日で準備を終えて、上級を踏破するぞ! 誰か手頃な上級ダンジョンは知らないか?」


 キャリィは思わず笑いそうになる。手頃な上級ダンジョンとは一体どういったものか、彼女はその言葉の難解さにおかしさを覚えずにはいられなかった。


「そうだな。じゃあ、このダンジョンなんてどうだ?」


 リアはどうやら手頃な上級ダンジョンに心当たりがあったようで、この国とその周辺を記した地図を広げて、あるドクロマークの場所を指し示す。


「ここは?」


「この上級ダンジョンは、過去の勇者たちが何人も何回も踏破したことで有名なダンジョンだ」


 リアの説明でトラキアはあらぬ誤解をする。彼は何回も踏破されているダンジョンなら、今の自分たちでも行けそうだと感じてしまった。


 しかし、実際のところ、過去の勇者たちはここが格上の修行の場として最適だったためにここを利用していたのであって、ここが上級の中で易しいからではない。むしろ、上級の中でも難関なダンジョンともいえる。故にドクロマークがついているのであった。


「あー、そのダンジョンね。噂では伝説の装備もあるとか?」


 元ダンジョン研究家のジーシャがうっかりと根も葉もない噂を思い出して、その噂を口にする。トラキアはダンジョン研究家の知っている極秘情報と勘違いし、一層、このダンジョンに興味を持った。


「ほう。それは魔王退治にも良さそうだ」


「あ、あの……」


「いや、待ってよ。それ、ジーシャが言っていたけど、噂レベルだよ? それに、そのダンジョン、上級の中でも特に危険で今は誰も入らない所だったはず。リアが言っていたように、中級をまずは踏破できるようにした方がいいよ」


 すっかりその気になっていたトラキアを説得しようとするキャリィだったが、すっかり水を差された気分になった彼は鬼のような形相で彼女を睨み付ける。危うく同じようなことを呟きかけたプリスはホッと胸を撫で下ろした。


「お前はいちいちうるさいな! また黙らされたいのか!」


「ちっ」


 キャリィは構わず舌打ちをし、もちろん、トラキアは憤慨する。


「お前! まあ……これから上級だからな、せいぜい役に立てよ? へっぽこ荷物持ち!」


「…………」


 しかし、キャリィはトラキアがこの舌打ちを「言葉で敵わなかったから思わず出てきてしまったもの」と解釈すると知っており、そのため、彼の留飲を幾分か下げられることも知っていた。彼女も伊達や酔狂で冒険者をしているわけではない。彼女の状況対応力は彼らよりずっと上である。


「……まあ、ちょうどいい機会か」


 かくして、トラキアのパーティーは超上級ダンジョンへと向かうのだった。

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