4. 男が気持ちを整理して死霊術師になるまで(後編)
夜は静かに訪れる。
昼や夕方に、ナトスは近所の知り合いにニレやレトゥムの姿が見えないことを聞かれるが、今日は体調が悪いと返した。すると、知り合いがいくつかの食材を渡してくれる。知り合いも生活はいつも苦しいが、ニレやレトゥムの元気な姿にいつも力をもらっているからと食料を押し付けて帰っていったのだった。
ナトスは優しさに触れて泣きそうになる顔を必死に宥め、努めて冷静になるよう自分の感情に言い聞かせ、ただただ気丈に振る舞う。
「ナトス、決めましたか?」
その声とともに、ティケがゆっくりと寝室に現れた。瞑った目、無表情に無理やり貼り付けたような笑顔、後ろに束ねられた金色の髪、真っ白なローブと1対の翼が昨日となんら変わらない。彼女の自慢であるホイール・オブ・フォーチュンも昨日同様に不規則に時計回り、反時計回りと回転している。
ナトスはティケの目の前に立ち、ライアは寝室の扉の方で静かに待機していた。
「1つ聞かせてくれ。俺が全てを達成したら、ニレやレトゥムは本当に生き返って俺と一緒にまた暮らせるようになるのか? 俺はニレとレトゥムを取り戻せるのか?」
「はい、もちろんですよ。あなたが魔王を倒した暁には、あなたの望むものが手に入ることを確約しましょう」
その言葉を聞いたナトスは決心した。たとえ、この女神たちの全てを信用できなくとも、大切な家族を取り戻すために自分ができることをするしかないと心の中で強く決めた。
「……俺はトラキアに復讐を果たし、魔王アモルを倒し、ニレとレトゥムを蘇らせる」
ナトスのその言葉に、ティケの作り笑顔のような笑みから本当に柔らかい笑みへと変わっていくのが彼にも分かった。彼女のような運命の女神でさえも運命の流れを完璧には読めないということの証明に違いなかった。
「その中で理不尽なこともあるでしょう。それでも、あなたは最後まで突き進めますか? 意志を持って突き進みますか?」
ティケは確認する。最後まで心が折れないことを誓うかどうか。
ナトスは理屈から言えば、最強になるはずだが、心が折れてしまったら最強も意味がない。むしろ、意志なき最強は何が起こるか分からない。すべては諸刃の剣なのだ。
「俺は今悲しみの底にいる。死んだって構わないと思っている。理不尽は味わい尽くしたつもりだ。これ以上自分が傷つくことなんてないだろ。これより下はもうない。むしろ、この底から這い上がってやる! たとえ、それで誰かが傷つくことになろうと!」
ナトスは仲間に裏切られ、最愛の妻と子どもを亡くした。少なくとも、彼にはこれ以上失うものが無いように思えた。だからこそ、なくしたものを取り返すために立ち上がる。すべての犠牲を払ってでもと心の底から思っている。
しかし、実はまだ彼には残っている大切なものがある。この時点では彼がそれに気づいていない。それが後に彼をより苦しめることになる。
「では、よろしい。これからあなたに改めて職業適性を付与します」
ティケの乗る球体から細い糸のようなものが出てきて、ナトスを蚕の繭のように包み始めていく。彼は最初こそ驚きもしたが、全身を包まれる頃にはどうなろうと構わないという気持ちで安らかな顔をしていた。
やがて、彼を包んだ繭状の塊ができあがる。
「ホイール・オブ・フォーチュン。運命の女神ティケは、ナトスに本来あるべき死霊術師の職業適性を付与し、はく奪することを禁じます。彼の者の運命を適切な姿に戻してください」
ティケの言葉とともに、彼女の背中にあるホイール・オブ・フォーチュンが繭の方へと自動で動き、囲めるほどに大きくなり、時計回り、反時計回りだけでなく、上下左右前後と3軸全てで高速に回転する。その動きはまるで繭をさらに全方向から守るバリアのようだった。
やがて、紫色のオーラが禍々しさを露わにしながらホイール・オブ・フォーチュンを包み込む。それは、死霊術師特有のオーラであり、神秘的とも背徳的とも禁忌的ともいえる複雑怪奇なオーラだった。
それからしばらくして、ホイール・オブ・フォーチュンが止まってティケの背後に戻り、繭は溶けるようにナトスの身体から剥がれ落ちて、再び球体に戻る。
