二十四話 貴方と貴女で、共に

フロウは幼少期から後継者として厳格に育てられてきた。ノスモルは気候も厳しく、異民族の侵攻もある地だ。領主に求められるのは、指導力と、戦の優劣を決める能力だった。弱音を吐かず、挫けることなく、父親が日々領民の先頭に立っていた姿は、そのままフロウの目指す領主像となった。


 自分が領民を、領地を守らねばと愚直に考え、父の背中を追っていたフロウだったが、その姿は突然消えてしまった。当時の流行り病は、カレヴリア城にも及び、容赦なく領主夫妻の命を奪っていったのである。


 突然の出来事に、フロウは何も出来なかった。無力感と、漠然とした大きな不安が自分を押し潰そうとしているようで、ただ呆然と、母の後を追うように亡くなった父の亡骸を見つめていた。そんなフロウを助けたのが、姉のディーナだった。身体が不自由な姉は、フロウにとって守るだけの存在だと考えていたが、領主の不在という非常事態に瀕した時、ディーナは誰よりも頼もしかった。


 フロウが無事に滞りなく領主を引き継げるように、領地や城が混乱しないように、全ての懸念事項に対して情報を集め、一つずつ対処していった。両親を失う悲しみは変わらないはずなのに、小柄で、壊れそうに細い姉のどこにそんな力があるのだろうとフロウは魔法でも見ているような気分だった。


「女の仕事は、領地の未来を考えることではなく、身近な人間の暮らしを守ることだ」と父は言っていたが、ディーナが先頭に立って、領地の混乱を防ぐために奮闘している姿は、男や女といった概念を超えたものがあった。大きな翼で雛鳥を包み込む親鳥のように、全ての脅威からフリグテを守っていたのだ。


 一方で、戦うべき敵が存在していなければ何もできない自分は、何て情けないのだろう。フロウは密かに自分の不出来を恥じ、それは嫌な記憶となって、心の奥に押し込められた。


「あの時、役割を勝手に決める無意味さはわかったはずなのに、俺は姉上のみならず、貴公の才も閉じ込めるところだった」「ディーナ様の才をご存じであっても、それを活かす機会を作れなかったのですね…」エリスは物語を聞くように、フロウの細切れになっている言葉をひとつひとつ心で理解していった。


(領主殿なりに、今までの在り方に疑問は感じていた···と)既に作られた枠を壊して作り直すのは、容易ではない。壊すことも大変だが、作り直した枠がより良いものになる保障もないのだから。現に今まで男女で役割を決めることで、(表面的には)支障は出ていないのだ。


「では、少しずつ、私達で出来ることから始めていきませんか?」「…何をしていく?」「急には思いつきませんけれど」エリスの言葉にフロウは意外そうな顔をしたが「まあ、今決めたばかりだから当然か」と笑った。エリスもつられて笑いながら「では手始めに、その机にあるお困りごとから片づけていきましょうか」と雑にまとめられた書類を指す。


「助かる。俺はこういう考え事は不得手だ」「領主様じゃないと浮かばない名案もありますよ」二人は机を挟んで書類を広げ始めた。いつもは静かな領主の部屋だが、この日は少し賑やかだった。


 翌日、エリスは籠を持って城の端にある厨房を訪ねた。「シプリナはいるかしら?」ドラクセル家の人間がここに来ることは滅多にないらしく、厨房はちょっとした騒ぎになった。「どうされたのです。部屋付きのメイドに命じていただければ、私がお部屋まで伺いましたのに」急ぎ足でシプリナがやってきた。エリスの意図が読めないようで、困惑した表情だ。


「ごめんなさいね。どうしてもここに来てみたかったの」エリスは籠を差し出す。「こちらで作って頂いた病人用の食事のお陰で、随分早く元気になったからそのお礼よ」中には蜂蜜の瓶。蜂蜜の中には青々と美しいハーブが入っている。


「茶に溶かしたり、パンにつけるとハーブの香りと味が蜂蜜と混じりあって美味しいの。パリョータでも人気があって、私も大好きだからいくつか持ってきたの」瓶の持ち運びこそ面倒だが、保存のきく蜂蜜の中に浸かっているハーブは見た目も美しく、旅行者の五感を楽しませてきた逸品だ。料理人たちが興味深げに籠の中の瓶を眺める。


