4. 男が気持ちを整理して死霊術師になるまで(中編)

 ナトスとライアは城壁の外、すぐ近くにある湖のほとりまで来ていた。彼女は最初、彼の邪魔にならないように彼の数歩後ろを歩いていた。しかし、彼が隣に来てほしいと言ったので、彼女は彼から人ひとり分の間隔を空けて、隣に並んでゆっくりと歩いていた。


「…………」

「…………」


 隣に来てほしいと言った後は、ナトスもライアも終始無言で、湖のほとりをただただゆっくりと歩いていた。モンスターが近くにいる様子もなく、小動物がひょっこりと現れては水を飲み、小鳥が湖の周りの木の上で楽しそうにさえずっている。


 やがて、ナトスは1つの切り株を指さした。湖の縁に近いくらいが特徴の何の変哲もない切り株で、ナトスは用意してきたシートを広げた。


「ライアも座りなよ」


 ナトスはシートを指さしてライアに座るよう促すが、彼女は静かに首を横に振った。


「察するに、ナトスとニレの思い出の場所だろう。私が座るのは無粋というものだ」


「……ありがとう」


 ナトスが礼の言葉を告げた後、しばらく大自然だけが静かに囁く時間が続く。彼が遠くを見つめたり、切り株を見つめたり、小鳥の声に耳を傾けたり、どこかから漂う花の香りに気付いたり、いろいろなことをひとしきりし終えた後、彼は一つ深呼吸をしてから話すために口を開く。


「ここはな」


 声色は少しの憂いと少しの懐かしさを含んだ優しいものだった。


「ここには、何度も来たんだ。ニレとまだ友人だった頃、付き合っていた頃、結婚した頃、レトゥムが生まれる前の身重だった頃、レトゥムが生まれてからは1度くらいかな」


 記憶を、思い出を1つ1つ吐き出すかのように呟き、顔に小さな笑みがこぼれる。当時のことを思い出したのだろう。ナトスは無意識にか、両手を小さく自分の身体の前でまるでレトゥムを抱いているように形作る。しばらくして、彼の両手がほどける。


「……トラキアの実力もついてきて、より高難度なダンジョンに挑み始めた頃から、急激に忙しくなってな。おそらく、あの頃に出会った勇者に刺激されたんだろうな」


 ナトスは両腕を組んで、視線を上に向けたり下に向けたりしながら記憶を引っ張り出す。


「たしか、そうだ。アプロディタの勇者、美の勇者キュテラだったかな。見目の美しさもさることながら、剣技や足捌き、防御や回避の所作までもが流れるように1つ1つが美しく映る技の勇者と言ってもよかった女性だ」


 ナトスはキュテラの顔を今一つ思い出せない。思い出せるのは、純白の鎧、流れるような美しさを持つ金色の長髪、そして、優しそうな目とその中にある青い瞳だった。


「模擬戦だったかでトラキアが負けていた覚えがある。膂力頼みのトラキアとは正反対と言っても間違ってはいなかったな。まあ、ライアなら知っているかもしれないけど」


 ナトスは、釈迦に説法か、とでも言いたげにライアの方を見据える。彼女はその言葉に腕を組み、彼と同じように何か考え事をしているような態度を取る。


「まあ、知らないわけではないが、あまり手の掛からない勇者なので、詳細は分からない」


「それを聞けただけでもよかったよ」


 ライアは不思議そうな表情をナトスに向ける。彼は彼女の視線に気付いて同じように不思議そうな表情を返す。


「しかし、ナトス、お前、キュテラを覚えていないのか? 記録によると随分と昔に会っているぞ」


「嘘だろ? いつごろだ?」


「お前が孤児院にいた頃だ。キュテラも一時期、同じ孤児院に居たはずだ」


 ナトスは予想外の情報に頭を回転させて記憶を辿ってみるも、キュテラとの出会いやまして、彼女と過去に何かあったことなど全く覚えがなかった。


「昔からニレにご執心で、周りが見えていなかったようだな」


「おいおい、茶化すなよ。もちろん、孤児の出入りがまったくないわけじゃないからな。十分にありうる話だけど、本当にまったく覚えがないな。いくら小さいとはいえ、顔くらい覚えてもいいと思うけど。記録が違うってことは?」


