第2話 プールのトラウマ

 夏休みに入ると、クーラーをつけて部屋を閉め切っているので、普通であれば、表の声や音はほとんど聞こえてこなくなりそうなものだが実はそうでもなかった。

 一番顕著に聞こえてくるのが、セミの声で、どんなにクーラーを掛けていて涼しいとはいえ、セミの声というだけで身体が疲れてくるのを感じるのだった。

 セミというのは、一年間冬眠をしていて、やっと成虫になって表に出てきたかと思うと、寿命は二週間ほどということである。

 ただ、虫というものが儚い命だというのは、昔から言われていることで、ハチなどは、かわいそうな話の代表格かも知れない。

ハチは、刺すと死んでしまう」

 と言われる。

 実際にはミツバチ特有のことなのであるg、理由とすれば、

「ミツバチの針にh、返し棘があり、皮膚に刺さると抜けなくなり、無理に抜けば、毒腺ごと抜けて即死する」

 というところから来ている。これがいわゆる、

「ハチの一刺し」

 と呼ばれる言葉の語源である。

 また、ハチの世界では、メスが絶対的な力を持っていて、オスバチは、メスの産卵だけのために生きているという、そして、女王バチとの交尾を終えると、オスのハチはその場で死んでしまうのだ。寿命とすれば約一か月と言われる。それを思うと、ハチのオスというのは、実に儚い命と言えるだろう。

 それでも、セミよりは長く生きるということもあり、やはり儚いのはセミということになるのだろうか?

 そんなセミの声を聴いていると、一気に夏が来た気がする、セミが鳴き始める前でも、気温が三十三度を超えることもあるのに、三十度そこそこでも、セミが鳴いていると、三十三度よりも、もっと寒く感じられるのは不思議である。

 平野は子供の頃から夏が嫌いだった。嫌いな理由はいくつもあるが、その中でも優先順位の大きなものは、セミの声と言ってもいいだろう。

 後は、

「寒い時は着込めばいいが、熱い時は脱いでも限界がある」

 という考え方と、

「血圧が低いので、立ち眩みがする」

 というのもある。

 もっといえば、

「食欲がなくなり、夏バテを起こし、その影響で食べれなくなる」

 という負の連鎖であろう。

 何と言っても、夏はあまり食べれるものがない。好きなものがないと言ってもいいだろう。冬のように、鍋や焼き肉などいくらでも食べれると思うのに、夏というと、冷やし中華であったり、ソーメンなどの麺類が中心になり、栄養が足りない気がするのだ。

 ただ、これは体感的な意味であって、冬の方がリアルにきつい場合がある。

 まずは、冬になると、感想してくるので、風やインフルエンザなどの伝染病が流行ってくるのだ。発熱すると、高熱が出て、一週間は家で隔離されることになる、インフルエンザの診断を受ければ、

「もし、三、四日で熱が下がったとしても、一週間は会社や学校は休んでください」

 と言われる。

 夏風邪も結構きついが、熱はそこまで出ることはないので、長くても、二、三日がいいところであろう。早い時は翌日には会社や格好に出かけても問題はないだろう。

 また、冬というのは、寒さで身体が固まってしまうという時期であり、それだけに、ケガをすれば大きい。ちょっと転んだだけでも、子供でも骨が折れるくらいのことは普通にあるだろう。