「こんな大層なもの…私共には過分でございます」「いいのよ。食事に使った薬草の書き置きを残してくれた、にも味見してもらってね」エリスは意味ありげにシプリナにぐっと近づき、シプリナは慌てて目を逸らした。「わ、わかりました」「…本当に有難う、シプリナ。では皆様、ごきげんよう」エリスは軽やかな足取りで去っていく。


 シプリナは興味津々な使用人達の視線を振り払うように「エリスお嬢様のお心遣いです、仕事がひと段落したものから使ってよろしい!」と声を張り上げ、厨房はわっと盛り上がった。


「エリス様、体調はもう良いのですか?」「はい、ご迷惑をおかけしました」今日は仕事が休みの日で、エリスはディーナの部屋を訪ねていた。領民の子供たちが雪の中で元気に遊ぶ声が聞こえてくる。「エリス様に無理をさせてしまったのね…」「とんでもないです。お優しいお言葉、感謝いたしますわ」「…シプリナが、エリス様に失礼な言葉をぶつけたということも聞きました。私からも謝罪いたします」ディーナは苦しそうな表情だ。自分が信頼している、母親のような人間が他人を傷つけたという事実は受け入れがたいようだ。


「その件は気になさらないでください。意見をぶつけるということは、大切ですもの」と持参していた布を見せる。「イズに手伝ってもらいながらですが、少しだけ裁縫ができたので、お渡ししようと思ったのです」「まあ…エリス様は本当に真面目でいらっしゃる。病の時はゆっくり寝て過ごす絶好の機会ですのに」ディーナは冗談を言いつつも、布を広げ、ゆっくり眺める。


「ディーナ様が、御両親が亡くなった際に、領地を守ったお話を領主殿から聞きました」「あら、守るなんて大げさですわ。使用人達や官僚達のお陰です」「領主殿は、ディーナ様の才を活かせないことを憂いていらっしゃいました。領主殿も、今までの在り方を変えようという気持ちはあるようなのです」「…そうでしたの。エリス様、とてもきれいに縫っていらっしゃるわ」ディーナは微笑んで、布を丁寧に畳んだ。あまりこの話はしたくないようだ。彼女も何度も考えては、諦めてきたのかもしれない。


 だが、エリスは言葉を続ける。「少しずつ、領主殿と私で進んでいこうと思うのです。だから、ディーナ様にも助けていただきたいのです」「私に出来ることなんてあるのかしら。それに、フリグテ内はそれで問題なくても、ノスモル全体となると大変ですよ」エリスはディーナにぐっと近づく。「ど、どうなさったの?」シプリナと同じ反応をしていて、何だか面白い。「フリグテのために考えたことは、ノスモル全体に広がり、そして将来の領民のためになるかもしれません」


 エリスは我ながら言動がハナのようだと思った。彼女が、ソファーから立ち上がってパリョータとノスモルの将来について熱弁していた姿を思い出す。彼女も、現状でも問題のなかった貴族だけの統治に異を唱え、新しい光を探し当てたのだろう。その頼りない光をたどるには、強い意志だけではなく、共に進む人間が多く必要なのだ。だからハナは好敵手であるエリスも、その嫁ぎ先であるノスモルも巻き込もうとしている。そしてエリスも同じように、これからは多くの協力者が必要なのだ。


「…何か、確信が持てる出来事があったのですね」ディーナは、正面からしっかりとエリスを見つめた。「領主殿…いえ、フロウもきっとエリス様に何か良い影響を受けたのでしょう。今が変わる時なのかもしれません」「…はい、そう思っています」「困ったわ!エリス様が領主夫人になったら、私もゆっくり出来ると思いましたのに」ディーナは大げさに首を振って笑って見せる。「むしろこれからです、ディーナ様」「じゃあ冬の間は、城の中のお仕事を覚えていきましょうね。頑張りましょう」「は、はい」ちょっと声の勢いが落ちたエリスだった。

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