十話 クニグリーク家の四兄弟

「ロベルト、本当に行くつもりなのか?」部屋に入るなり、腕組みをして仁王立ちしているエルの声が降ってくる。毎回の詰問口調だ。この兄は、表向きは友愛に満ちた貴族の青年を演じているが、実際は自分が正しいと考え、他人が入り込む余地のない完璧な理論を振りかざす頑固者だとロベルトは思っている。


「お言葉ですが兄上、父上からお許しはいただいていますよ」むっとしたエルの奥で、やれやれといった表情を浮かべているのが、クニグリーク卿…兄弟たちの父にして、この家の当主だった。父の書斎は入るだけで委縮してしまうような雰囲気がある。緻密な彫刻と装飾が施された調度品の数々と、深紅の敷物。幼い頃から活発だったロベルトも、この部屋では走り回ったりソファーに飛び乗ったりすることはなかった。


「父上、無謀なお願いをしてしまって申し訳ありません。ですが、私はどうしても上辺だけの上官にはなりたくないのです。」「確かに、お前にはいずれパリョータの軍隊を引き受けてもらうつもりだが、上官は実戦より兵を動かす理論を学ぶことが大事だぞ」「勿論勉強しますって。でも、兵達は理論だけで戦場に出ない上官を信頼すると思います?劣勢になった時に一番に逃げ出すような軟弱者にはなりたくないのです」エルは父の手前何も言わないが、その目は雄弁にロベルトへの非難をぶつけている。


(これからという時に、なぜパリョータを離れ、敗者に付き従うのか…とでも言ってるのかな)ロベルトはその非難の視線をかわし、ソファーに腰かけた。すると扉が叩かれ、カインと、その後ろからリヴがひょっこり姿を現す。「父上、申し訳ありません。先生との話が長引きまして」「俺もすいません!」「お前はただ忘れていただけだろう」カインにたしなめられるも、リヴは笑っている。こうして兄弟が集まるのは久しぶりのことだった。


「あれ、ハナは?」「彼女は里帰りさ。ここのところ行事続きだったからな」「なんだ、いないのか。男ばっかりで暑苦しいなあ」リヴは顔をしかめる。「…で、皆を集めたのはどういうご用件でしょうか」エルは時間が惜しいのか、リヴののんびりした間を埋めるように切り出した。


 父は頷き「ハナがパリョータの新たな領主となったのは、我々が目指す領民が参政する統治への第一歩となった。これから我々が行うべきは、私腹を肥やし、権利ばかり主張する貴族を排除しつつ、才ある領民を登用し、パリョータの統治の質を向上させることだ。もちろんすぐに出来るものではない。下手をすれば何十年とかかる。故に我々の目指す姿にずれがないか、この時点で確認しておきたい。ロベルトも明日からノスモルに向かい、当分は戻れないからな…」父の口調は家族というより臣下に向けた演説のようだった。


 父にとって、家族は安らぎを得られる存在ではなく、理想を実現するための駒なのだろう。妻、つまりロベルト達の母は美しく家柄の良い貴族というアクセサリーで、どんな人間か、何を考え何が好きなのか、そういったことは二の次だった。他の兄弟の本音は知らないが、ロベルトは両親のそういう感情のない生き方が嫌だった。自分の価値観で品物のように他人を鑑定する父も、それを受け入れ、人形のように意思を持たず静かに暮らしている母も。ハナには一目置いているようだが、それでもちょっと賢い美しい人形としか思っていないだろう。目指す理想は美しいのに、足元に散らばる身近な人間達は雑に転がされるか、飾り棚に固定され、鑑賞されるだけの存在になっている。


「ロベルト、お前はリグランタの娘の動向をきちんと見張れ。おそらくノスモルでは何もできないとは思うが、パリョータへ敵対するようなことを吹き込まれると厄介だ」「随分警戒するのですね」「もしあの娘が男だったら、相当な難敵だよ。女性だから婚姻という方法で締め出すことができたものの…」「俺たち、ワルモノみたいだな」リヴが突然口を挟んできた。


「リヴ、ここはふざけたことを言い合う場ではないぞ」「ふざけてないよ?エリスがかわいそうだなーと思っただけ」エルに睨まれても、リヴはカラカラと笑っている。「お前はいつまでも子供みたいだよ。そんな馬鹿げたことを言って恥ずかしくないの?」カインも不愉快そうな表情を隠さない。(うわあ…嫌な空気になってきた)ロベルトは団らんの欠片もない家族の険悪な雰囲気を感じていた。久しぶりに集まったのにこの状態だ。


 リヴは意図的なのか無意識なのか、場を乱してしまうことが多い。それに対してエルとカインが苛立ち、ロベルトはどっちの立場になることなく、笑ってその場を誤魔化すのだった。「どちらにせよ、あの娘はもうあの手腕を発揮することはできない」「ノスモルがどんな場所かほとんど俺たちは知らないのに、どうしてわかるのです?」父の言葉にリヴがむっとした表情で噛みつく。


「勿論、全てを知っている訳ではないが、今回同盟を結ぶにあたり最低限の調べはついている」エルとカインは理由を知っているようで、涼しい表情だ。政治と学問に優れ、父の手足のように動ける二人は、いつもロベルトやリヴの上にいる。そしてロベルトは、平和な時代にさほど役立たない武を愛し、それを求めるほど彼らと距離が開いていくのだった。彼らに同調するほど器用ではなく、武に傾倒するほど家族を断ち切れない、そんな半端な自分を痛感する。


 そんな風に頭の中が感情で渦巻いていたせいで、父のこの言葉を今まで忘れていた。


「ノスモルは圧倒的に男性優位の社会。女性は籠の中の鳥のように、外に出ることは許されないのだ。ましてや政治に口を出すなど言語道断。知らぬ土地から嫁いできた小娘の言葉など、どんなに正しくとも耳を傾ける者はいないのだよ」

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