第68話 ……ごめんね、佐々木っち
▽
脱衣所の棚に脱いだ
外したブラとショーツをその上に重ねて、
「──なにやってんだ、ウチ…………」
立ったまま正面から胸にシャワーを浴びながら、ルキは自分に問いかけた。
──これは、決別のつもりだったはずじゃないか。
佐々木蒼に迷惑をかけないために、彼の目が届かない暗闇まで自分を堕とすんじゃなかったのか?
最後の一線まで適当な男に越えさせて、穢れに汚れて、自分と闇と同化させてしまうつもりだった。
すべては彼を、佐々木蒼を自分から解放してあげるための、行いだったのに──
「……うっ…………ふぅう………………っ……」
小さな嗚咽をこぼしながら、緑と黒で塗り分けられたマニキュアのされた指で、蛇王ルキは目元を覆った。
──それなのに……どうして……こんなことになってしまったんだろう。
──自分は、いったい、何を間違ってしまったのだろう。
▽
今ごろ一階では、VIP側の参加者が、一人一人じっくりと正体を吟味されている。
見つかった不審者は、消されているだろう。
▽
始まりはいつだったか。
蛇王ルキが金城直美に捉われたのは、いまから4ヶ月も前のことだった。
▽
佐々木蒼の退職。
それを知ったオーロラ・プロダクションのVライバーたちは荒れに荒れた。
超新星の
その同期の
みんなでボイコットまがいの活動縮小をして、意図的に業績を下げてみた。
無駄だった。
王社長と、その部下の金城と兵吾はルキらの気持ちなんか興味がなくて、「さっさと成果を出さないならクビだ」というばかり。
やっと出来たウチの居場所。
佐々木蒼がみんなに作ってくれた居場所。
それを失うわけには、いかなかった。
やる気さえ出せば、視聴回数を元に戻すのは簡単だった。
ルキは既に人気者だし、共依存関係にある
王社長にオーロラを見限らせないために必死に頑張って、それに比例するかのように。メンタルは疲弊していった。
支えてくれる人のいない不安が、夜な夜な怪物のようにルキに忍び寄ってくるのだった。
足は自然と新宿に向かっていた。
二度と近寄らないと誓ったはずの『広場』へと。
遠巻きに眺めるだけのつもりだったが……
ルキは忘れていた。闇は向こうから歩み寄ってくるものなのだ。
「
むかし
まるで家をそのまま飛び出してきたかのような……下着姿といってもいいような薄着で、しかも裸足だった。額からはうっすらと血が流れていて、ただ事じゃないのが分かった。
「あ、あんた……『広場』に来ないんじゃなかったの……? ああっ……! もしかして……っ、あんたがアイツらを連れてきたの…………!?」
アイツら、って誰?
そう問う間もなく、彼女はルキの手を引いて走り出した。
導かれたのはルキのかつての飼い主……『たまごっち』のアジトだった。
「ははははっ!! 蛇王くん!! 君は随分と不良だったんだなあ!!」
薄暗いホストクラブ。
血だらけになって
大柄で恐怖の象徴だった暴力男の『たまごっち』が、他人の暴力に負けて言いなりになっているのをルキは初めて見た。
「私の椅子になっている彼といい、佐々木蒼といい!! ははっ!! 君は誰かに飼われるのが好きなのかな!? ははっ!! だとすれば、私は逆だからな!! いいパートナーになれそうじゃないか!!」
「……そこを退けよデカブツ。天下のキングスの関係者が、そんな素行でいいのかよ」
「ははっ!! 蛇王君は飼われるだけじゃなく、からだを見られるのも好きなようだなあ!!」
ルキの必死の威嚇を金城は無視した。
満面の笑顔で、『たまごっち』から強奪したスマートフォンをルキに見せつけてくる。
そこには、一部の人間しか知らない、ルキのほんとうの裏アカウントが開かれていて、全面に恥ずべき肌色が表示されていた。
「裏垢女子というやつかな!! ははっ!! 小娘が裸の写真を売って小銭稼ぎをしていたわけだ!!」
「っ……!? 見てんじゃ……──」
「ははっ!! なに、批難はしないとも!! むしろ若くして『闇』の使い方を知っている!! 感心しているんだ!! ルールを守れない君のような欠陥品なら!! もっと!! もっと此方側へ来れるとも!!」
「……っ、なにを…………」
「私とパートナーになろう!!」
そして男は語った。
自身が主催している『交流会』について。
それにいずれオーロラ・プロダクションのメンバーを巻き込もうという計画について。
「……っ…………!」
