第5話 小説と絵画

 さくらを指名して法律の難しい話をした次の日、高杉は谷口弘子に話しかけた。

 谷口弘子に話しかけるタイミングをちょうど掴んだような気がしたからだったが、弘子の方は待っていたとはいえ、いきなり話しかけられると、それは大いにビックリさせられるのだった。

「谷口さんは、彼氏とか、いるのかな?」

 といういきなり核心をつくような聞き方に最初はドキッとした弘子だったが、こんなことをいきなり聞いてくるというのは、却って自分に彼氏がいるかどうかということが気になってのことではないということが分かった。

 だから、急に冷めた気がした弘子は、

「いいえ、いませんよ」

 と落ち着き払った気持ちで言い切った。

「そっか、俺も彼女はいないんだけど、その分、趣味があったりするので、毎日が充実はしているんだ」

 と言った。

「趣味ですか? それはいいですね」

 弘子は高杉を気にしていたが。どこが気になっているのかハッキリとは分からなかったが、今の話を訊いて、自分にないところを持っているという意味で、興味を持ったのだということが分かった、

 弘子は、男性と別に付き合いたいと思っているわけではないが、注目を浴びたいという気持ちは強かった。これはアイドルのような感覚と言ってもいいかも知れない。そういえば、アイドルというと、恋愛禁止という言葉がくっついてきているように思うので。弘子のような女性は、性格的にはアイドル向きなのかも知れない。

 弘子は、高校生の頃までアイドルを目指していた。歌のレッスンに通ったり、ダンスレッスン。アイドル養成学校の小学生部門に所属していて、地元のCMやキャンペーンに参加したこともあった。

 ただ、それも中学生までのことであって、高校二年生くらいになると、アイドルを諦めるようになった。

 元々アイドルに自分がなりたかったわけではない。母親が娘をアイドルにしたかったのだというが、それは、自分も同じように親からアイドル養成学校に行かされて、せっかく遊びたい時間を犠牲にしてやらされていたことに不満爆発だったが、母親はそんな娘の気持ちを分かっているのかいないのか、次第に娘は、やる気がなくなってくる。

 最初の頃は嫌というわけではなかった。アイドルもまんざらでもないと思っていたが、ある時急に何かがキレた音がしたのだ。それから、養成教室にいくこともなくなり、母親の夢は脆くも崩れたという。

 しかし、弘子の母親はアイドルになるための教室が嫌いだったわけではない。ただ、無理やりやらされているという思いが嫌だったのだ。だから、結局、途中で嫌気がさして辞めてしまったが、大人になると、最後までやり切れなかったことを後悔するようになり、娘に対しても、同じような思いを抱くようになった。

 弘子は、母親の薦める、

「アイドルになりたいと思う?」

 という言葉を聞いて、

「やってみたい」

 と答えたその時、母親は、

「この子は、私の血を受け継いでいるから、あの時できなかった後悔を受け継いでくれているんだ」

 と思い、

「そう、それならやってみなさい。お母さんが教室を探してきてあげる」

 ということで、母親が探してきた教室に入学した。

 その学校は、地元では有名なところだったが、、地元アイドルくらいはなれたとしても、東京のような中央では、売れることは難しいと思われた。

「うちの学校は、生徒のやりがいを育てるようなところなので、それほどきつくはありませんが、お母さんがどうしても娘を有名にしたいという意思を強くお持ちであれば、うちには合わないかも知れないので、そこはご了承ください。だから、もし、うちに合わないと思った時は、いつでもお辞めになっても構いません。あくまでも、皆さん、つまりは生徒の覚悟とやる気次第だということですね」

 と先生は話していた。

 自主性に任せてはくれるようだが、その代わり、世間一般常識のような躾はしてくれるのだろう。

 そういう意味で、弘子は選択肢は自由にあったが、一旦、入学すると、辞めたいということが言いにくい雰囲気にあることは分かった。

 もし、

「辞めたい」

 などというと、

「どうして? あんなに自由な学校はないのよ」

 と言って、しつこく理由を訪ねられ、もしここを辞めるとすれば、ハッキリと口に出して言えるような理由がないということは分かっていた。

 その理由を説明できないことで、辞めることができないなどということは、どこか理不尽な気がして、

「意外と自由で簡単なことの方が、離脱する時に難しいのではないか?」

 ということが分かった気がした。

 そのため、何となく理不尽であったが、高校を卒業するまで、通い続けた。

 その間に、何度もオーディションを受けたが、そのほとんどが一次審査で落ちていた。何度も受けているうちに、審査員の態度で、自分がどれくらいの評価を受けているのかというのが分かるようになってきたが、だからと言って、どうすれば合格できるかということはまったく分かるわけではなかった。