「俺は……変わったのか?」
ナトスは目が覚め、開口一番にそう呟く。
彼の見た目は少し変わった。整っていた顔は中性から若干男性寄りだったのが、元がナトスだと分かる程度により中性的な美しさを備えるようになる。背格好はほとんど変わらないが、筋肉質だった身体がより引き締まった鋼のような筋肉質へと変わった。
漆黒のように真っ黒に美しかった髪の毛の一部が死霊術師のオーラに当てられてしまったのか、紫のメッシュが入ったように変色していた。日焼けで少し焼けていた肌は少し病的な白さになる。一番の変化は瞳であり、色が鮮血のような赤になり、少し発光しているようにも見える。
彼が見渡してみると宵闇でもはっきりと周りが見えるようになっていた。
「はい。とてもかっこいいですよ。私でも惚れ惚れしてしまいます」
ティケのその言葉に偽りはない。ナトスは制御こそできなかったが、天然の魅了付きだった。それは前世のタナトスが司っていた死、その死への抗いがたい魅力を彷彿させる。魅了の能力は死霊術師という適性を得ることで進化し、真価を発揮できるようになった。彼は魅了を自由自在に制御できるようになり、出力もけた違いに上がった。彼が本気を出せば、女神でさえも抗いがたいほどの魅了を放つことができるだろう。
「ティケから冗談を聞くことになるとは思わなかったな。見た目が変わったのはどうでもいい。俺は望みを叶えられるように変わったのかってことだ」
ただし、彼自身は魅了の能力にまだ気づいていない。仮に彼が知ったところで、彼には魅了など毛ほども興味がなかった。
「もちろん、あなたは今この時から死霊術師になりました」
ティケはそう言い放つと同時に眩い光を出して、ニレとレトゥムの亡骸をベッドに横たわらせる。レトゥムの真っ二つになっていた身体は既にくっついており、ニレの大きな傷跡は何事もなかったかのように傷一つなかった。
「身体はある程度こちらで整えておきましたよ。辛いでしょうが、ニレとレトゥムをアンデッドにしてごらんなさい。そうすれば、2人の意識も戻るでしょう」
「本当か!」
「ええ。まだ死霊術の修練度は低いですが、今の時点でも念じればできるはず。あなたの死霊術はそれくらい造作もないことです。最初は目を瞑って念じてみなさい。感覚が掴めたら目を閉じずともできるようになります」
ナトスはぎこちない笑みを浮かべ、ニレとレトゥムを見る。彼はまだ最愛の人たちをアンデッドにすることに抵抗がある。しかし、それ以外に為す術など彼は持ち合わせていなかった。
「ニレ、レトゥム。ごめんな、こんな形でしか……こんな形でしか引き留められなくて……しばらくの間だが、アンデッドで我慢してくれ……」
ナトスが涙を浮かべつつ、目を瞑って念じ始める。その後、彼の身体から紫色のオーラがゆっくりと滲み出るようにして漂い始め、ニレとレトゥムをゆっくりと覆っていく。ティケやライアさえも固唾を飲んで見守っている。
部屋いっぱいに紫の薄靄が掛かったような状態がしばらく続いた後、彼が何か掴んだのか、顔を一瞬険しくしてから目を見開いた。
「見つけた」
それは、ナトスにしか見えない2人の魂の光だった。レトゥムの激しく光る銀色の魂と、ニレの鈍く光の量が落ちている銀色。彼はその光の違いを不思議に思うも、ゆっくりと2人の身体に魂を込めてみた。
「ニレ、レトゥム……起きてくれ」
ナトスは思わず両手を合わせて祈り始める。
まず起き上がったのはレトゥムだった。彼女は寝ぼけ眼をこすって、欠伸一つをしてから、ゆっくりと起き上がる。銀色の髪の毛は変わらず、肌はやはり少し白く見える。快晴の空のような透き通った青色の瞳は彼を見て、きょとんとした表情をしている。
「……パパ?」
レトゥムはナトスを見て、眠たそうな声で喋りかけた。
「レトゥム!」
ナトスは涙がこぼれそうになりながらも、それを気付かせまいとすぐに彼女を抱きしめた。彼はどう抑えようにも抑えきれずにふるふると震えてしまう。
「ちょっと痛いよー」
「あ、ごめん、ごめん。大丈夫か? ほかに何か痛い所や変な所はないか?」
