第3話 理解不能な現実
外はまだ雪がポツポツと降っている。
細かい雪だからか、道路などに積もった感じはない。
まるでスケート場の様に凍りついた道路を自動運転AIに任せるのは少し心許ないが、酒を飲んでしまった僕に比べると幾分かマシだろう。
モニターを覗き込み目的地を入れる。
「いつもの大学まで」
「かしこまりました」
機械的な女性の声が聞こえる、僕は女性が苦手だ。(例えそれが機械だろうと)
施設から出た後僕は社会学習テストの結果が良かった事から、政府の仕事を手伝う為の大学に入る事になった。
この大学でより社会の事を良く学び最終的には政府にとって重要な職業に就くことが今現在の目標だ。
大学にある駐車場に車が止まると、僕はあることに気がついた。
自分が昨日から一度も睡眠を取ってないこと、それなのに全く眠気が無いこと。
あのバーに入った時は確かに若干の疲れはあったはずだが、どうしたものか。
疑問に思いつつエレベーターで駐車場を降りて、大学内へ入った。
僕は社会学習テストにおいて、哲学の分野で百点を取ったことがある。
僕がいた施設では史上五十人目の快挙で、一時は凄く持て囃された。
この大学に入れたのはその百点が大きい理由だろう、しかし僕は哲学科では無い。
僕にとって哲学はどちらかというと苦手な部類で、あまりそれについて考えたくはない。
考えたくない理由すら考えたくないのだ。
結局僕は心理学科で様々な事を学んでいる。
今日は月に一度ある対面授業の日で、人工知能についての講義を受ける。
大講義室に入るとすでにいくつかの生徒が席に座っていた。
大体はオンラインで講義を受けてるので、さほど面識は無いが顔と名前は一致する。
僕が奥の席に隠れるように座ると、二列前にいた少し不潔で近寄り難い姿をした男がこちらの方を振り向いた。
「君、顔色が物凄く悪いよ、大丈夫なの?」
少しくもった牛乳瓶みたいな眼鏡を光らせながら、男が口を開いた。
「そうかな、自分では気づかなかったよ」
とぶっきらぼうに返事をすると男は席を立ち、僕の方へと向かってきながら。
「少し休んだ方がいいよ、目の下の隈がまるでナメクジみたいになってる」
そう言いながら僕の横へと座る。
「余計なお世話だよ、僕は本当になんともないんだから」
と僕は横に座った男に嫌な顔をしながら言った。
「本当に大丈夫かな、まあいいや、授業中は君が倒れないように僕が見とくからさ」
本当に心理学科は変わったやつしかいないな、と僕は思った。
先月来た時も今どき漫画家を目指してるというよく訳の分からない男がいたし、その前だって変な宗教にハマってる奴に勧誘された。
僕には何か舐められるような気があるのだろうか、と少し落ち込む。
隣の男はイノシタ・ミキネと言う名前で僕と同じ心理学科の二年生らしい。
「散々施設で人工知能について学んだのに今更なにをするんだろうね」
と彼が不満そうに言う。
「おそらく人工知能の用途じゃなくて僕ら人間との関係性を学ぶんだよ」
と僕がもっともらしい事を言った。
「そんな事分かりきってるじゃないか、人工知能は利用される側で人間はする側、今どき暴走して人類を滅ぼすなんて言ってるのは「漫画家志望のカネムラ」くらいだよ」
甲高い声で笑いながらそう言った後、彼は講義を受けるためにタブレットを取り出した。
髭もじゃの教授が妙な形をした機材を持って大講義室に入ると、ある程度の喧騒が治まった。
僕と彼も、教壇に注目した。
「今日は私ではなく、この機材が君たちに教鞭を取る」
教授は髭を揺らしながらそう言うと、薄っぺらい透明の板の様な物とその大きい機材を接続して、教壇から降りた。
「今から私が見せるのは「特殊な人工知能」による人工知能についての授業です、この人工知能は自我をデータ化して人間と同じような考えが出来るようにしています」
教授がそう言うと、講義室は少しの間ざわめきに満ちた。
「教授!人工知能に自我をプログラムするのは法律で禁止されているはずでは!」
生徒全員を代表して一番前の席にいるカネムラが怒鳴るように言う。
「はい、仰る通り」