「どうかな蛇王くん!! 君がアンバサダーになってオーロラのライバーを導いてくれまいか!!」
──死んでもごめんだった。
オーロラはクズの自分がやっと見つけた居場所だ。
そこの仲間が闇に引き摺り込まれるなんて……到底許容できない。
男嫌いの獅紀チサトなんて、こんな世界を知っただけでショック死しそうだ。
だから──
「ぷはは……なるほどね…………」
だから、蛇王ルキは無理矢理に笑顔を作って応えた。
勝てないことは分かったから。
このままいけば金城の計画は実現してしまうだろうから。
──こんな馬鹿げた汚らしい話はウチで止めよう。
──ワルばかりだったウチには、ちょうど良い天罰じゃないか。
「……VIPの相手をしたら案件が貰えるって本当? そんな美味しい話、他の子には聞かせらんないなぁ…………」
▽
──守るために自己犠牲をはたらいたなんて、そんな偉いものじゃない。
──自分が犠牲になるのは他の仲間のせいじゃない。
──自分が犠牲になるのは、自分が、本当の悪人だからだ。
▽
「ねぇねぇ、ルキちゃん。黒服にチクったってほんと? VIPに知り合いが紛れてたの?」
シャワーを終えて、浴室を出た。
バスタオルで身体を拭いて、はだかの上から白いガウンを羽織った。
わざわざ設えられたパウダールームで顔面を作り直していると、隣で化粧をしていた小娘が、野次馬精神まるだしで話しかけてきた。
どこぞの地下アイドルだかモデルだかで、金城直美に群がって成功を得ようとしている典型例だった。
「……さぁ、どうかな。気のせいかも」
「えー! 気のせいだったらヤバくなぁい? ルキちゃん、金城さんに叱られちゃうんじゃないのー!?」
「平気。もう色々、どうでもよくなったから」
「なにそれ。今になってビビってんのー?」
パウダールームを出て、この館にいくつかある寝室の一つへ向かう。そこが蛇王ルキを含む3人の売る側のタレント枠の、ヤリ部屋だった。
蛇王ルキと、野次馬精神のあるピンクの髪の地下アイドル、そしてもう1人……説明不要だけど、強いて言うなら、おっぱいの大きい人。
やがて1Fから、ガウン姿の太った中年男が登ってきた。
金城直美たちの徹底的な再チェックを生き残れた男。買う側。VIP側の参加者だ。
いかにもすぎる外見で、禿げかけた頭に、脂ぎった目をしている。
「へへっ……今晩は楽しもうねえ……?」
にやつきながら、片手にはエグすぎる形のサディスティックな『ピンクの玩具』を握りしめていた。
ただ気持ち悪いだけなのに、それが「露骨に気持ち悪いフリ」の自虐的なユーモアだと信じているかのように、手をわきわきと動かしながら、近づいてくる。
「……あ。やっぱり緊張してきたかも」
ルキは呟いた。
みんなの前で失敗しちゃわないかな、だとか。
もうすぐ出番なのにどうしたらいいか分からない、だとか。
来るべき
──その時が、やってきたんだ。
──迷う時間は終わり。ウチはさっき選んだから。
変わるか。変わらないか。
佐々木蒼か。金城直美か。
光か。闇か。そのなかで──
──ウチは、佐々木蒼を選んだから。
この最悪な土壇場で、それでも、ウチは選べたんだ。
この選択を、もう2度と、疑わない。
この先、一生、依存し続けてやる。
ねえ。
それでいいんでしょう?
VIPおやじの手がルキに伸びた。顔が近づいてくる。はぁはぁと生暖かい吐息がかかる。ルキは目を閉じる。
──今までも、これからも。
──いつも、いつも、ほんとうに、迷惑ばっかりかけて──
「…………ごめんね、佐々木っち」
次の瞬間だった。
がしり、とVIPおやじの腕を、おっぱいの大きい人が掴み止めた。
「ほ?」
おやじが阿呆な声を出す。直後、茶色いウィッグと、大きすぎる偽乳を振るわせながら、はじめから女装してタレント側として交流会に潜入していた佐々木蒼が思いきりVIPおやじを殴り飛ばした。
「──どういたしましてえっ!!」
佐々木蒼が叫ぶ。後戻りのできない反逆が、始まった。
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今回もお読みいただきありがとうございます。
たびたび後書きに書いていますが、私はミステリー小説が大好きです。
拙いながら、何もかも、ひっくり返していきます。
どうぞお付き合いいただけますと幸いです。
執筆の励みになりますので、
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