3. 男が復讐も可能と知るまで(前編)
「ぐっ」
思わぬ光に目くらましを受けたナトスの動きは止まり、そして、誰かにナイフを弾き飛ばされてしまった。
「誰だ!」
ナトスは起き上がり、光の方に向かって叫ぶ。しかし、返事はなく、寝室が煌々と光っているだけである。彼がふとニレとレトゥムの方を見ると死体が浮いて光に包まれて消えてしまう。
「おい! 誰だ! 二人はどこだ! 二人をどこへやった!」
ナトスはベッドから飛び上がるかのように立ち上がった。光のせいで彼の視界はまともではないものの、自分の周りをやたらと殴り掛かっている。しかし、彼の疲れ切った拳は空を切るばかりだった。
「落ち着いてください。二人が腐敗しないように一時的にですが、時が止まる空間へと運びました」
「時が止まる空間?」
「はい。そうです」
ナトスの耳に優しく慈愛に満ちた女性の声が聞こえてくる。女性の口ぶりからすれば、2人に何か危害を加えるような真似はしないことが分かる。しかし、彼は声だけでまだ見えぬ姿の何かを警戒している。その彼の訝しげな表情に気付いてか気付かずにか、女性の声が再び彼の耳に聞こえてくる。
「お話をしましょう」
先ほどよりもはっきりと聞こえる女性の声。ナトスは敵意を感じない。やがて、彼は構えていた拳を下げ、ベッドにどかりと座り込んだ。どっと疲れた彼は体勢を維持できず、腕を太ももに沿えて何とか起き上がっているような状態だった。
「……もう、なんでもいい。早くしてくれ」
まだ女性は姿を現さない。しばらくして、ナトスが呼吸も鼓動も落ち着いてきた頃に、ようやく女性が姿を現す。ただし、1人ではなく、2人だった。
「私の名はティケ。運命を司る神です」
ティケと名乗る女神は、ゆったりとした真っ白のローブを羽織って、両目を瞑った状態でナトスの前にいる。彼女は髪が金色をしており、その後ろ髪を束ねてまとめている。さらに彼女の特徴と言えば、彼女はふわりと宙に浮かぶ白と黒の入り乱れる球体の上に座り、背中には1対の翼を有しており、さらにその後ろに船の舵のような大きな輪っかが浮いていて、時計回り、反時計回りと不規則ながらも常に回転していた。
彼女がニコリと微笑むと彼は少し気持ちが和らぐ感じを覚えた。悲しみの全てをなくすことはできないが、一時の苦しさを紛らわすことはできているようだ。
「私の名はアストレア。正義を司る神だ」
次のアストレアと名乗る女神は、ティケよりも少し声が低く力強い。彼女もまたゆったりとしたローブを羽織り、背も高く、凛々しくも美しい顔つきだ。そして、短めに整えてある金髪とは対照的な非常に太い目隠し、腰に差している剣と天秤が何とも印象的だ。
「運命に、正義か。今の俺が全く信じられない2つだな。それで、随分と大層なものを司っているようだけど、その2人が何の用だ? すまないけど、神がどうとかどうでもいいし、君たちに縋って祈りをする気になれない。なんなら君たち2人を今ここで殴り飛ばしたいくらいだ」
ナトスは今回の件で、運命を呪い、正義を恨んでいる最中だ。彼は率直な意志を2柱に伝えた。しかし、2柱はさして気にした様子もなく、ただ、佇んでいるだけだった。
「私、アストレアは勇者の監視を担当している。今回のアレウスが選んだ勇者トラキアの行為は、勇者として到底許されない行為である」
「俺もそう思うよ。だから、どうした。そんなことを言うために来たのか?」
ナトスは自分の中で枯れたはずの怒りが込み上げてくるのを感じた。何を当然のことを言っているのか、と。そもそも、勇者じゃなくとも人として許されざる行為である。
それに、監視していたなら、未然に防ぐこともできたのではないか。彼はそう思えば思うほど、目の前の正義に疑心と怒りが沸き上がる。
「私、ティケは職業適性を担当しています。こちらのミスであなたへの職業適性付与ができておりませんでした」
「今さらなんなんだよ! 今さら謝りに来たのか? 今さらすべてが終わった今頃か? 何をしに来たか、はっきり言えよ! なんで、ニレとレトゥムは死んだんだ! 助けてくれてもよかったじゃないか! 神様なんだろ、お前ら! なんであんな無残に殺され、俺がどうしようもなくなって、こんなに苦しくって、こんなに……こんなに悲しくて、なんで、今、どうして平然と現れられるんだよ!」
ナトスは立ち上がり、ティケの胸倉に掴み掛かる。彼はふらつき彼女に寄りかかりそうになるも何とか持ちこたえる。