 それは当たり前のことであり、そもそも、アイドルになりたいという気概があるわけではなかったからだ。そのことはオーディションの審査員の方も分かっているのか、弘子が通っている教室の生徒用の質問が用意されているようで、答え方ひとつで、やる気を持って受けに来たのかということを試しているようだった。

 ただ、弘子の二つ下の学年の女の子で、一人有望な女の子がいて、その子は、オーデションに合格しただけではなく、

「東京に出てこないかい? 君ならトップアイドルになれる」

 と言われた子がいた。

 それも、一つの教室だけではなく、いくつもの教室から誘いがあったという、。

 アイドルの原石を見つけたという触れ込みで、彼女はすぐに東京の教室に通うようになったのだ。

 その女の子は二年もしないうちに、CMやドラマに出演するほどの有名女優になっていた。

「彼女は、アイドルというよりも、女優やお芝居向きだったようね、それに、作文を書かせると文才も非凡だったから、ひょっとすると、脚本や監督の道も彼女なら歩めるかも知れない」

 と先生は言っていた。

「ここ十年くらいにアイドルというのは、アイドルだけをやっているというわけではなく、他にいろいろな才能があれば、そっちで活躍できるように、まわりが対応してあげないといけないのよ。そういう意味で、アイドル養成学校というのは、昔からのベタなアイドルだけを育てるだけじゃあダメなのよね」

 と、弘子は、今までの経験から、そう思っていることを、趣味があるという、高杉にいうのだった。

「なるほど、俺はそんなにアイドル事情には詳しくないけど、何となくその理屈は分かる気がする。アイドルというのは、いつまでもやっていける商売じゃないからね。同じ芸能関係での幅広い外仕事のようなものを持っていて、その素質を磨くようにしているという話は聞いたことがある。音楽の道を進む人もいるし、劇団に所属したりして、舞台は井伊裕になったり、女優として生きていく人、あるいは、勉強して大学に行って、そこで教養を身につけて、アナウンサーになったりする人もいるというのを聞いたこともある。何しろアイドルグループはたくさんあるし、グループのメンバーもたくさんいるから、どうしても芸能界で生き残ろうとするのは難しいかも知れないね。そういう意味で、芸能界を離れても一人でやっていける技術を身につけるというのは大切なことだよね」

 と高杉がいうと、

「ええ、そうなのよ。私はアイドルグループに入るところまではいかなかったんだけど、レッスンと一緒に、文章サークルのようなところにも一緒に勉強にいっていたので、一応、シナリオの基礎とか、小説の書き方などという勉強はしたんだけど、なかなか需要がなかったので、とりあえず、派遣会社に登録はしておいて、自分なりに、シナリオとか小説を書いて、いろいろ応募したりはしているの」

 と、弘子は言った。

「なるほど、ちゃんと教室に通って、基礎を勉強しているというのはすごいと思うね。やっぱり、お母さんがアイドル養成のためのスクールに入れてくれたから、そういう考えになっているのかも知れない。生き方としては、しっかりしていて、素晴らしいと思うよ」

 と高杉がいうと、

「高杉さんは、絵を描かれているんですよね?」

 と弘子がいうと、

「うん、そうだよ、よく知ってるね」

 と言われて、

「ええ、この間、高杉さんがちょうど会社の近くにある文具店に寄られているのを見たんです、そこで、二階に上がっていったので、ああ、絵を描かれるんだなって思ったんですよ」

 というではないか。

 彼女のいう文具店というのは、会社のあるビルの裏手にある。あまり人通りも多くなく、隠れ家のような店が多いところで、呑み屋として利用する人以外は、昔からの佇まいの家が多いので、老舗の店とかが多そうだった。

 前述の文房具店はもちろんのこと、昔ならではの和菓子屋さんであったり、呉服屋などといった、道路が舗装されていなければ、まりで大正か昭和初期の街並みを思わせる、乗除溢れたところである。

 そんな中で、この文具店を見つけたのは偶然だった。会社の飲み会に行く前に、仕事が早く終わり、集合時間まで少しあったことで、

「せっかくだから、この界隈を探検してみよう」

 と思った時に、偶然見つけたものだった。

 その文具店は、一階に普通の文房具が置かれていて、二階は絵画などの額縁であったり、絵の具やキャンバスと言った、絵画の用具が所せましと並んでいるのだ。

「こんなお店はなかなかないよな」

 と思い、まさか二階が絵画専門だとは知らなかったのだが、実際に入ってみると、時間を忘れて見入ってしまいそうなくらいだった。

 さすがにその時は飲み会のついでだったので、それ以上いることはできなかったが、

「いいところを見つけた」

 と思い。後日ゆっくり行ってみることにした。

 なるほど、確かに思った通りの時間を忘れられるだけの道具が並んでいた。一時間くらいは余裕で時間を潰せるくらいであった。

 高杉という男は、自分が絵を描くくせに、美術館などで、拝観するのは苦手だった。

 自分が描いた芸術についても、自分でよく分からないのに、美術館に展示されるような人の絵が分かるわけもない。そう思っているので、考えれば考えるほど、分からなくなっていくのだった。