 それを思うと、冬というのも、夏以上に気を付けなければいけない時期ではあるのだ。

 だが、それでも平野は夏の方が断然嫌だった。汗を掻き始めると、身体がべたべたしてしまい、一気に汗に体力を吸い取られてしまう。他の人はどうなのか分からないが、

「夏の方が頭痛が続く」

 という感覚であった。

 あくまでも、夏の場合は、

「続く」

 ということであり、平均した頭痛はどっちが多いのかは分からない。

 何しろ、元々が頭痛持ちだからだ。

 頭痛というと、

「偏頭痛ではないk?」

 と言われるが、たまにあるのが、飛蚊症のようになった時、嘔吐を伴って頭痛を引き起こすことがある、

 そんな時の頭痛はまるで脈打っているかのような痛みであり、

「まるで頭が虫歯になった時のような痛みを感じる」

 というような感じであった。

 虫歯の痛みは、まだ意識を抑えることができると、痛みを他に散らして、緩和することができるが、虫歯の痛みは、

「病院で治療しなければ、基本的には治らない」

 と言われているのに対し、

「頭痛の痛みは、クスリを飲んで、ある程度じっとしていると、自然と収まってくることが多い」

 とも言われる。

 そんな頭痛の痛みに対しては、クスリを飲んで我慢していれば、いつかは治るという意味で、虫歯よりはマシかも知れない。

 また、頭痛が起きる時のパターンとしては、

「睡眠事案が中途半端な時によく起きる」

 と思っている。

 特に夏休みなどという長期休暇となると、どうしても、生活が不規則になる。しかも、夏というただでさえ、身体のだるい時期であれば、少なからず、楽をしたいと思うのも無理はないだろう。

 他の時期ではきつくないのに、夕方くらいになると、毎日のように倦怠感が襲ってくる。それを毎日の慢性化だと思っていると、倦怠感があろうがなかろうが、夕方というものが嫌な時間帯だという風に身体が勝手に錯覚してしまうことだろう。

 扇風機やクーラーによって、自然に身体の体温が下げられてしまい、血圧や体温が急激に低下してしまうと、辛くないはずであっても、その時間が来ただけで、辛いと勝手に身体が判断してしまう。

 一種の、

「体内時計」

 のようなものであり。慢性化してしまったことで、夏が嫌だという意識から、

「夏は、気だるく、頭痛に襲われる時期だ」

 と、勝手に覚えてしまうのだろう。

 風があると、だいぶ違うのだろうが。それも、気温が一定の温度くらいまでである。最近の夏は、

「三十年以上前と、明らかに暑さの種類が違ってきている」

 と言われている。

 考えてみれば、昭和の時代などは、まだ一家に一台のクーラーも普及しておらず。電車などでも、冷房車という表記があり、それ以外の車両は、扇風機だけの時代だった。

 扇風機だけで、あの満員電車に乗るのである。今であれば、地獄と言えるのではないだろうか。

 扇風機は今ではあまり見なくなってきているが、昔は電車の中、バスの中には必須だった。今ではよほどのローカル線でしか、見ることはできないだろう。

 どうして昔は冷房車と、扇風機の車両が別れていたのかというと、今ではあまり聞かないが、

「クーラー病」

 というものがあった。

「クーラーに当たり続けると、頭痛がしてくる」

 というもので、今の偏頭痛のような痛みを伴っていたのかも知れない。

 ただ、これは、

「ストレスや姿勢の異常などによる」

 と言われる、緊張性頭痛なのか、それとも、本当に偏頭痛としての、

「三叉市根井周辺の血管が拡張し、神経を刺激する」

 なのかのどちらなのかが、よく分からない。

 どちらにしても、昔はクーラーのない時代から、クーラーなしではいられない時代に突入する間に、クーラーというものの弊害を頭痛という形で乗り越えるという時代があったということも特筆すべきことであろう。

 そんな夏でいい思い出は高校生になってからもほとんどなかったと言ってもいい。

 夏休みということもあり、どこに行っても人が多い。涼しくなると言われることでも、嫌いなものもあったりした。

 一番何が嫌いだったかというと、プールが嫌いだった。

 あれは小学二年生の頃だっただろうか? 学校のプールで、足が立つわけでもないのに、無理に泳いでみようと思ったことがあった、どうしてそんな気持ちになったのか、自分でも分からないが、足を踏み出して、足が届かないのが分かった瞬間、そのまま溺れてしまうことが頭をよぎった。そして、次の瞬間、

