第71話 それでも彼らはヒーローだ



「そこの人、建物から離れて!」


 警察官の一人が叫んだ。

 その指は蛇王ルキを指している。

「こっちで話を聞くから! 早くして! 危ないから!」


「あ……」

 蛇王ルキは唖然としてしまって言葉に詰まった。

 でも、これだけはと絞り出す。

「も、もう1人いるんです! 友達が……助けてください!」


「! 浜田ぁ! 室内に被害者1名! 茶髪の女性を外に出して!」

 警察官が仲間に叫ぶ。

 その姿には、たしかに夜闇にさす光のような安心感があった。





「あ゛ーー…………、しぬかとおもった……」


 金城の交流会場から連れ出されて、道路に座り込んで佐々木蒼は大きく息を吐いた。

 喉が擦れて血が出ていたし、鬱血が始まっていた。全身に内出血の青痣がある。


「無茶しすぎ……。ほんと、なにやってんの……」


「いやマジでそれな。さすがにバトルはジャンルが違うわ……。二度とやらない」


 蛇王ルキは佐々木蒼の隣にへたり込む。

 視線をずらせば、警察官たちが交流会場のなかでなにやら叫んでいるのが分かる。


「佐々木っち、どうやって……警察を呼んだの……?」


「ん……?」


「金城の交流会に……警察は手を出せなかったはず……。証拠が無いと動いてくれないし、通報の手段はなかったよね……?」


「あー……そうだな……。その通りだよ」

 佐々木蒼が傷だらけの顔で苦笑した。

「警察は来ない。どうやっても無理だ」


「え? いや……でも実際に…………」


「いま来てるのはさ、たちだよ」

 佐々木蒼は信じられないことを告げた。

「ヴァオの知り合いにね、制服姿のコスプレにこだわってる暴露系YouTuberグループの『すっぱ抜きサラリーマンズ』っていうのがいるんだ。実在の制服のコスプレなら右にでるものはいない、変な集団だよ」


 蛇王ルキは、ぽかん、と口を開く。

 少しずつ彼の言っていることを理解して、わなわなと震えだした。


「え……っていうことは、あいつら、警察じゃないの!?」


「はは……そういうこと。でも今ごろ本物も向かってるはずだ。『サラリーマンズ』は今、交流会の会場を生放送してるからな。これで、警察もさすがに見ぬふりできなくなる……」


 そこまでする? とルキは困惑した。


 佐々木蒼は、仮装に秀でた配信者たちに、いつの間にか手を回していた。

 金城の犯罪現場を世に公開し、世間に先に認知させることで、警察が動かざるを得なくするために。

 だから佐々木は『扉を開ける』ことに拘っていたんだ。

 金城を力で撃破することは視野になかった。

 あくまで公正な手段で裁くことを狙っていたのだ。


「ぷ、はは、そっか、そこまでさせちゃったんだ…………」


 蛇王ルキは俯いた。

 恐怖と緊張から解放されて、心には少しずつ、自己嫌悪が立ち込め始めていた。


「金城の言うとおり、ウチはクズだなぁ……。生きているだけで周りに迷惑をかける異常者だ……」


 すべては彼を、佐々木蒼を自分から解放してあげるための行いだったのに。

 結果として彼を命の危険にさらしたし、業界を掻き乱してしまった。

 自分は、居場所を壊すことしかできない人間だ。


「えぇ…………?」

 佐々木蒼が面倒臭そうな目をルキに向けてきた。

「ルキ……お前……ここまで被害を受けたのに、まだ加害者面してヘラるのぉ……?」


「だってぇ……っ……!」


「だってじゃないよぉ! もういいよぉ!!」


「佐々木っち……ごめんね。佐々木っちの新しい居場所まで、ウチ、めちゃくちゃにしちゃった……」


「…………」


「いつもいつも、迷惑ばっかりかけて……。もう終わりにしようと思ったのに、それすら失敗して……」

 ルキは膝を抱えてうずくまる。

「ウチは悪人だから……もう何をしたってマトモになれそうにない……」


 佐々木蒼は少しのあいだルキを見て、はぁ、とため息をついて語りだした。


「…………なぁ、ルキ。ルキは映画は観るほうだっけ?」


 唐突な雑談に、ルキは虚を突かれる。


「……え? 映画? う、うん。難しいの以外はたまに観るけど……」


「そうか。『アイアンマン』は?」


「え。えーっと……1、2、3は観たかな……? あとは『アベンジャーズ』で知ってるだけ……」


「そう」


 佐々木蒼は塀にもたれたまま、ウィッグを掻いた。

「……死ぬほど有名な話の引用で恥ずかしいんだけどな。『アイアンマン』を演じたロバート・ダウニー・Jr.が、むかし、薬物中毒の服役囚だったのを知ってるか?」


「えっ? あの主役の……スターク役の……?」


「うん。出所して、俳優に返り咲いては、薬物所持で再逮捕を繰り返した。五年間に六回も逮捕されて、依存に苦しんでいた。映画業界からも『どんなことがあっても雇わない』と断言されていたけれど……それでも旧友たちに支えられてオーディションを受け続けた。努力と実力で『アイアンマン』の主演を勝ち取ったんだ」


