6. 死霊術師が必要悪を受け入れて自分の気持ちを裏切るまで(前編)
「よかった……本当によかった……」
ナトスはしきりに「よかった」と呟きつつ、心の底から嬉しそうにニレとレトゥムの頭を撫で続けている。昨夜の憔悴しきった表情や絶望に苛まれていた瞳からは、到底今の彼の様子など想像できるものではない。
「……さて、ナトス。あなたはまだやるべきことが残っています」
かれこれ30分以上撫で続けているナトスに対して、ティケがついに痺れを切らして彼に声をかけた。
「ん? まだあるのか? まさか今から魔王を倒しに行くのか?」
ナトスは未だに帰らないティケやライアに思うところはあったが、ニレやレトゥムのことで頭いっぱいであり、何か残した話があるとまでは思い至らなかった。ティケとライアは驚きを隠せずに一度お互いの顔を見合わせてから、再度彼の方を向く。
「ふっ……それはないが、よほど、嬉しかったようだな」
ライアは思わず笑ってしまう。それにつられてか、ティケまでも小さく笑みを零した。2柱は、神をも忘れて待たせていながらも目の前で喜びを隠しきれないナトスの身勝手さに、まるで小さな子どもを見るようかのように神の慈愛を持って接している。その表情そのままにティケが口を開き言葉を発する。
「ふふっ……そのようですね。さて、ナトス、忘れてしまいましたか? あなたはまだ死霊術師になっただけです。もう1つ、13人目の勇者になる必要があります。説明はアストレアに譲りましょう」
ナトスはそこではっきりと思い出した。たしかにまだ勇者にはなっていない。あくまで死霊術師になっただけだ。
「すまない……すっかり忘れていた。ニレとレトゥムをまずはアンデッドにすることで頭がいっぱいになっていたからな。それに本当にレトゥムが起き上がって返事をしてくれたんだ。嬉しい気持ちでいっぱいになって……」
ナトスは謝りつつも今の自分の興奮を話さずにいられなかったようで、まるで後半は言い訳じみた言葉が繋がっていく。
「ははっ……まあ、落ち着け。それは仕方ないことだ。それだけ、ナトスにとって重要なことだったのだからな。……もちろん、これから行うことも重要なことだ」
ナトスの詫びに、ライアは問題がないといった表情を返した後に、これからのことの重さを伝えるかのように声色が急に重くなる。彼はその重たさを感じ取ったのか、腹に何かしらの重さを感じながらも彼女から目を離さなかった。
「そうだな。だけど、13人目の勇者か。勇者になって魔王を倒すってのは昼間にライアに伝えた夢だけど、それが叶うのは少し嬉しい気もするな。ニレにそれを伝えられたら良かった。きっと一緒に喜んでくれるだろうな」
ナトスはすっかり本来の朗らかな笑顔を取り戻した。昨日から悲惨なことばかりが続いていて、彼の感情が壊れかけていたが、ニレとレトゥムが曲がりなりにも戻ってきたことで心の余裕が生まれたようだ。
これから行われる儀式に対して、気を引き締めようとするも嬉しさが勝っており、朗らかな笑顔を隠せない。
「こうも無自覚なのは困るな……」
「……そうですね」
ティケもライアもナトスの無自覚な魅了付きの笑顔に少し気をやられそうになる。異性であれば、人間でなくとも魅了されるだろう。人間であれば、耐魔力の高い勇者であっても、同性であっても、この魅了に抗うのは難しいかもしれないほどに魅了の力が強い。
「……そうだな。では、13人目の勇者になる儀式を行おう」
「……早速お願いしたい」
ライアはそう言葉を放った後、儀式への緊張か、喉を小さく鳴らす。ナトスは、女神でも緊張するような儀式なのか、と朗らかな笑顔から至って真剣な眼差しの顔へと変わる。しかし、どんな苦痛にも耐えてみせると彼の意気込みは強く大きかった。
「そこでだ。すまないが、ニレとレトゥムを別の所に移動させてほしい。それが難しいならベッドの端に寄せてほしい」
ライアの言葉にナトスは不思議そうな表情を浮かべながら首を傾げる。
「場所がいるのか? そうか。儀式だからか。なるべく2人にはベッドで寝てもらいたい。端の方に寄せるだけでもいいんだな?」
ナトスは儀式のイメージを思い浮かべる。彼の知る限り、儀式とは魔法使いや教会の人間が行うような、細かい模様がびっしりと刻まれている大きな魔法陣を描いて、その周りに火をいくつか灯して、という大掛かりなものである。
「あぁ。私はそれで問題ないと思っている」
しかし、ナトスの儀式のイメージとは異なるようで、火を灯したりすることもなければ、大きな魔法陣を描く素振りもなかった。
