第46話 お、おねしょぉっ!?!?!?



「………………え?」

 高山愛里朱が、鼻水をたらした顔をあげて、きょとんとする。

 そして、じわじわと、目と口を開いていき、やがて赤面して叫んだ。

「……は……? ……え? ……えええぇっ!? お、おねしょぉっ!?!?!?」


「おねしょ」


「えっ、えッ!? なッ、なんで急にそんな話題っ!? やっぱり佐々木さんって変態さんなのかなあ!?」


「おねしょ……」

 俺は自信がなくなってくる。

 あれ、励まし方、まちがったかな……?


「わああああっ!? 怖い怖い!! 佐々木さん壊れちゃったっ!? えっ? も、もしかして……わたし、!? 今までずっと濡れてたっ!?」

 高山愛里朱が取り乱す。手でばたばたと股間と全身を確かめている。真っ赤になって叫んだ。

「なになに!? どうすればいいっ!? 答えればいいっ!? さ、最後におねしょしたのはねっ、た、たしかちゅう──」


「あーーーーッッッ! ごめんごめん答えなくていい! すまん失敗した!! ぜんぶ間違った!! 比喩で伝えたかったんだよっ!!」

 俺は謝罪する。

ってさ!」


「え?」


「ごほん」

 俺は咳払いをして、神妙に続ける。

「……あー、まずだな。過去の自分を責めるのはやめよう。そのスタンスは、この業界の在り方と矛盾してるよ」


「…………」

 高山愛里朱が、真っ赤なまま、聞く姿勢をとる。


「『いま成功しちゃったなら、過去のわたしはなんだったんだ。過去に周りにいた人たちに申し訳がない』なんてさ、悔しいけれど、んだよ」

 俺は銀髪JK姿で正座をして続けた。

「知っての通り、配信業界ってさ、業界だろ? ニーズは変わり続けるし、配信者だって成長し続ける。変わり続けることが本質なのに、変わってしまうことを嘆くのはお門違いだよ」


「でも……」


「でも、如水さんに申し訳がない、か?」


 高山愛里朱が声に詰まった。俺は続ける。


「それも思う必要はない。聞く限り、彼は優秀な業界人だった。時代や力不足に振り落とされる覚悟がなかったとは思えない」


 そう。俺ですら完了している覚悟を、アイリス・アイリッシュを創り上げた男がしていなかったとは思えない。


「それに、だからこそ……愛里朱、君も覚悟する必要があると思う。過去の自分よりも強くなっていくことを。美しい思い出を、未熟な黒歴史にしていく覚悟をだ」


「……っ……」

 高山愛里朱が目を逸らした。


 気持ちは分かる。

 過去の自分の直向ひたむきさ。

 千載一遇の運命だと信じた仲間との日々。

 それらを黒歴史だなんて思いたくはないだろう。

 でも──


「……そりゃあ、俺だって思うよ。オーロラ・プロダクションの初期から今の実力があったのなら、きっと救えた子がたくさんいたはずだ。でも、俺たちは、戦い続ける以上、過去の未熟を受け入れていくしかないんだよ。あの頃の自分は弱かったんだって。失敗から学んで、今と未来に、向き合うしかないんだ」