「このまま死んでしまうかも知れない」

 と感じたのだ。

 ひょっとすると、ショックとトラウマから、その時本当にそう感じたのだという暗示にかかってしまったのか。それとも、後天的に、後から思い出した時に、記憶がつながったかのようない資金なるのかの、どちらかではないだろうか。

 その時に、誰かに助けられたのも意識としてはあった。

 というよりも、

「本当に気を失っていた時間があったのか?」

 と思うほどであり、その間にところどころ、

「記憶のつぎはぎ」

 のようなものがあったと思うのだ。

 まるでmビデオ編集のようなもので、いきなり違う角度から意識が繋がっていて、そのせいで、

「気を失っていた時期が本当にあったのだろうか?」

 と感じるのだった。

「だから、水に溺れた瞬間、死んでしまうのではないかと一瞬にして感じたのではないか?」

 と感じたのであろう。

 そう思うと、一日一日の長さがその日によって、まったく違ってかんじられるというのも分かる気がした。

 高校に入って、学校の先生が言っていたことがあったのだが、

「大人になると、毎日がまったく同じ時間で過ぎていくような気がしてくるんだ。その思いが、一週間にしてみれば、あっという間に感じさせ、そのかわり、一日一日が、結構長いと思わせるんだ。たぶん、今の君たちの感覚を覚えておけば、先生くらいの年になった時、きっと感じることになるんじゃないかな?」

 と言っていた。

 その先生の年齢は、確か三十代後半くらいではないか。その頃の年齢は、どのような世界を見せようとするのか、今から楽しみであった。

 逆に高校生になってから、小学二年生の頃のことを思い出すと、あの時は、毎日が合っという間だったのに、一週間、一か月、一年と、期間が長くなるにつれて、さらなる時間の感覚が遅くなってくるような気がしたのだ。

 ただ、それは、小学二年生というものが、あまり意識して毎日を過ごしているわけではないということと、本当に印象に残ることしか意識していないということもあって、意識が遠すぎて、時系列を作ることができない。

 時系列を作ることができないと、時間が長く感じられるものだとすると、大人になってから、一日一日が長く感じられるのに、一週間などがあっという間に考えられるのは、週単位、月単位で同じことを繰り返しているからだろう。ルーティンと呼ばれるものだ。

 一日というのは、同じルーティンであっても、時間の長さによって、その配分が違っているのだ。

 だから、同じ一日でも、微妙に違う時もあれば、まったく違う時もある。そう考えるから、一日一日は長く感じられるのだろう。

 小学二年生では分からないのだろう。だから、溺れた時の記憶はその時の記憶ではなく。理屈で考えられる意識と、実際に味わったとぎれとぎれの意識を繋ぎ合わせることで、意識の中の記憶が、まるでその時の記憶だったかのような錯覚を起こさせるのかも知れない。

 溺れてしまったことが、トラウマとなって、プールに入るのが怖くなった。

 特に、カルキの匂いを嗅ぐと、吐き気がしてくるほどで、吐き気を感じると、

「このまま頭痛に襲われて、意識を失ってしまうのではないか?」

 と思うようになっていた。

 そのせいで、水も嫌になり、顔を洗うのでさえ、身体が震えてしまう時期があった。

 さすがに、顔を洗う時に身体が震えるということはなくなったが。そこまでの気分の悪さを身体が覚えてしまうと、それは完全にトラウマだと言っても差し支えないだろう。

 それでも、学校は無理に泳がせようとする。泳げない人は個別に、恐怖を取り払うかのような特別メニューをやらされる。まるで成績が悪くて、追試を受けるための、補修のようではないか。

 その思いも強く。さらに、泳げないことをまるで悪いことのように、強制的に泳げるようにしようという、強引で強行な行為は、学校側からの苛めなのではないだろうか?