「分かった」
ナトスはひとまず言われた通りにするため、ベッドの中央で大の字で寝ていたレトゥムを抱えて端へと寄せる。次に彼はニレを少しレトゥムの方へ寄せていく。小さい部屋でベッドの端が壁になっているので、多少詰めても落ちることはない。
何が起きるか、彼にはまだ分かっていないが、少なくとも2人がケガするのだけは避けたかった。そう思うと次の瞬間には、別の場所に移動した方が良いのだろうか、と思い始める。とにかく2人を安全に、と思い直し、儀式がどういったもので安全かどうかを確認すべく、ナトスはライアの方へと顔を向けた。
「なあ、ライア、儀式って……なっ! なんで急に裸になっているんだよ!」
「…………」
ナトスが向いたその先には、ライアが身体に一糸纏わずに目隠しだけ着けているという嗜虐心を煽る姿でベッドの上に乗って来た。彼女の身体は、ニレ一筋と誓っているはずの彼が欲情するのに十分すぎるほど理想的な美しさだった。
「はっ! ちょ、ちょっと待ってくれ! ライア、なんで……」
彼は驚きと欲情の狭間で数秒固まった後に思わず叫び、ニレやレトゥムの方へと顔を向き直す。しかし、ライアの彼へと近付く布の擦れる音が彼の耳にやけに響く。
「これが13人目の勇者になる試練だ。とても簡単な話だ。私と再び結ばれてもらおう」
ライアはナトスの背中に指を触れ、肩に手を掛け、もう1つの肩に顎を乗せ、やがて、自身の身体すべてを軽く預けるようにしなだれかかる。彼には自分の衣服越しに彼女の身体の形や温もり、そして、人と同じような鼓動が感じられる。
彼の耳には彼女の吐息が掛かり、彼女が息をする度に話をする度にゾワゾワと何かが込み上げ、優しくくすぐられるような感覚に陥っている。
「は? 結ばれる? え、ちょっと待て、再び? は、どういうことだ? 何が何だか全然分からないぞ」
ライアがしなだれかかったまま、腕をナトスの前の方に回して抱きしめる。しばらく、彼女も彼も無言になり、その間、互いの鼓動が分かるくらいに密着していた。その後、彼女がゆっくりと口を開いたのか、再び彼の耳に彼女の吐息が掛かる。
「性は、生まれるの生、正しいの正、聖なるの聖など、様々な「せい」に繋がる。では、どうするか。それは男女として身体を交らわせて、一時的に一体化してもらう。その際に私の能力や権限の一部をナトスに譲渡……いや、複写というべきか、つまり、私と同じ力を持ってもらえるようにする」
ライアの手がナトスの身体を這う。彼女の這わせた手は、彼の胸や腹を通り過ぎ、太ももの辺りを優しく擦り始める。
「それはつまり、セ……」
ナトスの口は次の瞬間にライアの手に塞がれる。
「そういう言葉にするのは良くないな。ただの男女としての営みだ。レトゥムが生まれているのだから、分かるだろう? 痛いこともない。むしろ、男なら心地良いとも言えることも分かるだろう?」
ナトスは段々と怒りさえ込み上げてくる。自身の口を塞ぐライアの手を掴み、声を出せるようにする。
「待てよ! そんな、12人の勇者がそんなことをしたなんて聞いたことないぞ!」
「当たり前だ。12柱の主神と私では格が違う。彼らはそんなことをしなくても簡単に権限や能力を付与することができる。一方の私は、神とは言えど、神格が数段劣る存在だ。見初めた人間を勇者にするには交わる必要があるんだ。それも定期的に行う必要がある」
ナトスは衝撃を受ける。言葉の1つ1つを理解し噛み砕くには時間が足りないようで、彼はしばし狼狽えたまま口が言葉を発さずとも常に動き回る。やがて、少し落ち着いたのか、彼はようやく言葉らしい言葉を放てるようになった。
「待て、待てよ、待ってくれ。勇者になるためにライアと交わりが必要で、さらに、勇者であり続けるためにこれから何度も交わる必要があるってことなのか?」
「そうだ。私から得た能力を使えば使うほど、交わる頻度は増やさなければいけない」
ナトスはもういっぱいいっぱいだった。自分に課す過酷な試練、死ぬかもしれない厳しくも果てしない特訓、意志を強く持たなければいけないような誰かを犠牲にするように迫られる選択。彼が想像していた勇者への道のりは、英雄の物語に出るようなエピソードばかりだったが、まず出鼻をくじかれたようである。
「他に方法はないのか?」
「……何?」
恐る恐るナトスが問うと、ライアの言葉が今までと異なり、ひどく冷たい声色で出てきていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます