第3話 燈と蒼




 七月。来週にでも梅雨明けとニュースが流れた。本日、晴天の模様。



 早朝、夜のとばりに染まる空は大きく欠伸あくびをする朝陽によって白みがかっていく。幼鳥ようちょうが精一杯の歌を口ずさみ。灰色の街はたちまち陽光に照らされ、早くも蝉達が待ち望んでいたかのように行き場のない愛を叫び始める。


 蒼馬そうまは窓の外に向かい伸びをした。空は久々に晴れ渡っている。何とも爽やかな朝だ。ここ数日は雨が続いていたからか余計にそう感じた。




─今日はあかりに会う日だった。



─────




─時刻は十一時五十五分。



 蒼馬は市内で一番大きな駅にいた。改札口を人々が右往左往する中、改札前の大きな広場にある木製の簡素なベンチに一人座っていた。駅のすぐ近くに併設された大型モールの出入り口にはこれまた沢山の人々で賑わい、広場の中央部には大型ビジョンが取り付けられ、ファストフードの新作や、最新映画の特集などが流れていた。



─待ち合わせ時刻まで、後五分。



『もう隣駅。もうすぐ着く。』



 燈からのメッセージ。蒼馬はいよいよかと息を吸い込んだ。燈と会うのは一ヶ月ぶりだった。脈打つ心拍が加速する。喉奥に何かがつっかえたような感じがした。周りの喧騒けんそうが耳障りに感じる。それでも精一杯、なんでもないような表情で背筋を伸ばす。



 時刻は正午。長針と短針が互いの身を重ね合わせる。



 ─不意に背中に手を置かれた。突然の出来事に全身が硬直し悲鳴をあげる。慌てて振り返ると、燈が立っていた。



「滅茶苦茶びびるじゃん。こっちがびっくりするわ。」


 燈が悪戯いたずらっぽく笑う。一ヶ月前に初めて会った時には見られなかった表情だ。



「いや、背後からいきなり手を置かれたらそれは誰でもびびりますよ。」


「─なんで敬語?」


「──…いや、別に。」


「もしかして緊張してる?本当に人見知りなんだね。」



 緊張してる。という事実を隠すために精一杯なんでもないように振る舞うという蒼馬の情けない作戦は、わずか数秒で瓦解がかいしてしまった。



「まぁそれはいいんだけど、ちょっと行きたい所ある。」


「行きたい所?」


 どこに行くのか聞く暇もなく、燈は歩き出した。蒼馬が立ち上がると、燈はこちらを振り返り「別にここで待っててもいいよ?すぐ終わるし。」と言う。トイレだろうか?「いや、別に俺もいくよ。」と蒼馬が返すと、燈は「そ。」とだけ短く答え正面に向き直り歩き出す。蒼馬は行き先もわからぬまま、燈について歩き出した。




─────



─シュボッ。



 ライターの石をこする音が聞こえ、小さな種火が燃えたかと思うと、くわえられた煙草の先に火が移った刹那せつな、煙の匂いが立ち込める。ゆらゆらと昇った煙に続き、直線的な煙が吐息と共に吐かれた。壁にもたれかかり目を細めながら煙に揺られているのは紛れもなく燈だった。


 ここは駅ビル裏の喫煙スペース。周りには移動の合間のサラリーマンや、杖をついた老人が、各々の時間を過ごしていた。燈はここに来るや否や「ちょっと一服いれるわ。」と言いながら赤と白の箱を取り出したかと思うと、おもむろに火をつけ始めた。



「──…喫煙者でおられましたか。」



 蒼馬がかたわらで煙草をふかし始めた燈に向かい呟く。どうやら燈に対しては、一ヶ月前に抱いたイメージを一度忘れてから再構築する必要がありそうだ。


「─言ってなかったっけ?」


 ありゃ?といった表情をしながら燈がこちらを見る。もちろん聞いてない。無言で訴える蒼馬をよそに、そんなことはどっちでもいいという風に燈はそばにあった灰皿に灰を落とす。