「自分の記憶よりも神の記録を疑うのか。それはないと思う。すまない、話が逸れたな」


 ライアは忘れてくれと言わんばかりに右手を左右に振った。


「ああ、そうだな。それで、ここに来て、ニレとはいつも話をしていたんだ」


 ナトスは今でも鮮明に覚えている。ニレに嬉々として話をしていた頃、毎日のように話していた話。


「俺の幼い頃の夢を。本当に幼くて、職業適性がどうとかの話もまったくなくて、今さっき話に出た孤児院で何の不自由もなかった頃に抱いた夢」


 それは冒険者になる前の幼く何も知らなかった自分の抱いた夢。周りに宣言し、周りを驚かせ、がんばれよと言ってもらえていた夢だった。


「魔王を倒したかったんだ。勇者になりたかったんだ。これ以上、多くの人が悲しみを抱かないように、ってな。だから、職業適性がないと言われた時、冒険者になることを選んだ。勇者になれなくとも、何か人の為にできないか、って思って」


 ライアは何かに気付き、ピクリと動く。ナトスは彼女の動きに少し気になるところはあったが、彼女が何も言わなかったのでそのまま話を続けることにした。彼女もまた彼を止めることはなく、再び耳を傾ける。


「そのとき、どこかの村で静かに暮らそうと言ってくれたニレの言葉を俺は全然聞いてやれなかったんだ。そうしたら、こうなったんだ。笑えないよな。世界の全てに裏切られた気分だけど、最初に俺がニレの小さな想いを裏切ったのかもしれないと思うと、な」


 ナトスは全てを言い切ったのか、次に出てきたのは言葉ではなく、止めどなく溢れ出てくる涙だった。小さな嗚咽混じり、後悔の念混じりのその声にならない声。気持ちを落ち着かせようにも上手くいかず、しばらく続く。


 やがて、ライアが優しく彼を抱きしめ、頭を撫で始める。子どもをあやすように、愛しい人を慰めるように、ただただ優しく彼を受け止めている。


「……ありがとう。恥ずかしい所を見せてしまったな」


「構わない。私はナトスの気持ちが整理できて、いずれの覚悟が決まればいい」


 ライアはナトスの鼓動に合わせて、彼の背中をトントンと優しく叩く。彼はまるで赤ん坊のようで少し恥ずかしくなっていたが、涙で崩れ切った顔を彼女に見せる方がより恥ずかしいと思って、落ち着くまで大人しくされるがままになっていた。


「あれー? その女、誰―?」


 聞き覚えのある声に、ナトスはライアの抱擁から離れる。


「……ジーシャか」


 ジーシャは箒に乗りながら、嘲るような笑みを浮かべてナトスの方へ近づいていた。彼女の赤い瞳が彼と隣のライアに向けられ、赤茶色のツインテールの毛先は風に揺られている。


「私だけじゃないよ?」


 ジーシャの言葉の通り、奥の方から人影が近づいてくる。薄桃色の長髪を揺らすプリス、そして、茶色のショートヘアのリアがずんずんと近付いてくる。その表情は面白いものを見つけたと言わんばかりの下卑た笑みを湛えていた。