教授のその答えにまだ一段と長くざわめきが満ちる。
そして僕は今起きている事がまるで現実では無いような錯覚に陥った。
「目の前で不適合者を見たのは初めてだよ」
イノシタは汗ばむ額を指で撫でながら、僕にそう言う。
人工知能に自我を与えるという禁忌を犯した不適合者が講義室に現れた、その事実だけが僕ら生徒の考えを支配した。
自我を与える技術はもうとっくの昔にあったのだが、それをやると政治的テロだとみなされ極刑は免れないだろう。
僕らはそんな瞬間の一部を見てしまったと思い、酷く混乱した。
僕らのその姿はまるでヘビに睨まれるネズミの様で、ひどく滑稽に見えるだろう。
室内は物凄い喧騒に包まれ、ついに講義室から逃げ出そうという者もいた。
そんな中、教授はただ一人、髭を揺らしながら笑っていた。
「ついにおかしくなったのか」と僕は思った。
教授はその喧騒と混乱をなだめようとはせず、少し咳払いをしてこう言った。
「君たち、私は口頭でしかこの機材の説明をしとらんだろ、これは特殊な人工知能でも何でもない、ただの古いコピー機だ」
教授は薄い板を手に取り机に置き、自分の掌をその板の上に乗せた。
するとその機材の薄い間から一枚の紙が出てくる。
「ほら、これを見てみろ私の掌だろ」
そう言いながら自分の掌と紙にコピーされた掌を見比べさせる。
「実は今回の講義は人工知能についてでは無い、私は君たちに間違った情報を流した、その時に君らがどのような考えに陥るのか、そしてどのような行動を取るのか、それを身をもって伝えたかったんだよ」
教授はやや苦笑いしながら僕らにそう伝える。
僕とイノシタは冷や汗をかいただけでそれほど大きな行動に出なかったからマシな方だ。
僕は醜態を晒してしまった人らが気の毒でもあり、少し滑稽でもあった。
「そんなことして何になるんだ!」
こんなヘンテコリンな講義に怒りを持つ者もいた。(醜い姿を見せてしまったのだから当たり前だろう)
「冷静になってきましたね皆さん、要はあなた方に間違った情報、「デマ」を拡散したのです、この「デマ」こそ今現在社会において最も注視すべきものであり、我々が最も犯しやすい間違いなのです」
教授は機材を片付けながらそう言うと、逃げ出そうとした生徒の方を見て立ち止まった。
「デマを拡散する方法は色々ありますが、その中で一番厄介なのが無意識的なデマの拡散です、ヤスムラ君、あなたのとった行動は本来なら非常に素晴らしいでしょう、しかし間違った情報をもとにした行動ならば、恐怖を拡散しかねません」
そう言われるとヤスムラ君は照れ臭そうに下を向いた。
「喩えるならば私は小さな火を起こしただけで、あなた方が風を呼び、その小さな火はどんどん大きくなり色々な所へ移る、しまいにはその火に焼かれて…」
―――僕らは疑うことを知らなかった
施設では、社会学習テストが全てであり、教科書が全てであり、間違った事など一切無くただそれを学び、覚え、理解してテストと向き合う。
僕らは、この世に嘘をつく人間は存在せず、もしいたとしても不適合者となってもう社会にはいないと勝手に思い込んでいたのだ。
僕らの中で嘘は、間違った情報は、デマは「理解不能な現実」になりただ混乱を招く。
現実の他にまだ何も無い空間があって、そこにはどんな事だって考えるスペースがある。
その空間は僕にだってあるし、彼らにだってある。
ただ疑問なのは、その空間で、そのスペースで、何を考えればいいのか…
講義はたったの三十分で終わった。
僕はまだ混乱していた、熱が冷めずにずっと下を向きながら帰路に着く。
イノシタはもう僕に着いてきてはいなかった。(少しは話せる気がしたのに)
途中で古本屋に寄り、日記帳を買った。
雪は止んでいた、茶色のコートの一部が濡れて、黒く変色している。
白い息を吐きながら家に着いた、何故か久しぶりに帰宅した気がする。
そして、僕は十一日と五時間ぶりにベットに入り、寝た。
幼少期の無い僕ら 水風船 @hundosiguigui
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