第4話 紫の一室




 アーケードから少し外れた所にある。そこそこに規模の大きいカラオケ店の一室。二人は交互におもいおもいの曲を入れ、ひとしきり歌った。一時間ほど経った頃。歌い終わったあかりが、蒼馬そうまと対角線になる隅っこのソファに深く腰を下ろす。



「いやー楽しい!カラオケに来たの久しぶり。」



乱れた髪を手ぐしで整えながら、満足げな燈がこちらを向いて言う。



「楽しそうでよかった。最初提案した時少し考えてたから。」



 フードコートでカラオケに行くことを提案した際、一瞬だけ燈が躊躇ちゅうちょするような素振りを見せていたことに蒼馬は気づいていた。燈は少しだけきょとんとした顔をした後、すぐに微笑ほほえみながら、



「だってさ、ほぼ初対面の女の子をいきなり密室に連れ込むって、勇気あるなーと思って。一瞬だけ構えちゃった。」



 相変わらず優しい微笑みを浮かべながら燈が言う。言ってることがわからず少し思案した後、燈の言わんとすることに気づき蒼馬は自分の迂闊うかつさに顔を覆ってしまいそうになった。


「─ごめん!今までその…異性とこういう風に遊ぶ機会がなかったもんだから、わたる達と同じ感覚で誘ってしまった。確かに言われてみれば女の子としては少し怖いよな…。ごめん。」


 蒼馬が早口で弁明を述べていると、それをさえぎるように燈が口を開く。



「そんな何回も謝らなくていいよ。そうだろうなーって思ってたし、それに本当に嫌だったら断ってるし。」


「うん…本当すまん…。」


「だから謝らんでいいって言ってるじゃん。めんどくさいなー。」



 最後のめんどくさいという言葉に、また謝ってしまいそうになったが、これ以上は本当に怒られてしまいそうだったので、何とか言葉を飲み込んだ。



「─ところでさ、さっき女の子と遊びに行ったことないって言ってたけど。」



 全くないとは言ってない。訂正しようかと思ったが、ここでもまた言葉を飲み込む。





「なんで私は誘おうと思ったの?」


「─…え。」



 唐突に思いもよらない質問をされてしまい、蒼馬は言葉に詰まってしまった。モゴモゴと口を閉ざす蒼馬を見て燈がさらに続ける。



「もしかして私のこと──。」



 それ以上はやめてほしい。その言葉を言われてしまったら、言い逃れができない。何か言わねばと口を開こうとするが、うまく言葉が出てこない。



「──女として見てない?」


「…はい?」



 ない、それはない。蒼馬が全力で否定すると、燈はおちょくるように笑った。どうにもさっきからずっと燈のペースに乗せられている。まぁもとより対抗できるとも思ってはいなかったが─。



「─俺ってさ、人見知りじゃん。」


「あたしも。」


「嘘つけ。」


「本当だよ、最初会った時なんかガチガチに緊張してたんだから。」


「それはまぁ確かに…じゃなくて。」



 蒼馬はゆっくりと呼吸を整え、ひとつひとつ、ゆっくりと話し始める。



「何というか…人見知りって名乗るのは簡単だけど、これから先も人見知りっていうカードを切って、逃げ続けて…このままでいいのかなっていうか…だから、せめて─。」



「─仲良くなりたいって思った人くらいには、進めるようになりたいって、思ったんだ。」



「……そっか。」



 辿々たどたどしくも、今自分にできる精一杯の思いを伝えると、燈は何かを考えるようにしばらく黙り込んだ。そのまま蒼馬も下を向く。



「─じゃああたしは練習台ってわけだ?」



「そんなつもりじゃ───。」



 燈の言葉を訂正しようと顔を上げた時、ふわっと立ち込める柔軟剤の香りが鼻腔をなでる。






─いつの間にか、燈が目の前に立っていた。





 ソファに腰掛けたままの蒼馬を見下ろし、こちらの顔を覗き込む。自然と二人の距離が近づく。






「じゃあ、覚えなきゃだ。」



「─…なに、を。」



「人間を、だよ。蒼馬くんが怖がってる人間のこと。」



こちらを覗き込む燈の、よく手入れされた髪の先が頬にあたる。あれ、いつ髪ほどいたんだっけ─?燈の声色は、さっきまでとは少し違う、大人びた艶めかしい声になっていた。



「私は女の子で、蒼馬くんは男の子。」


「異性のことって、よくわからなくて怖いって思うかもしれないけど。どっちもただの人間。」



「目があって─。」




燈が蒼馬を見つめる。瞳に見据えられて、実はメデューサなんじゃないかと思うほど、身体が重く動かなくなる。




「手があって──。」




燈が掌を蒼馬の手に重ねる。思ったよりも小さい燈の白い手は、嘘みたいに柔らかかった。




「唇があるんだよ───。」




燈が─────。




─────




─ドリンクのストローを蒼馬の唇に差し込んだ。



「………。」



「………ふっ。」



「あっははははは!ごめん!たんま!やばいお腹痛い!」



 燈が耐えきれない様子でしゃがみ込み。膝や肩はぷるぷると震えていた。



──揶揄からかわれた。



 そう自分の頭が理解した時、蒼馬は羞恥心と軽い怒りが込み上げてきた。思いっきり目を閉じてしまった。期待してしまった。勝手に期待してしまったのはこっちだが、少し酷いのではないか─。文句の一つでも言ってやらないと気が済まない。



「燈、お前ちょっと──。」



 


 ─額。額に、あまり感じたことない柔らかい感触。それは紛れもなく、燈の唇だった。



「あ…─。」



「ごめんごめん、ちょっとおちょくりすぎた。あまりにもピュアな反応だったもんだからつい。ごめん!」



 床に膝立ちになったまま蒼馬に向き直ると、燈は申し訳なさそうに手を合わせた。



「いや、あの……はい。」



 蒼馬が呆気にとられていると、燈はまた耐えきれずに笑いだしてしまった。たまらず蒼馬が抗議の言葉を並べると、燈は笑いを止めぬまま蒼馬をなだめる。



 そんな言い合いが数分続いたのち、退店十分前のコールが鳴った。




─────



 フロントで会計を済ませ、二人が店の外に出る。外はそろそろ夕方に差し掛かろうかという時間だった。店内の冷房で冷やされた身体が、外の熱気に悲鳴をあげながら、蒼馬は入り口の短い階段を降りる。




「蒼馬くん。」



 背後から燈の声がした。振り返ると、燈も続いて階段を降り、蒼馬の横に並ぶ。




「─これは余談なんだけど。」



「さっきのストロー、あれ私のドリンクだったから。」




「………あっそ。」




 ─そうだったの!?と声をあげそうになってしまうのを何とか堪え、蒼馬は歩き出す。後ろから燈の笑う声がしたが、歩みを止めずに歩く。燈が蒼馬の横に再び並び、歩幅を合わせる。


「軽くアーケードぶらぶらしながら、駅まで歩こうか?」


「ん。」



 二人はアーケードへの道を、ゆっくりと歩き出した。













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