 蒼馬には身の回りに煙草を吸う人間がいなかった。そのうえ女性のスモーカーとなると、実際に目にするのは初めてかもしれない。今日の燈の服装は、黒のスキニーパンツに白シャツといったパンツスタイルだった。格好も相まってか、何ともまぁ画になる光景だった。そうやって蒼馬が燈を見ていると、視線に気づいた彼女はこちらを向いて「一本いる?」と尋ねる。いらない意思を手振りで伝えると、一通り満足したのか、短くなった煙草の火を消して「じゃ、行こうか。」と蒼馬に近づく。



──燈が蒼馬と同級生だということは、もはや考えないようにしよう。




─────



 二人とも腹が減っているということで意見が一致し、燈の意見もあり駅ビル内にあるフードコートで昼食を摂ることになった。



「ん〜!やっぱり揚げたてのポテトは最高ですな。」


 燈が購入したのは限定新作バーガーのセット。ポテトとドリンクのコーラはLサイズで、単品でナゲットも追加というなかなか気持ちのいいオーダーっぷりだ。


「…それ、ついこの間も食べてなかったっけ。」


対面の席で、同じものを注文した蒼馬が呟くと、


「美味いものは何度食べても美味いんだよ。」と軽く遇らわれる。


 燈は、本当に美味しそうにポテトをつまみ、コーラを流し込み、バーガーを頬張る。その度に至福の表情を浮かべる燈を見つめていると、何だかこちらも満腹感で満たされる。つい先程まで、役者も顔負けの喫煙シーンを披露してみせたクールな燈とはうって変わって、そこにいたのは年相応の“美味しそうにご飯を食べる女の子”だった。その変わりようになんだか一人置いて行かれているような気がしなくもない。




「─この後どうする?」


バーガーをたいらげ、一息ついた燈がこの後の予定を聞いてくる。


「そうだなぁ…あ、カラオケでも行く?歌うの好きって言ってたよね。」


 蒼馬が提案すると、燈は一瞬だけ戸惑うような素振りを見せたが、すぐにいつもの様子に戻り


「─いいね、じゃあアーケードの方に移動する?」


 この後の予定が決まると、二人は会話もそこそこにお互いの食事を済ませ、フードコートを後にした。


 駅ビルから外に出ると、いよいよ本格化してきた夏の日差しが容赦なく襲いかかってくる。照りつける日差しから逃げるように、二人は路面電車に乗り込んだ。



 冷房が効いた車内の、手頃な席に蒼馬が腰掛けると、当然のように燈が隣に身を降ろす。別に気にするようなことでもないのだろうが、異性慣れしていない蒼馬としてはどこか居心地の悪さのようなものを感じた。もちろん悪い意味ではない。周りに人が多いのもあって特に会話をすることもなく、各々が束の間の沈黙に身を休めていた。電車は鼓動のように規則的に揺れながら二人をアーケードの方面へと運んでいく。



 アーケードに到着し電車のホームに降り立つと、蒼馬の一歩前を歩く燈がこちらを振り返りながら言った。


「にしても暑いよね。日焼けするの嫌だから長袖できたけど、やっぱちょっと無謀だった。」


「そうかもな。でも似合ってるよ、その格好。」


 蒼馬が称賛の言葉を贈ると、燈は少し驚いた表情をしてみせた。


「人見知りって言う割に、女の子にそういうことは言えるんだ?ちょっとびっくりした。」


「流石の俺でもそれくらいは…というかそんなことも言えないように見られてたのか、俺。」



「でも蒼馬くん、女性経験ないでしょ?」


「………。」



 図星をつかれ、蒼馬はすっかり黙ってしまった。この一ヶ月間の交流で、どこにバレてしまう要素があったのだろうかと、側に燈がいるにも関わらず一人反省会が始まる。その様子を見て、燈は笑い出すのをこらえるような素振りを見せながら、二人はカラオケ店へと向かった。




 こんな風に休日を過ごすことは、これまでを振り返ってもそうない事だった。


 夏の日差しのせいか、蒼馬は微熱のような感覚に浮かされながら、ゆっくりと歩を進めた。




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