十九話 紅玉

「無事にお披露目が終わって良かったですね」「そうね、最初の仕事は果たせた…というところかしら」五公の集まりから数日後、エリスはハナと近況を伝えあっていた。


「本格的な冬になっているけど、そちらはどう?」「それが…最近熱病のようなものが広まりつつあるんです」ハナの話によると、その熱病は、死者は多くないが、とにかく感染の広がりが早く、子供や老人には危険だということだった。


「そう、それは心配ね」「エル様が早急に隔離用の建物を作ったので、症状がひどい者はそこに集められているのですが、どこまで抑えられるかわかりません。ただ、高熱が何日か続いて、それに耐えられれば後は自然と良くなるらしいので、今出来ることは高熱の苦しみを和らげるくらいです」「水で濡らした布を当てるとか、それくらいね。でも…」


 パリョータは比較的発展している都市だが、水に関しては課題が多い。飲料に使える水は限られており、井戸も少なく、貴族に大半を独占されている状態だ。生活用水として川の水を引いているが、様々な用途に使うため、清潔な水とはいえず、煮沸してから使用する必要がある。身体を冷やすために貴重な井戸水は使えないが、かといって川の水をいちいち煮沸して冷やして…とするのも手間だろう。薪も、ノスモルほどではないが、冬は消費量が多くなるので、無駄にはできない。


「それなら、ノスモルの氷を購入するというのはどうかしら。今までも寒冷地から購入して、夏に使用していたはずよ」「確かに、今の時期なら溶けにくいですし、いいかもしれませんね!あとは費用の問題ですが…」その後紅玉の熱が冷めるまで、二人であれこれ話し合った。


(でも、どんなに考えたところで、私に決定権はないのよね)冷えた紅玉を見つめ、エリスはため息をつく。


 ドア近くに控えていたイズがそっと近づく。ハナと部屋で話している声が漏れることで不審がられることがないように、毎回イズには部屋で待機してもらっている。「お嬢様、どうぞ」茶の入ったカップは、冷えていた両手をじんわり温めてくれた。「話が弾んでいらっしゃいましたね」「ええ、もどかしい気持ちにもなるけれど…」「…」


 エリスの心情を思うとイズはいたたまれなくなった。ノスモルでの待遇は決して悪くないが、エリスの才能は発揮できない状態だ。このままただの領主夫人として生涯を過ごすとするなら、あまりにも不憫だとイズは思っている。「ベッドを整えておきますね」沈黙を誤魔化すように、ベッドの方へ向いた。


 エリスはイズの気まずい沈黙にも気が付かず、ぼんやりと暖炉の火を見つめている。ロベルトから五公の集まりで得た情報をもとに、エリスはいくつかノスモルの利益になりそうなことをまとめていた。やるべきことは多々あるが、まず領地外への交易品を増やし、その利益を道や建物の整備に充てることが良いのではないかと考えた。氷を商品として売るということも案のひとつで、今日の話で今がパリョータへ売り込む好機ということもわかった。自分が領主に近い立場の時は父に進言し、話し合うことができたが、今ではフロウに提案したところで取り合ってもらえないであろう。


(ノスモルでは、誰が発言するかが一番に優先される…)ロベルトに代弁してもらう案も、いつか別の手段が必要になるが、代替案も今のところ浮かばない。もどかしさにまたため息が出る。(ああ、少しパリョータが懐かしくなってしまっているわ。ノスモルでの生活に慣れてきたと思っていたけど)珍しく弱気な自分の思考が情けない。


「イズ、今夜は一人で考え事をしたいから、もう下がってくれて構わないわ」「わかりました」イズは挨拶をすると部屋を静かに出ていった。(眠って朝になれば気持ちが変わるでしょう)エリスは思考を振り払うようにベッドに潜り込んだ。


 温かな布団はひんやりとした冬の空気からエリスを守るようで、心が安らぐ。そしてベッドで眠気を待ちながら、ふと気が付いた。(なぜハナは紅玉のことをリヴにも教えたのだろう)紅玉の存在は、ハナ、紅玉を購入したハナの父、エリス、ゼスト、リヴしか知らない。将来義理の家族になるであろう、クニグリーク卿やエルにすら隠しているらしい。紅玉を半信半疑で購入したものの、その力が本物だと知ったハナの父は、悪用されることを危惧して、屋敷の金庫にしまったのだとハナは教えてくれた。


「交易のために航海している部下に渡しても良さそうなものですが、父は、この紅玉を渡すだけの信頼できる人がいないのかもしれませんね」「…それなら、かつての競争相手であり、貴女を恨んでいるかもしれない私に渡すことは危険ではなくて?」あの日、屋敷で紅玉の力を試した後に話したことを思い出す。ハナは笑って首を振った。


「エリス様はノスモルのために使うって、信じることができるんです。だって、自分の将来の地位をかけた『競争相手』にたくさん時間を割いて、政治のことを教えてくださったでしょう?」「それは貴女が屋敷に訪ねてくるから…」「門前払いだって、できたはずですよ?」華やかな笑顔でポンポンと事実を並べられて、エリスはやれやれといった表情になる。リヴは愉快とばかりに、小声で陽気な歌いながらその様子を眺めていた。


(確かにリヴは政治に関心もないし、悪用することはなさそうだけど…)だが、悪意なく、社交のおしゃべりのついでに、うっかり紅玉のことを漏らしてしまいそうな気もする。(まあ、大したことでもないけれど、今度聞いてみましょう)あの時リヴが歌っていた声を思い出すと、なぜか眠たくなってきて、エリスはそのまま眠りに落ちていった。

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