二十話 使者

 パリョータからの使者が到着したのは、ハナから流行り病の話を聞いた、少し後のことだった。普段城を空けていることが多いフロウも、この日は使者と会うために一日中城内で過ごしているようだった。


(ハナの話から、親書の内容の予想はつくけれど…気になるわね)エリスは平静を装って過ごしていたが、内心落ち着かなかった。領民たちも少し忙しそうな城内が気になるらしく、いつもよりお喋りが多く、作業もゆっくりしていた。「冬の時期は特にお客様が少ないですから、より一層気になるのだと思います」と、ディーナは訪問者を気にする様子もなく、いつも通りに裁縫をしている。


 今日は城内で暮らす領民たちの服や、城内で使用する寝具のほつれを補修していた。多くの人間が暮らしていると、こんなにやるべき仕事が増えるのかと驚きつつ、エリスもディーナに倣って黙々と裁縫を続けている。


(そもそも、話しながら縫物をするのは無理…)気を抜くとすぐに縫い目がガタガタになってしまうのだ。領民の女性たちが、他愛のない話に盛り上がりながら手をすいすい動かし、かつ美しい縫い目で作業を進めていく姿は、エリスにはまだまだ遠い世界だ。


「エリス様ー、どんな人が来てるのー?」遊びに飽きた領民の子供たちがやってきたので、エリスは手を止める。「パリョータという場所から来た人よ。偉い人のお手紙を領主殿に渡しに来ているの」「えー、どうして自分で来ないの?」「パリョータはここからとても遠いから、何日もかかってしまうのよ。皆も知っている通り、領主殿のお仕事はとても大変で、簡単に出かけられないの」


 子供たちはわかったような、わかっていないような顔をする。「ふーん、偉い人って大変だねえ」「ふふ、そうかもしれないわね」子供の素直な反応が可笑しかった。


 ドラクセル家が統治しているフリグテだけなのかはわからないが、ここは領民との距離が近い。エリスにとって、敬意と親しみやすさが両立していることが信じられなかった。リグランタ家の方針もあったが、パリョータでは、領民から畏怖を込めた遠慮がちな視線を、遠くから受けるだけだったのだ。統治者は、統治される人間と切り離すことで、感情に流されない、合理的な判断ができるとエリスは疑いもなく考えていた。


(でも、こうやって身近に人々の営みを感じられることも、悪くないものだわ)これだけ人の感情に触れれば、自然と、統治の目線だけで決断を下すのは苦しいものになるだろうし、時間もかかるだろう。だが、合理的な判断が正解への唯一の道ではないかもしれないと、もう統治に主体的に関わることができなくなった今になって、エリスは学んだのだった。


 と、ルドルフが入ってきた。「エリスお嬢様、領主殿がお呼びです」「領主殿が?」フロウからエリスを呼ぶのは初めてだ。エリスが部屋を訪ねることはあっても、その逆は一度もなかった。「用件は何でしょう?」「特におっしゃっていませんでした。ただ、来てほしいと…」ルドルフが申し訳なさそうな顔をしているが、口数の少ないフロウなら、具体的に内容を伝えてこないというのは、あり得ることだ。


「わかりました。…では皆さん、また後程」手を振る子供たちに見送られ、エリスは部屋を出ていった。


長い廊下を足早に歩いていると、ふとルドルフが「エリスお嬢様は子供たちに慕われていらっしゃいますね」と話しかけてきた。「そうかしら?今まで子供と接する機会がなくて、なかなか慣れないわ」エリスは言わなかったが、ルドルフもどことなく初めて会った時より、執事らしさが感じられる。おそらく、執事としての経験が豊富なゼストから学びを得ているのだろう。


「パリョータの使者と領主殿のお話は、もう済んだの?」「はい、こちらはクニグリーク卿にもご同席頂いたので、滞りなく済んだかと思います」


 もっと詳しく聞きたいと思ったが、ルドルフはエリスの望むような回答はしないだろうと、エリスは「そう」と返すだけで会話を終わらせた。あくまでノスモルの男性達は、女性の政治に関する問いかけは、ただの好奇心だと捉えているようだ。エリスが今まで会話をした男性は限られているが、領民同士のやり取りや、使用人達の様子を見ていても、それは感じることができた。


 悪意があるわけではなく、生まれながらにそれが当たり前とされているだけなので、議論で説き伏せることもできない。今のままでも問題はないかもしれないが、ノスモルをより良くしたいと考えているエリスには、一日やそこらでは解決できない難題なのだった。


「わざわざ、すまない」会議に使う広めの部屋には、既にフロウとロベルトがいた。「いいえ、失礼いたします」エリスは端の席に掛ける。「貴公も知っての通り、パリョータからの使者が来ていて、先ほどまで情報交換をしていたところだ」厳めしい長机には、パリョータで見かけた懐かしい品々が並んでいた。領主への贈り物だろう。


「その中で、貴公に意見を聞きたいと思って、呼んだ次第だ」女性にこのような場で意見を求めるということが初めてなのだろう、フロウはいつも以上にぎこちない。ルドルフもフロウの言葉を聞いて驚いた表情をしている。「クニグリーク卿も、貴公はパリョータで、御父上の手助けに留まらない働きをしていたと言うのでな」


(やるじゃない)ロベルトをちらりと見ると、澄ました顔をして「エリス様は、現パリョータ領主殿とは好敵手であり、同時に切磋琢磨する間柄でもありました。今後パリョータと交流する上で、意見を伺うのもよろしいかと思います」とエリスを後押しするような発言をする。


(いい流れがきたわ)エリスは内心興奮していたが、同時に慎重にならねばと身構えていた。(ハナとやり取りしている内容が漏れないように気を付けないと)この場にいる誰も、紅玉の存在を知らない。うかつに親書に触れるような内容を話せば大事になるだろう。そしてエリスがパリョータでの華々しい経験を話し過ぎれば「女性は政治に参加しない=男性の方が政治に詳しい」という価値観の彼らには、嫌悪される可能性もある。


(ディーナ様のように、控えめに、さりげなく…)「私が知っていることであれば、お伝え出来ることもあるかもしれませんが…」エリスは自分の興奮を懸命に抑え込み、ディーナの立ち振る舞いをひたすら頭の中で再生していた。まるで役者のようだと思いながら。

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