 小学校のいうところの、集団行動というのが、どこまで必要なのかということを、小学生の頃に感じた。

 運動会、音楽会など、なぜやりたくもないことを、

「集団行動」

 としてしなければいけないのか。

 それが教育の一環だというのであれば、しょうがないのだろうが、中には身体の弱い子などは、

「校庭に五分立っているだけでも、致命傷になりかねない」

 ということもだっているだろう。

 たいていの場合は、先生がしっかり生徒一人一人の身体を把握して、管理するのが当たり前のことなのだろうが、それとて、完全ではない。

 危険な生徒を校庭の朝礼に無理やり出させて、生徒も気が弱いから先生に逆らえず、先生も一人一人の既往症まで把握していなかったとして、その子が倒れて、危篤状態にでもなってしまえば、誰が責任を取るというのだろう。

 たぶん、学校側は一人の先生に責任を転嫁し、

「先生が、ちゃんと把握していなかったから」

 ということで切り捨てるだろう。

 先生側も、実際に生徒を預かっているのだから、生徒が倒れれば、その責任は担任にあるという覚悟を持って、先生をしているはずである。だから、学校側から責められると、逃げることはできない。もちろん、教育委員会から、学校側にかなりの指導や訓告があるだろうが、紅潮が辞職しなければいけないなどの問題にまではならないだろう。

 それでも、学校で全体朝礼がなくなることはなく、その時倒れた生徒は、免除になるというだけで、他の生徒はどうなってしまうのか、同じことが繰り返させないのかなどという話が教育委員会で話し合われたのか? それすら疑問である。

 学校というのは、教育という言葉を盾に、子供を押さえつけているのではないか? と考えるのは、危険なことなのであろうか?

 もちろん、学校が楽しいと思っている児童もたくさんいるだろう。

「授業は楽しくないけど、学校は楽しい」

 という児童である。

そんな児童がいう、

「学校の楽しいところ」

 というのは、

 友達と遊ぶことであったり、給食であったり、体育の授業などであろう。

 そのどれもが苦痛に感じる生徒がいれば、どれほどの苦痛であろうか?

 中学生以上であれば、不登校の生徒となっても不思議のないものだ。

 そもそお友達と遊ぶことが楽しいというが、友達がいない子供はどうすればいいというのだ?

 給食が好きだという生徒がいたとして、給食で毎日嫌いなメニューが定番で出されたら、どんな気分であろうか? たとえば、コッペパンや牛乳など、毎日のように出るではないか。特に乳製品の苦手な子供も結構いる。それを無理に食べると、アレルギーを起こす子だっているのだ。

 これも、先生が生徒の一人一人のアレルギーを掌握していればいいのだろうが、クラス四十人、五十人という生徒を一人一人把握できていればいいが、できてもいないくせに、アレルギーの知識もなく、無理やり食べさせたりすれば、こちらも命にかかわることになる。

 これもどうせ、学校側が先生に責任を押し付けて、自分たちは安泰なのだろうと、まるで政治家のような、

「大人の仕置き」

 ということになるのだろう。

 平野も牛乳が嫌いだった。乳製品全般が食べれない。

 平野自身はそれを公言している。

 最初に担任になった先生の前で、牛乳を残すと、必ず、

「牛乳を飲まないの?」

 と言われる。

「はい、アレルギーなんで」

 と言えば、絶対に飲ませようとはしない。

 まさか、先生が、

「今度診断書を持ってきなさい」

 などというわけもなく、もし言われれば、アレルギーではなく、身体が受け付けないとでも言おうと思っていた。

 そんな学校嫌いな小学生だった平野は、その頃から大人しかった。変に目立つと苛められるというのが分かっているので、下手に騒いだりしなかった。

 だから、学校でうるさくしている連中を見ると、腹が立ってくる。まるで時運たちの学校であるかのように振る舞っているのを見ると、学校に行きたくもないのに、どうして行かなければいけないのかという思いがさらに深まってくる。

 何と言っても、やりたくもないことをさせられるという思いが学校に対してのトラウマになっている。それがトラウマであるということを思い知ったのは、やはろプールで溺れたことだろう。

「プールのトラウマ」

 これが、平野にとっての、今では無数に存在するトラウマの最初だったのではないだろうか?