 どうして分からないのかという理屈が分からない。芸術というものは、一つの作品には必ず何かの意味があると思っている。だから、美術館で皆がそれを見て。何かを感じているのだろう。それがどういうものなのか、説明する必要はない。ただ、分かるとするならば、

「他の人とはどこかが違う」

 というそのどこかが分かるということだろう。

 技術的なものだけに注目してしまうと、

「どこがいいのだろう?」

 と、細部にわたってみようとしてしまう。

 まわりから、細部に向かって見ていると、どこに違いがあるのかが分からないと、細部に行きついてしまったことを感じるだろう。

 見つからないとすれば、他の人が見ているのが、反対に細部から、全体に向かって人がっていくものだとすると、どこかで重なるはずなのに、重なることはない。それは、細部に向かってしか見ていないので、すぐ横を通っても、見つけることはできない。

「まさか、そんなすぐ横にいるとは思ってもいなかった」

 と感じるからで、しかも、通り過ぎるスピードは自分がまわりと感じている倍である。

 普通なら見えるはずのものが見えないということは、目の前で見えるはずのものが見えないことを証明しているようで、宇宙空間を感じさせる。

 宇宙空間を描く、テレビドラマなどで特撮を見ていると、ある星から飛び立った宇宙船が、次第にバックの星から離れていくのを感じるのだが、まだその星に近い時は、どんどん、星が小さくなっていくのが分かり、ちょっとしか進んでいないのに、かなり進んだような錯覚に陥ってしまう。

 これは、田舎のあぜ道を通っている時に、どこか道の真ん中に祠のようなものがあり、そこで休憩してから、また歩きだした時のことを思い出す。

 祠までの距離をある程度覚えているので、今度は祠から歩き始めると、かなり歩いたような錯覚に陥ってしまうのだ。

 後ろを振り向くと、そぐそこに祠がある。まだ、これほどしか歩いていないのかということを思い知らされた気がする。

 その店の雰囲気も、昔のそんな開放的な佇まいを彷彿させるものだった。

 木造の建物は、どこか油引きの床を想像させ、暑いわけでもないのに、暑さがこみあげてくるようで、扇風機や、うちわ、それに、豚が口を開けたような容器に入っている蚊取り線香を思わせる。

 そこまで想像が行き着くと、夜の縁側に、浴衣をした母親や兄弟が木でできた長椅子に座っていて、うちわを仰ぎながら、空を見ている。

「ドカーン」

 という音の後に、

「パラパラ」

 という音がして、その音の方を見ると、綺麗な大きな花弁が、空を覆ったかと思うと、次第に形が消えていく。

「たまや~」

 という声もどこかから聞こえてくる。

 綺麗な花火は、空だけを見るわけではなく、まわりを見ると、光が地上のすべてのものを照らして、綺麗だった。親や兄弟の顔も花火の光に照らされて、笑顔がハッキリと分かるのだった。

「皆のこんなに楽しそうな顔、見たことなかったな」

 と感じた。

 そういえば、子供の頃に感じた花火の醍醐味は、花火自体の美しさよりも、自分のまわりにいる人の顔を照らした時に感じられる。その人たちの表情だったのだ。普段、見たこともないような美しさは、花火にではなく、人間に感じるというのは、後にもその時だけで、人間に美しさというものを感じたことはなかったのだ。

「だから、誰かを好きになるということがなかったのかな?」

 と感じた。

 女の子を見て、綺麗だとか、可愛いとか感じることは確かにあった。

 だが、そんな彼女たちと付き合ってみたいという感覚にはなぜか陥ることはなかったのだ。

 文房具店に入ってから、しばらくすると、それまで感じていた油引きのような臭いはなくなってくる。

「一定の時間になるとなくなるようだが、その一定の時間は、いつもほとんど誤差がないような気がする。それは、同じ距離の道を意識せずにいつも通りに歩いたとして、歩く距離が一時間であったとしても、その誤差は、一分以下で、しかも、十数秒くらいのものである」

 と言ってもいいくらいではないだろうか。

 つまり、自分の中で、

「誤差の範囲だ」

 と思っているものは、意外と寸分狂わぬくらいのものであり、その感覚が、人間の持っている本能のようなものかも知れないと感じた。

「高杉さんは、絵を描く時、どこから最初に描き始めますか?」

 と、弘子は聞いた。

「うーん、ハッキリとは分からないかな? 被写体によって決めるという感じかな?」

 と答えると、

「じゃあ、すぐに描き始める方ですか?」

 と聞かれたので、

「少し迷うけど、でも、結構早いかも知れない。それに、いつも描き始めるまでの時間は一定しているかも知れない。毎回自分の中ではだいぶ違っているような気がするんだけどね」

