第68話 ……ごめんね、佐々木っち



 脱衣所の棚に脱いだ中華風チャイナドレスを置く。


 外したブラとショーツをその上に重ねて、蛇王じゃおうルキは浴室へと入った。

 金城かなしろ直美なおみの指示で女性陣は──つまりのタレントたちは──先にシャワーを浴びることになったのだ。


「──なにやってんだ、ウチ…………」


 立ったまま正面から胸にシャワーを浴びながら、ルキは自分に問いかけた。


 ──これは、決別のつもりだったはずじゃないか。


 佐々木蒼に迷惑をかけないために、彼の目が届かない暗闇まで自分を堕とすんじゃなかったのか?

 最後の一線まで適当な男に越えさせて、穢れに汚れて、自分と闇と同化させてしまうつもりだった。

 すべては彼を、佐々木蒼を自分から解放してあげるための、行いだったのに──


「……うっ…………ふぅう………………っ……」


 小さな嗚咽をこぼしながら、緑と黒で塗り分けられたマニキュアのされた指で、蛇王ルキは目元を覆った。


 ──それなのに……どうして……こんなことになってしまったんだろう。

 ──自分は、いったい、何を間違ってしまったのだろう。




 今ごろ一階では、VIP側の参加者が、一人一人じっくりと正体を吟味されている。


 見つかった不審者は、消されているだろう。



 始まりはいつだったか。

 蛇王ルキが金城直美に捉われたのは、いまから4ヶ月も前のことだった。




 佐々木蒼の退職。

 それを知ったオーロラ・プロダクションのVライバーたちは荒れに荒れた。


 序列一位ナンバー・ワン宵駆よいがけソラ。

 序列二位ナンバー・ツーの蛇王ルキ。

 序列三位ナンバー・スリーだった雷神ヴァオ。

 序列四位ナンバー・フォー枢機すうきマキナ。

 序列五位ナンバー・ファイブ天牛てんぎゅうサクラ。

 超新星の獅紀しきチサト。

 その同期の雨森あまもりアミィ。

 みんなでボイコットまがいの活動縮小をして、意図的に業績を下げてみた。


 無駄だった。


 王社長と、その部下の金城と兵吾はルキらの気持ちなんか興味がなくて、「さっさと成果を出さないならクビだ」というばかり。

 やっと出来たウチの居場所。

 佐々木蒼がみんなに作ってくれた居場所。

 それを失うわけには、いかなかった。


 やる気さえ出せば、視聴回数を元に戻すのは簡単だった。

 ルキは既に人気者だし、共依存関係にある精鋭リスナーさん蛇社員さん達だっている。

 王社長にオーロラを見限らせないために必死に頑張って、それに比例するかのように。メンタルは疲弊していった。

 支えてくれる人のいない不安が、夜な夜な怪物のようにルキに忍び寄ってくるのだった。


 足は自然と新宿に向かっていた。


 二度と近寄らないと誓ったはずの『広場』へと。


 遠巻きに眺めるだけのつもりだったが……

 ルキは忘れていた。闇は向こうから歩み寄ってくるものなのだ。


すい……? あんた……長山ながやますいだよね……?」


 むかしつるんでいた少女が──今となっては彼女も二十歳を超えているだろうが──ルキの本名を呼んだ。

 まるで家をそのまま飛び出してきたかのような……下着姿といってもいいような薄着で、しかも裸足だった。額からはうっすらと血が流れていて、ただ事じゃないのが分かった。


「あ、あんた……『広場』に来ないんじゃなかったの……? ああっ……! もしかして……っ、あんたがアイツらを連れてきたの…………!?」


 アイツら、って誰?

 そう問う間もなく、彼女はルキの手を引いて走り出した。


 導かれたのはルキのかつての飼い主……『たまごっち』のアジトだった。



「ははははっ!! 蛇王くん!! 君は随分と不良だったんだなあ!!」



 薄暗いホストクラブ。

 血だらけになってひざまずかされた『たまごっち』に腰掛けて、金城直美は大声で笑っていた。

 大柄で恐怖の象徴だった暴力男の『たまごっち』が、他人の暴力に負けて言いなりになっているのをルキは初めて見た。


「私の椅子になっている彼といい、佐々木蒼といい!! ははっ!! 君は誰かに飼われるのが好きなのかな!? ははっ!! だとすれば、!! いいパートナーになれそうじゃないか!!」


「……そこを退けよデカブツ。天下のキングスの関係者が、そんな素行でいいのかよ」


「ははっ!! 蛇王君は飼われるだけじゃなく、からだを見られるのも好きなようだなあ!!」


 ルキの必死の威嚇を金城は無視した。

 満面の笑顔で、『たまごっち』から強奪したスマートフォンをルキに見せつけてくる。

 そこには、一部の人間しか知らない、ルキのほんとうの裏アカウントが開かれていて、全面に恥ずべき肌色が表示されていた。


「裏垢女子というやつかな!! ははっ!! 小娘が裸の写真を売って小銭稼ぎをしていたわけだ!!」


「っ……!? 見てんじゃ……──」


「ははっ!! なに、批難はしないとも!! むしろ若くして『闇』の使い方を知っている!! 感心しているんだ!! ルールを守れない君のようななら!! もっと!! もっと此方側へ来れるとも!!」