ナトスがそう訊ねると、レトゥムはしばらく自分の身体のあちこちを見たり触ったりして確認していた。アンデッドは魔力で身体を動かし魂を繋いでいるので、心臓が動いておらず、呼吸も必要としない。そのため、血も腐らない程度にしか魔力で動いておらず、熱もほとんどない。
「うーん。ちょっと変な感じ? なんかヒンヤリしてる? あれ? この人たちは?」
「レトゥムちゃん、こんばんは。私はティケ。パパの友人です」
「私はライアだ。同じく、パパの友人だ」
2柱はレトゥムに微笑むと、彼女はニヤニヤしながらナトスの方を見る。
「二人とも綺麗! パパ、こんな綺麗な人たちとお友達なの? 仲良くしてたらママに怒られちゃうかもよ?」
「おいおい、とんだおマセさんだな。2人はただのお友達なんだ、変なことは言わないでくれ。パパはママとレトゥムが大好きなんだぞ」
「あれ? そういえば、もう夜なんだね。ママはまだお昼寝?」
「…………ニレ?」
ナトスはレトゥムとの会話ですっかり油断していた。レトゥムは起きても、ニレがまだ目を覚ましていない。
ニレが動き始める気配は一向になかった。
「…………」
「お昼寝からそのまま寝ちゃうのかな? パジャマじゃない服で寝るなんて行儀悪いっていつもレトゥムに言うのに! ママ、起きて!」
レトゥムはニレの身体を揺するが、やはり起きる気配がない。目を閉じたまま、揺さぶられるだけ揺さぶられて抵抗する様子もない。
「これは……」
「ナトス、レトゥムちゃんに寝るように言ってあげて」
ライアが何かに気付き、ティケがナトスにレトゥムを寝かせるように促す。彼は2柱の様子から何かを察し、静かに肯いた。
「レトゥム、もう夜も遅いから、今日はもう寝なさい」
「……うん、パパ。レトゥム、なんだかとても眠いからこのまま寝るね? おやすみ」
「そうだね、おやすみ、レトゥム」
ナトスが寝なさいと念じると、レトゥムはすぐに眠気を催した。アンデッドにとって、死霊術師の念は優先度の高い強制力を持つ。
「……おい。ティケ、ライア、どうなっているんだ! レトゥムは……レトゥムは起き上がったのに、ニレは起きないぞ!」
レトゥムが寝たのを確認して、ナトスは2柱に詰め寄った。
「少し待ってください。これは……魂が壊れていますね……」
ティケはしばしニレを見つめた後に淡々とそう答える。
「……魂が壊れている?」
ナトスは先ほど見たニレの魂が放つ光の鈍さを思い出す。
「はい。よほど、死ぬ直前のことが辛かったのでしょう。魂が大きく壊れてしまったようです。魂はたしかにこの身体に宿っています。あなたの指示で動くこともできます。それはあなたにも分かることでしょう。ですが、身体も死んでおり、魂も死んでいる状態では、魂の回復が望めません」
「どうすればいいんだ! なんで……なんで、なんで、こうも上手くいかないんだ!」
ナトスがまるで駄々っ子のように騒いでからベッドへと乱暴に座り込む。2柱に当たることはないが、やり場のない気持ちが彼を乱雑にさせている。ティケもライアも予想外といった表情で彼にどう説明するかを少し考えていた。
「落ち着きなさい。【死者蘇生】です。身体を蘇らせれば、魂はそれに合わせて徐々に修復されるはずです」
ティケは、これしかないと言った具合で元の目的である魔王討伐からの蘇生を提案する。
「それまではこのままなのか?」
「はい、もしくは魂を修復するような強い思いが生まれれば、この身体でも起きるでしょう。しかし、その強い思いとは何かを示すことができません」
「そうか……。ニレ、ごめんな。もう少し我慢してくれ」
「…………」
ナトスは慈愛に満ちた表情で目を閉じたままのニレを優しく撫でる。同時に彼は悩み始めた。
魂が壊れるほどの事実を経てしまったニレに死者蘇生を施すことが本当に彼女のためになるのか。
憎い相手に復讐し、最愛の者を取り戻したいのは、ただただ自分の独りよがりではないか。
最初にしようとしたように、このまま死なせて弔い、自分も後を追うことが彼女にとっての最良なのではないか。
しかし、そのような答えを返してくれる者はいない。そのため、彼はこれが間違った道だとしても歩むことに決めた。
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