二十三話 繋がり

 二日後、体調が随分回復したエリスは、部屋から出られるようになった。やはり動き回れるというのは良いものだ。イズには口酸っぱく「無理をしないように」と釘をさされているので、書庫で歴史書でも探そうとゆっくり歩いていく。


(ディーナ様に仕事の状況を聞きたいけど…)自分が休んでしまった分をディーナに補ってもらっていると思うと、自分がするべきことは話を聞くことではないだろう。今日は、雪は降っていないがその分寒く、石造りの城は廊下であっても吐く息が白くなる。イズにしっかり厚着させられたエリスは、外出するものと勘違いされているのか、使用人たちの不審そうな視線にさらされながら書庫に向かう。


「お嬢様」「あら、ゼスト?」声をかけられて振り返ると、ゼストがにこやかに立っている。ゼストはルドルフと共にフロウに仕えているため、このように出会うことは珍しい。「何だか久しいわね」「同じ城におりますのに、不思議なことですな」ゼストは声を少し落とすと「シプリナさんの件、その後何もございませんか?」と心配そうにエリスを見た。「あら、噂は早いのね」「かなり大きな声で、廊下にいた使用人達が驚いたくらいだといいますから、広がるのは必然でしょう」確かにかなりの声量だった、とエリスは思い出して苦笑した。


「彼女とはあれから会っていないけど、私が気にいらないということはよくわかったわ」「そうですか…。ところでどこに行くおつもりですか?」「書庫よ」「もしよろしければご一緒してもよろしいですかな」「構わないわ」ゼストは何か話したいことがあるのだろうと察したエリスは、先を歩く。


 書庫に入ると、ゼストはエリスが選んだ本を持ち、後ろにさりげなく立っている。「シプリナさんは、元々ディーナ様の乳母だったそうです。ご家族やお子さんがいたらしいのですが、流行り病で亡くしてしまい、生計を立てるために乳母として雇われたと。ディーナ様とご自身のお子さんを重ねてしまったのかもしれませんが、それは過保護とも言えるほど大切にされたそうです」「そうだったの」(ディーナお嬢様にも負担をかけて、というところが一番私に言いたかったことなのかも)とエリスはシプリナの言葉を思い出していた。


「今はシプリナもメイド長だから、ディーナ様に付きっきりともいかないし、心配でしょうね」「はい。その代わりにディーナ様のお部屋に付くメイドは、シプリナさんがいつも以上に厳しい基準で決めているそうです」エリスは書庫にある椅子に腰かける。「有難う、ゼスト。こういった情報はなかなか耳に入らないから」「お役に立てたなら幸いです」パリョータにいた頃から、ゼストはエリスのためになる情報をそれとなく提供してくれていた。父と会う時間が少なくても齟齬なく仕事ができたのも、ゼストが橋渡しをしてくれていたお陰だった。


「今後の私の立場を考えると、シプリナとの関係性が悪い状態は、悪影響しかないわ。ディーナ様を間に挟めば表面上はうまくいくでしょうけど」「働いている人間には、わかってしまいますからな」ゼストは頷く。「ただ、こういったことは時間のかかることです。今回の件は、お嬢様に非はないということを知って頂きたく、お伝えいたしました」「有難う。まさか私が気に病んでそのまま寝込んでしまったと思っている?」「まさか。ただ、こういったことも積み重なればお嬢様の悩みの種になりかねません」エリスはふふ、と口元を手で覆って笑った。この情報を教えてくれたのも、エリスを心配してのことなのだろう。イズのように感情をはっきりさせることはないが、こうやってさりげなく助けてくれるゼストの姿勢が、何だか嬉しかった。


「ああ、そういえば、パリョータへ水を運搬する件はどうなっているの?」「氷山公へ使者を出しているところですな。あとはルドルフさんが、フリグテから輸送可能な量を計算しています」エリスは立ち上がり、本をゼストから受け取る。「そちらの方は頼むわ。また、何かあったら教えてね」さっきより足取り軽く、エリスは書庫を出た。


 その夜、エリスは久しぶりにフロウの部屋を訪ねた。この数日顔を合わせていないが、夕食に狩猟で仕留めたという鹿肉が出た際に「エリス様に滋養をつけてほしいって領主殿が直々に狩りをされたそうですよ。お優しいですわね」とイズが教えてくれた。いつも通りノックして入ると、フロウは珍しく書類を読んでいた。いつもすっきりとした机上にも書類が散らばっている。「少し待ってくれ」フロウはエリスをソファーに掛けさせると、メイドに茶を運ぶように命じ、再び書類に目線を戻した。


 エリスは特にやることもないので、フロウが熱心に書類に目を通している姿を眺めていた。(書類の中身が気になる…)しばらくたつと、フロウはふう、と息をついて散らばっていた書類を適当にまとめる。「待たせたな」「いいえ」メイドが運んできた茶はいつもと違う味がする。不思議な後味が舌に残り、おいしいとは言えないものだ。「それは病に効くハーブ茶らしい。美味くはないが」「鹿の肉も頂きましたから、お陰ですぐにでも元気になりそうです。有難うございます、領主殿」「ならばよいが」いつもと変わらず口数は少ないが、フロウの気遣いにエリスは感謝していた。


「お仕事の最中にお邪魔してしまいましたが、差し支えございませんでしたか?」「ああ。俺が一晩がかりで考えたところで、最良な答えは出てこないだろう」(仕事のことを聞いてよいものやら…)エリスは迷っていた。余計な口出しをしてフロウが気分を害してしまえば、今後「男性が担当する仕事」に自分が関わることは困難になるかもしれない。また、フロウが自分に考える仕事をエリスに丸投げするようになっても、フリグテ、ひいてはノスモルのためにならないだろう。フロウの思考が全く読めないので、迂闊に発言できず、かといって他の話題も思いつかず、二人の間にはいつも通りの沈黙が流れた。


「先日狩猟に行った時、クニグリーク卿…いやロベルト殿から貴公のことを色々と聞いた。俺は、貴公がやむなく御父上の仕事を引き受けてきたと思っていたが、それは違ったようだな」「そうですね…常に楽しいとは言い切れないですけれど、私の情熱を捧げてきました」どういう会話の流れだったのかはわからないが、自分のことが話題に上っていたことにエリスは内心驚いていた。


 そんなエリスの驚きには気づいていないのか、フロウはぽつぽつと話し始めた。

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