「プリス、リアもいるということは……」


「奥さんがいるのに、若い女と密会なんて、やはり汚らわしい。そこの泥棒猫もよく平然と奥さんのいる殿方と臆面もなく二人きりでいられますね。恥を知りなさい」


「ははは。やはり、昨日言っていたことは間違っていないじゃないか。男の多くは本当に道徳観の薄い奴ばかりだな。奥さんが泣くんじゃないか?」


 プリスはナトスよりもライアの方に非難の目を向ける。それは羨ましさ半分、自分の醜い部分を映したかのように見えたのが半分である。


 一方のリアはライアに全く興味がなく、ナトスの方だけ一方的に非難している。自分の選択は間違っていないと確信を得て、より一層、彼に辛く当たる。


「まあ、まあ、そう言うなよ。いい女は抱きたくなるもんだ」


「トラキアァッ!」


 最後に現れたのはトラキアだった。ナトスは怒りの感情が抑えきれずに大声が出てしまう。膝をライアに抑えられていなければ、彼は衝動のままに殴り掛かったかもしれない。


 トラキアはナトスの大声にびっくりするものの、すぐに表情が戻り、ニタニタと気持ち悪い笑顔を見せつけてくる。


「なんだ? やけに元気だな? それとも、クビにしたことをまだ怒っているのか?」


「よくも抜け抜けと! 何しに来た! お前がっ!」


 ナトスはニレのことが喉まで出掛かったが、真実を確認することを恐れてしまい、最後の最後に喉奥で詰まって言葉にできなかった。


「あ? なんだよ? 俺たちはこの先にあるダンジョンに向かう途中だが?」


「この先の初級ダンジョンなんて、もう1年以上行ってないだろうが! しかも、ご丁寧に遠回りまでするっていうのか!」


 ナトスは以前、仲間と打ち解けるために、バカみたいに何でも話してしまったことを後悔していた。ここでのニレとのエピソードを簡単に話してしまったこと。何かあったら、この湖に来て、心を落ち着かせることがあると話してしまったこと。当時、さして興味なさそうにされて、話が流れてしまったので、すっかり忘れていたのだ。


「おいおい、なんだよ。何があったんだあっ? 虫の居所が悪いようだな。ところで、そこの女、いい女っぽいな。目隠しは、まさか、はっはっは、まさか、まさか、もしかして、そういうプレイ中だったのか? 意外に嗜虐思考でもあったのか? それとも被虐思考のその女をお得意の気遣いしてやったのか?」


 トラキアは周りの小鳥が逃げるほどの大きな声でナトスだけでなくライアまでバカにする。ライアは特に気にした様子もないが、ナトスは申し訳なさそうに彼女を見やる。


「うわぁ……性癖がヤバいじゃん」


「嗜虐にせよ、被虐の相手にせよ、女性を諭すことなく、まして、それに興じるのは人として終わっていますね。本当に汚らわしい」


「ただただ変態だな」


 ジーシャ、プリス、リアはそれぞれが思い思いにナトスを非難する。彼への毒は自然と吐かれている。彼を貶める言葉に辛辣な態度は、彼の気持ちなど一切思うこともなく、ただただ彼をひどく貫くためだけに出されている。


「そうだな、変態だな。そんな変態よりも俺と普通に楽しもうぜ?」


 トラキアはライアの前まで進んで、彼女の腕を無理やり掴もうとする。しかし、ライアはそれを難なく躱し、いつの間にか立ち上がって、辟易したような表情を見せる。


「遠慮する」


 ライアはただ一言、それだけで十分だった。ただし、彼女の威圧感はトラキアの想像をゆうに超えており、間近で直接受けた彼は思わずたじろぐ。


「……ふんっ。そうか、お前が筋金入りの変態ってことか。変態どうし仲良くしとけよ」


 トラキアが憤慨しながら、初級ダンジョンの方へ向かう。シージャ、プリス、リアは無言でナトスとライアの横を通り、彼の後ろについていく。


「賢明だったな。今はあまり反抗する意志を見せない方が都合も……」


「……安直なんだが」


 ナトスはライアの言葉を遮り、言葉をゆっくりと紡ぎ始める。


「…………」


「やはり、俺はトラキアを許せない。もし、俺に復讐する力があるなら、復讐したい!」


 ナトスの紡いだ言葉は、復讐を決意する太く強い糸になった。彼の気持ちはその糸に吊り上げられ、非常に強い感情を露わにする。


「私は、ナトスのその意志を尊重しよう」

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