「…………」


「『アベンジャーズ』の俳優はみんなスキャンダル持ちだぜ? 『キャプテン・アメリカ』のクリス・エヴァンスはヘイトスピーカーだし、恋人を取っ替え引っ替えしていたことで有名だ。『ホークアイ』のジェレミー・レナーはドラッグとアルコールでハイになって、拳銃を口に突っ込んで自殺すると奥さんを脅して裁判になった」


「…………」


「ヒーローですら悪を犯している」

 佐々木は言った。

「それでも彼らはヒーローだ」


 いつの間にか、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。

 本物の正義の味方が、偽物におびき出されてきた音。

 それを感じながら、ルキは佐々木の言葉に耳を傾ける。


「善悪なんて人間の一側面にすぎない。そうだろう? 悪を肯定はできないが、完全な悪人なんていない。ロバート・ダウニー・Jr.が薬物に溺れていたように、長山ながやますいに悪の側面があろうとも、アイアンマンが子どもたちを勇気づける大スターであるように、蛇王ルキは多くのリスナーたちを癒す人気インフルエンサーだ」


「……アイアンマンが相手じゃ分が悪いよ」


「そうか? アイアンマンは単なる役柄だが、蛇王ルキは実在する人格だぞ」


「……ありがと、佐々木っち。励ましは受け取ったよ」

 ルキは笑みを作って言った。

 から元気の作り笑顔だったが、嘘ではない。佐々木の声を聞いていると安心した。

「でも……さすがに心の整理はすぐにはつかない。どうやって罪を償うべきか……考えさせて」


「ああ。俺も協力するよ」

 佐々木蒼は痛みに顔をしかめながら、ぐっと背伸びをした。

「……さて……そうは言ってもいまから大変だぞ……! 本物の警察官による金城たちの逮捕劇があるだろうし、『サラリーマンズ』も警察を騙ったわけだから何かしらのお咎めがあるはずだ。俺とルキも事件に無関係じゃないから……取り調べはあるだろうし……。まあ、身の潔白を証明する準備はいくらか仕込んであるけどさ……」


「まあ、なんとかなるでしょ」


「その通り。あ……、ルキ、悪いが2つ、言うことを聞いてくれるか」


「なに?」


「ひとつ。俺のLINEから例の写真たちを消してくれ。あれのせいでルキのトークが開けない」


「あー……」

 蛇王ルキは思い出した。数日前。夜の電話ボックスから佐々木を挫くために勢い余って爆撃した『無修正画像』。

 え、いや、冷静になると相当ヤバいことをしたな。

 ウチ、目の前の恩師に、身体の隅々まで晒したのか……

「わ、わかった……スマホが戻ったら、すぐ消す…………」


「頼むよ。それともうひとつ。その……ガウンは、もっとちゃんと着てくれ」


「へ?」

 ルキは、己の格好をかえりみた。


 首から上はいつも通り。真っ黒なウルフカットの髪に、緑と黄のメッシュ。

 切れ長の目元にはグリーンのアイシャドウ。口には赤いリップ。

 しかし──、いつもチューブトップとシースルーの上着を着ているからだは、裸だった。その上から羽織ったガウンが大きくはだけていて──


「っ!! こ、これは、うわっ、失礼……!」

 普段は他人を揶揄からかう武器でしかない肢体が、なぜか今日はものすごく恥ずかしかった。

 顔に熱を感じながら、混乱しはじめた思考を口に出す。

「ぷはは……、で、でも、佐々木っちにはもう、隠すところ無いから、いいのかなあ……?」


「……そういうこと言うな」


「すみません…………」


 はあ、と佐々木がため息をつく。そしてその目は、夜の空の遠くを見た。

 現在ではなく未来を。これから待つ、次なる困難を。


「……警察を乗り越えたら、次が本番だなぁ」


「本番……? 次って……?」


 佐々木は思う。

 蛇王ルキを、いや、オーロラ・プロダクションをこのままにはしておけない。

 ぜんぶを救う。元に戻す。

 兵吾逸平がいなくなり、金城直美を退けた今、話すべき相手は一人だけだ。


「……王社長と話してくるよ」

 佐々木蒼は、そう言った。




──────────────────────




 今回もお読みいただきありがとうございます。


 交流会の種明かしは、これで全てです。(たぶん……)

 拙い伏線でしたがお楽しみいただけたなら幸いです。


 ルキ編はもう少しだけ、事後のお話を描いておしまいとなります。

 本作全体としては……次の「編」が「最終編」になってくるかと思っています。

 すべてが幸せな方向にいくといいですね。


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