二十一話 氷と炎

 エリスの予想通り、親書の中身に「清潔な水の支援依頼」があった。他にも気になる件はあったが、まず優先順位が高く、成果が出れば今後に直結しそうな水の提供についてのみ、意見を伝えようとエリスは考えた。


「領主殿、今フリグテでは水はどのように確保されているのでしょうか?」「山にある氷を切り出して、氷室で保管しているな。春先まで切り出しの作業を続けて、その在庫で冬まで十分な量になる」「そうなのですね···」


「我々が使用している水を、パリョータに分けるというのが手っ取り早いか」長机に並んでいる資料に目を通しながら、フロウは考え込む表情になった。「とはいえ、パリョータに行き渡る量となると、かなりのものになるだろう」ルドルフがそれを聞いて、すかさず読み上げる。「パリョータの人口は約八千人ですが、フリグテは六百人。人口差がかなりあります」「なるほど、パリョータが納得するような量を送るのは難しいな。氷の切り出しにも人手がいる」(人口差は確かに大きいわね…。でも本来の目的は疾病を治めることで、水はその手段の一つに過ぎない)エリスは頭の中で様々な可能性を計算する。


「あの…」エリスは控えめに声を上げる。「意見があれば、頼む」フロウはそう返したが、ルドルフと一緒に資料を見ている。ロベルトの後押しがあったものの、エリスの意見は参考程度に聞こうといった雰囲気だ。エリスの本来の姿を知っているロベルトは、フロウ達の態度に不安げな表情をしている。


(まあ、予想通りね)かつて、忙しい父の代理として、会議に初めて参加した時も同じような反応だった。だが、父が亡くなり、本格的に領主の仕事を始めた頃には(表向きは伯父の補佐という立場だったが、それを鵜吞みにする貴族たちはいなかった)、エリスにやり込められないように、意見を入念に準備するという習慣ができるくらいの存在になっていた。たかが小娘と侮っていた貴族たちは、一人残らずエリスとの議論で叩きのめされ、冷ややかな瞳で「次回は、もう少し現実味のあるご意見をいただきたいと思います」と止めを刺されていた。


 だがそれは過去の話で、ここでは同じ方法は通じない。面白い気分になってきて、エリスは思わず笑みを浮かべた。「例えば、氷山公のインシアからフリグテに氷を運搬いただき、パリョータに送った氷の分を補うのはいかがでしょうか?インシアは山に囲まれていると聞いておりますので、氷の切り出しもしやすいのではと思いまして…」「成程、インシアから氷を買い取るということか。元よりノスモル内で交易が完結している地域だから、氷が急にノスモル外に買い取られることもないな」フロウは素直に納得している。「ええ、ノスモルは元々領地内で氷は調達できますから、買い取られて困ることはないでしょう」ルドルフも頷く。「ええ、それであれば、早急にパリョータに氷を提供できますね」


(後は任せておきましょうか)本当なら、費用の調整や運搬ルートの確認もしたかったが、そこまで入り込むのは早計だろう。あくまで提案と、実施への道を示すにとどめておく。


「そういえば…」エリスはふと口にする。「ノスモルでは、今回パリョータで起きた熱病が流行った時は、どのように対処されているのですか?パリョータの目的は熱病を治めることですので、こちらで効果のある薬があれば、それも併せて提供できればと思いまして…」「シプリナさんから主治医に聞きましょうか?定期的に薬草を売る商人も来ておりますので、そちらにも確認しましょう」「…そうだな。薬草は交易品になるかもしれぬ」それからフロウとルドルフは、ロベルトやエリスそっちのけで氷の調達について話を進め始めた。


「…さすがエリスお嬢様」ロベルトが小声でエリスに声をかける。「いいえ、まだこれからよ。でも、この場に来ることができたのは貴方のお陰よ。有難う」「…ハナも頑張ってるのかなあ」「ええ、きっと。私達はノスモルから応援しましょう」じんわりとした満足感がエリスを包んでいた。まず一歩、進めた気がした。


「エリスお嬢様」昼食後に部屋でくつろいでいると、シプリナがやってきた。メイドを取りまとめる立場で多忙な彼女が、エリスの部屋に来るのは珍しい。「あら、どうしたのですか?」シプリナは不機嫌な表情をしていて、エリスの隣に立つイズが嫌な顔をした。自分の女主人の前で何とはしたない、とでも言いたげだ。


「ルドルフから聞いたのですが、お嬢様が、先ほどの会議で熱病の治療方法や薬を調べてほしいとおっしゃったそうですね」口調の端々に非難がこもっている。普段からエリスには刺々しい態度だが、今日ははっきりと敵意を感じた。「提案しただけですが、いけませんでしたか?」「わたくし共はただでさえ多くの仕事をこなすので手一杯です。そこに余計な仕事を入れていただくのは困ります」(自分の領域に立ち入るな、ということかしら)それにしても、将来の領主夫人への言動とは思えない。横にいるイズの怒気が伝わってくる。


「そうですか、ごめんなさい。でもね、フリグテの利益に繋がる可能性があるからこそ、調べてほしいという話なのよ。ドラクセル家のメイド長としても、フリグテが豊かになることは喜ばしいことではありませんか?」なるべく丁寧に話したつもりだったが、シプリナは態度を変えない。


「フリグテのことを考えるというなら、お嬢様は男性のお仕事に首を突っ込まずに、屋敷のお仕事に専念なさったらいかがですか?ゆくゆくはお嬢様がこの屋敷の管理を仕切るのに、会議に参加して余計なお仕事を増やしてどうするのです?ディーナお嬢様にも負担をかけて…」怒りが爆発したようで、シプリナは激しい口調でエリスに詰め寄り、イズが間に割って入った。「シプリナさん、言葉が過ぎますよ!」イズも応戦するように強い口調で返している。


 エリスは冷静にシプリナの様子を見ていたが、感情が溢れているようで、同じ内容を言葉を変えて繰り返している。(女は男の仕事に首を突っ込むな、領主夫人の仕事に専念しろ、ディーナ様に面倒をかけるな、ということが言いたいのね)こういう感情のやり取りは苦手だが、避けては通れないことだと覚悟を決める。エリスは立ち上がると、イズを下がらせ、怒りの炎を噴き出しているようなシプリナの前に立つ。


「貴女の言いたいことは理解できました。今後も、言いたいことがあればこちらでおっしゃってもらえるかしら。どのような言葉であろうと、領主殿には言いませんから」エリスの落ち着いた態度は、シプリナに冷静さを取り戻させたようだ。「…申し訳ございません。先ほどの件は、調整いたします」シプリナは無表情で出ていった。


「何て人なんでしょう!ずっとお嬢様に失礼な振る舞いをしているとは思っていましたけど、これほどとは!」イズは怒りを抑えられないようで、拳を強く握り続けている。「彼女の言い分もわかるけど…さて、困ったわね」こうして、思わぬ課題が増えたのだった。

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