七話 氷雪の領主

 エリスは様々な感情や言葉が頭の中を錯綜していて、フロウを見つめ返すことしかできない。「申し訳ございません、お嬢様も危険な目に遭った故に…」ゼストの言葉に頷くと、フロウは馬車を引く馬の様子を見る。「脚を噛まれているようだが、動けるか?」「落ち着けば歩けるようになるかと思いますが…」「難しいようであれば、すぐ近くの村から馬を借りよう」(この人が、ノスモルの領主、そして私の夫になる人)今までに見た貴族とは全く異なる風貌と雰囲気に、エリスは圧倒されていた。


 パリョータは長らく平和な状態が続き、血や刃とは無縁の地だった。血や暴力はせいぜい狩りや武闘大会で見る程度で、好んで見ようとしなければ生涯知ることもなかっただろう。毛皮をまとい、刃をいくつも下げているフロウはまるで大きな獣のようだった。雰囲気も、この凍てつく風のように鋭い。


「ご無礼をお許しくださいませ。」落ち着きを取り戻したエリスは馬車から降りる。血を流す獣の死骸があちこちにあり、心臓が跳ね上がったが、ぐっと動揺をこらえた。御者と変わらず話していたフロウに向き直り、後から降りてきたイズと共に丁寧にお辞儀をする。「エリス=リグランタです。お迎えと、私達の命を救っていただきましたこと、心より感謝いたします」。フロウは「ああ」と頷く。儀礼を返すつもりはないようで、エリスの言葉が終わったことを確認すると、毛足の長い馬にまたがる。


「後方の者たちの無事を確認次第、城へ誘導する」雪の中に姿が見えなくなると、イズが慌てて馬車の中に戻るように促した。「お嬢様のご挨拶をあんな形で無下になさるなんて…」「そんな悠長な事態ではなかったもの」フロウの、相手を射すくめるような瞳が妙に心に残った。恐怖は感じなかったが、獣が自分より強い相手かどうか見極めているようだった。


(果たして、私はどう映ったのかしらね)フロウの頭の中でどんな思考が流れているのか、想像もつかなかった。


 ロベルト達も無事に合流し、一行はフロウ達と共に、古めかしい城へたどり着いた。雪が晴れて見えてきた城は、長きに渡って過酷な気候に耐えてきただけあり、あちこちが欠け、くすんでいた。だが、その佇まいは石造りの巨人を思わせる迫力があった。(まるであの人のようだわ)


 長い列が城門に入っていくと、あちこちから使用人たちが駆け寄り、馬車を誘導しては荷を運び始めた。エリスはフロウとその従者達に続き、城の中に進む。場内は簡素で、無駄な装飾や調度品が一切なかった。隅々まで美しく磨かれていなければ、盗人は廃城と勘違いして引き上げるかもしれない。


 フロウと入れ違いに侍女たちが現れ、広い応接間に通される。暖炉の暖かな火がエリス達をほっとさせる。ここに飾られているのは、磨かれている武具の数々だった。いずれも飾りではなく、実際に使用されていたことがわかるものばかりで、おそらくかつての領主が手にしていたものなのだろう。そして美しい毛皮の絨毯がソファーに敷かれている。


「ロベルト、無事でよかった」エリスは少し離れた椅子に掛けているロベルトに声をかける。「ああ、ノスモルの戦士たちがすごいっていうのがよくわかった。俺みたいなお遊びの武術とは世界が違ったよ」苦笑して、頭を掻いた。「でも、貴方の判断のおかげで私達は救われたのよ。卑下することはないでしょう」エリスは微笑み、イズもしきりに頷いた。


 と、扉が開き、若い執事らしき男性と、杖をついた女性が入ってきた。黒い髪に利発そうな瞳をした美しい女性は、ふわりと優しく微笑んだ。「このカレヴリア城へよくいらっしゃいました。私はディーナ=ドラクセルと申します。領主の姉ですが、今はこの城の一切を取り仕切っております。エリス様、お会いできる日を皆で心待ちにしておりました」「エリス=リグランタと申します。お目に欠かれましたこと、そしてこの度私をドラクセル家の一員に迎えてくださったこと、大変光栄に存じます。」ディーナは嬉しそうに頷き、若い執事の手を借りてエリスの向かいの椅子にゆっくりと掛ける。


「ごめんなさいね。私は生まれつき足が悪いものですから。…領主殿は支度を整えていますので、それまでお話でもしましょう。大変な長旅でいらっしゃったでしょう?」ディーナの姿は、エリスを少しほっとさせた。気品がありながら、相手の緊張を和らげる温かい雰囲気をまとっている。


「狼の大群が近隣の村を襲っているという話があって、領主を中心に狩猟隊を組んでいたのですが、まさか皆様が巻き込まれるなんて…」「冬はこのような事態が多く起こるのですか?」「今年は寒さが厳しいですから、いつもの冬より多いと思います。村の自衛も限界がありますから、私たちも頭を悩ませておりますの」ディーナの話を聞く限り、やはりノスモルの環境は厳しいようだ。


 この地を発展させるのは容易ではなさそうだとエリスが考えていると、扉が開き、従者を伴いフロウが現れた。髪をまとめ、髭を短く整えたその姿は、返り血を浴びていた先ほどの姿とは随分違う。彫りの深い端正な顔立ちと相まって、静かな威厳のようなものが感じられた。


「ロベルト=クニグリーク殿。我々の同盟のために貴公にご同行いただいたこと、大変感謝している。大したもてなしはできないが、心ゆくまでゆっくり過ごしていただきたい」そしてエリスに向くと「今は冬の時期。貴公との婚姻の儀は春まで待ってもらいたい。春までは私の婚約者としてこの城で過ごしてくれ。」「領主殿、貴方はもう…」ディーナがため息をつく。「先にかける言葉がもっとあるでしょう?…クニグリーク卿、エリス様、申し訳ありません。なかなか領主の振る舞いが身につかなくて」ディーナが困った顔をする。


 フロウは気にする様子もなく、さっさと椅子に掛けていた。言うべき用件は言ったと考えているのか、腕組をして沈黙している。無事にノスモルに辿り着いたことにひとまず安堵したものの、不安は尽きないエリスであった

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