 ひょっとすると、もっと前にあったのかも知れないが、何しろそれよりも幼いとなると、意識がない。ただ、もしトラウマになっているかも知れないとすれば、幼稚園の時だったか、家の近くで遊んでいた時に、ハチに刺されたことだった。

 刺してきたのはミツバチだったので、そこまで大げさなことはなかったが、プールでの溺れた思い出も前というと、ハチに刺されたことしか、記憶として残っていない。

 大人になってからでは分からないが、子供の頃であれば、記憶として残っていることが、意識として働いたことではないかと思えたのだ。

 だから、もし記憶に残っていないことであれば、意識もしていなかったということになり、意識しなかったから、記憶に残っていないということなのだろう。

 ハチに刺された時、ちょうど、公園の奥に小さな池があった。その池にボールが転がっていったのだったが、そのボールを追いかけて、ちょうど、池の横にある草むらに飛び込む形になったのだろう。そこに運悪く、ミツバチがいたというわけだ。

 あの時、すぐにどこかのおばさんが、急いで病院に連れて行ってくれたようだ。鼻をツーンと突く匂いがしたが、それはアンモニアであるということは、だいぶ後になって知ったことだった。

 確か、大きな瓶に入っていたのが印象的だった。確か、綿を丸めて、ピンセットで掴み、アンモニアの駅につけたものを、傷口に当てた気がした。

 とにかく、締め付けられるような痛みで、まるで、爪を立てたまま、つねられたような痛さだった。

 痛みで熱くなってしまった傷口が、ドックンドックンしているのを感じたのだった。

 よくあの時のことがトラウマにならなかったものだ。

 ただ、場所が池だったこともあって、小学校のプールで溺れた時、あの池を思い出したような気がした。

 溺れていて、このまま死んでしまうのではないかと思った時に、まるでつねられたかのような痛みを感じたのは、その時のトラウマだったのかも知れない。

 だが、それ以上のショックがそれまでのトラウマを覆い隠して、さらに強いトラウマに置き換えてしまったのだから、ハチに刺された記憶は、遠い過去のものとして記憶の奥に封印されているようだった。

 もちろん、ハチに刺されたという記憶は残っているのだが、トラウマとしての記憶がないということだ。意識が記憶に変わった時、封印されるだけの余裕が、頭の中にあったのかも知れない。

 子供だったので、中途半端な余裕が残ってしまったことで、記憶にも引っかからず、封印もされなかったということで、溺れた記憶が覆い隠してくれなければ、ハチに刺されたという記憶は、本当に封印されたのであろうか?

 それを思うと、ハチに刺されたトラウマが、プールのトラウマにのしかかってしまうことで、ひょっとすると何かの拍子に、ハチに刺されたトラウマが忍び寄ってくるのではないかと思えたのだ。

 今は、いろいろなトラウマがあって、どれが一番強いトラウマなのかも自分では分からない。どちらかというと、古いものから強いトラウマがあるのではないかと思うのだが、前述の、

「ハチに刺されたトラウマ」

 のように、別のトラウマが隠れていて、そこが谷のように印象が浅い物であったとすれば、記憶に果たして残っているかどうかも怪しい。

 自分の中でトラウマの優先順位がついているつもりであるが、谷の部分を意識していないこともあってか、実際にトラウマとして感じるものの数の方が、意識しているトラウマよりも圧倒的に数は多いのかも知れない。

「そんなにも、僕のトラウマというのは、たくさんあるものなのか?」

 と、高校生になってから感じるようになり、その思いがさらに、引きこもりの気持ちを深くしていくのであった。

 高校生になって、引きこもりになった平野だったが、かろうじて、その頃はまだ、学校には通学していた。もちろん、塾が中心であったが、引きこもりも、塾が楽しくなってくると、しなくなってきた。


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