 プロの創作とは妥協の連続だ。

 締切に間に合わせて発表するしかない以上、ブラッシュアップは途中で止めるしかない。

 イラストだろうが、小説だろうが、配信だろうが、マネージメントだろうが同じだ。

 俺たちは、そんな、自分にしか見えない汚点だらけの道を歩むしかないのだ。


「そして、夢と現実。どちらと向き合うべきかだが……」

 俺は、まっすぐに愛里朱を見て、告げた。

。それは君にしかできないことだからだ」


「でも……いいのかな……」

 高山愛里朱は俯いて弱々しく言った。

「社長を名乗っているのに……事務所を立ち上げたのに……こんな、中途半端で……」


「おいおい、俺を舐めてるのか? 君が夢に向き合うぶん、俺が現実に向き合うよ」

 俺は笑った。

 任せろよ。と。

「自信を持っていいんだぜ? 愛里朱は既に、経営者としても仕事を一定終えているんだからな」


「え……?」


「経営者の──あるいはプロデューサーの仕事っていうのはさ、結局のところ、『人事』だろ? 『人材の採用』といってもいいかな」

 俺は語り続ける。

 このへんの矜持は、俺も日々、肝に銘じているものだ。

「独りで叶えられる理想なんてたかが知れている。チームじゃないと達成できない『理念』を目指すから、世のリーダーたちは組織を作るんだろ? なら、リーダーに絶対に必要な仕事は、仲間を集めることだけさ」


 人間一人が発揮できるパフォーマンスは、どこまでいっても人間一人ぶんだ。

 だからリーダーは、自分と異なる能力を持ち、自分と異なる人生時間の使い方をしている人間を求めて、チームを組むのだ。


「その点、愛里朱、君の最大の功績は、この俺を仲間にしたことだろ」

 オーロラの女装P。

 俺は、どんと自分の胸を叩いた。

 関西JK系VTuberの衣装のまま、ニッと不敵に笑う。

「プロデューサーなんていう、『現実の国』でしか戦えない……大手を追放された哀れな企業戦士をさ……君は拾い上げてくれたんじゃないか。なら、俺は全力で──」


 餅は餅屋だ。

 馬は馬方だ。

 じゃの道はへびで。

 夢には演者。

 そして現実には、当然、だ。


「──現実は俺がるよ」


 俺はぐっと拳を握りしめる。


「だから、『夢の国』の攻略は君に任せたい。そういう風に、背中を任せ合う、厨二感のある戦い方でいいんじゃないかな」


 高山愛里朱は薄闇のなかでしばらく黙っていた。

 膝を抱く力は少しずつ抜けていって、肩から重いなにかが消えていくのが見えるようだった。

 やがて彼女は、ふふっ、と吹き出した。


「……ちょっと表現、格好つけすぎじゃない?」


「アニメの展開みたいで良いだろ?」


「……つまり、『現実ここは俺に任せて、先に行け』ってこと?」


「あ、置いてはいかないでほしいかも」

 死亡フラグだしそれ。

「隣で戦ってくれよ、冒険少女」


「ふふっ。そっかぁ……。わたしは、また仲間を信じていいんだね……」


 ふいに高山愛里朱が俺の方に倒れ込んできた。

 支える間もなく、彼女の頭が俺の肩にのる。

 いつのまにか彼女は目を閉じていて、その身体からは力が抜けていっていた。


「ねえ、佐々木さん……」

 一人の少女が夢の国へと落ちていくかのように。

 微睡の入り口に佇みながら、愛里朱は囁いた。

「……佐々木さんは、わたしを、キラキラの向こうに連れて行ってくれる?」


 俺は思わず笑ってしまった。

 連れて行ってくれるかだって?

 俺だって、憧れた二次元の向こう側に行きたくて、この業界にいるんだ。


「……連れていってくれるか、じゃねーよ」

 俺は言った。

「愛里朱こそ俺を向こう側へ連れていってくれよ。一緒に頑張ろうな」


 高山愛里朱はいつのまにか眠りに落ちていた。その表情は、とても穏やかだ。

 ──アイリス・アイリッシュ。

 学生の頃の俺が、推しに推した超人気声優。

 そんな彼女が俺の肩に頭を預けて、手を握りながら眠ってくれているなんて、昔の俺が聞いたら卒倒しそうだ。


 この状況が夢なのか現実なのか。

 俺にはだんだん、分からなくなっていった。




──────────────────────




 今回もお読みいただきありがとうございます。


 開闢アリス編、あとは短いエピソードを2〜3ほど続けて完結となります……!

 もう少しだけお付き合いくださいませ……。


 また昨日、作者の近況ノートを更新いたしました。

 既にコメントも頂けておりとても嬉しいです。。ぜったいにご回答いたします。


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