 というと、

「どうしてそう思ったんですか?」

 と訊かれて、

「さっきまで考えていたことが一つの思惑を示したんですよ。それが一定の時間という感覚だったんです。ちょうどその時、あなたが、書き始めるまでのタイミングを聞いたので、偶然だと思えない何かを感じたんです」

 と高杉は答えた。

「なるほどですね。私は小説を書く時は、意外と早く書き始めますね。本当はプロットをしっかり作ってからでないといけないんでしょうけど、あまりカチッとしたものを作りすぎると、達成感が先に来てしまうという感覚と、配分が分からなくなるんです。これは絵にも言えることなのかも知れないんですが、バランスが崩れてくるという問題なのだと思いますね」

 と、弘子は言った。

「弘子さんは、アイドルになるという感情は、もういいんですか?」

 と言われた弘子は、

「ええ、もしあのままアイドルを追いかけていると、どこか煮え切らない自分に嫌気がさしていたかも知れないんですが、それを小説が救ってくれました。ひょっとすると、アイドルを目指している人や、アイドルになった人が別の道を模索するというのは、アイドルというのが、たくさんの選択肢の中の一つであり。その寿命が短いことを、最初から分からせて、アイドルを諦めるという意味合いよりも、長く続けられる継続可能なものが芸術であるということを教えるためのものなのかも知れないとも思うんですよ」

 と弘子は言った。

「芸術って、でも才能がなければできないものなのでは?」

 と高杉がいうと、

「芸術というのは、何もプロになるだけが目的ではない。自分の作品を世に出すという意味ではいくらでも方法はあると思うんですよ。それに趣味を仕事にしてしまうと、自分の中で余裕がまったくなくなってしまう。そもそも趣味を持つというのは、自分の中で余裕を持つためのものだと言ってもいいと思うから、却ってプロになる必要はないと思うんですよ」

 と弘子がいうと、

「確かにそうですね。趣味を仕事にしてしまうと、優先順位を自分ではつけられなくなってしまいますからね。プロである以上、売れるものを作り続けなければいけないという使命がついてくる。だから、自分が書きたいものを書けないというジレンマに陥ってしまって、それなら、アマチュアの方がよかったと感じると思うんですよ。しかも、締め切り厳守という厳しさもある。それは、絵や小説に限らず、何事でもそうですけどね。よく、趣味と実益を兼ねるとか、趣味を仕事にできていいよねとかいう人がいるけど、それこそ、無責任な発言に思えて仕方がないんですよ」

 と、高杉が答えた。

「やっぱり芸術というのは、分かる人にしか分からないというけど、そうなんじゃないかなって思うんです。そういう意味では、高杉さんとは、気が合うような気がするんですよ」

 と弘子は言った。

「ところで弘子さんは、どういうジャンルを書いているんですか?」

 と訊かれて、少しはにかんだ様子を見せた弘子だったが、

「私は、レズビアンものを書いているんですよ。ライトンベルとかにあるような、GLとかいうような甘っちょろいものではなくて、官能小説のような、ガチガチのレズビアンなんですよ」

 と言い切って、彼女は高杉を見つめた。

 その表情は、何と言われてもいいという覚悟のようなものがあった。

 すると、高杉は言った。

「官能小説というのは、結構難しいらしいですね」

 というと、

「検閲にかからないほどの内容を書かなければいけないということと、あまっちゃろいものは、ウケないというジレンマを感じながらですからね。そういう意味では難しいですよ」

 と、弘子は答えた。

「それだけに、自分の感性が重要になるんでしょうね。でも弘子さんのように、プロ意識がない方が、自由に書けるじゃないかな?」

 と言った。

 それを聞いた弘子は苦笑いをして、

「褒め言葉ではないところが、的を得ているところなのかも知れませんね。確かにそうなんだけど、まだこれだけでは物足りない気がするんですy」

 というと、高杉は、

「僕なんかの場合は、絵を描きながらたまに疑問に感じることがあるんだけね」

 と言って一瞬黙った。

「というのは?」

「絵というのは、目の前にあるものを忠実に描くのが正しいと皆思っているのかも知れないんだけど、独特の感性を持った絵描きというのは、目の前にあるものを忠実に描くというよりも、大胆な省略をするという人がいるんですよ。絵だって、事実が真実だと言い切れないのかも知れないからね」

「事実と真実?」

 と弘子が反復した。

「なるほど、そうなのかも知れないわ」

 と、続けて言ったのだ。

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