第5話 相違




 アーケード街 路地裏。ガコンと小気味いい音を立てる自動販売機から飲み物を二つ取り出し、片方をあかりに差し出す。


「お、ありがとう。」


 冷たい缶コーヒーを受け取った燈は、再び煙草の煙をくゆらせていた。相変わらず様になる画を見るのはまだ二度目であったが、不思議とその光景も見慣れてきたように感じる。



「─煙草って、一日に何本吸うもんなんだ?」



 蒼馬そうまが素朴な疑問を投げかける。



「十数本…多いと一箱いくかな?」


「ふーん。」


 適当な相槌をうち、再び沈黙。



「一本いる?」


「いらない。」




「─いつから吸ってんの?」



「実は興味津々きょうみしんしんなんじゃない?いつからだっけなー、二年前くらい?」



「…思いっきり学生じゃん。」



─そもそも未成年じゃん。とは言わなかった。今更別に気にしない。



「あたしね、高二になるタイミングで学校行ってないんだ。不登校ってやつ。」


「…そうなんだ。」



 ─こういう場合、理由とか聞いてもいいものなのだろうか?



「これと言って大した理由でもないんだけどさ。」



 まるで蒼馬の思考を先読みしたかのように燈が答える。俺はそんなにもわかりやすいのだろうか。それとも燈の察しが良すぎるだけか、あるいは両方か。



「なんというか、集団行動ってのがどうも肌に合わなくてね。みんな同じ服を着て、同じような髪型で、同じ勉強して…こう生きるのが正しいみたいなのが息苦しくてさ。」


「結局卒業もしないまま辞めちゃった。」



「……親は何も言わなかったんだ?」


「親ねぇ……。」



「母親は無関心だったからね。別に好きにしたらいいんじゃない?って感じだったし、父親は……。」


 燈の声が、少し曇ったような気がした。



「…あの人は、そもそも家に帰ってきやしなかったし、たまに帰ってきたかと思えばもう酒臭くてさ。怒鳴るわ暴れるわ…殴られたりなんかもしょっちゅう、ほんと最悪。」



「…そっか。」」



 蒼馬は、そんな当たり障りのない相槌を打つことしかできなかった。蒼馬と燈は、何もかもが違った。過ごしてきた環境も、家庭も。



 ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の学校を卒業し、ごく普通の企業に就職した蒼馬が、燈が過ごしてきた人生に対して「大変だったんだな。」なんてそんな言葉をかけるのは、失礼だと思った。



「なんか暗い話になっちゃったね?ごめんごめん…歩こうか。」



 いつの間に煙草を吸い終わっていた燈が歩き出す。蒼馬もそれに続く。先刻まではジリジリと熱を浴びせてきていた太陽も今はゆっくりと傾き始めていた。



「こんな生き方をしてきたわけだけどさ、別にそれを恨む事とか、後悔とかはないんだ。」



 しばらく互いの間には沈黙が続いたが、ふと燈が赤みを帯びてきた陽光に照らされながら切り出す。


「私が選択してきた生き方だから、それでよかったな…って、上手く言えないけど、そう思う。」


 燈がこちらを見ながら微笑む。緋色ひいろの瞳と、彼女を照らす夕陽の赤が、混ざり合うような、共鳴するような眩しさに、蒼馬は目を細めた。



 燈は強かった。自分の境遇も環境も、人とは違う生き方も、その全てを自身で肯定できる強さが、蒼馬の目にはあまりにも眩しく映った。



 対して蒼馬はごく普通の、ありふれた生活を享受きょうじゅしてきたにも関わらず、どこか満たされないような、何者でもないような、自分の居場所はここではないような気さえ抱きながら過ごしていた自分がとても小さなものに見えた。



こんな自分が、燈の事を好きになってもいいのだろうか?


─流石にすぎた考えだろうか。




 蒼馬はすっかり言葉を失ってしまい、口を閉ざしたまま燈の隣を歩く。燈もまた、それ以上は言葉を発することなく、夜の気配が姿を現してきた暗い青と、夕焼けの赤い光が混ざり合う紫色の空の下を二人はゆっくり、ゆっくりと歩いて行った。




─────




 駅の改札前の広場、二人がはじめに待ち合わせた場所まで戻ってくると、燈は最寄駅までの切符を購入していた。蒼馬その後ろ姿を数メートル後方から見守る。切符の購入を終えた燈がこちらを振り返り蒼馬の元に歩み寄る。


「電車、すぐ来るみたい。」


「そっか、タイミング良かったな。」


「うん、だからもうそろそろ行くね。乗り遅れたら元も子もないし。」


「じゃあバイバイだな。今日は楽しかった。」


 蒼馬が別れの挨拶を告げると、燈は納得のいかないような表情を見せた。



「バイバイじゃなくてまたねって言いなよ。」


「…別にあんまり変わらんだろ。」


「全然違う。そんなんじゃ女の子にモテないぞ。」


「うるさいなぁ、わかったよ。」


 そんなに違うもんかな、と頭の中で抵抗を続けながらも、蒼馬は再度燈に別れの挨拶を告げる。



「じゃあまたな、燈。」



「ん、私も今日楽しかった。またね。蒼馬・・。」



 合格!と言わんばかりに燈が親指を立て、改札口へと歩き出す。蒼馬もまた、バス停の方面へと歩き出す。数歩歩いた後、蒼馬が改札の方を振り返ると、燈は改札の向こうからこちらに手を振っていた。それに対して蒼馬も軽く左手を挙げた後、二人はそれぞれの方を向き直り歩き出す。



 夕陽は沈み、濃紺になった空の下、蒼馬一人の足音が駅の広場に響いた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る