一方、ティケは抵抗するわけでもなく、表情を変えるわけでもなく、ナトスをただただ慈愛に満ちた表情で見つめる。
「素晴らしい。一時の感情の奔流に飲まれた結果とはいえ、神をも恐れぬこの行為と言葉。私は許しましょう。常に人に優しく敬虔なるあなたの本心がそうさせているわけではないでしょうから。そうですね。あなたの疑問に答えるなら、そういう運命ではなかった。むしろ、こうなることが運命だったと言うべきかもしれません。あなたは使命があります」
「これが運命だって? 俺にはふざけろとしか言えないな!」
ナトスはさらにギリギリと締め上げていくが、ティケが少しばかり苦しそうな表情になるのを見て、思わず緩めてしまう。彼も八つ当たりだと気付いている。卑劣な行為をしたのは目の前にいる2柱ではない。仮に何かできそうな存在だとしても、何もしなかったことを責めるのは自分勝手であると気付いている。
ティケはナトスの葛藤を察し、そして、消しきれない優しさと徹しきれない非情さに対して、ただ優しく微笑んだ。
「そう取ってもらっても構いません。お気付きだとは思いますが、私たちでさえ、万能ではないのです。全てを誰かの都合よくはできない。誰かとは人だけに限りません」
「ちっ……まあ、そうだな。じゃなかったら、神様だって、勇者なんて選ばずに自分で魔王を倒せばいいわけだからな。だったら、俺はお前らを使えない奴らと思うだけだ」
「それも否定はしません。実際、あなたの望みを叶えてはあげられなかった。さて、何をしに来たか。なら、聞きましょう。アレウスの勇者に復讐をする気はないですか?」
ティケが復讐という言葉を使った時、彼女の慈愛に満ちた表情は一切変わらないまま、ただ冷たく吐き捨てるような雰囲気に変わった。気圧されたナトスは思わず掴んでいた胸倉を離し、よろけそうになる。アストレアは彼を優しく抱き留めた。力強く温かい彼女に彼は思わず全身を預けてしまう。
「……ないわけじゃない」
ナトスの本心だ。できることなら、復讐をしたい。やりきれないこの感情をそのまま暴力として振るうなら、トラキアを何度殺しても殺したりないくらいだ。ニレもレトゥムもそれで戻ってくるわけではない。復讐をして、気持ちが晴れやかになる保証もない。ただ、彼はそれでもできることなら、復讐を望んだ。
「あなたの職業適性なら、それも可能です」
ティケの言葉に、ナトスは耳を疑った。
「勇者に勝てる職業適性? それが無理なことはお前らが一番分かっているんじゃないか?」
勇者とは戦闘職の職業適性の中で他の追随を許さない最強であり、あの力の勇者であるトラキアでさえも魔法を使わせれば、魔法使い以上である。逆もしかり、魔法系の勇者であれど、その力は並の戦士を大きく超える。
「どんな職業も使い方次第ですよ。そして、あなたは稀有というよりも異端なのです」
ナトスは身体をピクリと動かす。だが、まだアストレアの支えもなしには立つこともままならない。しかし、その甘い罠のような言葉に、少しだけ、ほんの少しだけ希望を持ってしまう。それと同時に彼は、ゆっくりと首を横に振った。
「稀有? 異端? ……もし仮にそうだとしても、仮に倒せるくらいの力だとしても、復讐だけに生きるのなんて、俺には無理だ」
「そうなのですか?」
「たしかに殺せるなら何度だって殺してやりたい。だけど、生きていると胸が張り裂けそうになるほど、心が辛いんだ。ニレとレトゥムの2人がいない世界に、復讐だけのために生きてはいける気がしない」
アストレアは無表情のまま、ナトスをただただ支える。彼女の無表情が意に介していないからか、彼の話を聞いていて感情が噴き出すのを抑えているかは分からない。ただ、少しばかり口が悲しみで歪んでいるようにも見える。
「なるほど。では、次に聞きましょう。その2人を蘇らすことができるとしたらあなたはどうしますか?」
ナトスはその言葉に衝撃を受ける。彼の元気が少しだけ振り絞られる。聞き間違いではないかとティケを真っ直ぐに見つめる。ティケは至って真面目な顔つきで彼を見つめ返す。
「ニレとレトゥムを蘇らせる?」
「そうです」
ナトスははっきりとその耳で聞いた。妻と子どもを蘇らせる、と。
「っ! そんなことができるのか?」
「できます」
ティケの言葉は力強く、嘘や適当なことを話していないことが分かる。
「どうやって!」
「魔王を倒すことです」
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