「……っ、なにを…………」


「私とパートナーになろう!!」


 そして男は語った。

 自身が主催している『交流会』について。

 それにいずれオーロラ・プロダクションのメンバーを巻き込もうという計画について。


「……っ…………!」


「どうかな蛇王くん!! 君がアンバサダーになってオーロラのライバーを導いてくれまいか!!」


 ──死んでもごめんだった。


 オーロラはクズの自分がやっと見つけた居場所だ。

 そこの仲間が闇に引き摺り込まれるなんて……到底許容できない。

 男嫌いの獅紀チサトなんて、こんな世界を知っただけでショック死しそうだ。

 だから──


「ぷはは……なるほどね…………」


 だから、蛇王ルキは無理矢理に笑顔を作って応えた。

 勝てないことは分かったから。

 このままいけば金城の計画は実現してしまうだろうから。


 ──こんな馬鹿げた汚らしい話はウチで止めよう。

 ──ワルばかりだったウチには、ちょうど良い天罰じゃないか。


「……VIPの相手をしたら案件が貰えるって本当? そんな美味しい話、他の子には聞かせらんないなぁ…………」





 ──守るために自己犠牲をはたらいたなんて、そんな偉いものじゃない。


 ──自分が犠牲になるのは他の仲間のせいじゃない。


 ──自分が犠牲になるのは、自分が、本当の悪人だからだ。





「ねぇねぇ、ルキちゃん。黒服にチクったってほんと? VIPに知り合いが紛れてたの?」

 シャワーを終えて、浴室を出た。

 バスタオルで身体を拭いて、はだかの上から白いガウンを羽織った。


 わざわざ設えられたパウダールームで顔面を作り直していると、隣で化粧をしていた小娘が、野次馬精神まるだしで話しかけてきた。

 どこぞの地下アイドルだかモデルだかで、金城直美に群がって成功を得ようとしている典型例だった。


「……さぁ、どうかな。気のせいかも」

 

「えー! 気のせいだったらヤバくなぁい? ルキちゃん、金城さんに叱られちゃうんじゃないのー!?」


「平気。もう色々、どうでもよくなったから」


「なにそれ。今になってビビってんのー?」


 パウダールームを出て、この館にいくつかある寝室の一つへ向かう。そこが蛇王ルキを含む3人ののタレント枠の、ヤリ部屋だった。


 蛇王ルキと、野次馬精神のあるピンクの髪の地下アイドル、そしてもう1人……説明不要だけど、強いて言うなら、


 やがて1Fから、ガウン姿の太った中年男が登ってきた。


 金城直美たちの徹底的な再チェックを生き残れた男。買う側。VIP側の参加者だ。

 いかにもすぎる外見で、禿げかけた頭に、脂ぎった目をしている。

「へへっ……今晩は楽しもうねえ……?」

 にやつきながら、片手にはエグすぎる形のサディスティックな『ピンクの玩具』を握りしめていた。

 ただ気持ち悪いだけなのに、それが「露骨に気持ち悪いフリ」の自虐的なユーモアだと信じているかのように、手をわきわきと動かしながら、近づいてくる。


「……あ。やっぱり緊張してきたかも」

 ルキは呟いた。


 みんなの前で失敗しちゃわないかな、だとか。

 もうすぐ出番なのにどうしたらいいか分からない、だとか。


 来るべき未来その時を無事に終えられるか、それが不安だから人は緊張する。


 ──その時が、やってきたんだ。

 ──迷う時間は終わり。ウチはさっき選んだから。


 変わるか。変わらないか。


 佐々木蒼か。金城直美か。


 光か。闇か。そのなかで──



 ──ウチは、佐々木蒼を選んだから。



 この最悪な土壇場で、それでも、ウチは選べたんだ。

 この選択を、もう2度と、疑わない。

 この先、一生、依存し続けてやる。

 ねえ。

 それでいいんでしょう?



 VIPおやじの手がルキに伸びた。顔が近づいてくる。はぁはぁと生暖かい吐息がかかる。ルキは目を閉じる。


 ──今までも、これからも。

 ──いつも、いつも、ほんとうに、迷惑ばっかりかけて──




「…………ごめんね、佐々木っち」




 次の瞬間だった。


 がしり、とVIPおやじの腕を、が掴み止めた。


「ほ?」

 おやじが阿呆な声を出す。直後、茶色いウィッグと、大きすぎる偽乳を振るわせながら、思いきりVIPおやじを殴り飛ばした。


「──どういたしましてえっ!!」

 

 佐々木蒼が叫ぶ。後戻りのできない反逆が、始まった。




──────────────────────




 今回もお読みいただきありがとうございます。


 たびたび後書きに書いていますが、私はミステリー小説が大好きです。

 拙いながら、何もかも、ひっくり返していきます。

 どうぞお付き合いいただけますと幸いです。


 執筆の励みになりますので、

 引き続きフォローや★★★や❤︎で応援いただけますと嬉しいです!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る