十四話 書庫と歴史

 それからしばらくは、城の暮らしに慣れるための日々が続いた。エリスは主にディーナに付いて城内の仕事を学び、フロウとは夜に軽く雑談をした。フロウの仕事はエリスの管轄外らしく、彼から学ぶ機会は未だにない。ゼストはルドルフと、イズはシプリナからそれぞれ仕事を学んでおり、エリスは一人で過ごす時間も増えていた。


 今日はノスモルでは休息日と決められており、予定を入れずに静かに過ごす日らしい。エリスは先日使用人の男性から教えてもらった書庫へ足を運んでいた。事前にフロウに利用許可は得ているが「面白いものなどないと思うが…」と怪訝な顔をされた。


 書庫は重量感のある扉があり、全身の力を入れて押さないと開かない。ほとんど使用されていないと見え、中は埃っぽく、エリスは思わず咳き込む。ハンカチで口元を抑えながら、書庫の背表紙を眺める。ひんやりとした部屋には、本が整然と並べられており、一種の美しさすら感じられた。


(読まれないのが勿体ないわ)一冊の歴史書を引っ張り出す。ずしりとした重みがある。他にも何冊か抜き出し、持参していた小さな台車に載せる。ルドルフが同行すると言っていたが、本はじっくり一人で選びたいのでエリスは断っていた。「でも持ち運ぶのはおひとりでは大変ですから、せめてこちらを」と台車を貸してくれたルドルフに感謝しつつ、エリスは再び重い扉を開けた。


 書庫は二階にあるが、エリスの自室まではそれなりに距離があり、エリスはルドルフに手伝ってもらった方が良かったかもしれないと少し後悔した。使用人に声をかけることもできるが、手を煩わせてしまうのも憚られた。自分の仕事を手伝わせることで持ち場の仕事が遅れ、シプリナにこっぴどく怒られてしまっては居た堪れない(実際に、何度も使用人が仕事の遅さで怒られているのを見かけた)。


「どうなされましたか」少しずつ台車を押しているエリスに声がかかった。振り向くと、そこにいたのは隻眼の老人。「ボルセス様」慌てて姿勢を正し、礼をする。


 ボルセスはフロウの軍事教育を担当し、現在は城の軍団の補佐役をしている。元々は指揮官として戦場に立っていたが、目を負傷したことで退き、その後は学者として実績を上げている「軍事の天才」だ。黙って立っているだけでも、只者ではないと感じさせる雰囲気がある。


 この地の軍事を支え続けている功績から、ドラクセル家に並ぶ扱いを受けているが、エリスはこうして会話をするのは初めてだった。「見たところ、かなり重い書物を運んでいらっしゃるご様子。差し支えなければこの老人に手伝わせてもらえますか?」「よろしいのですか?恐れ入ります…」「今日は休息の日で暇を持て余しておりましたから、むしろ好都合です」


 からからと笑うと、台車を軽々と押していく。「これは…ノスモルの歴史書ですね」「はい、私の住んでおりましたパリョータにはこういった書物はほとんどありませんでしたから、興味があります」「確か、パリョータは交易で栄えていった都市ですね」「はい。元は宿場町に店がいくつか集まったような場所でしたが、そこから発展し、貿易拠点となっていったとされています」


 パリョータは交易の営みによって作られ、発展した都市だ。そこに発展の歴史はあれど、神話のようなものはない。パリョータの書庫には比較的新しい書物が多く、今運んでいるような古い文字で記された本はほとんどなかった。エリスは神話や歴史の本からノスモルを知ろうとした。歴史の積み重ねが風習となり、文化となっていると思うからだ。


 その話を聞いたボルセスは深く頷き「大変良い視点ですね。私もお力添え出来ることがあれば声をかけてくだされ。つまらないかもしれませんが、昔話のひとつくらい教えて差し上げますよ」と言った。


「それであれば、ぜひ今教えていただけますか?字体を読み解くための秘訣があれば、そちらもお聞きしたいと…」「ええ、もちろん。ではちょっとした講義の時間ですね」ボルセスはエリスの積極的な姿勢に少し驚いた様子だったが、その後ノスモルの歴史と古い文字の読み方について丁寧に教えてくれたのだった。

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